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日本マラソン史上もっとも強いランナーは?

1 :アスリート名無しさん:04/01/28 10:51 ID:b0j5weSW
男は君原、女はQだと思うんだがどうよ?

2 :アスリート名無しさん:04/01/28 10:55 ID:L0yUufnH


3 :アスリート名無しさん:04/01/28 11:02 ID:oRTiW4qO
どうでもいいから早く市ね

4 :アスリート名無しさん:04/01/28 18:41 ID:ZfL3pU2t
女は異論なしだが、男は瀬古だろう。

5 :アスリート名無しさん:04/01/28 18:48 ID:6U2AfsO8
瀬古は野球で言えば王長島クラス、ダントツでしょう

6 :アスリート名無しさん:04/01/28 18:53 ID:K1rJsE8F


7 :アスリート名無しさん:04/01/28 19:48 ID:VXSWyZln
男:瀬古、中山、藤田、森下、谷口が5強
女:高橋、野口、坂本、千葉、土佐が5強



8 :アスリート名無しさん:04/01/28 20:17 ID:L/RNt+Gi
瀬古は本当に強かったのか?
箱根の解説きいてたら、
本当に長距離選手だったのかって感じだったけど。

9 :アスリート名無しさん:04/01/28 20:22 ID:t5kuEaC0
むね兄弟

10 :アスリート名無しさん:04/01/28 20:35 ID:YqOJa+gp
>>7
藤田、土佐はどうかなぁー

11 :アスリート名無しさん:04/01/28 20:54 ID:VXSWyZln
瀬古は今の高橋並の存在だったよ
五輪には縁がなかったけど

12 :アスリート名無しさん:04/01/28 21:02 ID:5jKd2O2N
孫基禎

13 :アスリート名無しさん:04/01/28 21:04 ID:Rtmz5Tvt
金栗四三

明治45年、当時の世界記録を二十七分も破る二時間三十二分四十五秒の好タイム。

マラソンと言う競技を根本から変えた。


14 :アスリート名無しさん:04/01/28 21:13 ID:Rtmz5Tvt
>13
大正三年には世界記録2時間19分30秒樹立
オリンピックには三回出場したが、残念ながら活躍は出来なかった。
昭和42年スウェーデンオリンピック委員会の招きによりスウェーデン訪問、54年8ヶ月6日5時間32分20秒3、半世紀目のゴールをはたす。(ギネス公認)
昭和58年11月13日、92歳で永眠。生涯に走った距離は25万キロ、地球6周と4分の1といわれる。

紫綬褒章受章
勲四等旭日小綬章受章
従五位銀杯下賜

15 :アスリート名無しさん:04/01/28 21:14 ID:TDdy50mp
有森

16 :アスリート名無しさん:04/01/28 21:35 ID:6U2AfsO8
モスクワオリンピックの頃が瀬古も宗兄弟も絶頂期だった。参加していたら瀬古は
順当に行けば金、悪くともメダルは取れたと思う。宗兄弟もどちらかはメダル取れたかも・・・・



17 :アスリート名無しさん:04/01/28 21:52 ID:Wnr+dc3u
円谷

18 :アスリート名無しさん:04/01/28 21:53 ID:gDmPPJnd
ダグラス・ワキウリ


19 :アスリート名無しさん:04/01/28 21:53 ID:G3GgTbeY
男子は中山,瀬古,森下,谷口かな

20 :アスリート名無しさん:04/01/28 22:03 ID:Wnr+dc3u
>>16
タラレバはやめようって

ソウルの時も「最強の3人組」とか
騒がれて、結果は・・・・・

21 :アスリート名無しさん:04/01/28 22:04 ID:Bn3OIkpE
小出

22 :アスリート名無しさん:04/01/28 22:41 ID:6U2AfsO8
20が何を言いたいんだかよくわからん・・・・はあ(溜息)








度し楼と(ぷ)

23 :アスリート名無しさん:04/01/29 00:08 ID:snUHk1nl
>>1
確かに君原も強かったが、やっぱり最強は瀬古では。

瀬古利彦 マラソン15戦10勝(3位以内11レース)五輪成績 ロス14位 ソウル9位
君原健二 マラソン35戦13勝(3位以内26レース)五輪成績 東京8位 メキシコ銀 ミュンヘン5位

勝率や世間への印象では圧倒的に瀬古が上だな。
君原が瀬古に優ってるのは五輪での成績だけ。
ただし君原の凄いところは、五輪マラソン3度出場ですべて8位以内入賞は世界で君原だけということ。

まあ私の結論は、1瀬古、2君原。

24 :・・・・:04/01/29 00:14 ID:+obdmWZd
君原は五輪で結果は残しているが、当時の世論は宇佐美の方が格上だと見られていた

25 : :04/01/29 00:33 ID:sHP1WueG
男子最強は中山に決まってんだろ。
五輪連続4位は黄身原とほぼ同等。
レースぶりは世界マラソン史上でもまれにみる破壊力ぶり。

26 :アスリート名無しさん:04/01/29 00:35 ID:yyRZTqcZ
やっぱりワイナイナだろ、普通

27 :アスリート名無しさん:04/01/29 01:14 ID:rb+Ba15s
ショーターでしょ。福岡4回、びわ湖2回走って全部優勝。

28 :アスリート名無しさん:04/02/02 22:19 ID:kuqzqPNB
男は瀬古

29 :アスリート名無しさん:04/02/02 22:26 ID:uYALoswv
瀬古にケテーイ

30 :アスリート名無しさん:04/02/02 22:27 ID:kuqzqPNB









31 :アスリート名無しさん:04/02/02 23:32 ID:OBqooY/y
瀬古って言う人が多そうだけど、前半から飛ばしてペース作って
勝った中山最強。サイレンススズカみたい。

瀬古は美味しいとこ取りみたいなのが気に入らん。
イカンガーの背後密着マーク!とか。

32 :アスリート名無しさん:04/02/02 23:35 ID:woil5tEa
>>31
瀬古は、ライスシャワーか?!

33 :アスリート名無しさん:04/02/03 19:30 ID:DmI/8KQd
最近、昔のランナーに興味を持ち出したんだが、
「美味しゆうございました、もう走れません」の人は当時どういう評価だったの?

34 :アスリート名無しさん:04/02/03 19:53 ID:ch97QBiM
>>33
マラソンでは三番手の評価。
一万ではそれなりに評価高かったんじゃない?
入賞もしてるし。


35 :アスリート名無しさん:04/02/03 20:49 ID:cwY7uaQl
増田明美
デビューした頃の衝撃はすごかった。

36 :アスリート名無しさん:04/02/03 20:51 ID:bR8ylXA7
>>31
2〜3番手とか4〜5番手に付けて、直線抜け出す、という
レース運びが、安定した成績を残しやすい。競馬は、ね。

それで市橋には、「瀬古の再来」を感じたんだが、外れた。

37 :アスリート名無しさん:04/02/03 20:57 ID:sKr6Z06u
市橋タンはトラック勝負で浅利タンに負けてるぞ。


38 :アスリート名無しさん:04/02/03 21:02 ID:bR8ylXA7
うん、勝負で負ける。だから「外れた」。ただ、レース運びは瀬古型(コバンザメ)。

39 :アスリート名無しさん:04/02/03 21:05 ID:ol25uW0R
森下もバルセロナの時、もうすこし落ち着いていればなあと今でも思う。

40 :アスリート名無しさん:04/02/03 21:14 ID:sKr6Z06u
森下はピーキングに失敗していたみたいですね。
レースの数週間前にピークが来ていたと、本人が語ってました。

>>38
外れたとはそういう意味でしたか、すまん。
俺は一線級から脱落したという意味だと思ったので。

でも俺も有里たんは、可能性を感じてましたよ。
伊藤真貴子が優勝した東京や、浅利に負けたレースでも、
ぴったり先頭に食いついていて、凄い良い選手が現れたと思いました。

41 :アスリート名無しさん:04/02/03 21:21 ID:bR8ylXA7
市橋には、マラソンデビューの時に惹かれてしまった。
端正な顔で、凛々しい「若武者」を感じたものだった。

あの時、テレビカメラもずいぶん追いかけていたな。


42 :アスリート名無しさん:04/02/03 21:21 ID:ZtjQFx6c
中山はいつも果敢に世界記録に挑んだ。

43 :アスリート名無しさん:04/02/03 21:33 ID:ol25uW0R
>40
なるほどそうでしたか..
レース中位置取りが一定していなかったり、無駄なペースアップを
何度も試みたり、見ている方がイライラしたものでした。
やはり、精神的に不安定だったのかもしれませんね。


44 :アスリート名無しさん:04/02/03 21:54 ID:w38uo347










45 :       :04/02/03 22:41 ID:WNgcX8Wb
87福岡の中山
98バンコクのQ

46 :アスリート名無しさん:04/02/03 23:31 ID:AolusCda
オリンピックのメダルこそ至上
よって戦後はワイナイナなり
日本マラソン界が育てた偉大なるランナーである

47 :アスリート名無しさん:04/02/03 23:34 ID:ZtjQFx6c
>45
途中まで世界記録を上回る雨中での独走。
瀬古に「オレなら這ってでも来る」と言い放った伝説のソウル五輪選考会。

48 :アスリート名無しさん:04/02/03 23:36 ID:ZtjQFx6c
>45
1999 バンコクアジア大会女子マラソン


宗さん激白!!
  「今日のレースで、何人の選手が自分の時代の終焉を感じただろう」

積水化学の高橋尚子。
気温30度、湿度90%を越える中、2時間21分48秒の世界歴代5位でゴール。
10kmの通過が33分03秒。
20kmは65分ちょい。
ハーフも68分台前半。
すごすぎ。
とにかくすごすぎだって。
世界記録の期待がかかったレース後半からは、あまりのすごさに正座して見ないではいられなかった。
(現地テレビ局の映像ということで、音が悪かったのがちょっと残念。
これを見て、日本のスポーツ中継の”正確さ”を改めて実感)

49 :アスリート名無しさん:04/02/03 23:37 ID:ZtjQFx6c
>48
「後半はさすがに落ちた」というのがほとんどのスポーツニュース、新聞記事の書き方。
でもそのバテタと言われる後半も1時間13分台の前半でカバーしている。
これを単純に2倍しても2時間26分台…このタイムで走れば
大抵の女子マラソンでは優勝である。
バテても高橋さんはすごい。

このレースを受けて、旭化成の宗監督も”マラソンの歴史を変えるレース”と絶賛。
そして
 「今日のレースを見て、何人の選手が自分の時代が終わったと思ったことか」
と言われている。

バルセロナ、アトランタのオリンピックでメダルを取った有森裕子。
昨年のアテネでの世界選手権で金メダルをさらった鈴木博美。
先日の東京国際マラソンで優勝をさらった浅利純子。
…これらそうそうたるメンバーが、走る前から戦意喪失せざるをえないくらい

高橋さんの走りは超人的であった。
このコメントを残した宗さん自身、今後どうやって自分の選手を育てて行こうかという迷い、
信じられないという思いがありありと見うけられたのは私だけであろうか。
とにかく、これだけ人のすごさを力説したくなるのは久し振りのことだ。
あれだけ激しいレースをしたにもかかわらずゴール後も笑顔。
自分も見習わなければなと。
笑顔笑顔。

50 :アスリート名無しさん:04/02/04 00:02 ID:+O9gUcr2
>>68
ハーフは69分15秒。

51 :アスリート名無しさん:04/02/04 00:15 ID:4D/M5f6M









52 :アスリート名無しさん:04/02/04 01:03 ID:Qx9lFXMF
男 瀬古 宗兄弟 中山 伊藤 
女 高橋 増田 安部 有森 

期待はずれだったやつ
男 渡辺 実井 真内
女 小鴨 松岡 

53 :アスリート名無しさん:04/02/04 01:35 ID:IF2rNVU2
伊藤って…未勝利じゃなかった?

54 :アスリート名無しさん:04/02/04 10:07 ID:aWGTYGIB
瀬古サイキョ

55 :アスリート名無しさん:04/02/04 11:50 ID:4D/M5f6M










56 :アスリート名無しさん:04/02/04 12:26 ID:xraNWHRT
中間点までの高橋健一

57 :アスリート名無しさん:04/02/04 13:47 ID:bssGYZjb
高橋でおもいだしたが、丸亀で後輩の野口に勝ちをゆずるという
敗退行為をした張本人。

いまだに思い出しても腹が立つ。

58 :アスリート名無しさん:04/02/04 13:48 ID:Ho0DGbCR
男子は瀬古。全盛期の北の海みたいな印象って、分かってもらえないですね。
女子は高橋Q。タイムだけじゃなく勝率が凄い。

あと、今となってはたいした記録ではないし、特に強かったイメージは無いけど、
日本人女子で初めて2時間30分を切った宮原美佐子の名前をあげておきます。

59 :アスリート名無しさん:04/02/04 14:37 ID:nEnFCa1r
男子
いつも裸足で先頭を走っていた黒人ランナー(イカンガーだったかな?)
女子
高橋尚子

60 :アスリート名無しさん:04/02/04 14:59 ID:JIQ03oNS
男子は瀬古が最強。マラソンは完全に勝負に徹していたため
5千、1万の持ちタイムと比較すると異常に遅い記録しか残していない。

これ以後の選手が記録で上まわっても意味がない。
通算記録を抜いても意味がないという点で、長嶋茂雄と同じ。

61 :アスリート名無しさん:04/02/04 15:07 ID:PTVPFsqF
瀬古と中山が全盛期に対決したらどっちが強いか?

62 :アスリート名無しさん:04/02/04 18:10 ID:qlqwc2tp
>>61
中山が一歩上です
10000のスピードも


63 :アスリート名無しさん:04/02/04 18:15 ID:f4Qk0YP/
速いランナーといえば中山。
強いランナーといえば瀬古。

64 :アスリート名無しさん:04/02/04 18:20 ID:KjqM1/f6
人間的には中山のほうがすきだが、賭けるとなると瀬古に賭けねば
ならないでしょう。

中山でも、瀬古を振りきるのは難しいと思う。

65 :アスリート名無しさん:04/02/04 18:22 ID:f66LUC+N
高橋???

名古屋出ない臆病者が最強??????

66 :アスリート名無しさん:04/02/04 18:24 ID:IQtLq3mF
>>65
朝鮮人発見!

67 :アスリート名無しさん:04/02/04 18:29 ID:JfpLdCCX
30Kmまでなら早田俊幸。これだけがガチ。

68 :アスリート名無しさん:04/02/04 18:30 ID:f66LUC+N
ID:IQtLq3mF=キチガイQヲタ

69 :アスリート名無しさん:04/02/04 18:32 ID:IQtLq3mF
>>68
チョンしつけーーーーー

70 :アスリート名無しさん:04/02/04 18:33 ID:IQtLq3mF
>>68
チョンにろくなランナーいないからって妬むのはやめろよな

71 :アスリート名無しさん:04/02/04 18:35 ID:f66LUC+N
>>69
氏ねキチガイ。
チンカスQとキチガイファンまとめて島流しにされろ。

72 :アスリート名無しさん:04/02/04 18:38 ID:IQtLq3mF
>>71
半島に帰れくされチョンが!
お前なんか日本に来るな、このビチグソチョン公野郎

73 :アスリート名無しさん:04/02/04 18:41 ID:f66LUC+N
>>72
意味もなく朝鮮人をしつこくチョン呼ばわりか。
下品で教養のないチンカスQヲタにふさわしい言葉ですね。
日本のイメージ回復には、こいつら死んだほうがよさそうだ

74 :アスリート名無しさん:04/02/04 18:44 ID:IQtLq3mF
>>73
お前みたいなクソチョンが日本に来てイメージ悪化させてるのに早く気ずけ
半島に帰って豆食って寝ろ、二度と日本に来るなこの馬鹿野郎が

75 :アスリート名無しさん:04/02/04 18:47 ID:f66LUC+N
>>74
チンカス語でわめいてるようだが。
何言ってるかさっぱりわからん。
死んどけ

高橋尚子

虚偽のイメージで飾り立て、実力が全くないの五輪代表に執拗にしがみつくチンカスぶり。
見栄だけで伸びた中身からっぽのチンカスランナー。
稚拙な嘘・誇張、都合のいい解釈、勘違い、虚言癖、
都合が悪くなるとこそこそ逃げ回るチキンぶり。
何もかもが見苦しい。

76 :アスリート名無しさん:04/02/04 19:05 ID:qlqwc2tp
>>75
それくらいにしとけ

77 :アスリート名無しさん:04/02/04 19:15 ID:fX3gEw2D
孫基禎も強かったと言う事でカンベンしてくれ。

78 :アスリート名無しさん:04/02/04 19:17 ID:wFMFS6H7
瀬古はインターハイの800で確か2連覇している

79 :アスリート名無しさん:04/02/04 20:13 ID:4D/M5f6M









80 :       :04/02/04 23:33 ID:gVtLwvuW
瀬古とQの共通点は高校時代は中距離専門だったってことだな。

81 :アスリート名無しさん:04/02/05 00:04 ID:EAvLg00g
>>20
超亀レスで申し訳ないが・・・・

>>17のような事を言う人は結構いる。

あと昔テレビ東京のスポーツ番組で柔道の山下と瀬古とあと1名(失念した)が
対談していた時に瀬古が言うには、集団の後ろにいたのは
イカンガーの体臭が強烈でそれを避ける目的もあったそうな。

82 :アスリート名無しさん:04/02/05 00:05 ID:EAvLg00g
ごめん 
× >>17のような事を言う人は結構いる。
○ >>16のような事を言う人は結構いる。

83 :アスリート名無しさん:04/02/05 04:00 ID:y5JLHA2D
イカンガー

84 :アスリート名無しさん:04/02/05 04:02 ID:vQQ0tMMh
マラソン観戦40年の感じで、その当時の世界最高との比較では(創成期は省く)
@瀬古 間違いなく世界で3本の指に入った。平坦でタイムの出るレースでは世界一
A中山 中山が台頭したころはすでに瀬古より強かったが、全盛期の比較では瀬古が上
B君原 なんと言っても銀メダル。ああいう選手はその時代その時代に適合できるはず

あとは宗兄弟、円谷、重松、佐々木精一郎、谷口か
最近のランナーは故障が多く評価できない。

85 :アスリート名無しさん:04/02/05 08:21 ID:PXGCFLGZ
数年前に知ってるつもりでこれを見て、ちょっと感動した。

http://www.ntv.co.jp/shitteru/next_oa/000423.html

86 :アスリート名無しさん:04/02/05 08:34 ID:2+kHWDNJ
>>84
間違ってます。全盛期の瀬古は当時間違いなく世界1です(ただし冬レース)。
当時のマラソン界において瀬古だけが絶対に負けないレースを確立していま
した。現在のマラソン界は勝つレースをしなければ無理ですが。

87 :アスリート名無しさん:04/02/05 09:25 ID:/J+0Tr14
日本マラソン史上最強のマラソンランナーは

瀬古利彦

海外レースでの優勝(ボストン2回、シカゴ、ロンドン)
国内レースでの優勝(福岡国際、東京)

中山竹通は、83年の福岡国際の印象があまりにも強いが、勝負強さでは残念ながら瀬古には及ばない。

88 :アスリート名無しさん:04/02/05 12:37 ID:Cg52luPA
大関 篤

89 :アスリート名無しさん:04/02/05 12:45 ID:AMOCqFPq

日大の宇佐美だ!

90 :アスリート名無しさん:04/02/06 09:28 ID:6bUDxC9f
男子(ただし80s以降に限定)

@瀬古利彦
A中山竹通
B谷口浩美
C藤田敦史
D森下広一
E高岡寿成
F宗茂
G宗猛
H伊藤国光
I犬伏孝行

女子
@高橋尚子
A野口みずき
B有森裕子
C鈴木博美
D増田明美
E千葉真子
F坂本直子
G浅利純子
H山口衛里
I佐々木七恵

でどうよ?

91 :未明のランナー:04/02/06 18:09 ID:nv1K1vvH
円谷幸吉。ローマ・東京とブッチギリで連覇したアベべは誰が何と言おうと史上最強のランナーです。
その東京大会で2番めに国立競技場に戻って来たのですから。最後は英国のヒートリーに交わされたが、堂々たる銅メダル。日本人でもやればできるという勇気を与えてくれた功績は大です。
周囲の大きな期待と伸び悩む記録の狭間で、彼は苦しみ『もうこれ以上は走れません』と遺書を残して自らの命を断ちました。
残念です。早まる前に走り始めた頃の事を想い出してほしかった。走る事が楽しかったあの頃を…改めて御冥福を祈ります

92 :アスリート名無しさん:04/02/06 18:16 ID:WjaOJ28o
「日本マラソン史上」なのにワイナイナを無視するのは如何なものかと

93 :アスリート名無しさん:04/02/06 18:19 ID:CSwH5iUD
渡辺

94 :アスリート名無しさん:04/02/06 19:06 ID:pluw/I8y
早田俊幸

95 :アスリート名無しさん:04/02/06 19:55 ID:B+JTi65f
>>90
山下佐知子が入ってないぞ

96 :アスリート名無しさん:04/02/06 21:59 ID:rpSm0W1R
>>92
ワキウリですが何か?

97 :アスリート名無しさん:04/02/07 03:40 ID:bWKwJlkd
日本人だとやっぱり瀬古かなぁ。中山の方が好きだけど。

世界だと、今のアフリカ勢の誰かになるんだろうがよく解らん。
推したいのはアベベ・ビキラ。
ペレ、マラドーナ級の伝説となってる選手だけど、史上最強なら
それぐらい神がかってる選手がいいな。

98 :アスリート名無しさん:04/02/07 08:42 ID:+ITxHuUl
世界最強?
チェルピンスキーだよ
運の強さは半端じゃないな

99 :アスリート名無しさん:04/02/08 14:57 ID:6pTRjYY3
>>98
運の強さだけはな

100 :Mヴァカ:04/02/08 15:00 ID:meYx9qNN
100ゲット!!!!!

101 :アスリート名無しさん:04/02/08 15:14 ID:A9R4axRk
男子は瀬古、女子はQちゃん

102 :アスリート名無しさん:04/02/08 16:19 ID:bWQs1a+T
世界最強?
フランク・ショーターだろう
そのショーターをモントリオールで破った
チェルピンスキーの強さも半端じゃないと思う。

103 :アスリート名無しさん:04/02/08 17:43 ID:H1jbJqTW
首振りの激しさと傾き具合では谷口より君原だな。

104 :アスリート名無しさん:04/02/08 18:03 ID:WTQkuCKc








105 :アスリート名無しさん:04/02/08 18:09 ID:zRzH9C2I
今日のマラソンのゴールテープの娘は美少女だった
トーチのときにも出てきて、おらはちんぼがおったってしこった
いまもあの美処女を輪切りにする空想をしておったてている
スレ違いですがこの思いを吐き出すスレがないので報告しました。

106 :アスリート名無しさん:04/02/08 23:19 ID:n0YqjZIj
中山の「自ら引っ張る」というスタイルは絶対的な強さ。
瀬古の「最後に逆転」というスタイルは相対的な強さ。

人は絶対的なものにあこがれる。

107 :アスリート名無しさん:04/02/08 23:34 ID:0mlUFFOJ
中山、今日のペースメーカーレース見て
改めて思った。


108 :アスリート名無しさん:04/02/09 12:05 ID:n5khsv5J
黄色

109 :アスリート名無しさん:04/02/09 12:27 ID:XccS+Fmk
女子は高橋さん。男子はカレー作る会社のお方より高い勝率の方がいる。関東フリークの勘違い甚だしい野獣にはわからない。

110 :アスリート名無しさん:04/02/09 13:29 ID:nQ7wqwHy
谷口は給水でコケちゃうまでは金メダル最有力候補だった。
靴を踏んだのってイカンガー?

111 :アスリート名無しさん:04/02/09 13:33 ID:EknIgzaB
Qは嫌いだが、Qだろ
男はシラネ

112 :アスリート名無しさん:04/02/09 13:34 ID:kRmxD6Lf
ソウル五輪のマラソン選考の時、瀬古救済をめぐって、中山、谷口、児玉が
猛烈に批判していたが、なぜか児玉が批判しているのは許せなかった。

113 :アスリート名無しさん:04/02/09 14:02 ID:TM7PRvRy
>>112
まあ中山や児玉ら無名からの叩き上げからすれば
高校時代から常にエリート街道を歩んできた瀬古に対する
反発があったのだろう。
別に正論を言ってるだけだと思うがなぜ許せないの?


114 :アスリート名無しさん:04/02/09 14:33 ID:XccS+Fmk
93番はマラソン&強いというスレッドの文字が読めませんでした。渡辺さんは学生のときにこなし過ぎたと思います。 世界選手権で早田さんと決勝走ったあのレースは強さを魅せてくれた。

115 :アスリート名無しさん:04/02/09 14:33 ID:XccS+Fmk
今、まず、800 センゴ 五千1万で 国際大会決勝やゴールデンリーグ、グランプリ、ワールドアスレティックファイナルで戦える競技者が育って欲しい。

116 :アスリート名無しさん:04/02/09 14:38 ID:XccS+Fmk
そのためには 「渡辺を育てられなかったら国賊って言われちゃう」と答えた方のような勉強しない指導者は不要。 指導者を育てる環境を作ることが重要。 「方」は確かに強かったし歩くことが大事という考えは子供ながらに「じゃあそうしよう」と思えた。

117 :アスリート名無しさん:04/02/09 14:43 ID:XccS+Fmk
指導者は柔軟性や変化、学ぼうとする意欲、姿勢が必要。だから高野さんは成功し、さらに飛躍しようとしてる。 野獣以外のみなさんなら、これから何が大事でどういうチーム、競技者が強くなるかわかるはずです。

118 :アスリート名無しさん:04/02/09 14:48 ID:qjRFN3oh
瀬古の全盛期を知ってる(78年ー83年)を知ってる人って少なくとも
30代半ばくらいから上ですよね。
ここで瀬古と言ってる方達は皆、これぐらいの年なんですか。(私はそうです。)

私も瀬古の全盛期を見ていて思うのは5000m、10000mでも
世界の強豪にマラソンと同じ戦法で勝ててたのが凄いと思った。
ローザンヌやDNガラン、ロンドンなどのヨーロッパで好勝負をして当時の
10000mの瀬古のベストが世界記録から30秒くらいしか差がなかった。
今、こういうランナーが日本にはいない。

マラソンもコバンザメ走法だったけどこの全盛期の頃の優勝タイムはほとんど
当時の世界歴代10傑以内にはいるものばかりだった。

いまだとアベラに近い選手だったかもしれない。

119 :アスリート名無しさん:04/02/09 14:55 ID:o/9JmFla
で、瀬古の10000の記録はどれほど?

120 :アスリート名無しさん:04/02/09 15:18 ID:GH7/rlpZ
世界ネタだけど、
瀬古・宗兄弟の好敵手だったオーストラリアのドキャステラは、
「史上最高のマラソンランナーは自分」と語ってた。

日本人じゃ絶対言えない台詞だよなw

121 :アスリート名無しさん:04/02/09 15:25 ID:Mt1d7P0T
瀬古の記録は27分42秒17。 当時の世界記録がポルトガルのマメーデが27分13秒81。
瀬古のベストは85年にマークしてるからロス五輪の前くらいは27分43秒くらいだったと
思う。
あの頃は118さんの言う通り、トラックでケニアの強豪を最後でかわしたり
してましたね。
今の日本記録が高岡の27分35秒だから20年間で7秒しか縮めてないんですね。

マラソンは瀬古かキャステラかと世界では認識されてましたね。
日本の場合はオリンピックでの評価が者を言うから瀬古の頃にもう少し夏場の
レース対策が確立してるとよかったと思います。

122 :アスリート名無しさん:04/02/09 15:33 ID:9u3s3rQg
 (;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;::::::\
  //        ヽ::::::::::|
 // .....    ........ /::::::::::::|    __________
 ||   .)  (     \::::::::|   /
 .|.-=・‐.  ‐=・=-  |;;/⌒i   |   
 .| 'ー .ノ  'ー-‐'     ).| <だから何回言わせるんだ! 
 |  ノ(、_,、_)\      ノ      
 |.   ___  \    |_   \  清水将也が最強のマラソンランナーだ!
 .|  くェェュュゝ     /|:\_   
  ヽ  ー--‐     //:::::::::::::  
  /\___  / /:::::::::::::::  
../::::::::|\   /  /::::::::::::::::::


123 :走゚り家:04/02/09 15:54 ID:SmIiftZ/
最強≠最速です。一番はやい選手が一番つよいと言い切れないのがマラソンの難しい所。
アベべが史上最強のランナーの証としてこんなエピソードがあります。
実は東京五輪の約1ヶ月前に彼は盲腸の手術をしていました。マラソンは内臓器の戦い…並の選手なら完走するのがやっとでしょう。
しかしアベべは哲学者のようなクールな表情を少しも崩す事なく、史上初の連覇の偉業をサラリとやってのけました。まさに超人です

124 :アスリート名無しさん:04/02/09 16:00 ID:9u3s3rQg
123>
アベベも強いが清水将也の瀬古に似た腰の位置が低いフォームは
現在、最強だ!

125 :アスリート名無しさん:04/02/09 16:11 ID:t/icqoKc
記録の停滞ってのは心理的に壁を作ってしまう傾向があるからな。
5000の高校記録であり、女子マラソンの日本記録であり、
誰かがその壁を大幅に更新すると、相乗効果で他の人間もそれが当たり前になってくる。
だから男子一万も渡辺や早田、佐藤清治辺りが頑張ってくれたら、
今頃は27分10ぐらいでだったかもしれない。
それでもケニア勢が本格的に参戦した近代トラックでは全く勝負にならないだろうけど。

126 :アスリート名無しさん:04/02/09 16:14 ID:KXR2XLzA
中山が好きでしたが、瀬古はやっぱり「強かった」と思う。
今、当時のソウル五輪の選考で「瀬古救済」が語り継がれてるけど、
代表選考(87年12月福岡国際)の半年前にボストンマラソンが
あり、当時の世界の強豪が集結した。イカンガー、キャステラ、
ステーブ・ジョーンズ、瀬古など。あの当時、夜中眠い中を
起きて見てたけど、中継者がトラブルで画像が送られてこなくて
イライラした。たしか38キロくらいで回線が直り、先頭集団を
写したところ、瀬古がスパートしてて一人旅をしていた。
当時、ステーブ・ジョーンズに勝つのは凄いことで、
「瀬古は強いは!」と誰もが思ったことだと思う。

その半年後の福岡欠場だったから今の高橋以上に
陸連は「救済」にでたと思うな。今になってみればね。
(その時の2月に東京国際で中山が凡走してるし。。)
それくらいあの時のボストンの優勝は「世界で一番」
と思えた瞬間だったなぁ。

あれが瀬古の最後のパフォーマンスだったように思う。

127 :アスリート名無しさん:04/02/09 16:22 ID:t/icqoKc
それにしてもトラック勝負で日本人が勝ててたなんて凄すぎる。
リアルで見たことないけど。

128 :アスリート名無しさん:04/02/09 17:19 ID:tVQ4iCmH
ゴメス、サラザール、イカンガー、キャステラ、ソウ、
ロスまでは、ライバルに瀬古は完勝していましたね。

唯一、ロぺスとだけは同レースではしったことはありませんでした。
そのロぺスが優勝したのが、ロス五輪ですね。
瀬古が遅れだしたときは、目を疑いました。
それ程、安定性が有り、勝負強かったとおもいます。

現在の解説者瀬古とは同一人物とは思いたくありません。



129 :アスリート名無しさん:04/02/09 18:57 ID:xwkXQHmB
日本で1のマラソン指導者って小出?
小出はなんで男子を指導しないんだ?

130 :アスリート名無しさん:04/02/09 20:56 ID:YbpmDDQh
瀬古を語るスレになりつつあるな。

131 :アスリート名無しさん:04/02/09 21:12 ID:gwPddWPz
なんで世故がそんなに人気あるのよ。
リアルで見てたけど中山の方が余程強かった。
全然違うなって思ってたよ。

132 :アスリート名無しさん:04/02/09 21:25 ID:0PPjPSK6
リアルではあまり覚えていないけど
中山は海外よりも国内レースを重視してたから
(実際優勝したレースは全部国内レースだし)
海外でも勝ってた瀬古に比べて強いという印象を抱きにくい。

133 :アスリート名無しさん:04/02/09 22:55 ID:ELfgZxGo
中山はアジア大会で勝ってなかったけ。

中山の走りは、相手を完膚なきままにねじ伏せるので
見てるほうは「強い」って印象受ける。

瀬古は、結果はすごいが
走ってる姿に「強い」とは思えんかった。

134 :アスリート名無しさん:04/02/09 23:29 ID:EEDew/lL
中山、ア−メドサラにはどうしても勝てなかったのが惜しかった。
10000のスピ−ドわりには、ラストで競り負けた印象がつよいですね。

その点瀬古は他のランナーに較べてギアが多かったと思う
スプリントも凄く、大概一度のスパートで勝負を決める切れ味がありました。

135 :アスリート名無しさん:04/02/10 00:38 ID:MMK/u5pP
中山の素質は天性のものを感じたな。

あれだけ強いレースができたのに2時間8分15秒が自己ベストっていうのは
潜在能力を出しきれなかった感じがしたなぁ。

87年の福岡の走りを見れば今の高岡よりも強いと思うな。
2時間6分で走る能力を持ってたと思うけど、最後での勝負弱さ、前半での
集中力を欠いたようなロスした位置取り、下げ句はコースを間違えたことも
あったな。
勝ちパターンが逃げ切りしかなかった。。

中山には強かったけど能力を出しきれなかった印象が強いです。

136 :アスリート名無しさん:04/02/10 01:03 ID:YJe15uKe
リアルで瀬古、中山の走りをみたかったなあ。
辛うじてソウル(4歳のとき)は覚えてるけど、瀬古のピークは過ぎてたからな。トラックで勝つ日本人を見たかった。
森下以来の男子マラソン、いろいろ頑張ってるけど、なんとかアテネではメダルを取ってほしい。
俺などただの一般人だが、賢明に応援しているよ。

137 :アスリート名無しさん:04/02/10 01:35 ID:F7BJftrF
今、トラックはケニアが強すぎるけど
そういえば瀬古もトラックで互角の勝負してたな。
82年だっけか?8カ国対抗陸上の10000mでラストのキレで快勝したのと
86年にロンドングランプリで5000mで日本記録(13`24``29)をだして
勝ったとき、ケニアのチェルイヨットを残り200で振り切ったスパートは
しびれたな。

マラソンもイカンガーをトラックで振り切った83年の福岡国際のラスト
100mを12秒台で走ってた。



138 :アスリート名無しさん:04/02/10 02:08 ID:YZKLx879
瀬古さん崇拝のおっさんばっか 勝率では瀬古さん上回った人がいることを知らないシーラカンスメタセコイヤ おっさんたちの青春懐かしむ時代じゃないのに

139 :アスリート名無しさん:04/02/10 02:08 ID:YZKLx879
瀬古さん崇拝のおっさんばっか 勝率では瀬古さん上回った人がいることを知らないシーラカンスメタセコイヤ おっさんたちの青春懐かしむ時代じゃないのに

140 :アスリート名無しさん:04/02/10 02:09 ID:pWQP3ElX
チャンピオンシップロードランナー

141 :アスリート名無しさん:04/02/10 02:36 ID:8J3Tb9cW
瀬古>中山>>>>>>>>>>>その他

142 :アスリート名無しさん:04/02/10 02:38 ID:YZKLx879
↑↑↑↑
二人しか知らない無知

143 :アスリート名無しさん:04/02/10 04:42 ID:xoeKY1ti
でも悔しいよな!!
瀬古や中山の全盛期みたかったな!

だっていま20年後に語れる選手っていないじゃん。

144 :アスリート名無しさん:04/02/10 07:30 ID:YryUScZn
故障する選手が増えたとか、女子に人気で負けている事情とか、あるね。

145 :アスリート名無しさん:04/02/10 11:23 ID:ckmV3gDf
>>137
マラソンもイカンガーをトラックで振り切った83年の福岡国際のラスト
100mを12秒台で走ってた。

それ見てたけど、嘘だと思うよ。12秒はおかしいと思うなあ。
確かに瀬古は、どんなに疲れててもラストを12秒で走るスパート力
はあると新聞には書かれていたけどさあ・・・

伝説は多い罠。瀬古には。
一万も早いというけれど、アメリカ留学でアメフトの選手に抜かれて
あっさり帰ってきたなんて話しもある。

146 :アスリート名無しさん:04/02/10 16:30 ID:rkR04OUp
12秒台って1500のあがりより速くない?

147 :アスリート名無しさん:04/02/10 21:17 ID:tiW/0k3u
俺も、83年の福岡国際をリアルタイムで見たけどあの時は
レースを引っ張ってきたのに最後の最後に瀬古に抜かれた
イカンガーに同情した。

それ以後、イカンガーを応援するようになったよ。
何度も日本に来てくれて、優勝もしたし嬉しかったな。
陸軍の少尉だったか…、軍人だったよね。

148 :アスリート名無しさん:04/02/10 22:46 ID:OPlJHOoM
瀬古さんは伝説が多いんだ。


オレが押すのは谷口浩美。


冬マラソン主体から夏マラソンの重要性が認識されて
きっちりと世界的に結果をだした。

夏と冬のマラソンでは最強の評価は違うでしょう。

149 :アスリート名無しさん:04/02/10 22:50 ID:AlXPmTK0
>夏と冬のマラソンでは最強の評価は違うでしょう。

禿同。

150 :アスリート名無しさん:04/02/10 22:58 ID:AlXPmTK0
瀬古って昔、ヘビースモーカーだったんだよね。
今は知らないけど。

10年以上前、
最大酸素摂取量に関する、スポーツ雑誌の記事で
タバコを吸っても、最大酸素摂取量能力には
あまり影響が無い、と書いてあった。

むしろ、トレーニングしても変わらないらしいと。
まあ、最近は高地トレや低酸素濃度トレが
出てきているが。

151 :アスリート名無しさん:04/02/10 23:21 ID:YQHMHPQo
>>150
俺も見たことある。
福岡国際の事前取材の時にプライベートを映してた時に吸ってた。
子供心にすげーショックだった。

152 :アスリート名無しさん:04/02/10 23:39 ID:il1F2kKE
>>137 1980年ね。その年にDNガランで10000の日本新を出している。勿論1位で
アンチポフをラストでちぎった。その年の10000の実力ランキングでは相当上位
と思われていた。イフターは別格として次にマアニンカ、ニャンブイあたりの次
あたりには思われていた。

中山はキックがまるでなかったので終盤で競うと必ず負けていた。87年の福岡の
印象が強いだろうが、90年の東京等、彼が勝つ場合は必ず前半で完膚無きまでに
叩きのめす形になる。ソウルは前半から積極的に出られなかった作戦ミス(という
より勇気がなかった。多分高橋あたりが変な策を授けたのだろうがアホすぎ)。
バルセロナでもトラックでさされている。

しかし俺から見ると糞しても2位を1分20秒ちぎったショーターが最強だな(
さすがにアベベのリアルタイムは見ていない)。そのショーターに好記録で
圧勝したチェルピンスキーやブービーから2ヶ月で世界歴代2位に飛躍した宗茂
もすごい。

153 :アスリート名無しさん:04/02/10 23:50 ID:YZKLx879
やっぱオヤジばっか

154 :アスリート名無しさん:04/02/10 23:53 ID:YZKLx879
古瀬アナ回想集団
いつまでも80年代のことばっか懐かしむから不要な壁を築いてしまうことに気づけよー
おっさん

155 :アスリート名無しさん:04/02/10 23:54 ID:YZKLx879
古瀬アナ回想集団
いつまでも80年代のことばっか懐かしむから不要な壁を築いてしまうことに気づけよー
おっさん

156 :アスリート名無しさん:04/02/10 23:55 ID:oDkBgblV
>>90
犬伏入れるなら、新宅だろ。

157 :アスリート名無しさん:04/02/10 23:58 ID:YZKLx879
新宅さんは該当しないから犬伏さんも外れる

158 :アスリート名無しさん:04/02/10 23:58 ID:PpQ/bL3o
>>552
ショーターの話しだとちぇるぴんすきーは薬を使ってたらしいよ。
あの時は途中でショーターに捉えられかけたけどね。
一周余分に回って、不安だったからもう一周回ったとかいって
平然としてたのを見て怪物だと思った。
確か、彼モスクワでも優勝しなかったっけ。

159 :アスリート名無しさん:04/02/10 23:59 ID:YZKLx879
順番は九十の個人的な見方
他にも見方あり
変動あり

160 :アスリート名無しさん:04/02/11 00:02 ID:5tGWhiU9
>>90
女子はおかしいなあ。女子マラソンスレで書いたら怒られるよ。

161 :アスリート名無しさん:04/02/11 00:05 ID:eLTtIj1n
それなら男子も

162 :アスリート名無しさん:04/02/11 00:16 ID:0jHGlg/M
何か、瀬古が最強って言ってるおやじって、
プロ野球で一番球が速い投手はって聞かれると
尾崎幸雄をあげるような香具師ばっかりのようなw














でも、俺も瀬古が最強だと思う

163 :20歳:04/02/11 00:18 ID:YxifikYi
だって瀬古が最強だし、
一番速い球を投げるのは尾崎か沢村だもんね。

164 :アスリート名無しさん:04/02/11 00:54 ID:2RFqunTa
>>162
スレタイ見ろよ。
「最も強いランナー」だからその当時の世界トップとの相対的評価で、
当然、時代を問わず選出可能。
最速を競うなら、タイムを競う陸上競技だから記録だけ比べればいいわけで・・・


165 :アスリート名無しさん:04/02/11 01:14 ID:5tGWhiU9
チェルピンスキー ドーピング でぐぐってみたけど
確かなソースはねえな。まあでも東独だし。
でもいまでも長野マラソンに出たりしてるけどなあ。

瀬古が最強っていうのは少し・・ いつも相手を選んでたような
気がしたし。中盤に相手を引き離す力はなかったけど、すごい戦略家
だったという印象だす。日本で一番は中山かな、2番目に瀬古か森下だと
思うけど。マイナーな意見でスマヌ。


166 :アスリート名無しさん:04/02/11 01:19 ID:kRUzuw8W
佐々木精一郎だろうな。
福岡でのクレイトンとのデッドヒートは今でも思い出すのう。

167 :141:04/02/11 01:29 ID:x9wNNx6Z
>>142
はいはい。じゃあ、瀬古中山以外の「その他」の中の名選手を、戦後のオリンピック選手中心に挙げとくぞ(森下・実井・大家・犬とかの最近の一発屋は除外)。
田中、山田、浜村(以上ボストン優勝)、広島、貞永、川島(メルボルン5位)、中尾(日本人初の20分突破)、円谷、寺沢(世界最高樹立)、重松(世界最高樹立)、
佐々木、君原、采谷、宇佐美、水上、宗茂、宗猛、喜多、武富、伊藤、新宅、渋谷、児玉、谷口、川嶋、佐藤。

168 :アスリート名無しさん:04/02/11 01:35 ID:eLTtIj1n
>>164
記録しかみないレコおた か?
陸上競技は
誰が強く、誰が勝つか
どんなパフォーマンスを魅せてくれるかが第一

どっちが勝つかは l

記録もおまけくらいに考えて丁度いい


169 :アスリート名無しさん:04/02/11 01:36 ID:2RFqunTa
ここ数日常駐してる基地外矢印コピペ厨相手にムキにならなくても・・・

170 :アスリート名無しさん:04/02/11 01:36 ID:JFHryGxm
>>152
高橋進って、ソウルのときのコーチ?バルセロナの時だった気がするが。
ちなみにバルセロナでは、もう中山は終わったと思われていたが、
大健闘の4位。前日の記者会見で、いつもは大口を叩く中山が、
謙虚な中にも自信を漂わせていたのが印象深いです。

171 :アスリート名無しさん:04/02/11 01:39 ID:eLTtIj1n
今の日本の世間やメディアは「世界新」「日本新」と
「新」「新」「新」「新」うざい いつまで経っても新しいと思うのか?

スポーツの本質を見失うなよ。
記録は破るためにあるUだろ?
強い競技者を待望
化石は不要

172 :141:04/02/11 01:43 ID:x9wNNx6Z
世界的には、
ザトペック・アベベ・クレイトン・ショーター・キャステラ
が戦後5強かな?。
ロペスは偉大な一発屋。
チェルピンスキーはオリンピックだけだったという気がする。

173 :アスリート名無しさん:04/02/11 01:46 ID:eLTtIj1n
三戦二勝
うち一敗はオリンピックのシルバー
そんな強い競技者が一発?
おまえ心の盲目か?
まぁ数年後、泣くのはおまえと
>>169
の野獣 よく目開けて視とけ 化石ども

174 :アスリート名無しさん:04/02/11 01:46 ID:2RFqunTa
>>168
そうじゃなくて>>162が昔の選手は現在と比べて劣ってるというニュアンスを感じさせる
発言をしたから言及しただけだよ。
そりゃあどんな競技でも、純粋な強さだけを比べたら、
現在の平凡選手>>>昔の英雄だけど、
ハード、ソフト共に格段に進歩してる現在とは比べられるわけがない。
当然その時代の中での成績を見るべきだって言いたい。
当たり前のことだけど。

175 :アスリート名無しさん:04/02/11 01:47 ID:eLTtIj1n
指がないし脳もないから数えられないのか?

176 :アスリート名無しさん:04/02/11 01:55 ID:eLTtIj1n
歯が????な実井さんや大家さん犬伏さんは勝ってもいない
一緒にするな
それに育てる力は古瀬アナより上行くからな。
勝負師。日本では初めてOAKLEY使い始めた若き指導者の育成能力をよく視ておけ 関東学生長距離関係フリークの野獣ども

177 :アスリート名無しさん:04/02/11 02:05 ID:eLTtIj1n
>>167
>>169
二人の淫獣





















Kチ

178 :162:04/02/11 02:09 ID:0jHGlg/M
>>174
おっと、誤解させてるみたいですな、すまんね。

>>162での発言の意味は、
「瀬古が最強って言ってるおやじ」 = 「尾崎が最速投手って言ってるおやじ」 = 俺 = おやじ

って言いたかっただけ。

ちなみに、瀬古がモスクワ五輪に出ていたら、シドニー五輪のQ以上に楽勝で金メダルだったと思う。
加えて、ロス五輪も調整さえ間違わなければ最低でもメダルはとっていただろう。

柔道の山下はロスで最後のチャンスをものにしたけど、瀬古はものにできなかった。
瀬古が山下と同じようにロスで勝っていれば、山下と同様に国民栄誉賞だっただろうに。
オリンピックで結果を残すのは難しいんだねぇ。。。



だめだ、酔っ払って何書いてるか訳わからん、逝ってくるわ。

179 :アスリート名無しさん:04/02/11 02:10 ID:P6bZKV/K
中山なんかはいい右フックもってそうだな

180 :141:04/02/11 02:16 ID:YnLqFFcT
>>173
はいはい。じゃあ森下は一発屋じゃないってことで。
まあ森下は2シーズンしかマラソン走ってませんけどね。

181 :アスリート名無しさん:04/02/11 02:20 ID:2RFqunTa
>>178
なるほど
勘違いしてすいません

182 :アスリート名無しさん:04/02/11 05:37 ID:YTDy+AdL
80年のモスクワ五輪はリアルタイムでしりませんが
よく瀬古選手がモスクワ五輪に出てたら金メダル確実と聞きますが、
当時の海外のレース結果を見るとアメリカのビル・ロジャースが
強かったように思いますが、、

確か79年のボストンを調べるとロジャースに瀬古選手は負けてます
よね。
まあ「タラレバ」話ですが、、

でも瀬古選手のトラックの成績も凄くいいにですね。びっくりしました。


183 :アスリート名無しさん:04/02/11 06:59 ID:t/WNaaTm








184 :アスリート名無しさん:04/02/11 07:25 ID:3GrxN2nB
瀬古は胸のロゴ「SB」の字が大きいころ強かった印象。

森下のその後に期待したがあのバルセロナが最後になるとは思わなかった。
マラソン3戦2勝。そういう意味では勝率よかったけどな。
宗猛は40近くまでそこそこの国内大会で上位に入ってたのは違った意味で
尊敬に値するとおもうなぁ。



185 :アスリート名無しさん:04/02/11 07:30 ID:eLTtIj1n
>>180
偉そうなお客様は「アチラ」へどうぞ。 おまえは日本のトップ経験者か?そうではないなら語るなよ、陸上競技を。
おまえみたいな存在が足引っ張ってんだよおっさん 化石は黙ってろ。
自慰さんは職探してろ。

186 :アスリート名無しさん:04/02/11 07:37 ID:eLTtIj1n
野獣どもは成功も失敗も味わってないから乳幼児期以下の
思考
判断
行動 面と???だけの口先オヤジの群れか?

成長するな

他に関わるな

それがこの国のためだ。
そうだろジジイども

古いんだよ、古瀬アナ崇拝は。

187 :165:04/02/11 10:39 ID:DPdNjoVn
>>182
そうそう、瀬古はロジャースにボストンで負けてるね。
あの気象、コースで負けるんだから力の差は世界のトップ
とあったというのが自分の考え。
暑いのにも結構弱かった。イカンガーと同じ程度の実力か?
ロスの時も調整ミスというけど、あれくらいの選手が調整ミスは
しないと思うな。まあ直前に脱水で入院したのは事実らしいけど。

瀬古はモスクワでは銅メダルくらいだったと思うよ。
やっぱ中山かな。日本人では。
森下もマラソン選手としては一発やだけど、強いときは強かった。
オリンピックで銀メダル取らなかったら長続きしたんじゃないかな。



188 :アスリート名無しさん:04/02/11 13:30 ID:CoF//OvZ
高岡のシカゴの走りは世界と互角に戦ってたころの
日本選手と同じ評価だな。

189 :アスリート名無しさん:04/02/11 13:34 ID:HzWa5vlP
瀬古サイキョ

190 :アスリート名無しさん:04/02/11 13:40 ID:Mm+9Fsjq
そうか

191 :アスリート名無しさん:04/02/11 13:46 ID:i42F+Nxe
瀬古が最強というのが、一般的かもな。

でも一つのレースだけで考えたら、ちょっと違うと思う。
確かに瀬古はボストン、福岡連勝と強かったが、
87年の福岡で中山と勝負したら、どうだったかな。
勝負強いことは確かだが、振り切られていた可能性も高いと
個人的には思ってる。

最強とは言い難いが、00年福岡の藤田の勝ち方も圧巻だった。

192 :アスリート名無しさん:04/02/11 14:40 ID:eLTtIj1n
>>187
小学校に通うことをお薦め致します。

一発は「一」発

算数もできないん「でちゅか」?
言葉の意味も知らないのか?
トラックはアジア大会二冠、世界選手権決勝進出10位、全盛でなくても中山さんに勝った そんな人に直接言えないだろ?

193 :アスリート名無しさん:04/02/11 15:00 ID:YRh2iVvY
★男子★
中山竹通
瀬古利彦
谷口浩美
藤田敦史
伊藤国光

★女子★
高橋尚子
有森裕子
野口みずき
坂本直子
鈴木博美

194 :アスリート名無しさん:04/02/11 15:22 ID:eLTtIj1n
[[[[
外れ

まず伊藤国光さん優勝は?

195 :アスリート名無しさん:04/02/11 19:17 ID:KUeiC+/h
152です。
まずチェルピンスキーのドーピングは同意。それ抜きにショーターに勝ったことに
びっくりした。
>>170 高橋進はダイエーで中山を個人的に指導する立場にありました。ナショナル
コーチかどうかは2の次。
>>187 ロジャースの評価は低かった。まず78年の福岡で惨敗(5位?)した後、
79年ではボストンで瀬古に競り勝ったものの、秋のモントリオール国際で10位に
も入れなかったのです。その時優勝したバルチャはモスクワのダークホースと
言われていたけど出なかったかな。まあともかく入賞はできなかった。83年の
東京で瀬古が快走したときに僚友のネディ(モスクワ7位)と共に集団を引っ張
っていましたね。

モスクワで瀬古が勝てたかどうかは微妙。モスクワ銀のネイブールは持ちタイム
最高(2.09.00)でしたがチェルピンスキーには歯が立たなかった。
ドーピングパワーは侮り難しというところ。瀬古自身も79年の福岡で宗猛のスパ
ートについていけず、競技場のところでやっと追いついたので(ロジャースに負
けたことも含めて)絶対的に強かった訳ではなかったでしょう。

196 :アスリート名無しさん:04/02/11 19:27 ID:eLTtIj1n
言いたいことは

陸連合宿in中国 で

直接語ってくれば?

197 :アスリート名無しさん:04/02/11 19:48 ID:EKmB9hYJ
女子は高橋Qで文句なしだろうけど、
男子は瀬古か中山かで意見が分かれてるね。

両者は同時期に走っているとはいえ、
中山が表舞台に登場してきた時には
瀬古はもうピークは過ぎてたわけで、
二人を比べる場合に瀬古は損していると思う。

絶頂期の二人なら間違いなく瀬古の方が強い。


198 :アスリート名無しさん:04/02/11 20:21 ID:o47mg8Q/
今時の若いもんはこの2人を忘れちゃあかん。

円谷幸吉(つぶらやこうきち:東京五輪銅)
君原けんじ(漢字忘れた:メキシコ五輪銀)

199 :アスリート名無しさん:04/02/11 20:29 ID:Oh8KkT94
君原さんってメキシコでふらふらに走って銀メダルのひとだよね。
金メダルはエチオピアのマモ・ウォルデだっけ。(間違ってたらすまん)
あの時代はマラソンは根性を鍛えるなんて指導者がごろごろ
いた時代だから。あんまし参考にならんなあ。高地だったし。

メキシコってアベベ確か参加だけはしたっけな?

200 :アスリート名無しさん:04/02/11 20:34 ID:ETP4D8/7
>>137 >>145
>マラソンもイカンガーをトラックで振り切った83年の福岡国際のラスト
>100mを12秒台で走ってた。

これの私なりの見解を書きます。

おそらく、ラスト100メートルを12秒台ではなくて
ラストの直線を12秒台の間違いではないでしょうか?

確かにホームストレート、バックストレートともに直線は100メートルあります。
しかし、ゴール前の最後の直線は100メートルありません。
それはゴール地点がずれているためです。

100メートル種目のスタート地点を思い出せば、ゴール前の直線が100メートルないのは明白です。

皆さんのご意見を求めます。

201 :アスリート名無しさん:04/02/11 20:57 ID:eLTtIj1n
八幡西の健二さんも知らないとは…。
知った被りはこれだから

202 :アスリート名無しさん:04/02/11 21:01 ID:eLTtIj1n
トラックならゴールはずれてないだろ?あなたの○○がズれているのはみなさん周知です。

203 :アスリート名無しさん:04/02/11 21:05 ID:5skLfcdq
瀬古は熱さに弱すぎる


204 :アスリート名無しさん:04/02/11 21:06 ID:oPWtrGsV
宏一郎だな

205 :アスリート名無しさん:04/02/11 21:08 ID:ETP4D8/7
>>202
直線の終わりの地点とゴールは一致しない、という意味ですよ。

206 :アスリート名無しさん:04/02/11 21:18 ID:zL4YWiQl
キャステラ一番
瀬古は二番
三時のおやつはイカンガー

207 :アスリート名無しさん:04/02/11 21:21 ID:ziKoykV4
>>200
自称他称の陸ヲタの私も同意見ですね。
マラソンのラストが12秒台はまず無理でしょ。
昨年のパリ世界陸上男子1万M決勝時のベケレのラスト100は、、12秒9ですよ。
気温は26度もあった中、後半の5000Mを12分台で走った伝説のレースで、ラスト200からゲブレシラセとのスパート対決
になったあのレースでも12秒台ギリギリ。
瀬古がいくら速かったといっても100M専門で走っても11秒台が出たかどうかでしょ。

208 :アスリート名無しさん:04/02/11 21:21 ID:eLTtIj1n
直線の入り口とヒのスタートが違うだけでゴールはトラック種目と変わらない大会がほとんどでっしゃろ?

209 :アスリート名無しさん:04/02/11 21:25 ID:ETP4D8/7
>ゴールはトラック種目と変わらない大会がほとんどでっしゃろ?

確かにそうです。
しかし、私が言いたいのは『直線の終了地点=ゴールではない』
ということです。

100メートルのスタート地点は、直線のちょっと後ろなんです。
つまり、ゴール前の直線は100メートルないんです。

210 :アスリート名無しさん:04/02/11 21:29 ID:eLTtIj1n
暑さ「にも」対応
バルセロナの森下さん谷口さん中山さん。
御三方が素晴らしきトリオ
三時のおやつは文明堂ではなくハハハのカステラ。元旭化成の真内さんも好物。

211 :アスリート名無しさん:04/02/11 21:31 ID:dLFdT2gj
ここに藤田敦史が挙がるのは何故?
現時点では1発屋と言われても致し方ないじゃない?
あと高岡も。

212 :アスリート名無しさん:04/02/11 21:49 ID:eLTtIj1n
またも算数と国語のできないお子さんが…。
敦史さんは二勝してるし「故障がなければ」大崩れせず。
しかも各所属チーム以外の競技者、指導者間では未勝利の油谷さんより評価は上。

213 :アスリート名無しさん:04/02/11 21:58 ID:kejZAEY0
来年以降の藤原正和


214 :アスリート名無しさん:04/02/11 22:01 ID:eLTtIj1n
ホンダは前述の通り、

215 :アスリート名無しさん:04/02/11 23:13 ID:/RIN6/XS
大昔のことは知らないが
近年では
瀬古
中山
谷口
森下の争い

藤田とか高岡なんて論外

216 :アスリート名無しさん:04/02/11 23:29 ID:KUeiC+/h
亀レスだが
>>128 のうちキャステラと勝負したと言っても彼が強くなる前の1980年だろう。
それは反則。キャステラが強かったのは81年の福岡からロスまで。その間では
両者の対決はなかった。83年のロッテルダムでキャステラが当時の世界記録保持者
(後に距離不足で記録抹消)のサラザール、ロペス等の一流選手を破り優勝。
歴代2位の記録や英連邦でも好記録で優勝していることからロスの下馬評では
キャステラがNo.1で,瀬古はNo.2と見られていた。(日本国内は除く)。

君原は好きでしたね。宇佐美の方が国内では強かったけど。

217 :アスリート名無しさん:04/02/11 23:44 ID:ADRXHW/C
>>200
85mとして、100mおそらく早くても13秒の後半くらいかな。
スタート加速する必要はないので、ひょっとしたら13秒の前半は
いったかもしれんね。14.0と自分は見た。
遅すぎまつか。


218 :アスリート名無しさん:04/02/12 00:10 ID:qurxGd5u
瀬古がラスト100m12秒かどうかわからないけど、
今までのマラソンでラスト100mであれだけのスパートしたケースは
なかったんじゃないか。
スローペースでラスト勝負ならまだしも、2時間8分52秒だろ。
当時の世界歴代6位くらいに相当するタイムだったんだから。

瀬古は国内でのレースが多かったけどあの当時は(ボストン、福岡)
が世界で価値のある大会だったからもあるよ。
(ベルリン、シカゴ、ロッテルダムはまだまだ新しい大会だった)


219 :アスリート名無しさん:04/02/12 00:20 ID:NYYEe6u1
つーか、ラストの直線であれだけスパートできるんなら、
残り5kmでスパートしろよって思ったよ、当時。
タイム1分縮むだろ。

220 :アスリート名無しさん:04/02/12 00:42 ID:cTe2+MDL
83年の福岡ってロス五輪の最終選考がかかってたから安全パイを
とってラスト勝負に出たんじゃないか?
安全パイがラスト勝負っていうのも凄いけどな。
中村監督が記録よりも勝負優先の考えの人だっように思うしなぁ。

森下も後半の粘りと強さは瀬古を彷彿するものがあって応援した。
バルセロナの時、黄と一騎打ちになった時は森下の得意パターン
に感じて「勝てる!」と思ったが。

今後は本人自身、ポスト森下を育ててほしい。

221 :アスリート名無しさん:04/02/12 00:43 ID:Mvob7JRW
実際は14.2くらいだとおもふけど、ラスト100mが12秒で伝説に
なってるんだから、それでよし。
信じている人も相当数いるし。別に皆が陸上に詳しくなる必要はないわけだし。


222 :アスリート名無しさん:04/02/12 00:48 ID:Mvob7JRW
いや黄さんとは馬力が明らかに全然違ってました。ワールドカップの
韓国も、市橋と競った北朝鮮の選手もそうだけど、韓国系は
ゴールが見えると徹底的に強いよ。

223 :アスリート名無しさん:04/02/12 01:01 ID:A2wfMHDE
ラスト100を12秒台なら十分いけると思いますよ。
ラストスパートは無酸素運動なので、いくら疲れていても関係ありません。
瀬古は800でインターハイを2連勝してます。
400でも多分49秒を切ったでしょう。
陸上経験者なら、このタイムを見ればラストスパートのすごさも
分かるはずです。

224 :アスリート名無しさん:04/02/12 01:06 ID:cTe2+MDL
>>222

2人に絞られた時、黄の方が馬力と粘りが有りそうだったが
森下はラストのキレで勝負できると見たんだけどね。
あの時は3位争いでも中山がドイツのフライガングに競り負けたんだよな。

225 :アスリート名無しさん:04/02/12 01:06 ID:Ud3DFNzY
無理な燃料投下はやめれ。

226 :アスリート名無しさん:04/02/12 01:10 ID:Ud3DFNzY
>>225>>223 ね。

227 :アスリート名無しさん:04/02/12 01:14 ID:A2wfMHDE
>>225
陸上経験者ですか?

228 :アスリート名無しさん:04/02/12 06:33 ID:0o64hqJA
そういえば瀬古ってあまりタイムを狙った走りをしてなかったように思う。
中村清のマラソン哲学が確か勝負に対するものが多かった。

そんな中で唯一、記録を狙ったのが86年のシカゴマラソンじゃないか?
あの時、児玉や伊藤が北京で2時間7分代で走って触発されてただろうし
賞金レースが日本でも解禁になった頃で記録がでやすいシカゴを瀬古自身
選んだんだよな。
レースはアーメド・サラとの一騎打ちになったがサラが相手にならず
後退、後半独走で優勝。しかし2時間8分27秒。タイムを気にしながら
走っていた姿が印象に残っている。(レースを自ら作るのは向いてなかった
印象がある。)

余談だが、87年のボストン優勝のあとに陸連が瀬古に
ローマ世界陸上を打診してんだよな。
世界陸連が「日本は強い選手をマラソンに出場させない」
ってんでクレームがでたらしい。そこでメダルとったら五輪内定の
ような交渉があったらしい。(当時スポーツ新聞に出てた)
瀬古は断って、福岡出場にこだわったらしいが。(結局福岡欠場。)

世陸で「日本1位でメダル獲得は五輪内定」はある程度陸連の中で
この頃から話はあったみたいだ。


229 :アスリート名無しさん:04/02/12 06:44 ID:0o64hqJA
追加=瀬古だけではなく中山も含めて、有力どころには陸連から
話があったらしいが全員断ったらしい。

230 :アスリート名無しさん:04/02/12 06:44 ID:3QtFGSju
>>198

一般には伝記なんかでは円谷は「つむらや」と読まないか?


231 :ファイ!!! ◆m/RcR/FTE. :04/02/12 08:46 ID:8ibR238P
>>223
馬鹿野朗!!!何が「いくら疲れていても関係ない」だ!!!
ラストスパートはその時の疲弊状態に大いに関係するだろが!!!
例えば5000mを本気ペースで走ったときと
ある程度余裕を持って走ったときとではラストのキレが全然違う!!!


232 :アスリート名無しさん:04/02/12 09:43 ID:NhNccaV4
瀬古は大学生で福岡国際2連覇か。強いな。しかも箱根の直前に。
翌年もSBで制して3連覇だもんな。

233 :アスリート名無しさん:04/02/12 10:01 ID:qGPWbBbU
87年の福岡国際の中山は凄かった!
何回も中山の逃げ切りレースはあるけど、
オリンピックの最終選考会で大逃げはすごい。
瀬古がすんなり出場してたら中山の逃げ切りレースは
なかったのかのとも思う。
瀬古欠場、そこに至る陸連の対応、世間の声、この
怒りが中山のパワーに変えた感じだったなー。
だって10キロ通過がたしか29分前後、
20キロが58分台なんて誰もつけないよ。

タンザニアの ロバート・サイモン・ナーリ
が追走したけど、サイモンのその後8分台
を出す選手に成長したね。
あれで気温がもう少し高く、雨が降らなければ
後半の落ち込みを最小限に防げたかな。

谷口、デンシモ、新宅の第二集団が必死に
走っていたのが印象にあるなぁ。

234 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

235 :アスリート名無しさん:04/02/12 12:49 ID:3LIXF2Kd
伊藤、喜多のピークは時代が悪かったな。
まあ、瀬古や宗がいたから引っ張られたのもあると思うが。

70年代後半から80年前半って日本マラソンが強かった
割りに選手層はかなり薄かったぞ。
瀬古、宗兄弟、伊藤、喜多の5人以下はかなり下。
84年くらいから中山が台頭するわけだが。

236 :アスリート名無しさん:04/02/12 13:47 ID:Xdkf2ZvD
伊藤国光は大会を選べば勝てたんだが。

237 :アスリート名無しさん:04/02/12 14:35 ID:32Rsywci
服部 誠

238 :アスリート名無しさん:04/02/12 15:00 ID:fbYwVWnO
>>237
箱根駅伝史上最強ランナー?

239 :アスリート名無しさん:04/02/12 15:52 ID:kR7bPFGD
中山の全盛時の走りは凄かった。中山は少年時代から苦労しているから今のケニア選手と同じようなたくましさがあった。それから見ると今の選手ときたら...    

240 :アスリート名無しさん:04/02/12 16:35 ID:uoSQnr2Z
中山って中学や高校時代から有名なランナーだったの?
中学や高校時代の成績はあんまわからないので教えてください
瀬古とか渡辺とかはずっと第一線で活躍してたけど。

241 :アスリート名無しさん:04/02/12 16:50 ID:fbYwVWnO
>>240
高校時代は全国的にはまったくの無名。
卒業後は国鉄でアルバイト。
朝、駅のホームを掃除している時に、仕事へ向かう同級生達と顔を合わせることがつらかったらしい。


242 :アスリート名無しさん:04/02/12 17:50 ID:o1MhQpOw
>>12
孫基禎に賛成。男子マラソン唯一の金メダリスト。

243 :アスリート名無しさん:04/02/12 17:58 ID:YKcL9RHJ
ガリ雑魚ばっかだから全員弱いにきまってるだろーが。
PRIDEのゴミ、ヤマヨシでも殺せるわ。

雑魚共弱ぇええええ〜〜〜〜

244 :アスリート名無しさん:04/02/12 19:27 ID:vgvvDbgw
>>240
高校卒業後、長野県内で陸上の強い企業への就職がほぼ内定していたが
なぜか不採用となり、就職浪人となった中山は、大工見習いや国鉄のアルバイト
などをしながら常に一人で走っていた。
とにかく有名な選手になりたい一心でそれこそ狂ったように練習に明け暮れ、
国鉄の24時間勤務が明けた当日に駅伝やトラックレースに出場することすらあった。

もうわが国で中山のようなランナーは永久に現れないのかな。

245 :アスリート名無しさん:04/02/13 00:16 ID:+X4LlQIt
ある種中山は信州人にとって希望の星だった。かつての福岡の西鉄ライオンズみたいな感じでね。エリート社会への反発心とか何かロマンを感じさせたね。      

246 :アスリート名無しさん:04/02/13 00:38 ID:b5spvB07
>>200
直線の出口からゴールまでが12秒フラットだったはずです。
ビデオ持ってるから再確認してあげましょう。

247 :アスリート名無しさん:04/02/13 01:05 ID:tmQ2a4sQ
孫さんの獲得は日本としてではなく韓国として考えること。孫さんはそのほうが笑顔で地上を見守れる。

248 :アスリート名無しさん:04/02/13 01:15 ID:U6xqBbRB
>>246
ついでに本当に100mかどうかも確認をお願いすます。
"信者"にとってはつらい結末か?

249 :137:04/02/13 04:20 ID:Ku0Xrdbo
なんかオレが「ラスト100mを12秒で走った」なんて書いてから
この展開になってるな。
当時、新聞や雑誌には社によって「ラストスパート12秒台の
スプリント」などと記載されてたので書いたが、イカンガーとの
ゴール差が3秒じゃ 正確には12秒台はないと思ってます。
(イカンガーはほとんどギアチェンジできなかった)

当時、瀬古がでると安心してテレビを見れたなぁ。他の選手だと
あそこまで安定して勝てなかったから外人に負けることが多かった。
中山には出来なかったが瀬古は外人選手とラスト勝負ができたのは
強さを感じた。

250 :アスリート名無しさん:04/02/13 04:42 ID:Aqg8TD3K
渡辺が五輪に出てれば、金メダル取れた。

251 :アスリート名無しさん:04/02/13 07:45 ID:VxqPMPZB
この頃の早稲田勢の故障のみがクローズアップされてるが、
80年代も遠藤司、そして内臓系のトラブルで引退した
坂口泰もこれからという時のリタイアだった。

宗茂の78年、別府大分毎日マラソン優勝レースも
凄かった。30キロを1時間30分を切って通過、
今と逆のコースだったから35キロ過ぎから
向い風になったんだよなぁ。あれで相当ロスした。
あのレースは87年の福岡の中山と同等かそれ以上の
評価があると思う。
今のコースなら世界最高もあったかも。

252 :アスリート名無しさん:04/02/13 08:49 ID:yNshUhhL
ケニア人だけどSBで育ったダグラスワキウリが安定感
あって強かったと思う。この前の東京国際で谷口さんが
ジェンガのことを間違えてワキウリと言ってたのには笑った。

253 :アスリート名無しさん:04/02/13 11:35 ID:7DDuno/n
87年の福岡の中山が話題になってるが、

86年のアジア大会のスタートからの独走劇の方が
強いと思ったんだが、、、、
スタートして最初だけ谷口がついたけどあとはすべて
独走の2時間8分21秒。

そいえばバルセロナ金の黄がこのレースみてマラソン
を目指したのは有名な話。

254 :アスリート名無しさん:04/02/13 11:55 ID:8GTbhIR3
>>240

高校時代の5000のベストは15’30だったと昔の陸マガでみたことあったよーな

255 :アスリート名無しさん:04/02/13 12:48 ID:KZ6E+ZUV
円谷・瀬古のどちらかかな

256 :アスリート名無しさん:04/02/13 13:01 ID:BTWTyS9G
>>250
あれだけ、後半35kmからヨタヨタヘロヘロになるのでは、五輪には
とても無理だす。

コーチの瀬古なんか"正直勝って欲しくないあんな奴は"、
と試合前に語り、負けた後は"ざまーみろ"、"くたばったか"
なんて放言してた。
天才には天才のコーチは無理だと悟った。

257 :アスリート名無しさん:04/02/13 14:45 ID:dS3WaggP
>>255
円谷は5千、1万では日本記録を次々に更新してたけど、
マラソンは3〜4レースしか走ってないし、確か優勝もないんじゃない?

258 :アスリート名無しさん:04/02/13 14:57 ID:GJjm7bIr
青梅マラソンは当時、「円谷と一緒に走ろう」をスローガンに
できたような大会。
円谷は椎間板ヘルニアでもう走れるような状態ではなく、
無名ランナーに負けて2位。
最後のマラソンは水戸読売マラソンで9位。
オリンピック後はもうまともに走れなかったらしいです。

君原の大舞台での強さは有森に似たイメージがある。
大した記録を持っていないのも共通点。

259 :アスリート名無しさん:04/02/13 15:39 ID:8Unhym02
と言う訳で日本マラソン史上もっとも強いランナーは

   シ束頁 十
       口 
          に、決定!

よって、糸冬 了

260 :アスリート名無しさん:04/02/13 17:23 ID:rku98pQq
シ束頁 十 日 弓ム
     口  一  虫
        取

261 :アスリート名無しさん:04/02/14 00:39 ID:h7cZqgsa
以前は瀬古、宗兄弟、中山らの首を狙い世界の強豪が次々と来日。
プロレスに例えるなら
瀬古=馬場
中山=猪木
伊藤=坂口
宗兄弟=ザ・ファンクス を主役に
悪役として
イカンガー=ブッチャー
さらにメコネン、デンシモがハンセン、ホーガン
キャステラやゴメス、サラザールがハーリー・レイス、ニックやバックランド
また谷口が鶴田、喜多がストロング小林    
森下=初代タイガー
盛り上った  

今の選手はKー1や総合格闘技にやられているプロレスラーみたいで情けない
  


262 :アスリート名無しさん:04/02/14 01:36 ID:6FycrfYN
83年の福岡の瀬古のラスト100mが12秒と言い出したのは中村監督です。
当たり前の話ですが、これはデマです。
ビデオがあったので計ってみたら14秒くらいかかっていました。
88ソウルオリンピックで800m優勝のP.エレングのラスト100mで12秒くらいです。
マラソンのラスト100mを12秒で走るなんて、ゲブレセラシエでも無理です。

263 :アスリート名無しさん:04/02/14 02:52 ID:HNA8ZqRd
中山のベストレースは、当時の日本記録を出したワールドカップだと思う。
最終的には2着だったけど、あれだけの好メンバーが揃ったなかで、
常に自分から仕掛けて、レースを組み立てたというところがすごいと思った。

86のアジア大会も87の福岡もいいレースだったけど、
他のメンバーが少し弱かったって気がする。

264 :アスリート名無しさん:04/02/14 02:59 ID:gwRbkhjT
>>261
イカンガーをブッチャー言うなぁ!
まあ、マラソンを盛り上げてくれたよ。

ちなみにサラザールって日本に来たことあったっけ?

265 :アスリート名無しさん:04/02/14 06:31 ID:LE1cWl7T
アルベルト・サラザールは83年の福岡国際マラソンで来日してます。
ロス五輪の最終選考会で、瀬古、宗兄弟、伊藤、喜多の中で誰が五輪
切符を獲得するのか注目の中、世界最高記録保持者のサラザールが
急遽来日が決まったんだよな。
瀬古は序盤からサラザールをキッチリとマーク。終盤サラザールの
足が鈍ってきたところでイカンガーマークに切り替えた。
この辺の瀬古の勝負勘は凄かった。
結局、サラザールはイカンガーのスパートについていけず後退。
宗兄弟にも交わされ5位。2時間9分21秒だった。
サラザールもまともに走れたのはここまでなんだよな。
ロス五輪は惨敗。その後は一線から引退。

81−82年前後にニューヨークやボストンで
力を発揮してたな。ニューヨークは距離が短い
事が判明して2時間8分13秒の世界最高は
後日、剥奪されてしまったが。
たしかトラックでも27分25くらいのタイムを
持ってたと思う。

266 :アスリート名無しさん:04/02/14 06:47 ID:gwRbkhjT
>>263
thx!
俺、そのレース見てたのにサラザールの記憶がなかったw
結局、ロス五輪でも惨敗。アメリカ人のマラソントップランナー
ということで過度に期待されてたのかな。

267 :アスリート名無しさん:04/02/14 07:11 ID:LE1cWl7T
アメリカも結構マラソン王国だったのに
エデレンから、ショーター、ロジャース、サラザールまでで
大黒柱が途絶えたね。
ステーブ・スペンスという選手が91年世陸で銅メダル
取ったけどフロックだったし。ハヌーシは国籍所得組
だしね。
アメリカって大のジョギングブームであちこち走って
るのにマラソンのような競技は向かないんだろうね。


268 :アスリート名無しさん:04/02/14 09:41 ID:7uXjTrmo
5000や10000では日本人より速い選手結構いるけどね

269 :145,217,221:04/02/14 11:17 ID:eNZjCJD2
>>262
ビデオのチェック、ご苦労さまです。スポーツ板の住人として御礼申し上げます。
いままで、なんで100m12秒説が広まったのか不思議だったのですが
中村監督の発言からでしたか。謎が解けました。

まあでも、周りにも12秒説を信じている人もいますけど皆いい人達です。
伝説は大事にし茶々はいれないようにします。
真実はこのスレの住人しかしらないほうが良いです。


270 :アスリート名無しさん:04/02/14 12:27 ID:DAKWk+rW
このごろマラソンはケニアを含めたアフリカの独壇場だが、
少し前まではアフリカはエチオピアくらいしか強くなかった。
ケニアは5千、1万は強いのにマラソンまで走るのがいなく
ロス五輪で後半まで粘ったヌザウが最初のサブテンランナー
だったような気がする。

それを考えるとダグラス・ワキウリの功績は大きいな。
ケニアマラソンの草分け的存在だし今、日本に
いる外国選手のパイオニアになったんだもんなぁ。

最近の賞金レースの確立でケニア選手がマラソンに
移行したんだと思うけど。
そのケニア選手と対当に走るには中山、高岡のような
体型をもってないと厳しいな。



271 :アスリート名無しさん:04/02/14 14:14 ID:MGpAX/2W
12秒0と12秒9では全然違いますから

272 :アスリート名無しさん:04/02/14 14:26 ID:S2uXV3Vt
>>267
アメリカって昔はマラソン強国だったんですか。
長い忍耐が必要とされるマラソンにはアメリカ人は向かない
と思ってました。

>>270
イカンガーは、タンザニアでしたね。俺はアーメド・サラで
ジブチという国名を知りました。
やっぱり、その国のパイオニアだったのかな。

273 :アスリート名無しさん:04/02/14 14:52 ID:dqPPnZwB
>>270
70年代から80年代初頭はアメリカやイギリスあたりが強かった。
やはりアメリカはフランク・ショーターの存在が大きい。
福岡4連覇。びわ湖毎日マラソンでは途中、沿道の人が持っている
応援旗をむしり取って、道をそれてウンコした。戻ってから先頭と
追走、2位に1分20秒差をつけ優勝。この時の2時間12分3秒
って10年以上大会記録として残ってのだからすごい。
その後はビル・ロジャースやベアズレー、マイヤー、バージン、
サラザールなど世界10傑に名を連ねて選手がいた。



274 :アスリート名無しさん:04/02/14 15:04 ID:h1Ke39B6
瀬古ネタだが
たしか83年の東京国際って最初の5Kmが200m長かったらしいな。
最初のラップが15分58秒で次からずっと14分代だったろ。
そんな遅く走ってる感じしなかったもんな。

現実なら間違いなく当時の世界最高記録になってたな。
あのレースは最高におもしろかった!!

275 :アスリート名無しさん:04/02/14 15:13 ID:z/z7XjiY
あの頃の東京のコースは今と違ってたのですか?

276 :アスリート名無しさん:04/02/14 16:14 ID:0lEOaKrE
メキシコのセロンでいいよ

277 :アスリート名無しさん:04/02/14 17:30 ID:PwNR/bOl
>>275
今と違っていたね。
学生時代1986〜89年にかけて毎年見に行ったけど、出だしにお墓があるガードの下とかくぐっていたよ。
詳しく通りの名前まで知らないけどね。

278 :アスリート名無しさん:04/02/14 18:01 ID:h7cZqgsa
北参道〜明治通り〜青山通り〜赤坂見附〜外堀通りというコースじゃなかったかな
今の皇太子さまが赤坂御所のあたりで応援していた  














   

279 :アスリート名無しさん:04/02/14 18:56 ID:eF7obyTv
ちょっとスレ違いだけど日本の女子ランナーで、
今までに2時間30分切ってるの何人ぐらいいるのだろう。
だれか知ってたら教えてください。

280 :アスリート名無しさん:04/02/14 18:57 ID:07LtG+0g
瀬古がスパートしてからゴールするまでの時間が12秒2だったんじゃないかな?
それがいつのまにか、ラスト100mを12秒2と誤って伝わったんだと思います。
中村先生をデマとまで言い切るのは、言い過ぎだと思います。
マスコミを含め皆が、直線入り口からゴールまで100mという意識があったんだと思います。

ラスト100m地点は、第4コーナーの途中にあります。
その時点では瀬古はまだスパートしていないはずです。(ペースが少しは上がってるかもしれませんが)
では、瀬古がスパートしたのはどの地点か、ですが
ゴール前90メートルかな?と。
つまり、ラスト90mを12秒2かな?と。

ラスト100mから90mまでは、100m平均18秒と仮定すると1.8秒。(マラソンの基本的ペース)
大目にみても1.7秒かな。

つまり、ラスト100mは13秒後半から14秒前半。
その内のゴール前90mを12秒2なんでしょうかね?

これでも十分速いですよね。

281 :アスリート名無しさん:04/02/14 20:14 ID:RbpnAnz4
サッカーに例えると、瀬古はペレ・中山はマラドーナあたりか。
女子ではQがクライフ(歴史を変えたという意味で)でどうだ。

282 :アスリート名無しさん:04/02/14 20:17 ID:04ufuyRd
>>279
俺の記憶の範囲では・・・

19分台・・・高橋
21分台・・・渋井、千葉、坂本、野口
22分台・・・土佐、山口、弘山
23分台・・・大南敬美、小崎、
24分台・・・松岡、
25分台・・・朝比奈、小幡、
26分台・・・浅利、藤村、安部、鈴木、有森、その他大勢
27分台・・・市橋、その他大勢
28分台・・・その他大勢
29分台・・・那須川、その他大勢

283 :アスリート名無しさん:04/02/15 00:11 ID:nFH5YE21
>>270 ケニアではフセインの功績が大きいとのこと。フセインは88年のボストン
優勝から3連覇くらいしていると思う。マラソンがビジネスになることをケニア人
に知らしめた。ケニアではオリンピック長距離でのメダルは珍しくもないからワキ
ウリだけではここまでの隆盛には至らなかった。しかし賞金レース重視のつけか、
オリンピックでは伏兵の域を出ないワイナイナ以外は振るわない。

284 :アスリート名無しさん:04/02/15 00:52 ID:J95Vdtwm
瀬古と中山の2強説の意見が多いようだが、陸上に関して言えば
速く走った選手が最強なのではなく、大レースで結果を残した選手が
本当の強い選手だと思う。記録という物は年々早くなっていくものだから。
確かに、瀬古と中山の強さを否定することはしない。彼らは俺の目から
見ても本当に強かった。しかし、世界最高峰のレース、
オリンピックで今ひとつよい結果を残せなかったので最強とはいえないだろう。
と、いうことで、オレ的には   
男子マラソン
東横綱  森下    西横綱 谷口   
張出横綱 君原
大関   瀬古 中山
関脇  (以下はあえて書かないことにする。)

285 :アスリート名無しさん:04/02/15 01:52 ID:ELGwEMue
でも、オリンピック&世界選手権の夏のマラソンと
冬に行われるその他の大レースのマラソンの実績は
分けた方がいいと思う。

まあ、両方で実績残した人はさらに凄いということだが。

286 :アスリート名無しさん:04/02/15 02:07 ID:LprTHtn5
>>285
ではアベラやアントンは凄いということになりますね。

287 :アスリート名無しさん:04/02/15 06:47 ID:TrY8JGJ+
君原は大試合に強かったが、
君原以上に大試合で結果を出したのがマモ・ウォルデ(エチオピア)だった。
たしか君原とマモをマラソンで何度も対戦してるが君原がほとんど圧勝。
2敗しかしなかった。
でもその2敗がメキシコ五輪(優勝)とミュンヘン五輪(3位)のとき
だった。
たしかミュンヘンの時、マモは30代の後半だったと思う。




288 :アスリート名無しさん:04/02/15 08:10 ID:rYufTFpA
このスレは他の陸スレと違って、オタは少なく通が多いから楽しいね。
このスレの住人は濃い内容の話ができる人ばかりでいいよ。
スレタイ変わってもいいから存続してほしい。

289 :アスリート名無しさん:04/02/15 09:15 ID:TvQpoRoT
俺は1984年4月のボストンマラソン前日に
「ランニング・エキスポ」なる催しもののアシックス社のブースで、
83年福岡国際の様子をビデオを通して初めて見た。
レースが後半に進むに連れてビデオの周りには黒山の人だかりが出来た。
そしてあの瀬古の豪快なラストスパートの場面になると、
「OH〜!」という驚嘆の声、声、声。
俺は、瀬古と同じ日本人であることを誇りに思ったね。

ちなみに瀬古は1984年までにボストンで2位1回、優勝1回と有名人。
人々の発音が「セコ」ではなく「セイコ」と聞こえていたのが印象深い。



290 :アスリート名無しさん:04/02/15 09:27 ID:TvQpoRoT
補足だが、1983年の福岡国際は、ニューイングランド地方最大紙の『ボストン・グローブ』も
写真入りで結果を報じていた。
米国の地元開催となるロスオリンピック前年に、米マラソン界の英雄、アルベルト・サラザールが
2時間9分台の好記録で走りながら4名の選手に負けたのはかなりの衝撃だったようだ。
ちなみにアルベルト・サラザールはハバナ出身でマサチューセッツ州(ボストンが州都)育ち。
同州ウエイランド高校時代には2マイルの高校記録(当時)を作った。
その後、オレゴン大学に進み、ニューヨークシティマラソンで活躍。
何年だったか忘れたがニューヨークではメキシコのロドルフォ・ゴメスと競り合い、
残り数百bの未舗装道路で白バイの上げた土埃にゴメスが狼狽する隙にスパートをかけ、
振り切ったのが印象に残っている。

291 :アスリート名無しさん:04/02/15 09:37 ID:TvQpoRoT
アルペルト・サラザールの競り合いの歴史には、もう一つある。
それは1982年か81年のボストンで、終盤、ディック・ベアズレーとの一騎打ちになった。
この時、ベアズレーは先導の白バイと数度接触し、その影響でサラザールに負けたらしい。
ベアズレーといえば以前、別大マラソンで宗猛と終盤並走。
強い向かい風の中で互いに先頭を譲り合うために蛇行を繰り返していたら、
三位を走っていた宗茂が二人に追いつき逆転。
そのままトップでゴールしたことがあった。
話はそれたが、サラザールは1983年当時、マラソンのみならず、トラックの10,000bでも米国のトップレベルにいた選手。
そのサラザールをあっさり破ってしまった瀬古は強かった。
その瀬古の現役時代を知らない若い世代が、瀬古を面白おかしく茶化すのは、見ていてあまりいい気分がしないね。

292 :アスリート名無しさん:04/02/15 09:57 ID:O8wHBSmt
>291
私が知っている限り、瀬古が欧州でスレイマン・ニャンブイに10000mで最後で差された
試合でサラザールも走りたしか5位だったような。

サラザールのスプリントの無さを見抜き、瀬古はそれほど強い選手とは認識
していなかったように思う。

293 :アスリート名無しさん:04/02/15 10:08 ID:TvQpoRoT
>>292
確かにサラザールのラストでのスプリント能力に対する評価は低かったようだ。
それは中山にも言えること。
二人は体型的(長身)に良く似ている。


294 :アスリート名無しさん:04/02/15 10:24 ID:4iYh6HwM
瀬古といえば神宮外苑で練習中に暴漢に襲われたことがあったが
その時瀬古はかつてないスピードで逃げたというがついにはポカリ
その暴漢が一番速いといわれているがその顛末について教えてください   
 

295 :アスリート名無しさん:04/02/15 10:33 ID:Ua2SFgmk
>>284
森下は一発屋。いくら銀だとはいえ、インパクトが薄い。対象外。

俺的には、
AAA 瀬古
AAA- 中山
AA+ 宗兄弟
AA 谷口

昔のランナー(全盛期を見ていないからわからない)
君原、宇佐美、円谷

今後に期待
藤田、藤原、松下、三代。  ああ渡辺・・・・・。

296 :295 B+を追加:04/02/15 10:36 ID:Ua2SFgmk
>>284
森下は一発屋。いくら銀だとはいえインパクトが薄い。対象外。児玉も。

俺的には、
AAA 瀬古
AAA- 中山
AA+ 宗兄弟
AA 谷口
B+ 伊藤国光、新宅、喜多

昔のランナー(全盛期を見ていないからわからない)
君原、宇佐美、円谷

今後に期待
藤田、藤原、松下、三代。  ああ渡辺・・・・・。

297 :295 B+を追加 高岡も追加:04/02/15 10:40 ID:Ua2SFgmk
>>284 俺的には、
AAA 瀬古
AAA- 中山
AA+ 宗兄弟
AA 谷口
A 高岡
B+ 伊藤国光、新宅、喜多 

番外編 森下、児玉

昔のランナー(全盛期を見ていないからわからない)
君原、宇佐美、円谷、澤木

今後に期待
藤田、藤原、松下、三代、中井、上野(長聖・中大)。 ああ渡辺・・。

298 :アスリート名無しさん:04/02/15 10:46 ID:+IaAFY85
ボストンマラソンで記憶に残ってるのは87年のボストンよりも
81年のボストンです。あの時、瀬古が「打倒ロジャース」を
目指してボストンに出場。
あのころロジャースは勝ち負けのムラはあったにせよ、アメリカ
マラソン界でショーターの後のスターとしての地位を築いてた。

心臓破りの丘の手前でロジャースは後退。79年に瀬古に勝った
時のようなキレが無かった感じ。
後半、アメリカのバージンと競ったが40キロすぎには独走。
2時間9分26秒で優勝。たしかロジャースの大会記録、
2時間9分27秒を1秒最新したのも因縁めいたものを感じた。
ボイルストンストリートの入ってからの直線で瀬古のアゴが
上がり珍しく苦しい表情で走っていた。

80年の福岡で2時間9分45秒の後の勝利だったから、
モスクワの不参加が惜しめれる時期だったなぁ。



299 :アスリート名無しさん:04/02/15 10:52 ID:i0O0nkL1
モスクワはチェルピンスキーに直付けされてやっぱり最後突き放されたと思うよ
上がりは鬼だからね、チェルピンスキーは

300 :アスリート名無しさん:04/02/15 11:09 ID:9qo9n07U
>>290-291
サラザールいたなー。懐かしい! 「アヒルのような」って形容された腰の引けた
独特の走法だった。
83年の福岡って瀬古、イカンガーの後の第二集団も凄かったんだよな。
宗茂が後退して伊藤、サラザール、宗猛の3人になった。あの時点で
伊藤国光は五輪切符を取ったと思っただろうなぁ。
40キロすぎて茂が追いつき逆にスパート。間隔をあけて猛しかつけ
なかったな。
結局、茂が9分11、 猛が9分17、 サラザール9分21、伊藤
9分35だった。

今考えると6位まで当時の世界歴代20位までに入るようなレベルの
高いレースだった。

宗兄弟は兄弟で後半競うと必ず茂が勝っていた。晩年は猛の方が
安定感があったけど優勝は茂の方が多かった。

301 :アスリート名無しさん:04/02/15 11:17 ID:J95Vdtwm
>>296
そうじゃないだろ。ヤッパリオリンピックで結果を残したものが
強いと思うよ。オリンピックでメダルをとるということは
1発屋でいいんだよ。高橋尚子見ればわかるじゃん。
冬のレースなんて山ほどあるんだし、ちょっと調子が割るけリャ
出場回避して1,2ヵ月後のレースに出るなんてこともできるしさ。
4年に1度のレースに出るためまずは選考レースに勝ち、そして、
本番で結果を出す。これは、相当難しいと思うけど。
とにかく、調子が悪くても別のレースに出るという逃げはできないからね。
よって、オレ的には
AAA 森下
AAA- 谷口 君原
AA+ 瀬古 中山
AA 宗兄弟 
A 高岡
B+ 伊藤国光、新宅、喜多 

昔のランナー(全盛期を見ていないからわからない)
宇佐美、円谷、澤木

今後に期待
藤原、中井、上野(長聖・中大)、松宮兄弟。 ああ渡辺・・。



302 :アスリート名無しさん:04/02/15 12:56 ID:cWAqlLP+
そういえば瀬古って「9」伝説があるとか言われてたな。
ゼッケンに下一桁が9だと優勝するみたいな。

確か83年東京国際が69、福岡が29
初優勝の時は9だったような。。。

303 :アスリート名無しさん:04/02/15 13:37 ID:gqEBjW1s
1987年のボストンマラソンには、当時の世界トップレベルの選手が大挙出場。
スティーブ・ジョーンズ(英)
ジェフ・スミス(英)
ロバート・ド・キャステラ(豪)
ジュマ・イカンガー(タンザニア)
ジョン・トレーシー(アイルランド)
この模様は日本でも深夜に衛星生中継されたが、あいにくの濃霧の為に中継用のヘリが飛ばず、映し出されるのは固定カメラの映像の市民ランナー達ばかりでやきもきした。
そうしてレース終盤になりようやくカメラ車の映像が映し出された時、そこには瀬古の姿しかなかった。
そして、瀬古はそのままゴールテープを切った。
瀬古の偉大さの一つは日本国内のレースだけで無く、海外の賞金レースにおいても数多くの勝利を収めたことにある。
正直、日本の国内レースは表向き賞金こそは出ないが、裏で多額の出場料が支払われ、外国人選手の中にはあまり勝利に執着せずに試合にでる選手が多い印象がある




304 :アスリート名無しさん:04/02/15 14:05 ID:30uz0d8Y
森下が一発やというのは言い過ぎだと思う。
成績も安定していたしね。やはり五輪銀は十分評価せねばなるまい。
ただ活躍期間が余りにも短すぎた。

かといって、森下が一番強かったというのも
不満がある。
やはり、ある程度の期間は第一線で活躍せねば。

森下は番外が一番良いと思うが。
(ランキングには載せず、相撲の張り出しのような感じ)

305 :295 B+を追加 高岡も追加:04/02/15 18:17 ID:Ua2SFgmk
>>304 じゃ、以下は、記憶に残るランナーということで。どうも森下は
インパクトが薄い。あまり記憶に残っていない。
AAA 瀬古
AAA- 中山
AA+ 宗兄弟
AA 谷口
A 高岡
B+ 伊藤国光、新宅、喜多 

番外編 森下、児玉

昔のランナー(全盛期を見ていないからわからない)
君原、宇佐美、円谷、澤木

今後に期待
藤田、藤原、松下、三代、中井、上野(長聖・中大)。 ああ渡辺・・。

306 :アスリート名無しさん:04/02/16 01:15 ID:bo7yMUhe
>>274
昔の東京国際のコースが長かったって当時、議論になったね。
200mなら約36秒か。瀬古の優勝タイムが2時間8分38秒の
世界歴代4位だったから差し引き 2時間8分2秒。
当時の世界最高がサラザールの8分13秒(後日抹消)だったから
世界最高記録がでた可能性があったわけだ。
トラックでタイムみながら走れば初の7分ランナーになってたかも
しれない。
2位の宗猛も2時間8分19秒。
あくまで推測ではあるが、、

307 :アスリート名無しさん:04/02/16 01:35 ID:bo7yMUhe
>>305
君原や宇佐美が80年代選手に例えると、
宇佐美が瀬古や中山クラスの強さを発揮していた。
君原は谷口かな。君原は国内では宇佐美にまったく歯が立たなかった。
(宇佐美の方が少し年代が下ではあるが。)
円谷は森下に近い。円谷のマラソン歴は39年の五輪の年だけと言って
いいだろう。名古屋中日マラソンを走ったあと、毎日マラソンの
最終選考会で2位。(今のびわこ毎日マラソンだが、この時は
東京のオリンピックコースで開催)
本番の五輪で3位と戦歴は森下に似ている。

沢木啓祐はトラックのサラブレットといわれユニバーシアード
でも最後のキレで快勝。長く長距離の日本記録を持っていたが
五輪でいい成績を残していない。
メキシコ五輪は期待されたが(この時、今ダイハツ女子陸上部
監督の鈴木と10000m出場)酸素が薄いこともあり惨敗。
ヨーロッパ遠征では世界とそこそこ戦っていた。
マラソンは期待されたが結果を残せなかった。
沢木はエスビーの花田などに近いのかなあ。

308 :アスリート名無しさん:04/02/16 06:51 ID:UH/Fs4mZ
>>274
あの時の東京国際おもしろかったね!
5キロをスローの出だし? でその後イカンガーが引っ張った。
あの時、イカンガーという名を知った。
テレビで見ていてずーっと5キロを14分40秒から50秒前後で
推移していき凄い記録が出ることを期待したな。
瀬古、宗猛、イカンガー、バルチャ、ネディ、ゴメスの6人で
先頭集団を形成。
この時、瀬古の最大のライバルと言われたのがロドルフォ・ゴメス
(メキシコ)だった。
後半35から40で16分まで落ちるんだけど。ゴメスのスパート
に瀬古しかつけなかった。しばらく併走したが、じわじわ宗猛が
2人の差をつめた。瀬古が気がつくと同時にゴメスが脇腹を押さえた
んだよな。そこで瀬古がスパート。ラストは相当苦しそうだったが
2時間8分38秒。世界歴代4位。オレは2位に入った宗猛を応援したなぁ。
兄貴の記録を上回る2時間8分55秒。世界歴代7位だった。

瀬古が怪我からの復帰で81年のボストン以来のフルマラソンだった。
あれで一気にロス五輪の期待が高まったのを覚えている。

309 :アスリート名無しさん:04/02/16 07:18 ID:vwnWC911
ほんとここのスレは物知りさんの集るスレだね。
オレなんか80年代のマラソンリアルタイムじゃないから
ここ見て知ったよ。

先週の東京国際マラソンのオープニングのイメージビデオ
歴代のランナーの勇姿がかっこよかったな。

310 :アスリート名無しさん:04/02/16 08:38 ID:ZdFfL6vc
>>308
あのレースは、俺の住んでいた県ではテレビ中継が無かったんだよな。
結果はNHKの午後7時の全国ニュースで知ったよ。
最近はNHKが午後7時の全国ニュースで男子マラソンの結果を伝えることがめっきり減ったよな。
後年、大学に入ってから別の県出身の友達から、あのレースをテレビ観戦した時の話を聞き
興奮したことを憶えているよ。
マラソン競技は文字通り競い合うもの。
そう言った意味では、二年近い沈黙を破って不死鳥の様に蘇った瀬古は目茶苦茶輝いていたな!




311 :アスリート名無しさん:04/02/16 10:27 ID:yf33sEzE
東京国際って前はダイエーがメインスポンサーだった
で当然、当時走る広告塔といわれたダイエーの中山が出場
TVを独占するのが自分の仕事、そうしなければ面白くないとか毒舌の中山節も試合後のインタビューでも炸裂して面白かった
途中コースを間違えることもあって面白かった
当時の中山ほどTV映りを気にしてレースをしていたランナーはそれまでいなかっただけにある意味衝撃だった  

312 :アスリート名無しさん:04/02/16 15:26 ID:cGDIvuRx
指導者として瀬古と宗兄弟の比較について言わせてもらおう。
このところ主要大会でエスビー食品勢が好成績を収めて、瀬古の指導者としての評価が上がっている。
しかしエスビー食品で活躍している選手って、箱根駅伝で活躍した大卒選手ばかり。
国近にしてもNTT中国で長距離選手として開花した移籍組。
これに対し、旭化成は数多くの無名高校生達を日本のトップレベルに引き上げている。
先の東京国際で9分台を出した佐藤智之なんかがいい例だ。
以上の点を考慮すれば、指導者として瀬古はまだまだだ。
少々スレタイとは外れてしまった。
現在の姿は別にして、日本マラソン史上最強のランナーは瀬古だ。
福岡国際4回、東京国際1回、びわ湖毎日1回、ボストン2回、シカゴ1回、ロンドン1回と、
国際的な主要マラソン10勝を挙げた彼を最強と呼ばずして誰が最強か?
ちなみに中山竹通は福岡国際2回、東京国際1回、アジア大会優勝1回の4勝。
差は歴然である。




313 :アスリート名無しさん:04/02/16 15:29 ID:h6mTgIUv
東京国際で、当時ほとんど無名だった若いデンシモが序盤飛び出したレースがありましたよね?
僕はまだ子供でしたが、強烈にその年の東京国際は覚えているのですが、どなたか詳しくそのレース思い出せませんか?

314 :アスリート名無しさん:04/02/16 15:45 ID:cGDIvuRx
それは1986年のレースだろう。
この時は優勝がイカンガーで2時間8分10秒。
デンシモは2時間8分29秒で2位。
以下、3位メコネン8分39秒、4位中山8分43秒。
4名の選手が8分台をマークした当時としては驚異的なレースだった。
デンシモはこのレースが初マラソンと言われていたが、実際は?
アフリカの人たちは、自分の誕生日も分からないくらいなので…。
レースはそのデンシモが出たり入ったりの繰り返し。
テレビアナウンサーも、後半「お〜、この人ですよ、この人!」と、
潰れるどころか8分台で2位に入ったデンシモに驚きっぱなしだったのが印象に残っている。


315 :アスリート名無しさん:04/02/16 16:16 ID:h6mTgIUv
>>814
それですよ!それ!
ありがとうございます。
86年というと小6の時かぁ〜。とにかく衝撃的でしたよ。
ビデオがあったらもう一度見たいレースです。

316 :アスリート名無しさん:04/02/16 16:21 ID:cGDIvuRx
>>314
中山が8分台でも、前に外国人が3人もいたんだよね。
去年の福岡国際もトップ3を日本人が7分台で独占したけど、世界は既に4分台。
1`先を走っているよ。
まあ、五輪は夏に行われるので勝負重視になるだろうが、この現実は寂しいね。
絶頂期の瀬古のような勝負強い日本人ランナーの登場に期待。

317 :アスリート名無しさん:04/02/16 16:31 ID:h6mTgIUv
ソウルの時はエチオピアはまだ社会主義政権だっため、ボイコットしたんだよね〜。
88年はデンシモもメコネンも最盛期だったと思う。
特にメコネンは当時世界の主要大会に連勝してて、最強と言われてた時期だった。
この二人がソウルに出てたらメダリストも変わってたかもしれないよね。


318 :アスリート名無しさん:04/02/16 16:50 ID:cGDIvuRx
アベベ・メコネンは1991年の東京国際で優勝した時に、
終盤競り合っていた小指徹(ダイエー)のお尻を触ってからスパートしたんだよね。
あれは、彼流の「今から行くよ」って挨拶だったのだろうけど…。
正直、奴はモーホーかと思ったよ。
去年、長野マラソンに来ていたメコネンを見たが、そのことを思い出して思わず警戒したよ。




319 :アスリート名無しさん:04/02/16 16:55 ID:BG2hcCCt
83、86年の東京国際を初めとする瀬古や中山のレースは本当に印象深い。
捜せば誰かが必ずビデオを残してるはずなんだけどなー。
もう一回見たいよー。

320 :アスリート名無しさん:04/02/16 17:10 ID:cGDIvuRx
1984年のロス五輪以降の国内主要マラソンはほとんどビデオに撮っていた。
今夜探してみるか?
しかし、ここ最近はまったく撮らなくなったなあ。
民放の中継が増えてから面白くなくなってきたな。
CMでしょっちゅう中断されるし、勉強不足のアナウンサーのしゃべりは興ざめするし。
福岡国際もNHKに戻して欲しいよ。

321 :アスリート名無しさん:04/02/16 17:15 ID:h6mTgIUv
自分は88年以降のマラソンならかなり撮っているのですが…
アベベ・メコネンはファンでしたよ。日本でもおなじみの人気あるランナーでしたよね。
88年?(だったと思う)のボストンでイカンガーを振り切ったレースは本当に強いと思いました。

322 :アスリート名無しさん:04/02/16 17:20 ID:EGxAoE4Y
俺もマラソン中継は一応全部ビデオに撮ってるけど
最近はツマランのばかりですぐ次のレースを上書きしている。
ここ3,4年で永久保存してるのは去年の福岡、大阪と2002年のシカゴ、
それに2000年の東京ぐらい


323 :アスリート名無しさん:04/02/16 17:37 ID:cGDIvuRx
>>321
メコネンがボストンで勝ったのは1989年93回大会。
優勝タイムは2時間9分6秒だった。
イカンガーは2位。
3位はジョン・トレイシー(アイルランド)。
上位5名の内4名がアフリカ勢だった。

324 :アスリート名無しさん:04/02/16 17:38 ID:4pzqNRFS
少々スレタイから外れるが、こんなの見つけた↓
http://www.coara.or.jp/~hinoue/Olympic/olympic_tributes.html

五輪マラソンの最初の5キロのベストが東京大会だ・・・

325 :アスリート名無しさん:04/02/16 18:55 ID:5/8Usx38
>>311
中山は当時としては珍しいプロ意識を持ったランナーだった。
仕事をしながら、企業の支援をうけて走るというのではなく、
走って稼ぎたいって考えていたみたいだ。

中山と瀬古の比較をすると、時代を踏まえた相対的な強さでは
戦績を見てもわかるとおり瀬古の方が上だけど、
絶対的な強さの比較では、タイムやレース内容を見る限り
中山のほうが上だと思う。

326 :アスリート名無しさん:04/02/16 19:50 ID:wwwDVZG9
>>325
瀬古は持続力 瀬古はナタの切れ味
中山は瞬発力 中山はカミソリの切れ味
こんなとこか。

327 :アスリート名無しさん:04/02/16 23:17 ID:xC9SK/Ik
>>326 反対だろ。

>>307
宇佐美はクレイトンが記録を作ったときに2位になっている。その記録も歴代4位
あたりの好記録だった。そして70年には世界歴代3位の日本新で(福岡)国際に
優勝。当時は単に国際マラソンと称して、文字通り世界一の大会だった。実際その
大会にもボストン、英連邦大会を共に歴代2位の記録を連発したヒル(英)や、
歴代3位の記録保持者アドコックス等が出場していたが全く寄せ付けない横綱
レースだった。因みに2位のムーア(ミュンヘン4位)、3位のウネ谷も歴代10位
に入るか入らないかの好記録だった。当時は歴代10傑の半分くらいは日本人だった
からね。宇佐美は71年はショーターにまさかの敗戦だがオリンピックの下馬評では
ショーターより上だった。もっとも3強と言われたクレイトン、ヒル、宇佐美の3人
とも惨敗でヒルが君原の次の6位になるのがやっとだった。(それにしても昔の
選手は1年3レースが標準だったので今の選手よりタフだ)。

君原はアジア大会で優勝した翌年の71年がピンチだった。それまで東京オリンピック
の8位が最低順位だったのに毎日(琵琶湖)で13位、国際(福岡)で11位と最低順位
を連発して限界説が囁かれた。ミュンヘンの最終選考会の毎日では、序盤から君原が
大きく遅れるなか、原(小西六)が大逃げを打ったが宇佐美に捉えられ、そのまま
すんなり宇佐美が勝つと思われた。しかし折り返し以降息を吹き返した君原が39キロ
で宇佐美に並んだのには胸が熱くなった。ベスト3に入る名勝負。因みにナンバー1
は79年の福岡。83年の東京もいい。

日本のマラソンレースが駄目になったのは確たる方針も持たず、テレビ局の言いなり
でレースを乱造しすぎたせいでもある。福岡にいい選手が集中するようにしておけば
選考会でややこしいこともなく世界の一流選手も呼べるのにと思う。




328 :アスリート名無しさん:04/02/16 23:35 ID:yf33sEzE
>>313 その時の解説は宇佐美さんだったけかな、序盤デンシモが飛びだした時、
この選手はいずれマラソンの怖さを知ることになるでしょうとか言いたい放題だった。
それがあれよあれよの快走で国立競技場へ。解説者の面目がまるつぶれ。
あの時は腹をかかえて笑ってしまった。   

329 :アスリート名無しさん:04/02/17 00:16 ID:EWk48SPx
トラック競技で、瀬古が手を回しながらゴールの直線を走ったのは何のレースかな?
小学校低学年だったから1980年くらい。
ボストンで優勝したときの陸マガの表紙も覚えている。
後は、早稲田のコーチだったときに、インタハイの会場にスカウトしに来てた。
少しお話させてもらいました。えへ。

330 :アスリート名無しさん:04/02/17 00:44 ID:PvOb3bfo
88年の東京も8分台が4人という凄まじいレースだったんよね。
メコネンがオリンピックボイコットに対する意地を示した形で、イカンガーに競い勝ち。
メコネンがソウルに出てたらと思う。
86年とか88年の東京のビデオ見たいなぁ。

331 :アスリート:04/02/17 01:20 ID:28U10j4p
>>330

懐かしいな面白かったな88年の東京国際。
キャステラが先頭集団から遅れかけて少し離されてから、
まるで忍者のような変な走り方で執念で再び先頭集団に追いついたのも鳥肌立ったし、
メコネンがイカンガ−の強烈なスパートに離されかけて、
腹痛起こしながら必死の形相で追いつき逆にスパートかけて勝ったのにも鳥肌立った。
3位のペーターはドイツ人初の2時間8分台出したし。
2位のイカンガ−も2ヵ月後のボストンマラソンで再び2時間8分台出してるし。
当時まだ日本マラソン界は世界の1線級の選手がごろごろ居たけど、
外国人選手は凄いと初めて強烈に鮮烈に感じた記憶がある。

日本人選手は、前年の福岡で惨敗して急遽ソウル五輪の切符を掛けて参戦した
背水の陣の谷口浩美はハンガーノックで早々と後退、
ダイエーの仙内がかろうじて2時間11分切って6位に入るのがやっとだったな。
その時何故か、将来日本人選手は外国人選手に歯が立たなくなる時代が来ると思ったが、
本当に来てしまった。

俺ももう1度88年東京国際のビデオ観たいなぁ。


332 :アスリート名無しさん:04/02/17 08:39 ID:1lZ6ujjn
1986年の東京国際マラソンのビデオが見つかったよ。
しかし、20年近く前のテープだから、テープに白いカビが生えていた。
果たしてちゃんと再生できるかな。
それから1988年のも有ったような…?(86年のを探していたからね)
1988年のレースは国立まで見に行ったよ。
でだし、谷口が悲壮感溢れる走りで飛び出したけど、後半失速したんだよね。
中大卒の浦田(本田技研)が結構最後まで粘ったな。
当時中大生だった俺には嬉しいことだった。
あのとき、キャステラが両肘に、今流行っている白い防寒用のサポーターみたいな奴を着けていた。
最初は怪我をして包帯を巻いているのかと思ったぜ。
メコネンは両乳首が磨れてユニフォームが血でにじんでいた。
懐かしい思い出だ。

333 :アスリート名無しさん:04/02/17 10:05 ID:7vzHaf3I
>>324
面白いサイトですね。しかし驚きの連続。
80年モスクワの25〜25km が 14:13 だとか、
84年、灼熱のロス五輪での上がり7.195km が、14:33-6:25 だとか、
76年モントリオールの上がり2.195km が、6:13(!) だとか、
あり得ないでしょー。 それともこれって有名な話? 
五輪レースでしかも夏の大会、しかも20年以上も昔のレースだよ。
計時か距離がおかしいとしか思えないんだけど。

334 :アスリート名無しさん:04/02/17 11:42 ID:f4MQ0aWW
>>300
宗兄弟はラスト勝負で兄弟で競ると、必ず兄貴が勝っていたね。
茂の方が「兄貴」ということで執念があったのかもしれない。

宗兄弟の現役最後の方のレースになるんだけど
85年の北京国際マラソンは面白かった。
33キロ過ぎに猛がスパート。残っているのが宗兄弟とイギリスの
ヒュー・ジョーンズだった。再三、猛は細かいスパートをして
ジョーンズを突き放そうとしていた。茂はいつもそうだが苦しい
顔をして走っていた。(やっと2人ついていた感じ)
40キロの標識を過ぎたと同時にその茂が強烈なスパート。
猛が瞬時に反応をしてついたんだよな。そこでジョーンズが後退。
2人併走して工人体育場に入ってきたんだけど、
茂がラスト100でスパート。一時、猛と離れたんだけど
前と違うのはラスト50で猛が思い直したかのように、猛追した。
最後は並んでゴール。ほんの胸差で茂が勝ったんだけど、猛の
執念を感じたレースで最後興奮したなぁ。
たしか2時感10分23秒の同タイムだったと思う。

335 :アスリート名無しさん:04/02/17 11:57 ID:f4MQ0aWW
北京のコースは当時、距離に疑惑があったな。
しかし翌年の86年に児玉が2時間7分35秒で走った時は
衝撃だった。伊藤も2時間7分57秒。
瀬古と中山以外のランナーが先に7分台で走るとは思ってなかった
から最初、記録を疑ったことを思いだすなぁ。

336 :アスリート名無しさん:04/02/17 13:38 ID:Sn1sCTal
>>335
北京といえば、谷口浩美の自己記録(2:07:40)もあそこだったな。
1988の大会で。
確か、メコネンに負けて2位のだった。

337 :アスリート名無しさん:04/02/17 13:40 ID:r3oYAgnJ
>>333
この中で、5キロのラップが正確なのは東京五輪と88年のソウル五輪以降の
大会だと思う。なぜかは80年代以前、海外マラソンを見ていると見にくくて
しょうがなかった。それはほとんど海外はマイル表示だったからです。
当然、日本はキロ表示を昔からしていたので、少し誤差があったとしても
東京五輪は信用できる数字だと思います。他の大会はマイルをキロに換算して
るものもあるだろうし、五輪といえども途中の通過表示はあてにできなかった。
335さんが書いていますが北京国際マラソンも距離疑惑の他に間のキロ
表示もずれてたとも当時、走ったランナーは言ってます。
たしか90年代になって世界的にキロ表示をしているように思うのだが。

ロス五輪の35キロからのラップは30キロから35キロまでに比べて
「1分ペースアップした」と宗猛さんも言ってますから大体あってると
思うけど。。見てても明らかにペースアップが急だった。
しかし2位のトレーシーはその後、どちらかというと粘り型だったし、
スペディングもスピード不足を感じたので、あの時、ロペスのギアチェンジに
よくついて行けたと感心する。
キャステラは好調でもロス五輪の後半の切り替えにはつけなかったと思う。
もし瀬古が好調だったらどういう対応をしたのか興味を湧くが。。


338 :アスリート名無しさん:04/02/17 13:54 ID:4t83nL7e
          /=ミ
  /           彡ll',''´
. /             彡lll
 !-- .、    ,、、、、,,,   彡lノ
 l,,,,,__ /   ___     'r''゙ヽ   だから何回言わせるんだ!
. |`゙'' ./   `'゙'''"    .〉,l |
 |.   ,'           //     清水将也がアテネで
. ',. ,'           , r'   
.  ゙, ゙'ー ‐`      l  |      必ず金メダルを取る!
   ゙、''゙ ,,、二''‐    ノ  l、      
''''''''7'ヽ  '''    /   /`〉`゙T''''''''''
  l  ` 、,,,,、- ' "    / /.|  |
.  |  |  .l i       / ./ |  |


339 :アスリート名無しさん:04/02/17 13:55 ID:Sn1sCTal
史上最強までとは言わないが、谷口浩美も勝負強いランナーだった。
1985年 別府大分毎日マラソン 優勝 2時間13分16秒
1987年 東京国際マラソン   優勝 2時間10分06秒
1987年 ロンドンマラソン  優勝 2時間09分50秒
1989年 東京国際マラソン   優勝 2時間09分34秒
1989年 北海道マラソン   優勝 2時間13分16秒 
1990年 ロッテルダムマラソン  優勝 2時間10分56秒
1991年 世界陸上選手権(東京) 優勝 2時間14分57秒
パンチの効いたあのヘアースタイルで頭を傾けて走る姿を真似た中高生は多かったはず。
バルセロナ五輪の転倒は残念だったが、マラソンに「もし〜」「〜たら」はありえない。


340 :アスリート名無しさん:04/02/17 14:02 ID:Sn1sCTal
>>338
清水将也?
旭化成の?
今度、びわ湖にでるのか?
昨年は熊日30`で学生最高(1:30:00)をマークしたが、社会人になってからは
目立った活躍はないな。
何か根拠があるのか?

341 :アスリート名無しさん:04/02/17 14:08 ID:4t83nL7e

340>
学生の時点で30キロを1:30:00で走る事がどういう事かわかるか
箱根の2区で入りの5キロを驚異的なタイムで走ったのを知ってるか?

342 :アスリート名無しさん:04/02/17 14:14 ID:JRn3FvUT
>>339
まぁ タラ、レバ があるからスポーツって語られるんだろうけど。
谷口の戦績をみて一番評価があるのは世陸だと思うけど、90年のロッテルダムで勝ったのがうれしかったよ。
当時、ロッテルダムは世界一の高速コースで評判たかかったが、それまで日本人の優勝者がいなかったんだよね。
高温などの影響で記録は平凡に終ったけどロッテルダムで日本人が勝つのはすごくうれしかったことを思い出します。

343 :アスリート名無しさん:04/02/17 14:21 ID:Sn1sCTal
>>341
清水将也が学生時代に成績が良かったことは知っている。
しかしそれだけで清水が「びわ湖」で優勝できると言えるのは何故だ?
早大時代にあれだけ強かった渡辺(SB)でさえ、マラソンでは期待通りの走りをすることが出来ずに引退したぞ。
さあ、答えなさい。 

344 :アスリート名無しさん:04/02/17 14:31 ID:Sn1sCTal
>>341
>箱根の2区で入りの5キロを驚異的なタイムで走ったのを知ってるか?
残念ながら知らない。
で、その後はどうなったのだ?
教えてくれ。

345 :アスリート名無しさん:04/02/17 14:36 ID:4t83nL7e
   / ̄       ̄\    /
   /       -=、   \
  / ,.-、        `   ヽ.      / ̄ わあははは〜!
  |  、`   ~,‐‐‐-、      |\ ∠   
  | _<・ゝ  ''/・_>_     /=ヽ.|\\ \_ うだうだ言ってるんじゃないの!
  ノ ~ ン   ^´ ~    ノヾ ||\\\
 ,|  / し ‐ヽ、       ιノノ  \\\ __    清水将也が現在最強のランナーなの!
 |  |‐,'--==,‐'|      ゝ‐'´ゞ\  |\/´/´~\
  |   l、L:::/       |  //  |~‐-) UUu,.ヘ`l
  ヽ  ̄~~ ノ     ノ / /   |  |  ノ`∪´‐ | |┏━┓ ┃ ┃  ┃ ┃ |
  /|\    _ノ  /  /    |  |   ヾ ノ  |   ┃ ┃  ┃  ┃  ┃|
/  |  \    /    /     |  |


346 :アスリート名無しさん:04/02/17 14:42 ID:B2JNtUPT


347 :アスリート名無しさん:04/02/17 14:49 ID:Sn1sCTal
>>342
90年のロッテルダムにはアーメド・サラ(ジブチ)とアベベ・メコネン(エチオピア)が出ていた。
気温が20度まで上がる消耗戦で、30`でサラが脱落。
谷口は粘ってメコネンとの一騎打ちを征した。
このレースでは、4位に新宅、5位に喜多、6位に宗猛と日本勢が活躍。
その後、日本男子が海外のレースで上位を占めたレースはあったっけ?

348 :アスリート名無しさん:04/02/17 14:58 ID:7W4jOS35
338はきっと基地外日大OBだろ。
皆さんこんな低偏差値や氏はほっときませウ。

しかし、森下を押す人はいないね。

349 :アスリート名無しさん:04/02/17 15:17 ID:4t83nL7e
348よ!
お前こそなんで 名前:アスリート名無しさん が青色なんだよ
性格がひん曲がってるからだぞ!




350 :アスリート名無しさん:04/02/17 15:20 ID:Sn1sCTal
>>348
森下広一は92年バルセロナ銀メダリスト。
初マラソンの91年別大マラソンで中山を破って優勝。
翌92年東京国際で再び中山を破って優勝し五輪代表へ。
闘志溢れる走りが印象的だった。
91年の別大は実際に沿道で観戦した。
30`過ぎだったか中山が10bくらいリードしていて、
「これは今日は中山が優勝だな」って思ってたら、その後、森下が逆転していた。
マラソンで活躍した年数は短かったが、本人は「我がマラソン人生に悔いは無い」と
語っているそうなので、それはそれで良しとしたい。
私見では日本マラソン史上最強とは言い難いが、上位にランクされる選手だと思う。



351 :アスリート名無しさん:04/02/17 15:33 ID:Sn1sCTal
>>348
森下と言えば、もう1人、森下由輝がいる。
マラソンの優勝は初マラソンとなった1995年の延岡西日本マラソン1回だが、
2001年のエドモントン世界選手権で8位になっている。
この選手は、熊本出身。
三年前に出身中学の体育祭で生徒と走る森下選手の新聞記事(写真)を見せてもらったことがある。
なんでもこの学校は廃校が決定し、それが最後の体育祭だったそうだ。
直前の世界選手権で入賞した卒業生と一緒に走れたことは、きっと良い思いでになったに違いない。
心温まるニュースだった。



352 :348:04/02/17 15:40 ID:7W4jOS35
>>351
由輝のほうだすんなら、佐藤信之のほうが3倍実績は上だな。

353 :アスリート名無しさん:04/02/17 15:50 ID:Sn1sCTal
>>352
佐藤信之は99年の世界陸上選手権(セビリア)で3位に入り、翌2000年のシドニー五輪代表(41位)
五輪出場、世界選手権銅メダルという輝かしい実績があるが、いかんせん、優勝が無い。
史上最強選手にランクされるには現時点では力及びませんな。
びわ湖に期待!

354 :アスリート名無しさん:04/02/17 16:13 ID:qtkOZAPH
>>334
俺もこのレース見てたよ。
ところで中山が独走レースが得意と認知されてるが、中山が出現するまでは宗茂が
独走に持ち込むのを得意としてた。一番のレースは78年の別大だが、
ロス五輪後の85年の東京国際マラソンを思い出す。
俺のマラソン観戦歴の中で宗が兄弟揃ってマラソン走るのが当たり前になっていたが
この時は茂のみ出場。
SBの新宅が初マラソン。ロス五輪後、株を上げた金井が久しぶりのマラソンで
SB勢に注目が集ってた。
レースはスタートから宗茂の一人旅。20キロを1時間切って通過。
第二集団は新宅、メコネン(この時たしか初来日。メコンネ・アベベと言われてて
アベベと言われてた。しきりにビキラ・アベベの遠縁のあたると紹介されてた)
、ネディ、バルチャの集団だった。
後半、宗はへばったものの2時間10分32秒で優勝。3位の新宅が後半粘って
初マラソン日本最高記録(2時間12分23秒)だった。
金井は期待されたが途中棄権。その後、金井も内臓が弱くてマラソンで大成でき
ないで事故で亡くなってしまった。

78年の福岡も前半逃げ切りを図って、最後に瀬古、喜多に抜かれたが
中山が出てくるまでは宗茂が逃げ切りのイメージがあった。

355 :アスリート名無しさん:04/02/17 16:42 ID:Sn1sCTal
1985年東京国際の宗茂は確かに凄かった。
スタートして100b行った時点で既に独走態勢に入っていた。
あんなレースは見たことが無かった。
しかし、観戦するほうとしては、後半競り合う方が面白いな。
そう言った意味では同じ1985年のびわ湖毎日マラソンが面白かった。
瀬古、宗兄弟、中山と言った一線級の選手はいなかったが、35`過ぎての
阿部文明、須永宏、野田浩の争いが熾烈だった。
NHKの映像の撮り方もとても良かった。
マラソンって素晴らしいなあと心から感じたレースだった。


356 :アスリート名無しさん:04/02/17 16:51 ID:qtkOZAPH
85年のびわ湖で優勝した阿部がようやく糞しながらも優勝した
フランク・ショーターの大会記録を破ったんだよ。
たしか2時間11分4秒。 須永が2時間11分9秒。

それまで瀬古、宗兄弟、伊藤、喜多の5人以下の総が薄かったが
84年の福岡で中山、児玉が台頭。そしてこの年の別大で
谷口が初マラソン初優勝。ソウルに向けてマラソンの選手層が
厚くなってきた時期だった。

357 :アスリート名無しさん:04/02/17 16:55 ID:Sn1sCTal
史上最強のランナーと言ってもどうしても自分が実際にテレビなどで見た選手が印象深くなる。
だから自分が生まれる前のランナーに関しては語ろうにも語れない。
しかし、文献などから読むと、やはり昔のランナーにも偉大な選手はいる。
その1人が池中康雄だ。
彼は1935年、東洋大学の学生だった池中は当時の世界最高記録である2時間26分44秒をだしている。
実はこの2週間前に彼はマラソンを走っていたそうだ。
現代のマラソン界の常識では考えられないことだ。

358 :アスリート名無しさん:04/02/17 16:57 ID:phBjBdVu
最近の日本選手は大逃げするようなスケールの大きいのがいなくなった
かけひきとか変な小細工ばっかりで対応しようとしている
だから最近のレースはいまいち印象が薄い
佐久長聖の上野あたりには大学では小細工なんて覚えないでスケールの大きいレースをしてもらいたいね      

359 :アスリート名無しさん:04/02/17 17:16 ID:Sn1sCTal
近年、200bで末續が、400bHで為末が、世界を相手に結果を残してきた。
男子マラソンもきっとやってくれるはず。
頑張ってほしいな。


360 :アスリート名無しさん:04/02/17 17:57 ID:iSq9zTiP
昔は社会人より学生のほうがマラソンで記録残してたんだよね。
中尾しかり、重松しかり、瀬古しかり。
それに引き換え最近の学生は箱根駅伝みたいなちっぽけなものを目標にしてしまって
全然マラソンに挑戦しようとしない。
実に嘆かわしいことだ

361 :アスリート名無しさん:04/02/17 18:20 ID:w5cLFn6P
やっぱり、”大”して勝った、ショーターでしょ


362 :アスリート名無しさん:04/02/17 19:41 ID:S1J/YmOA
>>357
確かに昔のランナーはタフですね。
今の日本では1年1レースが当たり前だからねえ。
野球なんかでもそうだよね、昔のピッチャーは1シーズン30勝なんてしてたし。
クレイトンが69年にアントワープで2時間8分33秒の世界記録出した時も、
10日くらい前に別の大会でマラソンを走ってた。
まあ、今と昔では練習量が格段に違うから身体への負担が多いんだろうね。

363 :アスリート名無しさん:04/02/17 20:42 ID:C7PoPrkM
「午前5時。
 まともな人間がいる場所はただ一つ。
 ベッドの中だ。
 その時間、私は外を走っている。
 こんな生活はもううんざりだ!」

(デレク・クレイトン)

364 :アスリート名無しさん:04/02/17 21:05 ID:ZSCBZ9sR
>>329 1980年の八ヶ国対抗陸上。ラスト150あたりのスパートは鮮やかで織田
ポールのあたりでぐるぐる手を回していた。

宗兄弟は根性もさることながら単純に短距離のスピードで兄茂が勝っていた。
対戦成績自体はほぼ互角だったが弟が勝つときは大勝、兄は僅差勝ちが多く、
印象では兄が貫禄を示していたという感じ。

クレイトンはメキシコも駄目だった。メルボルンオリンピックの最終聖火
ランナーだったロン=クラークは5000,10000で当時の世界記録を大幅に塗り
換えて他を圧倒していたがオリンピックは勝てなかった。東京で3位になるの
がやっと。メキシコでは周回遅れになった(と思う)。ひとえにキックのなさ
のなせる業。クラークは東京ではマラソンを走ってハイペースで飛ばしアベべ
の驚異的世界記録達成に一役買っている。ちょうどクラークやクレイトンは
中山に相通じるところがある。

瀬古はちょっと勝ちにこだわりすぎて肝心のオリンピックで失速した感じ。


365 :アスリート名無しさん:04/02/17 21:22 ID:HCxDAcme
瀬古も中山もキャラ違うけどものが違うワクワク感があって好きだったな。1万の日本記録保持者になる
スピードもあったし。
ソウル五輪前の福岡一発勝負。中山が「這ってでも出て来い!」と言ったやつだけど、ガキだった
自分の記憶では駅伝かなんかでタスキを渡そうとした時に、カメラマンを避けようとして足を故障して
出られなくて気の毒だった気がした。
でも氷雨ふる福岡をぶっ飛ばした中山と瀬古の勝負見たかったな。
沢木耕太郎の「王の闇」で、「モスクワに出ていれば(Q:金とれた?)いやそうじゃなくて、五輪がどういう
ものかわかっていたと思う」(ロスの前のトレーニングは今では馬鹿とののしられるだろう)
「もう5,6分を目指す世界にはもどれないので引退した」と瀬古は淡々と語ってたな。

366 :アスリート名無しさん:04/02/17 22:26 ID:phBjBdVu
ロス五輪の主役は柔道の山下泰裕 とマラソンの瀬古だった
当時の2人に対しての国民の期待は今のヤワラやQの比ではなかった
結果山下が金メダル そして瀬古は惨敗
瀬古が金メダルをとっていたら瀬古も国民栄誉賞だっただろう
瀬古が遅れていく姿がカメラにうつしだされたときの衝撃も忘れられない  

367 :アスリート名無しさん:04/02/17 22:45 ID:7W4jOS35
あのときのロス、相当暑かったんだろうね。
漏れは小学生だったけど沿道にシャワーがあって
みんなその水かぶってた姿を鮮明に覚えてるよ。

368 :アスリート名無しさん:04/02/17 22:58 ID:HCxDAcme
>>367
漏れも消防だったw
でも優勝したロペスは9分台、4位に入った宗猛も10分台じゃなかったけ?
従来の体育の日は東京五輪を記念した10月10日。ロスからなのかな?夏のマラソン
あっスレ違いですかね。

369 :アスリート名無しさん:04/02/17 23:00 ID:qGDVJboo
その時の瀬古は暑さ対策にと、ヱスビーの合宿地の北海道から
わざわざ猛暑の東京に戻って連日ハードな走り込みを敢行した。
しかもその当時の東京は連日最高気温が35度を超えるような
記録的な猛暑に見舞われた。
その結果瀬古はオーバーワークで体調を崩して肝心の五輪本番では惨敗したわけだ。
皮肉にもレース当日のロスは東京よりもずっと涼しかった。

今から見れば考えられないような無茶苦茶な調整ミスだった。



370 :アスリート名無しさん:04/02/17 23:06 ID:ZSCBZ9sR
>>368 ミュンヘンは9月だったがモントリオールは盛夏(7月終わり)。但し
小雨模様で涼しかった。モスクワは8月1日だったが朝5時スタートだったので
そんなに暑くなかった。ロスからは商業主義が絡んで選手の健康より視聴率が
稼げる時間を優先するようになった。

371 :アスリート名無しさん:04/02/17 23:10 ID:phBjBdVu
瀬古の惨敗はマラソンにとどまらずスポーツ界全体に衝撃を与えた事件だった
それまでは国のためということだったがそれ以降に自分のためという言葉が
スポーツ選手の間からおおやけに聞かれるようになった
日本のスポーツ哲学を変えたといっていい歴史的事件だった    

372 :アスリート名無しさん:04/02/17 23:17 ID:HCxDAcme
>>370 レスどうも
>>366
>瀬古が遅れていく姿がカメラにうつしだされたときの衝撃も忘れられない
昨年なくなった親父が「TBSの佐古は”瀬古の失速”を見てスポーツアナを志した。こいつは
みどころある」と昔言ってた。近年は「こいつは筑紫なんかの腰巾着になりやがって・・・」とぼやいてた。
重ね重ねスレ違いスマン。

でもガキながらソウル前の福岡が中山vs瀬古の「日本男子マラソン最強決定戦」だったのではないかと
今でも思う。

373 :アスリート名無しさん:04/02/18 00:20 ID:WhpVQP0r
>>365
「這ってでも出て来い!」
ではなく、正しくは
「僕なら這ってでも出る。」
マスコミが二人の対戦を煽るためにでっち上げた言葉なんだ。

ま、意味合いは大して変わらないが。

374 :アスリート名無しさん:04/02/18 00:24 ID:iul6asTI
ちょっと待ってくれ
マラソンランナーの実力を評する時には、速い遅いではなくて、強い弱いという表現がマラソン界においては一般的なのかいな?

375 :アスリート名無しさん:04/02/18 00:37 ID:52XLGw0S
>>374
禿同。
ワイナイナのようにもちタイム悪くても化け物のようなタイムを持つ
猛者ドモを相手にケニヤ代表になってちゃんと期待にこたえる
彼のようなランナーが本当に強い選手。


376 :アスリート名無しさん:04/02/18 00:42 ID:kujGbsZO
>>374 マラソンというものは数字以外のものがるね
それは哲学、宗教、イデオロギー論争に近いものを感じるね
それが強い弱いという表現をさせているのかなと個人的には思う

377 :アスリート名無しさん:04/02/18 00:51 ID:6cBUeRx+
陸上一般において強い弱いの言い方はする
短距離選手でも言う。

378 :アスリート名無しさん:04/02/18 01:14 ID:jdNIwhtX
うちのオヤジは強い選手は"根性がある"、弱い選手は"根性がない"
という見方をする人間でした。子供心に"何いっとんだ、この人は"
と思っていました。社会に出たら意外にそういう見方をする人が
多いのにビックリシマスタ。特にスポーツ新聞。
すれ違いスマヌ。


379 :アスリート名無しさん:04/02/18 05:03 ID:xf/31RcZ
中山が競り合いで勝利したのって初優勝の84年福岡国際マラソンだけだった。
ロス五輪ショック(?)から覚めやらぬ中、開催されたが優勝候補は東ドイツ
のミカエル・ハイルマン、前年2位のイカンガー。
それに喜多、伊藤がどのように戦うかだった。

たしか雁ノ巣折り返しコース 最後の大会。オールドファンにしてみれば
次の大会からコース変更になったのは淋しさを感じた。
25キロ過ぎのそのハイルマンと長身の中山が抜け出す。前年の83年
も中山は途中まで先頭集団にいて14位。しかしまだこのころは無名に
近い存在だった。
2人の併走が続いたがハイルマンが足に痙攣。中山自身、強烈のスパート
を仕掛けたわけではないがハイルマンがずるずる後退した。
最後、競技場に入ったきてゴール手前で派手な万歳ゴール。
2時感10分00秒。そのころ日本のサブテンランナーは4人しか
いなかったから「普通にテープ切れば10分切れたのに。。」
と誰もが思った瞬間だったな。
まあその後の中山の活躍を見ればそこで10分切らなくても
お釣がでるほどの活躍をしたのだが。児玉泰介がハイルマンを
かわして2位。3位のハイルマンまでが2時間10分台だった。

ロス五輪後、中山の台頭に次の日の新聞は大きく取り上げてた
のを覚えている。

380 :アスリート名無しさん:04/02/18 05:18 ID:xf/31RcZ
>>371
ロス五輪が宗茂が17位だったが、
後日の対談で「40キロ過ぎに前絵の方から上下白の日本のユニファーム姿
が目に入ってきた。猛と思ってアイツもここまでかと思ったが、靴下を履いている。
猛は靴下を履かないから「アッ 瀬古だ!」と思った。重い足取りに
「瀬古も人間だったんだなぁ」と思った。と言っている。
今の高岡や藤田などの人気や期待度レベルではなかったんだよな。当時の瀬古の惨敗は。
惨敗ぶりはスピードスケートの黒岩彰とよく比較されていた。

381 :アスリート名無しさん:04/02/18 06:08 ID:357RvtEi
>>374.375

速さに現れないが大試合で強かった選手にベルギーのカレル・リスモンがいる。
2時間11分台の持ちタイムだったが堅実な走りでミュンヘン五輪2位。
モントリオール五輪3位で連続メダル。モスクワはボイコットを免れ、
3度目の五輪出場で9位。ここまでで君原と同じくすべてシングル順位。

そして4度目のロスにも出場してきた。次々選手がゴールする中、
カメラが一瞬、マラソンゲートを映した。何気に羽佐間アナウンサーが
ゼッケン番号を確認し、「あっ。あのリスモンですよ。リスモンが
帰ってきました」一瞬だったか懐かしい名前にびっくりさせれたのを
覚えている。たしかロスは24位。
少し前傾気味に走るファームが懐かしかった。
ショーターほど日本で知名度はなかったが、モントリオールの後、
びわこ毎日で優勝。2時間14分08秒だった。

382 :アスリート名無しさん:04/02/18 09:09 ID:Np/a+7yE
>>381

キャステラもオリンピック4回出場しているね。
そういえばキャステラとイカンガーっていつもオリンピックで
同じような順位でゴールしてるよね。


383 :アスリート名無しさん:04/02/18 09:27 ID:eUCF0aVR
ジュマ・イカンガーとアベベ・メコネンは同時代に活躍した名ランナーだが、何度も対戦したその全結果をわかる人います?

384 :アスリート名無しさん:04/02/18 09:51 ID:M/3c0f6P
>>382
ロバート・ド・キャステラと言えば1981年の福岡国際で伊藤国光との競り合いを征し、
2時間8分18秒で優勝した。
伊藤はキャステラに良くついていったが、後半転倒し力及ばなかったが自身初の9分台じゃなかったっけ?。
伊藤はレース後半になると神楽を舞うが如く頭を回す仕草をしていたが、
やはりあの動きでは平衡感覚を失いやすく転倒してしまうのだろうと思った。
当時はアルベルト・サラザールのニューヨークでの記録(2:08:13)が世界最高記録だったが、後に距離不足が判明し、
キャステラの福岡での記録が世界最高になったんじゃなかったっけ?
キャステラは1983年の第1回世界選手権のマラソン王者。
当然、翌84年のロス五輪でも瀬古とならんで優勝候補の1人だったが、5位とメダルにあと少し。
五輪は80年モスクワ10位、84年ロス5位、88年ソウル8位、92年バルセロナ?位と確実に12年以上に渡って
世界のトップレベルにいた訳だから凄いね。

385 :アスリート名無しさん:04/02/18 10:01 ID:Np/a+7yE
たしかキャステラはバルセロナの時は20番台だったような。
それまでは日本選手にとって憎きライバルだったんだけど
だいぶ頭のてっぺんが禿げてきていて必至に動かない足を
前にだしながらラスト100を走ってるのを見て応援したよ。
なんか「ご苦労様でした」という感情がわいたなぁ。

キャステラも本当に強かったのは81−83年。
86年のボストンで2時間7分51秒を出したのが
強いキャステラをみた最後だったように思うな。

386 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/18 10:30 ID:M/3c0f6P
>>385
1987年のボストンマラソンで瀬古が優勝した時のレースにはキャステラも出ていたんだよね。
しかし、残念ならがスタート時に転倒してしまい、その後先頭集団まで追いつくも、瀬古がスパートを書ける前に脱落してしまった。
連覇がかかっていただけに、本人も悔しかっただろうなと思う。

387 :アスリート名無しさん:04/02/18 14:05 ID:q824qtLI
>>384

この時の伊藤国光の記録は2時間9分37秒。83年まで伊藤のベストタイムは
宗猛よりも良いものだった。
瀬古、宗兄弟の全盛時期とかぶる伊藤は悲運が付きまとった。
80年の福岡国際はモスクワ五輪最終選考会、瀬古、宗兄弟につづき日本人4位。
そして4年後、83年の福岡国際は五輪切符を掴みかけたがやはり宗兄弟の
後塵を拝し日本人4位。この時の2時間9分35秒は自己記録を2秒最新する
ものだった。
いつも瀬古、宗兄弟と競うため、また有力外人と競る為、一流でありながら
マラソン優勝回数がゼロというものであった。

ほしかったのは86年の北京国際マラソン。14分台で30キロまで押し、
イカンガー、シャハンガーのタンザニア勢と互角の勝負を展開。
40キロ過ぎ、イカンガーとの勝負にもつれ込み国際マラソン初優勝と
思った矢先、後れをとっていた児玉に捲くられ、結局2位。しかしこのとき
のタイムが2時間7分57秒と同年代の瀬古、宗兄弟を上回るもので
一気に憂さを晴らした印象があった。
最後の正直、87年の福岡国際マラソン、ソウル五輪選考会は中山のハイペースで
リズムに乗れず17位と惨敗。引退レースは89年のボストンマラソンの
10位だった。(ちなみにこのレースは同郷の後輩、中山が優勝候補に
挙がっていたが足の故障で足を引き摺りながら走り途中棄権)
いぶし銀のごとく80年代の日本マラソン界をリードする一人だった。

388 :アスリート名無しさん:04/02/18 14:11 ID:5cvUTG/f
このスレ初めて見たが、こんなレベルの高いスレって初めてじゃねえか?
皆、すごい記憶力だな。

389 :アスリート名無しさん:04/02/18 14:17 ID:Rgjd4NzQ
>>387
そのボストンの中山
記録上は途中棄権となっているが、
ちゃんとゴールまでたどり着いている。

390 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/18 16:55 ID:KhcGHWs0
>>387
伊藤国光はカネボウの地元で行われる防府読売マラソンに出場せずに、いつも強豪が集う
福岡国際で頑張っていたよな。
伊藤は調子が良かろうが、悪かろうが、必ずレース前のインタヴューでは「絶好調ですよ」って強気な発言をしていた印象がある。
後にカネボウの監督になってからも全日本実業団駅伝の前には必ず「もちろん優勝を狙ってますよ」って強気な発言は相変わらずだった。
そう言えば昨日のニュースでカネボウの経営に関するニュースがあったけど、陸上部は大丈夫かな?


391 :アスリート名無しさん:04/02/18 17:01 ID:52XLGw0S
本当にここのスレみんなレベル高すぎ。
漏れみたいなマラソン・長距離好きだけどかたことの知識しかない
香具師にはageにくいスレだね。
もうちょっと、皆さん手加減してください。

392 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/18 17:10 ID:KhcGHWs0
>>391
自分が日本マラソン史上最強だと思う選手の名前を挙げればいい訳だから…。
遠慮するなよ!

393 :アスリート名無しさん:04/02/18 17:18 ID:lLjKQZuT
>>387 伊藤国光がこけたのは前年の80年。それでも30kmから14分台のハイペース
で引っ張り瀬古と宗猛の初の9分台のお膳立てをした。国光は3位(2.10.05)。
国光で惜しかったのは1982年のゴールデングランプリ。アテネオリンピックの
コースを一流選手が招待されて走った中、日本代表が国光だった。途中までは
(たしか)ゴメスと競っていたが丘で首振りが激しくなりみるみる脱落。結局
9位。

394 :アスリート名無しさん:04/02/18 18:08 ID:8UpGvIz9
えと…
そろそろ俺って考えがあってもいいんじゃねえか?
俺はっえ〜ぞ〜

395 :アスリート名無しさん:04/02/18 18:13 ID:C1ukFo+k
18の若造ですが、茂と猛はどっちが強かったんですか?

396 :アスリート名無しさん:04/02/18 18:18 ID:kujGbsZO
>>384 福岡の伊藤とキャステラの死闘は伊藤が首を振っているのを見てスパートしたんじゃなかったかな
その地点が名島橋だったかな。それで名島橋という橋をおぼえた。当時の福岡のコースは海の中道にもいったりして風の影響とかもあったり厳しいコース。
本当の実力者でなければ優勝争いもできなかったね。
でも伊藤ほどの安定した実力者が優勝0というのも語り草となっているね。     

397 :アスリート名無しさん:04/02/18 18:24 ID:UnKh4kUR
タイム的にも安定度でも猛>茂だと思う。
猛は8分台1回(83年東京)、9分台2回(80年83年福岡)出してるが、
茂は9分台2回だけ(78年別大、83年福岡)。
兄弟揃って出たレースの対戦成績では茂がやや勝っているものの、茂は負けるときは猛に大負けしている。
走り方からいってもピッチ走法の猛の方がマラソン向きだった。


398 :アスリート名無しさん:04/02/18 20:23 ID:8UpGvIz9
だからぁ
俺じゃないのかな?史上最強ってなるとさ
違うか?俺マジではやいぜぁ〜
ビビるべ、おまいら

399 :アスリート名無しさん:04/02/18 22:08 ID:z8VxsvNR
キャステラといえば
第一回世界選手権のマラソンで逃げるエチオピアのバルチャをキャステラが
激しく追走するシーンが印象に残っている。
はらはらどきどきしながら見ていたところ、CMになり、CMが終わったのは
キャステラが大きくバルチャを引き離した後だった。
「なんじゃこらー」と怒髪天をついたのを今でも覚えているよ。


400 :アスリート名無しさん:04/02/18 22:52 ID:xytUd92v
>>381 リスモンとは渋いな。ミュンヘンのときはヨーロッパチャンピオンとして
地元のフィリップスと共に伏兵扱いだった(ショーターやムーアよりやや下の
下馬評だったと思う)が銀。翌年11.13の当時としては歴代10傑に入るか入らな
いかの好記録を出した。因みにその年の1位はクレイトンで11.08位だったと思う。
ファーリントンもリスモンと同じくらいで走っていた。あの頃は11分台で走れば
驚いた。

幼稚園のときに見た筈だが覚えていなくて悔しいのが67年の第2回国際マラソン。
言わずとしれた人類初のサブテンレース。クレイトンが20キロを1時間を切る
猛烈なペースで独走していたが2位で15分を切るペースで追走したのが佐々木精
一郎。ついに30キロ(1.30.32)で追いついたが、武運つたなく腹痛を起こし万事
休す。ゴールはクレイトンが2.09.36.4, 佐々木が2.11.17.0のともに重松の
世界記録2.12.00を大幅に上回る大レース。兄がよく佐々木の腹痛を真似して
いたので一緒に見た筈だが覚えていない。佐々木は翌68年の別府でも13分台の
好記録(大会新)で優勝、メキシコで期待されたが途中棄権。確か当時はすごく
若かった(22−23歳)筈だが、その一瞬以外は活躍しなかった。

>>396 そう名島橋。全然勾配はないんだけど、勾配があるように映していた。


401 :アスリート名無しさん:04/02/18 23:17 ID:xytUd92v
400です。

ついでに雨のドレイトンというカナダ選手も忘れられない。69年の第4回国際マラ
ソンを全くの伏兵ながら歴代4位あたりの(当時としては)好記録2.11.12.8で
優勝。またその後、聞かないと思ったら75年の第10回でも2.10.08.4の好記録
(歴代5位?)で優勝。何れも小雨模様の中の快走だったので雨男と言われた。
ちょび髭も格好良く地元カナダでの人気は相当なもの。たまたまモントリオール
オリンピックはアメリカにいてABCの中継を見ていたのだが、ドレイトンばっかり
映していた。小雨の中、ドレイトンが有利かと思われたが中盤から遅れ6位に終わっ
たが、それでも独走するチェルピンスキーとドレイトンを並べて映していた。
日本選手は放送終了間際に宗茂が入場してきただけでまるで移らずがっかりしたの
を覚えている。前年のプレオリンピックでは猛暑の中の耐久レースで水上が優勝した
が涼しい気候では歯が立たず、宗に続いて21位でゴール。宇佐美は36位だったかな。

402 :アスリート名無しさん:04/02/18 23:31 ID:nfEaj+9o
>>397
オリンピックに関しては 運が強かったのが茂>猛だった。
若い時のモントリオール五輪で明暗を分けたが、
茂が78年の別大マラソンで2時間9分5秒6(当時世界歴代2位)
を出すまでは兄弟揃って安定感を欠いていたが猛の方が
好成績を残すことがあった。
猛はモントリオールの前年、75年の福岡国際マラソンで
日本人トップの6位、2時間12分52秒。
この時、福岡が五輪選考会だったら間違いなく猛の方が
モントリオール五輪に出場していた。
東京五輪からモントリオールまでは毎日マラソンが
最終選考会になっていてた。(当時は4月開催)
この毎日で猛は大惨敗(20位)、変わりに茂が3位に
食い込み代表権を獲得している。
「実績は猛が作って、オレで出ちゃったもの」って
宗茂が語ってる。だからモスクワ代表に兄弟で選ばれた時は
福岡のゴール後、2人で凄い喜んでいたのが印象に残っているなぁ。

403 :アスリート名無しさん:04/02/18 23:49 ID:BXrOT5Xu
>>400
67年福岡の佐々木精一郎は確実に日本マラソン史上に残る快走だった。
しかし78年別大も忘れちゃいけないレースだ。
宗兄弟、伊藤国光、鎌田の4人で25Kまで14分台のラップを連発して
後半は茂が向かい風を突いて独走。世界歴代2位、日本人初のサブ10
だった。
このレースのあと日本マラソン界は大いに盛り上がって黄金時代を築いた。
今の選手たちにも是非見習ってほしいレースだった。

404 :402:04/02/18 23:53 ID:nfEaj+9o
でも実際、「ここぞ」というところの強さは茂の方があった。
特に集団から遅れてても粘りに粘って追いつき、逆にスパートを掛けたり
していた。また78年の別大から83年、猛が東京国際で2位(2時間
8分55秒)出すまでは瀬古>宗茂>宗猛の評価が一般的だった。

茂の方がストライド走法だった為、選手寿命が早かった感じ。
その点、猛は安定感のあるピッチ走法で茂が一線を退いてからも、
40歳近くまでレースで走りながら選手を指導していた。

89年の別大マラソン〜 カネボウの清水悟が優勝したレースに
引退後の宗茂が出場。前半から中盤に自ら引っ張って
「若手に喝」をいれてたのが印象的。あの時は応援したな。
結局、5位だったがレースを盛り上げてくれた。

405 :アスリート名無しさん:04/02/19 00:08 ID:X5k3rrpt
昔は別大も日本の三大マラソンの一角をしめていたんだよな。
最近は大物の参加も少なく寂しい。
別大は勝負度外視の記録を狙うレースも展開してみたら面白い。       

406 :アスリート名無しさん:04/02/19 00:31 ID:nFqlT6K4
どなたか、87年の東京国際マラソンで中山選手がコースを
間違えた件を詳しく語れる方いますか。

たしか谷口選手インタビュー奥さんの名前を叫んだと聞いてますが。

407 :アスリート名無しさん:04/02/19 00:34 ID:A0jNcm4M
>>405
それなら、大阪国際男子マラソンにしたほうが
イイ記録が出ると想うが。

408 :アスリート名無しさん:04/02/19 00:38 ID:a+H+8n9I
>>403 忘れる訳もない。これも大レース。ただテレビは見ていない。放送もなかった
かもしれない。その日は部活の試合をして帰ったら、大記録の報に驚いた。76年位か
ら一線の選手が全て集まってニュージーランドで合宿していたのでその成果が出たの
だろう。例えば76年の合宿の最終日では宗兄弟が揃って2.13.18くらいでフルマラソ
ンの距離を走った。当時の茂の自己記録より上だったし、別大までその記録を上回れ
なかった。そういう練習では走れても本番で成果がでない苦しい時期を越えての大記録
には本当に感動した。何せ2月前の福岡ではブービーだったからね。

瀬古のデビューレースが宇佐美の引退レースと一緒だったのは覚えているか?当時、
NHKで宇佐美のドキュメンタリーをやった。77年の京都マラソン。優勝は覚えていない
が(ケビン=ライアン?)、中盤トップの選手を追って飛び出したのが大1の瀬古。
しかし途中で失速し、宇佐美に抜かれ10位でゴール(2.26.00)。宇佐美は3位だっ
た。宇佐美と言えばもう一つ忘れられないのは74年の毎日。ミュンヘンで失敗(13位)
してから走っていなかったが、復活をかけて新走法をひっさげて登場。何でも前傾して
足が自然に出るフォームという宣伝だった。途中まで(糞した)ショーターの大会記録
を破る勢いだったが終盤豪雨で前が見えなくなってタイムロス。しかし13分台のまずまず
の好記録でゴールし復活を印象づけた。翌年も毎日は好記録で優勝。76年のオリンピック
選考会も優勝して不思議と毎日は強かった。その一方で福岡は74,75年とも振るわず、
モントリオールも惨敗とよく分からない選手でもあった。

ついでに言うと箱根男の服部誠も初マラソンで2位(74別府)、75福岡8位(日本人2位)
と活躍し、宗兄弟と同じ年齢から将来を期待したが76年の毎日に破れるとあっさり引退。
ニュージーランドでは宗兄弟の練習についていけなかったようだった。そこでは伊藤の
将来性も買われていた。初マラソンの76年毎日は駄目だったがその後の活躍はご承知の
通り。といっても20で熊日で日本新を作ってからマラソンで活躍出来るまで5年近い年月
を要した。


409 :アスリート名無しさん:04/02/19 00:42 ID:mVm0+QTp
ヒゲの鎌田懐かしい!
彼は10000mでオリンピックに出てるんだっけか?

410 :アスリート名無しさん:04/02/19 00:44 ID:8rruWAdE
>>406
「ケイコー」って叫んだやつか?
あのレース中山はスタートから落ち着きがなかったな
レースのペースはハイペースにもかかわらず、前にいったり後ろに行ったりで
挙句の果てには、給水で殻になったコップを後ろにポーンと放り投げたりしてた
その紙コップをサラが踏んで転倒してリタイヤしたような…
中山がコースを間違えた時は、谷口がスパートしてかなり距離がついてからなので
もうへろへろだったんだろう


411 :アスリート名無しさん:04/02/19 00:45 ID:a+H+8n9I
>>409 モントリオール代表。但し予選落ち。77年に世界記録が出た大レースで
18秒遅れでゴール。それが日本史上初めての27分台(27.48.6)だった。

412 :アスリート名無しさん:04/02/19 00:51 ID:NgVTixU5
>>402
ロス五輪では猛は4位、茂は17位なんだけどね。
83年あたりからは明白に猛>茂だったと思う。
茂はスプリント力が猛より上だったので、最後までもつれた時は猛に先着してたが。
>>406
40キロあたりで、コース誘導の車につられて脇道に入りかけたんだね。
あの時の中山はアキレス腱痛めていて絶不調だったらしくて、
集団の中を出たり入ったりして最初から挙動不審だったけど。
>たしか谷口選手インタビュー奥さんの名前を叫んだと聞いてますが。
ちょうど子供を産んだばかりの奥さんの名前を叫んでた。
「ケイコ頑張ったぞー」って。



413 :アスリート名無しさん:04/02/19 00:53 ID:mVm0+QTp
>>411 サンキュー
鎌田は10000mでしか結果を残せなかったね。
ついでに浦田(本田技研?)もそんな感じだったか。
俺はそんな選手が好き。

414 :アスリート名無しさん:04/02/19 00:54 ID:NgVTixU5
>>408
別大が全国ネットでテレビ放映されるようになったのは、
確かその翌年からだったと思うが。

415 :アスリート名無しさん:04/02/19 00:57 ID:NgVTixU5
ヒゲの鎌田って今でも(ry

416 :アスリート名無しさん:04/02/19 01:43 ID:2hUjC3Yv
ちょっと前に活躍したよね!

417 : :04/02/19 01:55 ID:0eqf7EhY
>>384
やっぱキャステラは、凄い選手だったんですね。
さすが自らを「ナンバーワンマラソンランナー」と言い切るだけの
ことはある。(過去ログにあった)

でも、やっぱナンバーワンは言い過ぎだろ(笑)?!

418 :アスリート名無しさん:04/02/19 02:59 ID:AZlcUFeJ
有森に決まってんだろ
オリンピックで結果出した人が強いんだよ


419 :アスリート名無しさん:04/02/19 08:22 ID:HiRW2Wpi
そういえば、60年代からオーストラリアと日本のランナーでのオリンピックの
活躍は似たようなものがあったな。
不世出の名ランナーのロン・クラークは歴代のトラック最強ランナーにノミネート
されるだけの強さを発揮していが、オリンピックは東京の10000m銅
しかない。メキシコの前にとんでもない世界記録27分39秒をだして
メキシコでバリバリの優勝候補。しかし酸素が薄いなどで惨敗。
東京五輪ではマラソンにも挑戦する執念をみせ、折り返しまで先頭を
引っ張ったが後半失速、同じく不調の君原に競技場前で抜かれ9位だった。

その後はデレク・クレイトン。当時2時間9分、8分と人類初の記録を
打ち立てた大型ランナー。今で言うとラドクリフの記録と同じくらい
強烈にずば抜けたタイムを持っていたが、五輪はメキシコ7位、ミュンヘン
13位と入賞さえしていない。
この後、モントリオールのころデビット・チェトルもメダルは取れず、
80年代、90年代とロバート・ド・キャステラ、ステーブ・モネゲッティ
という2人の大黒柱を要しながらメダルも取れていない。
いつもオリンピック前には日本勢の上の評価をもっていたオーストラリア
勢もなかなかオリンピックは鬼門のようだった。

420 :アスリート名無しさん:04/02/19 08:33 ID:HiRW2Wpi
>>314
あの時の86年東京国際マラソンの関心事は「ロペス来日」だった。
84年のロス五輪に優勝、翌年のロッテルダムで初の7分代(7分12秒)
で走り、この84−85年時は間違いなく世界最強ランナーだった
ロペスの参加がすごく注目を浴びた。
しかし来日したロペスは明らかにオーバーウエイトで調整不足は明らか。
早々の収容者に乗り込み棄権した。
たしかこれがロペスの現役最後のレースだったと思う。一時期、スポーツ
新聞に現役復帰の記事が出て、たしかソウル五輪に一応、エントリーまで
したと思うけど走れる状態ではなかったのを覚えている。


421 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/19 08:47 ID:qBdqRcUE
昨夜、17年振りに1987年のボストンマラソンのビデオを見た。
瀬古が、ジョーンズ(英)、キャステラ(豪)、イカンガー(TAN)、スミス(英)といった
当時の世界トップレベルの連中を抑えて優勝したレースだ。
テレビ東京の生中継をビデオに取っていたやつだったが、
濃霧のために中継車の電波を拾うヘリが飛ばず、
先頭の映像が画面に映し出されるのがスタートして実に1時間50分後という
当時見ていてとてもヤキモキしたレースのビデオ。
途中、32キロの心臓破りの丘の固定カメラがスパート直後の瀬古をとらえていたが、
前に見ている映像なのに、鳥肌が立つほど感動したね。
白に赤襷ライン、胸に日の丸がついた日本代表ユニフォームに赤いシューズの瀬古の走りは滑らかで、力強かった。
沿道のもの凄い熱狂的な大観衆の声援を受け、ゴールに飛び込む時には涙が出たね。
やっぱり俺にとっては、瀬古が日本マラソン史上最強のランナーだと再認識したよ。
ちなみにこのレースは、2位がジョーンズ、3位スミス。
今は亡き谷口伴之が5位と健闘。
自社ユニフォームを来たベテラン喜多が9位。
中間点までは日大の学生、武田?も果敢についていた。


422 :アスリート名無しさん:04/02/19 09:41 ID:HwyJf9k4
>>414 そういえば79年の別大をテレビで(最後だけ)見た。喜多と武富が
並んで最後の直線に入ったが、喜多が肘を出してスパートした分0.3秒先行
してゴール(2.13.29.1)した。翌年は武富がちょっとだけいいタイムで2位
以下に大差をつけていた。

喜多秀樹は伊藤以上に悲運のランナーかもしれない。福岡大学時代から知る
人ぞ知る選手だったが関東の大学でないため一般の知名度はなく、全日本
大学駅伝で大久保に大差をつけてうっぷん晴らしをしていた。75年には10000
で沢木の公認の記録を上回る記録を出したが同年に高尾がもっといい記録を
出していたために記録変遷リストには載らず。翌年は高尾が不調だったのに
急に復活、成長した鎌田に完敗してオリンピックには出られず。78年の福岡で
は日本歴代4位の好記録で2位に食い込むも優勝した瀬古の陰で目立たず。
79年は別大は制したもののスパルタキアードは振るわず、福岡は惨敗。翌年
モスクワの最終選考会の10000で快勝して溜飲をさげるもののオリンピック
不参加。僅かに脚光を浴びたのは81年の第1回東京(読売)マラソンのトラッ
ク勝負でネディをつきはなして優勝したことか。83年の福岡では敗れたもの
の78年の自己記録を5年振りに更新できてさばさばした顔をしていた。

423 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/19 10:15 ID:qBdqRcUE
>>422
1979年の別大、喜多と武富の神戸製鋼勢のラストは、とても印象に残っている。
私見では、喜多のゴール前での斜行は、競馬だったらまず失格になってもおかしくない走りだったと思う。
その印象もあってか俺は喜多という選手があまり好きではなかった。
しかし、喜多は宗猛と並んで競技としてのピークを越えた後も走り続け、
そのひたむきな姿を見ていつしか好きなマラソン選手の一人になっていた。



424 :アスリート名無しさん:04/02/19 11:50 ID:QLni+bUy
>>422
武富豊(現 天満屋女子陸上部監督)は瀬古、宗兄弟、伊藤、喜多の次
くらいにランクされていた中堅ランナーだったよね。別大で好走してた
のが印象的。ベストが2時間11分27秒。

喜多は伊藤国光に比べてマラソンの終盤に勝負強さを発揮していた。
別大や東京国際もラスト勝負で快勝。
84年の北京国際マラソンはこの2人が出場。工人体育場に2人が
トップで入ってきた。勝負はラスト100mになったがトラックでの
実績とラストのキレで上回る喜多が伊藤を突き放し優勝。
2時間12分4秒。ここでも伊藤は勝つ事が出来なかった。
喜多の優勝パターンは全部ラスト勝負を制したもの。
しかしスピード型選手に典型的な脆さももっていて、全盛期なのに
ボルトンマラソンを600番台でゴールしていることもある。
自己ベストは2時間10分30秒。このタイムはフランク・ショーター
の自己ベストと一緒である。

425 :アスリート名無しさん:04/02/19 12:37 ID:Oxw5iHn3
>>424

おお、こんなスレがあったか!
そうだね。伊藤国光、勝てなかったよな。
伊藤で思い出すのは85年の福岡国際マラソンかな。久しぶりに伊藤が積極的に
スタートから飛び出した。追ったのはエチオピアのバルチャ。
20キロを1時間前後で通過。伊藤の勝負に対する執念を感じた。
後半、新宅、谷口が出てくるが、普通はここでガクッとくるところを
2人に間隔を広げられないように粘った。
新宅はこの時2度目のマラソン。春の東京国際で初マラソン日本最高記録
をだしていて、さらにトラックの実績からこの大会の目玉でもあった。
がんばったのは谷口浩美。谷口も春の別大を初マラソン初優勝して
福岡に乗り込んできた。35キロ過ぎは谷口がじわじわと新宅の差を
つめて、日体大の先輩、後輩の戦いになった。結局新宅が何とか粘りきり
2時間9分51秒で初優勝。谷口が大幅自己記録最新で2時間10分1秒。
そしてベテランの伊藤ががんばり2時間11分19秒で3位まで日本人が
独占した。
(先日の福岡国際でアナが国近、諏訪、高岡の日本人独占は79年の瀬古、
宗兄弟以来とか言ってたが、この時以来だよ。)


新宅についてあまり語られてないが、
新宅も自己ベストがこれで終ってしまったが、5千13`24``1万のベストが
27`44``だったんだから潜在能力出し切れないで終った感じだ。
87年の福岡で2位、2時間10分34秒でソウル五輪切符を手にいれた
レースとこのレースくらいしか良い成績を収めていないな。


426 :アスリート名無しさん:04/02/19 13:11 ID:HwyJf9k4
新宅は高校時代は1500障害の選手で5000も(当時)歴代4位の記録を出して
国体に勝ったりしたけど、その後も3000障害の選手として活躍した。ラスト
のキックは非常に効く選手で瀬古に勝ったりもしていた。一方で、4年の時
の箱根駅伝(2区)では瀬古に2分半差をつけられ無名の筑波の高野にも区
間記録が及ばなかった。そういうことを考えると元々距離の適性がなかった
と思う。

もっとはっきりしていたのは中村孝生。新宅の同期でインターハイの5000の
2連覇、1500優勝と高校記録をひっさげて大学に入って、大学2年では既に
1500で歴代2位の記録を出して石井隆士の後継者になるかと思った。しかし
5000,10000ではラストは強いもののスタミナ切れが目立った。SBで中村監督
に感化されたのかマラソンを走ったが12分台でしか走れなかったと思う。
あきらかに長距離の適性を欠いていた。(因みに石井隆士もロスの前に中村
に入門し5000に転向して再起を狙ったが駄目だった。中村の指導法は瀬古には
合っていたのかも知れないが他の選手にはどうなんだろう。中村孝生の高校
記録を破った中電監督の坂口ほどの選手でも味噌っかす扱いだったらしいし)。


427 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/19 13:44 ID:Oy6AY3FP
>>426
新宅は幻のモスクワ五輪三千障害、ロス五輪一万b、ソウル五輪マラソンと、
異種目で三度の五輪代表になった選手。
長距離選手としては日本を代表する選手であるが、マラソンに取り組んだのが年齢的に遅かったために、
レース数が少なく、史上最高と呼ぶにはいささか物足りない印象がある。

これに対し、瀬古や宗兄弟は20歳頃からマラソンを始めている。
マラソンに取り組む年齢が早いのがいいか遅いのがいいか俺には分からないが、
最近、特に関東の学生は箱根駅伝が最大目標になってしまい、
在学中(特に四年で迎える箱根以前)にマラソンに挑戦することが激減しているように思える。
瀬古は福岡を走って、更に箱根も走っていたわけだから、大したものだ。

428 :アスリート名無しさん:04/02/19 14:20 ID:7TXkuWon
瀬古は79年、ボストンでビル・ロジャースに負けたとき(2位)の
タイムが2時間10分12秒。前年の福岡国際で初優勝した時の
タイム(2時間10分21秒)を最新。これが日本学生記録として
ずーっと君臨した。ようやく駒大の藤田がびわ湖で塗り替えたが
(今は更新されたが)当時の瀬古は箱根駅伝は福岡の後もあったが
あくまで「調整」として走っていた。ユニバーシアードなどは瀬古と
しては格下の大会と思えるくらいのレベルの選手だった。

瀬古はあまり行われないとはいえ25000m、30000mの
世界記録保持者でもある。20000mあたりを57分台で走っていた
からマラソンは勝負、20000mくらいから30000mまでの
距離が「記録を作る」には強かったように思う。



429 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/19 15:05 ID:Oy6AY3FP
瀬古のマラソン戦績の中であまり知られていない大会にミルトンケーネス(英)がある。
これは1978年に日本長距離陣が欧州遠征を行った際に出場した大会で、
優勝が宗猛と喜多で2時間20分20秒の同タイム。
三位が伊藤で、宗茂が四位だったそうだ。
この時瀬古は2時間53分17秒で69位。
日本国内の瀬古に関する本には、不思議とこの記録ってあまり記載されていないんだよね。
宗兄弟の本にはしっかり載っているが・・・。
瀬古の意識としては練習の一環として出場した大会だからかな?
以前、このスレにボストンでの中山のことが載っていたけど、
あれは中山自身は棄権したつもりだったけど、
収容される手段が無かったから結局ゴールまでジョッグしたから完走記録が残ったんだよな。
ボストンは片道コースであることに加え、市民ランナーが10,000人以上走っているから、
途中棄権するのも大変だ。
まあ、瀬古がフルマラソン100回完走を目指すような市民ランナーだったら、
戦績から外されることなど無かったんだろうが…。
しかし、ミルトンケーネスの成績がどうであれ、瀬古が偉大な選手であったことには間違いは無い。

430 :アスリート名無しさん:04/02/19 15:34 ID:mlc9RzNR
>>429
「ミルトン・ケインズ」(Milton keynes)の呼称のほうが一般的かと。
英国選手権大会だったか?
たしか、このレースで瀬古は記録を残さないように
ゴール直前でコースを外れたはずなんだが、記録は計測されてしまった。
で、一般的にはマラソン戦績は15レースになっている。

川島伸次にも同様に隠れた記録がある。

431 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/19 16:01 ID:Oy6AY3FP
>>430
川島伸次の話は知らないので、教えて!

432 :430:04/02/19 16:31 ID:mlc9RzNR
>>431
以前さいたまマラソンという大会があった。
関東の実業団選手も多数出ていた大会とはいえ
別大と同じ日に行われていたためマイナーだが・・・。
場所はこの間大学女子駅伝が行われた上尾の競技場。
そこでの20分台?の記録があるが、普通は記録一覧から外されている。
川島は出身県のゲストとしての感覚で走ったのだが、
記録が残ってしまい、その他の事情もあって、
当時は記録を残す残さないでもめていた。

ちなみにその大会は中山も走っている。


433 :アスリート名無しさん:04/02/19 17:52 ID:X5k3rrpt
>>429 >>432 そのときの中山の公式記録について教えて  

434 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/19 17:53 ID:Oy6AY3FP
>>432
情報ありがとうございました。
これでまた一つ別のところで詳しいふりができます。

435 :アスリート名無しさん:04/02/19 17:56 ID:HwyJf9k4
瀬古にはつまらない失敗が幾つかある。例えば高2の高校駅伝では1区で区間賞を
取ったが高3では世羅の小山等に負けている。区間4位あたりだったと思う。
(因みに高2のときは誘導員のミスでトラックを1周少なく走り、9.6kmの参考記録になっている)
高校時代は800,1500,5000のいずれも強かったが5000は歴代4位(14.33.0)でしか
なかった。1500の高校記録3.53.0も今の高校記録から考えるとたいしたことは
ない。(5000の当時の歴代3傑は宮下敏夫14.18.6=(現木内富士通監督)
、14.24.6の鎌田、14.29.の佐藤市雄だった)。

瀬古2世が現れてもいい頃なんだが。


436 :アスリート名無しさん:04/02/19 17:57 ID:HwyJf9k4
早稲田の受験に失敗して南カルフォルニア大学に短期留学したのもそう。
普通に考えるとIH2年連続2冠、国体も2年連続2冠、1500の高校記録保持者
が(スポーツ)受験で落ちる筈がないのだが、よほど試験のできが悪かった
のだろう。同期で早稲田に受かった大山雅人(走り幅跳び)と木川泰弘(
棒高跳び、高校生でアジア大会優勝。高校記録保持者)と一緒に留学したが
成果はなく、「瀬古の海」と呼ばれるくらい太って戻ってきた。しかしこの
留学の際のお金はどうしたのか、当時あまり長距離が強くないアメリカに
行ってどうするつもりだったのか?そもそも大山や木川は大学の授業はどうし
たのか、等謎は多い。帰国後早稲田に合格して1年で復活。それどころか
いくらレベルがそれほど高くないとはいえ、インカレの5000,10000の両種目
を制覇。中距離選手という自覚があった瀬古が長距離で大学選手を負かした
のは単に瀬古が非凡なだけなのか?大1の箱根は山本吉光(東農大)に
負けて区間賞を逃す。また大2のときも成田(法大、現在法政監督)に
負けて区間賞が取れなかった。大2のときはちょっと前に福岡で日本人1位
の5位(ゼッケンは81だったかな)になっていたし、いい走りをしたのだが
成田がそれを上回った。


437 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/19 18:00 ID:Oy6AY3FP
>>433
タイムまでは分からないのでこれから調べに行ってきます。


438 :アスリート名無しさん:04/02/19 18:41 ID:EDHiybK7
>>436
瀬古に関しては浪人→米留学→早稲田入学ってのがどういう経緯だったのかが
漏れには謎だ。箱根の解説者紹介でも(2年以降は福岡との兼ね合いもあったのだろうが)
1年の時はどうってことないですね(436さんの言う瀬古の海から絞れてなかったのだろうか?)。
http://www.ntv.co.jp/hakone80/announcer/seko.html
・53回2区(区間11位)総合13位
・54回2区(区間2位)総合6位
・55回2区(区間賞・区間新)総合4位
・56回2区(区間賞・区間新)総合3位

439 :アスリート名無しさん:04/02/19 18:48 ID:9LeHuV/b
>>426
80年代のSBはとてつもないレベルだったな。
坂口の話だが、SBの練習や生活の基準は瀬古だったらしい。
目標でなく基準だ。瀬古は当時世界1のランナーだったが。
最強といえば、ダグラス・ワキウリだろうな。
ローマ世界陸上金、ソウル五輪銀、ロンドン、英連邦、ニューヨーク優勝など、80年代後半に日本人ランナーを上回る成績
を上げた日本マラソン界出身のケニア人ランナーだ。

故・中村清SB監督門下の瀬古の同門だった。入門時中村監督が言った言葉は有名だ。
「あまり教えたくない。教えたら将来日本マラソンの強敵になるのは判っているから。」
実際は瀬古と同等に指導したわけだが、実に慧眼だった。

彼の活躍がなかったらケニア勢のマラソン進出はもう少し後になっていただろう。

ローマ世界陸上でゴールした直後、ワキウリが日本語で言った言葉に世界が驚愕した。
「すべて中村先生のおかげです。」
「彼は日本人なのか!」

440 :アスリート名無しさん:04/02/19 19:24 ID:pNdLzZV9
>>436 >>438
瀬古は当初、本当は早稲田でなく中央に進学したかったらしいよ。
それを早稲田が強引に本人を説得して早稲田受験させたんだ。

そこまでして受験落としたので早稲田は瀬古に対して負い目があった。
そこで早稲田の関係者が目をつけたのが海外留学制度だった。
すでに大山と木川の2人だけ派遣するのが決定していたところ
陸連と掛け合って無理やり瀬古を押し込んだんだ。
ちなみに留学はすべて自費参加だった(瀬古の家っておカネ持ちだったんだね)。


441 :アスリート名無しさん:04/02/19 19:53 ID:EDHiybK7
>>440 レスありがとうです。
>瀬古は当初、本当は早稲田でなく中央に進学したかったらしいよ。
ふむふむ、早稲田弱かったみたいだしね、当時。
>それを早稲田が強引に本人を説得して早稲田受験させたんだ。
ならなんで落としたのか?(しかも一年後には入学出来てるし)という疑問もわきますね(w

話しかわってひとレースだけで言うと福岡で当時の日本最高をたたき出した藤田は久々に
「つぇぇ〜」と思わせてくれました。世界陸上で故障抱えて完走したのが尾をひいてるのか(´・ω・`)

442 :アスリート名無しさん:04/02/19 20:03 ID:9LeHuV/b
強いとか速いではないが、日本マラソンに光明を灯した点で78年別大の宗茂は日本マラソン史上もっとも偉大
なランナーの一人であることは間違いない。
ペースメーカなんて概念もない時代に宗兄弟、伊藤国光、鎌田の4人で35Kまで現代高速都市マラソン並のペース
で飛ばした。後半は失速したが世界歴代2位、日本人初のサブ10で茂が優勝。

このとき茂は給水のノウハウも知らず、もちろんスペシャルドリンクなんてものもなかった。
結局このレースでは一度も給水しなかった。今の給水ノウハウがあったら7分台の記録は間違いなかっただろう。。

ショーターがコーラの炭酸抜きをスペシャルにしていると聞いて真似してみたが、炭酸が残っていてゲップをしながら
走ったなんてこともあったらしい。そんな手探りマラソンの時代だ。

当時はモントリオールでの惨敗や福岡国際のウインブルドン化現象ですっかり日本マラソンは自信を失いかけていた。
今以上だったかもしれない。

しかしあのレースでの快記録により、茂にできるなら俺だってというランナーが続出し、見違えるように
サブ10が連発するようになった。まさに日本マラソン黄金時代の幕開けとなる衝撃的かつ歴史的レースだった。

わずか二年後のモスクワ大会直前では五輪でメダルを取るより日本代表になる方が難しいといわれ、代表決定後
はメダル独占を堂々と宣言していた。全くほんの3,4年前が信じられなかった。

443 :アスリート名無しさん:04/02/19 20:07 ID:HwyJf9k4
>>440 ありがとう。中央に行きたかったとは知らなかった。自費というのは
聞いたような気もする。しかし確かに実家は金持ちだったんだな。

77年は日本マラソン爆発の前とは 言えひどい。何せランキング1位が
浜田安則の2.13.57で瀬古の2.15.01 は2位かもしれない。ともかく宗兄弟
や伊藤が期待されながら結果を出せ ず、鎌田や喜多はまだマラソンを走って
いない中、急に瀬古が現れた感じだった。また高校時代の実績を考えると
台頭がむしろ遅かった印象すら持った。誰かが指摘していたが78,79と福岡
ではゼッケン9をつけ ていたね。


444 :440:04/02/19 20:43 ID:FRF+iesm
>>441
まあ瀬古にしてみれば向こうからあれだけ熱心に口説いてきたんだから
名前さえ書いておけば合格にしてくれると簡単に考えたんじゃないですかね。
たぶん受験勉強もロクにしなかったのでは?
OBの河野洋平がわざわざ瀬古の実家まで謝りに行ったらしい。

>>442
その当時はレース中に水を飲むのは体に悪いと信じ込まれていた時代だったからね。
他にもレース前日にはスタミナをつけるためにステーキを喰ったりとか、
今から見れば信じられないぐらい試行錯誤の連続でした。


445 :アスリート名無しさん:04/02/19 23:20 ID:a+H+8n9I
443だが訂正。今まで全て記憶に頼ってものをみずに書いていたので他にも間違い
があるかも。鎌田の初マラソンは77の別大(4位:2.16.35)である。やはり瀬古は
2時間15分も切れなかったのにランキング2位だったことになる。

>>419 チェトルは75年の福岡でドレイトンと接戦を演じ2.10.20を出したときは
えらくがっしりした体格でびっくりした。77年あたりの2時間2分騒動の立て役者
の一人だった(もちろん大幅に距離不足だったが報道は大きかった)。あとは
79年のモントリオール国際で2位になったことを記憶しているくらい。南半球の
オーストラリアはシーズンが違うのでなかなか大試合の調整が難しい。

日本は71年から77年まで冬の時代だったことになる。その間のベスト3は@
宇佐美2.12.40 (75 毎日)、A宗猛2.12.52 (75福岡), B浜田2.13.04.2(74別府)
だった。65-70年にかけては@宇佐美2.10.37.8(70福岡)A佐々木精一郎
2.11.17.0(67福岡)B重松森雄2.12.00(65ウィンザー)C谷村隼美2.12.03.4
(69福岡)Dウネ谷義秋2.12.12.0(70福岡)E佐々木敏治2.13.06.4(69福岡)
だからおよびもつかない。因みに君原のベストは69年のアテネで2.13.25.8で
あった。(何も見ないで書いているので多少の間違いはあるかもしれない)。

446 :アスリート名無しさん:04/02/19 23:43 ID:O0RBqDra
70年代終わりに日本のマラソンが一気に強くなったのは、
その前の冬の時代にトラックの走力強化を必死でやったから。
宗茂の9分台も前年別府にも毎日にも出ずに必死でトラック練習をやった成果だ(暮れの福岡はブービーだったが)。
これは、今の日本のマラソン界も他山の石とすべきことだな。

447 :アスリート名無しさん:04/02/19 23:55 ID:a+H+8n9I
>>446 それはその通りで77年のランキング(これは、見ながら書いています)では
5000の@鎌田13.25.4A喜多13.27.4とか10000の@鎌田27.48.6A伊藤28.01.0
B喜多28.05.6というのは2003年や2002年よりいい記録だったりする。2003年の
は手元にないが2002年だと5000のトップは13.29.77だし10000のトップは27.51.85
で3位は28.11.84で全く情けない。78年には瀬古が27.51.6、宗猛27.59.3といった
記録も出るので(茂は28.17.0)、あの頃のトップ選手は皆トラックでも今の一流
選手よりも強かった。おまけに瀬古や喜多、新宅のようにラストのキックもきく
選手も多かったのでよけいに今の選手のひ弱さが目立つ。

448 :アスリート名無しさん:04/02/20 00:04 ID:9XwIbbR5
同じ冬の時代でも今はトラックもマラソンも両方ダメダメだからどうしようもないな

449 :アスリート名無しさん:04/02/20 00:53 ID:T4jBsthx
マニアックすぎてついていけない。瀬古のラスト100m12秒あたりのレベルに
戻してくれい。

450 :アスリート名無しさん:04/02/20 05:22 ID:ZC4USgd1
>>449
少しマニアックになってきたけどいろいろな方の意見があって面白いね。

もう少し話しを戻してもいいかな。
86年のロンドンマラソンが印象に残ってます。
ロス五輪後、瀬古の初めてのフルマラソン。確かロスの後、
怪我や中村監督の死去もあってマラソンはしれなかったんだよね。
スタートしてイギリスのピータースと並んで飛び出したが
途中から独走。
瀬古の一人旅ってこれが初めてだった気がする。
ロンドンの前に広島30kmでたしか1時間28分57秒の
タイムで調整してたから期待したんだけど
タイムは2時間10分2秒。
85年のワールドカップで中山が日本最高をだして
世代交代に差し掛かってた時期だった。
後半、疲れた顔で足取りの重い瀬古を見て
復活がうれしかった反面、「今、中山の方が強いかな。」
とも思った。そういう意味でよく覚えてるレースだった。

451 :アスリート名無しさん:04/02/20 05:29 ID:0snJY/Nv
ところで谷口のベストレースってどれなんですか?
(世陸以外で)
優勝回数が多いわりにサブテンって2回しかありませんよね。

452 :451:04/02/20 05:40 ID:0snJY/Nv
<訂正> サブテン2回でなく サブテン3回でした。

453 :アスリート名無しさん:04/02/20 05:55 ID:gbDPIUDY
http://sports.nifty.com/sonota/nflflag_030717.html

454 :アスリート名無しさん:04/02/20 05:56 ID:gbDPIUDY
http://ime.st/sports.nifty.com/sonota/nflflag_030717.html


455 :アスリート名無しさん:04/02/20 09:09 ID:3b9fBr2x
谷口浩美は世界陸上で金メダル、北海道に勝ったりと日本男子が弱いとされた夏レースで結果を残してきたね。
でもアトランタ五輪で日本人順位1位だったのはショックだった。  

456 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/20 09:18 ID:5T7O5Bn6
>>433
昨夜、昔の新聞記事のスクラップを探して見たけど、中山のボストンの記録は載っていなかったよ。
ただ、記事を読むと中山は「レース24時間前に足が悪くなって、出場を見合わせようかと思ったけど、
ここまで来るのに色々な人に義理があったのでスタートした。
10`で走るのを止めて収容してもらおうと思ったけど、市民ランナーばかりでどうしようもなく、
これなら自分の足で走って帰ったほうが早いと思って、ゼッケンを外して走ってゴール地点まで行った」
とあった。
また、この時中山には1000万円近い出場料が支払われていたらしい。
これは、その二年前に瀬古に支払われた出場料の倍近くだったそうだ。

457 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/20 09:27 ID:5T7O5Bn6
>>455
それは犬伏と実井が不甲斐無かったという意味?
俺は、アトランタは起伏の激しい難コースだったので、
谷口の豊富なマラソン経験が活かされ、そういう結果になったんだと思う。

458 :アスリート名無しさん:04/02/20 09:35 ID:ArIvkP3M
>>457 犬伏はシドニー。大家だと思うよ。>>455が言うことは分かる。選考会
でも全く走れず、何か忘れたけど走っているうちに体調が悪くなる病気を
抱えていた盛りを過ぎた谷口に負けるというのは一体。。。特に久しぶりに
日本人で8分台を出していた実井は少しはましかと思ったけどひどかった。

谷口の世陸の次のいいレースは87の東京かな。ベストを出した88の北京は
距離が短かったと思う。バルセロナもある意味ベストレース。

459 :アスリート名無しさん:04/02/20 09:38 ID:HK1nwIQ3
やっぱ、福岡の瀬古は特別。

460 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/20 10:12 ID:5T7O5Bn6
>>458
あっ!本当だ。詳しいふりをしていたのでボロが出てしまった。
大家だよな。
俺はアトランタ五輪レース直前に、
現地で谷口、大家、実井の三人が揃って映っている写真を持っていることが自慢だったのに・・・。
そう言えば、1984年のボストンマラソン前日にランニングエキスポって言うのがあって、
ナイキのブースである選手のサイン会をやっていたんだよな。
それがまた、全然人が並んでいなくて。
すぐ近くのブルックスのブースでは前年優勝者のグレッグ・マイヤーのサイン会に黒山の人だかりが出来ていたのとは対象的に。
俺はとりあえずその人気の無い選手のサインをもらってたのだが、四ヶ月後に驚いたよ。
その選手は、その年のロス五輪男子マラソンで三位になっちゃったんだよね。
その選手の名は、チャールス・スペディング(英)。
あれから二十年。
引越しやなんやらで、そのサインもなくしちゃってとても残念。
まあ、マラソンに興味の無い人にとっては価値がない物だけど、
結構マニアックなサインとして気に入っていたんだけどな。


461 :アスリート名無しさん:04/02/20 10:28 ID:nag3ifvQ
>>459
東京競馬場のアイネスフウジンみたいなものか。

462 :アスリート名無しさん:04/02/20 15:34 ID:OhGpB9Ok
瀬古が100mを12秒で走ったというのが伝説になってるようだが、
88年だっけかな?福岡国際マラソンで雪印の渋谷がデンシモ
を振り切ったラストスパートも凄かったな。
その年の春に世界最高記録をだしていたデンシモがバリバリの
優勝候補だったがゴール後、信じられないような呆然とした
顔をしていた。
渋谷の優勝はうれしかったが、宗兄弟、伊藤でも優勝できな
かった福岡で渋谷が勝っていいのかよ(失礼だが)と思って
しまった。
記録的には2時間11分台だったと思う。


463 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/20 15:37 ID:iNlDHWNb
>>462
その雪印は今では陸上部はおろか、会社自体がなくなってしまって寂しいな。

464 :アスリート名無しさん:04/02/20 15:55 ID:OhGpB9Ok
>>451
俺は87年のロンドンマラソンを谷口のベストレースとみているなぁ。
谷口って2時間10分1秒の記録を出してからなぜかこの10分
から10分10秒前後のレースが続いていた。
このロンドンでようやく9分台に突入(9分50秒)で海外レース初優勝。
87年の2月東京国際は中山の不調に助けられた感じがしたが
このレースは「谷口強いなぁ」と思った。

これで12月の福岡(ソウル五輪選考会)で中山、瀬古、宗兄弟
、伊藤、児玉、新宅、谷口とサブテンランナー8人というきっと
選考会史上、前評判で希に見る高レベルでの候補選手が勢揃いしたんだよな。
(まだこの頃はサブテンは世界的にも評価が高く、年度別で
世界10傑には入っていた。結局、瀬古、宗茂は福岡欠場したが)

465 :日東専駒 ◆kUbFF5a3ew :04/02/20 20:46 ID:sc7MglES
>>462
渋谷は潜在能力は高かったと思うよ
筑波大時代は箱根の2区で区間賞9人抜きを演じてるし、
SBや旭化成に行ってればもっと活躍したかもしれない。

雪印って会社はまだあるだろう。

466 : :04/02/20 23:53 ID:6PD+BOgp
渋谷って、38キロくらいでいつもスタミナ不足で
失速してた選手ですか?
スピードはあったんだよね。

467 :アスリート名無しさん:04/02/21 00:08 ID:RlokdM4y
世界的ランナーといえば、ザトペック、アベベ、ショーターだろう。
では、この3人のいずれかに勝った日本人はいるのか?
実は1956メルボルン五輪でザトペックに勝って5位になったのが
日大の川島義明だ。
その観点からは彼が日本マラソン史上NO.1といえるな。
アベベ、ショーターは自分の知るレースでは日本人ランナーは全く相手に
しなかったからな。

468 :アスリート名無しさん:04/02/21 00:18 ID:mLAXp2bj
数日ぶりに来たけど
また一段とレベルが高くなってる。
もっと皆さん手加減してください。

469 :アスリート名無しさん:04/02/21 00:25 ID:O8rjGHdY
>>467
一応。アベベは五輪3連覇を狙ってメキシコオリンピックに
出場しています。もう往年の力はなかったと思うが、やはり
優勝候補の一人に挙がっていた。この時はクレイトンが
福岡で2時間9分36秒で走ってるからもうアベベとの
タイム差は3分近くついてはいた。
本調子とはいかず16キロ地点で棄権。この時36歳だった。
これを考えれば、君原、宇佐美はアベベから初めて先着して
ゴールしたことにはなる。。

ショーターは強かったな。記録的にはサブテンになっていても
おかしくないものがあった。
長髪にしてみたり、髭をはやしたり、紳士風だったりと
同じショーターには見えないくらいいつも違ったイメージの
風貌の選手だった。

470 :アスリート名無しさん:04/02/21 00:27 ID:RB6reIUT
ナンバーの男子マラソン選考記事で折山ってライターは
日本が世界のマラソン界で
苦戦している諸悪の根源は”箱根駅伝”と結論付けている

471 :アスリート名無しさん:04/02/21 00:35 ID:O8rjGHdY
調べてみたが、メルボルンの時のザトペックも
メキシコの時のアベベみたいな状況だったと思う。

仮にだがショーターがモスクワ五輪で瀬古、宗兄弟と
戦ったくらいの感覚じゃないかな。

全盛期のこの3人は日本人ランナーはなかなか勝てなかった
のではないかと思います。

472 :アスリート名無しさん:04/02/21 00:37 ID:qCwqUezK
>>470
>あまりにもメジャー化してしまった箱根駅伝の影響があるのは確かだ。選手たちが最も
>スピード練習をしなくてはいけない年代に、箱根の20kmを走るための1km3分の練習に
>終始してしまい、スピードの養成が出来ていない。
実態知らないけど、これは極端な意見ではという気がしたけどどうなんでしょう?

473 :アスリート名無しさん:04/02/21 00:44 ID:LLl8uEcc
昔の日本三大マラソンといえば福岡、別大、びわ湖だったが過去にその三冠を
達成した選手はいますか?
瀬古は福岡、東京、びわ湖と現在の日本三大マラソンを制しているし
ロンドン、ボストンの欧米二大マラソンも制しているから気温ということを
除けばどのコースにも対応している。
コースから最強を決めた場合、どのコースの王者が一番強いのですか?     

474 :アスリート名無しさん:04/02/21 05:11 ID:yKEWeRQD
>>473
今、タイムが出易い大会(ロッテルダム、シカゴ、ロンドン、ベルリンなど)
は80年代くらいから賞金レースの影響でタイムも出易いように設定された
コースだと思う。
そういう意味で80年代の中盤くらいまでは間違いなく「ボストン」と
「福岡国際」が世界で権威のある大会だったと思うな。
(ボストンも80年代半ばに市民マラソン化して優勝タイムが2時間
14分台まで落ち込み、賞金レースを導入した経緯があったが。)

475 :アスリート名無しさん:04/02/21 05:59 ID:yKEWeRQD
昔はほとんどの有力外国選手が福岡に来日して日本選手と勝負していった。
84年のロス五輪を堺に少しずつ世界的な権威が下がってきた感じが
したなぁ。
84年にステーブ・ジョーンズが2時間8分5秒の世界最高を出した時、
「誰?」って感じだった。挙げ句は同じイギリスのヒュー・ジョーンズ
と間違われるくらいだった。
そのジョーンズは翌年、ロペスの世界最高の1秒と迫る2時間7分13秒
を樹立した。そんな全盛期の頃のジョーンズは日本に来日しなかった一人だ。
(晩年になり日本で走ったが)
前は世界歴代10傑に入るランナーは福岡で走るか、または福岡で記録を
出したわけだが。前の方で渋谷の話がでたが、渋谷、森田などの中堅が優勝して
しまうレベルに落ちてきてしまったのが80年代後半からかなぁ。

476 :アスリート名無しさん:04/02/21 07:07 ID:AxwhWYZv
スティーブ・ジョーンズかー。
たしかロス五輪の10000mで金井の次にゴールしてんだよな。(たしか8位)
この頃からトラック専門のランナーがマラソン走るようになってきた。
ロス2位のトレーシーも5000m決勝にでてたように思うが。。

福岡の権威は今、落ちたな。
今、世界20傑の入ってるケニアのランナーなんてほとんど日本で
マラソンを走った事がないだろ。

477 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/21 08:41 ID:T+sP3a91
>>465
確かに。
雪印乳業はまだあるね。
解散したのは雪印食品。
陸上部は雪印乳業だった。
雪印乳業関係者の方々、スマン。


478 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/21 09:13 ID:T+sP3a91
>>473
過去に福岡(1947〜)、別大(1952〜)、びわ湖(1946〜)の三大大会を征した日本人は三名。
★浜村秀雄(山口県)が福岡(1953)、びわ湖(1954)、別大(1952)。
★広島庫夫(旭化成)が福岡(1957・59)、びわ湖(1955・57・59)、別大(1956・58)。
★貞永信義(鐘 紡)が福岡(1958)、びわ湖(1960)、別大(1957)。

479 :アスリート名無しさん:04/02/21 09:34 ID:HHtH6RPV
箱根の問題は今年の駒大や順大が連覇してきたときのように結局は10人同じ
レベルの選手を揃えた方が勝つという点だろう。また山の上り下りのような
特殊技能の選手の役割が大きくスポットがあたってしまう点にある。つまり
エースの役割が相対的に小さく、選手が(かつての瀬古のような)エリート
意識を持ちにくい。また低いレベルで視聴率が高いので箱根での調整という
意識があまりにも強くなる点。また若い時にロードで走り込むので故障を
誘発しやすく、ひいてはスピードの劣化につながる危険性がある点などだろ
う。

渋谷はインターハイ(80)でも優勝確実と言われて3位に沈んだ選手。筑波でも
それほど目立った選手ではなかった。9人抜きと言っても1区が遅かった
というファクターが大きい(なにせ筑波は弱かった)。区間賞に届いたか
届かないか。1つ上の米重(大東=>旭化成、ソウル代表)や2つ上の大塚
(日体大=>NEC H.E., 渡辺の前の2区区間記録保持者)に比べると存在感
は薄かった。88年の福岡はびっくりしたが後は続かなかった。



480 :アスリート名無しさん:04/02/21 09:35 ID:HHtH6RPV
ザトペックはあまりマラソンを走っていないのでは?ヘルシンキは初マラソン
で(公認記録を上回る)世界記録で優勝したが>>471の指摘のようにメルボル
ンではもう衰えていた。ロンドンとヘルシンキで5000,10000で金3つと銀1つ
取っていると記憶している。映像は何回となく見たことがあるが、人間機関車
と言われるだけにともかく力感溢れる走り。(まあ無駄が多いのだろうけど)。
400mを100本インターバルトレーニングしたという話だ。今ではちょっと
考えられない。

ヘルシンキでは人類初のサブ20分を出したピータースが独走していたのだ
けど自滅して途中棄権している。ピータースに限らず、このスレででてきた
イギリス人選手は不思議とオリンピックで活躍できない。戦後にメダルを
取った東京のヒートレー(銀)くらいか。



481 :アスリート名無しさん:04/02/21 10:08 ID:HHtH6RPV
チャールス・スペディング(英)を忘れていた。ヒュー=ジョーンズではなく
彼が取るのも不思議。

482 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/21 10:30 ID:T+sP3a91
>>479
大塚(正美?)はナイキジャパンじゃなかったっけ?
箱根駅伝に関して言えば、テレビ放映が始まってから選手の全体的なレベルが上がっている。
昔に比べてレベルの高い選手が増えてきているわけだが、一方で大学を出た後の受け皿が反比例してなくなっているように思う。
また、一地方大会の箱根駅伝がマスメディアによってあたかも国内最高峰のレースの様にように多くの人に受け取られている。
これによって高校生競技者の多くが箱根に憧れ、関東の大学に進学。
そして箱根を走って精神的に燃え尽き競技を離れていく。
今年は箱根を走りたいからって言って、世界を目指す強豪旭化成をやめて進学した選手もいたなあ。
びっくりしたよ。

483 :アスリート名無しさん:04/02/21 11:02 ID:HHtH6RPV
>>482 その通りです。すんません。多分阿部文明とごっちゃになったみたい
です。おかしいな。

平均レベルは上がって粒が揃ってきましたがトップレベルは明らかに落ちて
います。駅伝では1人で稼ぐよりブレーキを出さないほうが有効です。

昔から箱根を走りたいから(あるいは大学に通いたいから)実業団から
大学に入る人はいました。順大の山田和人、山梨の中村祐二といった
人を思い出します。古くは鐘紡の松元利弘。貞永監督がブレーキをおこし
ても辛抱強く使い続けて20になる頃には当時としては破格のハーフ1時間
2分台で走って鎌田、伊藤に続いてこれから日本代表にもと期待したら順
大に入ってしまいましたね。松元は箱根の2区を4回走って区間賞も取った
(筈だ)し、2回の優勝にも貢献したので成功したと言えなくはないですが
期待していただけにもったいないとも思いました。初めから教員になりた
かったのでしょう。人生設計は確かで今は諫早の名物監督ですよね。


484 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/21 11:14 ID:T+sP3a91
>>483
そんな昔にハーフ1時間2分台の選手がいたの?
知らんかった。
そう言えば只隈(大東大の監督?)も社会人(自衛隊だったっけ?)を経て箱根を走った選手だったような?
俺の守備範囲である1980年代以降、箱根で大エースって言われていて
その後社会人になってマラソンで大活躍したって
やっぱり瀬古くらいだな。

485 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/21 11:16 ID:T+sP3a91
>>433
『月間陸上競技』1989年6月号によると、
中山は3時間10分くらいでゴール地点に到達したそうだ。

486 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/21 11:36 ID:T+sP3a91
>>485
中山のボストンマラソン(1989)の話

487 :アスリート名無しさん:04/02/21 11:44 ID:HHtH6RPV
>>484 多分1978年の別大ハーフで記録している筈。Webでは過去の記録が
分からないね。

因みに第1回のハーフは1976年に行われ高校生ながら西村義弘(鶴崎工業)が
優勝し、都大路で長く区間記録として残る1区29.29という記録を出している
ことと相まって将来を大いに期待したが、別大男として名を馳せた程度で同期
の中村、新宅には大きく水をあけられた。

488 :アスリート名無しさん:04/02/21 11:59 ID:LLl8uEcc
>>478 1960年の貞永以来40年以上も三冠王者がいないとは驚きです。
でも最近はトップ選手でも全部にエントリーするのも珍しくなった。
瀬古は別大にでていないし、中山はびわ湖にでていない。
東京も含めたグランドスラムを達成する選手なんてでてきそうなんてないな。
さらに全国TV中継のある北海道、長野も含めるとほとんど実現不可能かな?        

489 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/21 12:00 ID:T+sP3a91
>>487
西村義弘。
ホームページがあるよ
ttp://www.infoseek.livedoor.net/~ynisimu/

490 :アスリート名無しさん:04/02/21 13:07 ID:ePnl3Het
>>483
駒大の大八木助監督もそうですね。
彼は小森印刷(現小森コーポレーション)を経由しています。20年以上前の
ことですが、箱根駅伝の前、「異色の学生ランナー」として、NHKのスポーツ
ニュースの中で、5分程度の特集で取り上げられているのを見たことがあります。
もっとも、1950年代、60年代は実業団から大学に入る人は案外多いようです。
小出義雄監督などは、よく知られているところですが、箱根駅伝の解説でおなじ
みの碓井哲雄さんも、中央に進学する前は東急に在籍していました。ウィンザー
マラソンで世界最高を出した重松森雄さんも、実業団を経由して福岡大学に進学
しています。


491 :アスリート名無しさん:04/02/21 13:28 ID:HHtH6RPV
>>474 70年代はあまりマラソンをビジネスと捉えていなかったし日本以外では
人気もなかった印象がある。人気が出てきたのはロジャースが活躍したり、
女子マラソンの勃興とNYCの創設他でマスコミが大きく取り上げるようになって
から。また80年代にはロッテルダムに有力選手が集まるようになってきた。
特に83年にはサラザール、キャステラ、ロペスを直接対決させて世界をあっと
言わせた。ロッテルダム全盛期にディレクターとして辣腕を振るったのが
今は長距離の帝王、ハイレ・ゲブルセラシェ(エチオピア)のコーチ兼代理人の
ヨス・ヘルメンス(オランダ)。ヘルメンスは1時間走や20000bの世界記録
保持者だった。

実はヘルメンスの名を認識したのは76年1月の陸マガか月陸でのモントリオール
でのマラソンの予想。ショーター20,(74の英連邦で歴代2位を出して当時無敗の)
トンプソン7人程度の下馬評だったが一人だけヘルメンスを挙げていた人がいた。
多分考えすぎだろう。結局ヘルメンスは走らなかったし、トンプソンはまさかの
国内予選敗退だった。

ショーターは10000も強くミュンヘンでは27'51"で5位になっているし75年には
27'45"でランキング2位だった。当時の日本記録が沢木の28'35"2だから歯が
立たないのは無理もない。ショーター・ショックのためにがんがんスピードを
つけようという強化策になったのだと思う。


492 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/21 14:13 ID:JixSaAAu
>>434
1983年のロッテルダムマラソンは、キャステラが2:08:37で優勝。
二位にはマラソン二度目(初マラソンは82年NY=途中棄権)のロペスが僅か2秒差で入った。
80年NYのデヴュー戦以来マラソン四連勝中だったサラザールは5位(2:10:05)だった。
この時のキャステラとロペスのラスト400bの競り合いはかなり激しいものだった。
キャステラはそのラスト400bを60秒で駆け抜けたそうだ。
以前、このスレでサラザールのラストの弱さが取り上げられていたが、
84年ロス五輪前、彼の一万bのベストは27:25.61。
これは当時ヘンリー・ロノの世界記録(27:22.5)とほぼ遜色が無かった。
ちなみにロペスは83年、36歳で27:23.44をマークし、世界ランク一位だったそうだ。
「凄い!」の一言だ。






493 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/21 14:26 ID:JixSaAAu
84年ロス五輪で優勝した時、ロペスは37歳。
その活躍には俺も度肝を抜かれたが、決してまぐれではなかった。
ロペスはロス五輪までにマラソンを三度しか走っていなかった。
うち完走は上記のロッテルダムだけ。
しかしロペスは83年に1万bの世界ランク一位だったし、
84年に米国で行われた世界クロカンでも優勝していたんだ。
当時米国に滞在していた俺はこの大会をテレビで見る幸運に恵まれたのだが、
これがまた変わったレースだった。
何と、競馬場を使って行われたのだ。
ダートや、干草のブロックを積んだ障害を馬ではなく、世界のトップランナー達が駆け抜けたのだ。
これにはさすがの俺もビックリしたよ。


494 :アスリート名無しさん:04/02/21 14:47 ID:T/reYJZO
高橋???

名古屋出ない臆病者が最強??????




495 :アスリート名無しさん:04/02/21 14:57 ID:HHtH6RPV
>>493 詳しいですな。ふりをする男ではなく詳しい男に改名したら?ロッテル
ダムをテレビで見たとは羨ましい。

ところでロペスは70年代にトラックランナーとして名を馳せた。モントリ
オールで10000で銀。優勝候補にも挙げられていたが急遽復活したビレンに
ラスト1周であっという間に置いていかれた。しかしビレンは個人的にあや
しいと思っている。ミュンヘンとモントリオールの間は全く走れなかったの
にオリンピック5000,10000で4つの金。またモスクワでも5位と頑張ったが
あまりにも中間年とのギャップがありすぎ。モスクワで銀、銅と頑張った
マアニンカも他では聞いたことがない。むしろコンスタントに頑張った
バイニオがロスで2位でゴールしながらメダルを剥奪されたのは気の毒かも。
(多分チームぐるみだったのだと思っている。東欧はもっとひどかったからね)。

話がそれた。
>>487に補足すると片道追い風コースだから記録は出やすい。特に78年は宗茂の
大記録の年で前半のハイペース、後半の強い向かい風だったことを思い出すと
風に助けられた記録であることは否定できない。別大ハーフはジュニア限定だった
が好記録が続出した。確か陸連は非公認扱いにしたのではなかったかな。





496 :アスリート名無しさん:04/02/21 15:32 ID:GnZjassz
>>494
今現在の実力で最強決めるんじゃないんだから、
オリンピック金、女性で世界初の20分切りは充分最強だろ?
アテネで坂本が金取ったら議論する余地ができて面白いと思うが

497 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/21 15:36 ID:JixSaAAu
>>495
確かに当初別大マラソンは別府市をスタートして大分市を折り返していた。
季節柄このコースだと前半追い風、後半向かい風になるということで
現在では大分市出発の別府市折り返しとなっている。
もともとは別府市で日本長距離陣が合宿をしていて、その練習の一環として始まった大会。
第一回はフルマラソンでなく35`だったそうだ。
宗兄弟、伊藤、髭の鎌田、谷口、中山、森下と、日本のトップクラスが出場した大会だったが、
瀬古が一度も出場しなかったことが残念だ。
俺にとっての日本マラソン史上最強のランナーは瀬古だが、
瀬古がマラソンを走る姿は残念ながら一度も見たことが無い。
瀬古が走る姿を実際に生で見たのはあの引退レースとなった千葉国際駅伝だった。
瀬古の様な海外でも通用する選手の登場を待望しているのだが、
なかなか出てこない。
一方で80年代、世界で大きく遅れをとっていた日本女子マラソン界は、
今では高橋尚子を筆頭に世界のトップに君臨しているといっても過言ではない。
来るびわ湖で日本男子の奮闘を期待せずにはいられない。

498 :アスリート名無しさん:04/02/21 16:26 ID:HHtH6RPV
>>490 大八木さんは現役のときも印象に残っている。区間賞とったしね。
箱根組ではないけど今、中京大中京高校の監督をしている川口孝志郎さん
もそうですね。78年の別大では強化指定選手の次(6位?)にゴールした
のであれっと思った記憶がある。そのときトヨタ自工の所属で、春から
中京大に入って福岡大の村越、日体大の大塚と3強時代を演出した。
川口さんはマラソンも12分台で走っていたと思う。ちょっとマイナー
かな。


499 :マラソンに詳しいふりをする男:04/02/21 17:09 ID:JixSaAAu
>>498
川口孝志郎は、いつも白い帽子をかぶっていたのが印象的。
そして先頭でレースを引っ張ることが多かったような気がする。
大八木は川崎市役所で働きながら駒大の二部に通っていたのかな?
いつだったか箱根の二区でトップに立ち、そのまま三区へリレーした。
これが駒大が箱根史上初めてレース途中であるがトップに出た瞬間だった。
それが今では優勝常連校。
昔は野球だけだったのにな。
そう言えば大八木は四年の時は年齢制限に引っかかってジープに乗っていた。
ジープが着いていたころの箱根が駅伝らしくて面白かった。

500 :アスリート名無しさん:04/02/21 17:18 ID:HHtH6RPV
世界記録を作った寺沢徹や重松森雄のことが語られないのは寂しい。といって
もさすがに古すぎて知らないから仕方がないのかな。

78年の別大も凄かったが、同じ年の福岡も記憶にとどめておきたい。宗が記録
をだしたと言っても前年優勝のロジャースが候補No.1、モイセーエフの
評価も高かった。その中果敢に宗茂は攻めて最初から独走。途中から追い上げた
瀬古と喜多に抜かれたものの上位独占の立て役者は宗茂だろう。このレースで
別大がまぐれでないことが示され、陸連が強化を進めてきた選手と大学3年の
瀬古が競うようになって日本の黄金時代を築いた。瀬古は2.10.21.喜多は
2.11.05で宗茂は2.11.43くらいか。

ところでどうでもいいことだが別大のときはまだ1/5秒刻みで記録されていたが
福岡では既に1秒刻みで計時するようにルールが改正されている。別大の記録
は2.09.05.6で最後の2.195kmを7.50.6もかかった(と記憶する)。

501 :アスリート名無しさん:04/02/21 22:06 ID:uRIvqP/X
>>500 細かいことだが1秒刻みになったのは79年から。78福岡の宗茂は2.11.41.2.
ちょっと驚くのは引退を宣言してから5年も経っていた君原が2.17.07で16位になって
いること(何と日本人6位)。この順位は鎌田より上だった。

私は79年の福岡に最も感動した。30kmが1時間33分を越えるゆったりしたペースで
大集団で動き、そこからのサバイバルレース。36kmでは瀬古、宗兄弟とB.フォード
の4人に絞られ、40km過ぎで猛が猛然とスパート。茂が素早く反応して着くも瀬古は遅れ
る。瀬古が追いついたのはやっと競技場に入った地点。猛が尚もリードするもバック
ストレート(残り200m)で瀬古がまとめて2人を抜く。また茂も猛を抜いて必死で追いす
がる。ゴールでは瀬古が2.10.35で茂が37、猛が40であった。猛は自己記録を2分以上
縮める記録だった。

実はこのレースは高3の模試の最中であった。レースがどうしても気になったので
午後はさぼって電器屋で観ていた。そのせいか浪人してしまったよ。


502 :アスリート名無しさん:04/02/21 22:24 ID:j2BZW+E6
ペースメーカー導入は記録的にそこそこのタイムを期待できるようになった
反面、前半から中盤までずーっとイーブンペースばっかりの大会に
なって見ててつまらなくなってきてしまった。

前半からの一人旅や20キロすぎからの果敢に集団を抜け出す、
スローペースから後半、脅威のスパートなど(今年の大阪女子のように)
バラエティにとんだレース展開もみてみたいんだがなぁ。

503 :アスリート名無しさん:04/02/22 00:49 ID:n0kzSr+D
びわ湖って以前は福岡、別大に比べて記録が出にくいなんていわれていたけど
ここ何年かの間に記録が飛躍的に伸びている。
びわ湖は東京五輪の前あたりまでは大阪で5月に日本選手権としてやっていなかったけかな?
NHKの中継で羽佐間アナが今年の日本選手権はxx選手〜なんていてびわ湖のプライドなんか感じた。
でも最近は日本選手権は各大会持ち回りになっているようだ。
びわ湖は前は琵琶湖開きの翌日にやっていて朝ドラのヒロインのテープカットの様子が中継のなかにあった。
NHKのアナが琵琶湖に春を呼ぶびわ湖毎日マラソンなんていって季節感を感じさせる大会だね。
コースの美しさに関しては世界に誇れるね。
でもたまにコースに飛び出すバカ者がいるのは残念だけど・・・         

       

504 :アスリート名無しさん:04/02/22 01:09 ID:GObKRrUg
瀬古が'83東京マラソンで復活Vを飾った後のスポーツマガジン4月号「不死鳥・瀬古利彦」
ってのが実家にあったのでチョロリ
<浪人>一時はC大への進学も考えたが、周囲の強い勧め、本人の意思で受験を決めた。
<留学>大山・木川の留学に対し
「あいつらがホープならオレだってホープだ」瀬古は、父を動かし、陸連を動かして私費留学の道を
選んだのだ。(留学時代の写真もあったが”瀬古の海”と言われてもしかたない別人のようですた)
↑綺麗すぎるまとめ。↓のレスの方がリアリティを遥かに感じました(河野があやまりに行ったとかねw)。
>>440>>444
'80のモスクワ不参加の年の福岡。前半1h06m15s。後半は1h03m30s。20年以上前にこのタイムは
さすがだねぇ。
あとボストン初優勝の時は日の丸のナショナルユニフォームだったが、パンツにSBの刺繍があったのが印象的。

505 :アスリート名無しさん:04/02/22 01:54 ID:EBTOvqYv
>501
79年の福岡は、瀬古が2.10.55で茂が57、猛が59と記憶してるんだが、
違うかなあ。
猛がギリギリ10分台(当時としてはかなりいい)だったと思うん
だが.....
でも、このレースは本当に良かった。ラスト勝負なのに、それまでに
ひと休みしてるところがなかった。
宗兄弟は懸命に逃げたし、瀬古も懸命にくらいついた。
残り400m時点じゃ、誰が勝つのかまったくわからなかった。
俺、この時点でもう涙流れてた。
あれから25年、日本マラソン界はともかく、福岡が
こんなマイナーレースになるとは思わなかったなあ.....

506 :アスリート名無しさん:04/02/22 08:29 ID:SeBinB/B
>>505

79年福岡国際マラソン
1位 瀬古利彦(早大)2時間10分35秒
2位 宗茂 (旭化成) 2時間10分37秒
3位 宗猛 (旭化成) 2時間10分40秒

宗兄弟が瀬古に勝てる可能性のある最初で最後のレースだったんじゃないか?
宗猛がスパートをして茂がついていって、少し瀬古との間が開いたんだよな。
あのまま2人でその勢いのまま「攻めのレース」ができれば決定的な差ができた
のではないかな。まあ宗兄弟もいっぱいいっぱいだったのかもしれない。
瀬古はゴール後、足に痙攣がおきたくらいだから本調子ではなかったようだ。

79年の福岡国際、83年の東京国際 、83年福岡国際 は瀬古のベスト3
レースだと思う。



507 :アスリート名無しさん:04/02/22 08:32 ID:SeBinB/B
(追加) 瀬古はロス五輪で宗猛に負けているので、宗兄弟の対瀬古全敗では
ありません。

508 :アスリート名無しさん:04/02/22 13:09 ID:dPyuYfSs
元日本最高記録保持者 児玉泰介(旭化成)の話題が少ないですね。
最強ランナーにノミネートされる実力はなかったのですか?
近年まれにみる記録の保持年数ですよね。でもこの2時間7分35秒
しかサブテンがないのがネックで評価として低いんでしょうか?
それとも一発屋?

509 :アスリート名無しさん:04/02/22 13:53 ID:n0kzSr+D
児玉泰介に関しては本人のキャラが地味で印象が薄いのかな?
あとあまりにもながく日本記録を保持し続けたことも原因かもしれない。
TV中継の5キロごとのポイントでは児玉泰介の名前がでてくる
しかしTVからは日本選手低迷の場面しか流れてこない
それがファンに対してひとつのサブミナル効果を与えてしまったのかな
日本最高を塗り替える選手が次から次へと現れていれば7分台へと口火を切った選手として評価されられていたかも 
もっとも同時期のデンシモの世界最高もながかったけど         

510 :アスリート名無しさん:04/02/22 15:26 ID:ch56QPoK
>>508

両方。
児玉は快記録の後の実績が無いのが痛い。
北京の後、児玉が1番まともに走ったのが、88年福岡で2時間11分38秒で4位に
入ったレースというのが何とも・・・。
そのレースで、勝負所を前に、不調のデンシモ、無名の渋谷、2時間11分5秒が自己ベストのカシャポフにも
ついていけない走りじゃ、最強ランナーにノミネートされる資格は無いでしょう。
その他では、モスクワ国際とかに出て2時間17分台の凡走とかしか記憶に無いので・・・。
児玉は、今でいうとダコスタみたいに快記録持っているだけの存在というのが妥当では?

それにしても、日本人選手は以外にも、アフリカ勢と同じ位1発屋が多い気がする。
例えば児玉とか三村とか、探せば結構居そうだ・・・。

511 :アスリート名無しさん:04/02/22 15:51 ID:OU0H0l1d
>>510
オリンピック代表の中なら
大家とか。
国近もその匂いがするんだが・・・

512 :アスリート名無しさん:04/02/22 15:55 ID:wimLiLyC
犬伏も・・・

513 :アスリート名無しさん:04/02/22 16:10 ID:n0kzSr+D
ノーヒット・ノーランは達成したが二桁勝利はできなかったタイプか
エースとは呼べないね
でも結局は最近の日本もエース不在に泣かされているということか 

514 :アスリート名無しさん:04/02/22 16:18 ID:k2wTd3oj
>>511
実井を忘れるとは失礼なw

515 :アスリート名無しさん:04/02/22 17:02 ID:Z4N43ZKl
>>513 というより既にスレで何回となく触れられている通りあの頃の北京は距離
が短かったと思う。証拠はないけど選手の力からするといい記録がですぎ。

516 :アスリート名無しさん:04/02/22 18:43 ID:n0kzSr+D
ということは児玉の 記録はノーヒット・ノーランだが
7回コールドでの記録と同じということか

517 :日東専駒 ◆kUbFF5a3ew :04/02/22 19:03 ID:UlQOf7ez
大家ってハーフマラソンの日本最高記録持ってなかったっけ?
そこそこ実力はあったと思うが。

518 :アスリート名無しさん:04/02/22 19:41 ID:YVr25VX/
北京国際マラソンの日本記録と高校駅伝5区の区間記録について語るのは、
陸上界ではタブーとされています。

519 :アスリート名無しさん:04/02/22 19:43 ID:YVr25VX/
大家はアトランタ後のロッテルダムマラソンでも
2時間9分代前半のタイムを出してるので
決して1発屋とはいえないと思われ

520 :アスリート名無しさん:04/02/22 22:34 ID:bjiW9ihh
>>505
自分も強かった瀬古をはじめとしたランナーや昔の福岡マラソンなどを
知らない世代ですが
福岡がかろうじてメジャーレースでいられる(ふりをしている)のは
オリンピック直後の大会でメダリストを招待するときくらいでしょうか。
「国際陸連後援」って空しい響き。

521 :アスリート名無しさん:04/02/22 23:10 ID:VsbpYToz
>>508
北京国際の後のベストレースは87年のワールドカップマラソンに
なるんじゃないかな。ソウルで開かれた第2回大会で、前年の
10月に脅威的な記録(世界歴代3位)をだした児玉とサラが優勝
候補だった。その2人が中盤集団から抜け出し併走したが児玉が
ずるずる後退。結局サラの2連覇。児玉は2時間11分23秒で2位
だった。北京後だったので期待されたレースだったが、合格点
の評価はなかったと思う。

児玉、伊藤と当時としては脅威の記録を引っさげてソウル五輪
選考の福岡国際に参加したが、やはり中山、瀬古より評価は
かなり下だったと思う。
前評判は中山が2月の東京国際の凡走で評価を落とし、瀬古が強豪を
押さえてボストン優勝。ここで評価に差がついたが、中山は
夏のヨーロッパ遠征で瀬古の10000mの日本記録を破って
また再度、瀬古と同じ評価にあがったように思う。

522 :アスリート名無しさん:04/02/22 23:45 ID:n0kzSr+D
そういえばマラソンのW杯って無くなっちゃったな。
どういう意義の大会だっけかな?

523 :アスリート名無しさん:04/02/22 23:59 ID:Q87Atb1q
マラソンのW杯は、世界選手権が兼ねてるんじゃなかったかな。
w杯は団体戦だから。

524 :アスリート名無しさん:04/02/23 00:25 ID:kHR6ChVE
第3回のワールドカップがミラノで開催だった。
30台半ばの宗猛が2時間12分台で8位だったのを覚えてる。
女子はたしか宮原美佐子が2位に食い込んだな。

525 :アスリート名無しさん:04/02/23 00:26 ID:o7R3ZmXJ
>>522-523
1993年迄、マラソンのW杯としての単独レースがあったと思う。
確かそのW杯団体戦は、それまでは4年に1回だったよね。

1997年の世界陸上アテネ大会から、W杯団体戦も兼ねてのレースとなった。
というのも、世界陸上は1995年のイエテボリ大会まで、マラソン代表枠は五輪と同じ3人だったが、
97年アテネ大会からはW杯も兼ねてのレースとなった為に、世界陸上のマラソン枠は従来の3人から5人に増えた。

それ以降、マラソンW杯団体戦も世界陸上同様、2年に1回の開催と変わっている。

526 :アスリート名無しさん:04/02/23 09:16 ID:AYE2Wx4M
犬伏は6分台を出した後、シドニー選考会の東京でイボンジュらと争い、
日本人トップの8分前半で走ってるので、一発屋というよりは二発屋。



527 :アスリート名無しさん:04/02/23 09:46 ID:9N5iMD/N
犬伏は記録はだしたが、優勝がないんだよね。
世界のビックネームと互角にやらないと評価は厳しい。
最近は日本は世界の脇役。世界からみた知名度はどんなん?
前は瀬古や中山を中心に世界のマラソンが回っていたが・・・  

528 :アスリート名無しさん:04/02/23 13:03 ID:QtgpwM10
瀬古が86年のアジア大会10000mで腹痛を起こし、腹を押さえながら立ち止まった
のはショックだったなぁ。
あの時は棄権してほしいと思ったくらいだった。
五輪同様、国際大会との相性の悪さを感じた時でもあった。

529 :アスリート名無しさん:04/02/23 15:04 ID:/5ebJijZ

中山がアジア大会マラソン金メダリスト。
瀬古がアジア大会10000m銅メダリスト。

この2人の国際大会メダル獲得内容だけど、当時今のように世陸が2年に一回で
瀬古や中山が走ることがあれば国際大会の成績が追加された可能性があるね。

しかしこの2人が夏レースに強かったかどうかは疑問も残るが。。

もう少し夏マラソン対策が早くから実施されていたとも思う。



530 :アスリート名無しさん:04/02/23 15:07 ID:g1A8aKto
>>527
犬伏にせよ高岡にせよ、
日本最高を出してもその出場レースでは優勝してないから
いまひとつインパクトが弱い印象。

531 :アスリート名無しさん:04/02/23 15:39 ID:Lnu9iTgp
森下2位、中山4位、谷口8位。代表選手全員が入賞したバルセロナ五輪が
日本マラソンの頂点になるのかな。
今の惨敗ぶりをみると当時、あまりこのことは話題にならなかったが再評価できる
ものだろう。

83年の東京国際マラソンをベストレースに挙げたい。

532 :日東専駒 ◆kUbFF5a3ew :04/02/23 22:59 ID:lJdsXKZr
中山がソウル、バルセロナでそれぞれ4位に入ったのは
すごく評価できると思う。

533 :アスリート名無しさん:04/02/23 23:44 ID:9N5iMD/N
フジテレビで前、深夜にやっていたTVブックメーカーで
中山選手は東京マラソンで何回スペシャルドリンクをとるでしょうか?
なんてやっていたな 

534 :アスリート名無しさん:04/02/24 01:46 ID:tyum4NxI
中山というと85年の第1回ワールドカップ広島大会で
2時間8分15秒の日本最高記録を作ったレースを思い出す。
あのレースは5キロ毎15分5−20秒前後で推移する平均
ペースで当時としては理想的な平均ペースだった。
1カ国5人までの世界大会で中山、宗兄弟、伊藤、児玉
が日本代表。
ケニア、エチオピア勢などのアフリカ選手が引っ張った。
後半は中山、サラ、ジャマ、ハイルマン、メコネン、宗猛
が集団を形成。
その中でサラ、中山が抜け出し併走。一瞬、中山がスパート?
そした瞬間もあったが併走が続いた。トラック勝負かと
思われた矢先、競技場の手前でサラがスパート。中山の
アゴが上がりサラにつく事ができなかった。
サラが2時間8分9秒の世界歴代2位。中山が2時間8分15秒
の世界歴代3位の日本最高だった。

ゴール後、中山が同僚や監督に「(オレは)弱いなー。」
っていう声を音声が拾っていたのが印象的。

宗兄弟が惨敗。伊藤国光が70番台でゴール100m前で
痙攣のため、立ち止まった時にマラソンの世代交代の波が
押し寄せている感じがした。

535 :アスリート名無しさん:04/02/24 08:42 ID:Zsj99UOs
>>534
あのレースは団体戦もあって日本の圧勝と思われたが
圧勝したのはジブチだったんだよな。
サラが優勝。ロブレ・ジャマが3位。アブディラヒが
7位とこの時はじめてジブチという国がアフリカに
あることを知った。

その後、サラが7分台。ジャマも8分8秒と一流選手だった。
あの後、ジブチ選手が出てこない。

536 :アスリート名無しさん:04/02/24 11:24 ID:NsUv45WV
うち長野県なので中山のレースはほとんどみたつもりなんだけど
広島W杯の記憶だけなぜか消えている
どこのTV局でいつ放送したのか?    

537 :アスリート名無しさん:04/02/24 11:31 ID:Y0rFvu3K
>>534
あのレースって中山が終った後、NHKのサンデースポーツに出演したのを
覚えてるよ。
星野仙一がキャスターで中山に瀬古の記録を破った感想を聞いたところ
たしか中山は「記録は出る事は走る前からわかっていた。別に瀬古さんの記録
を破ったからといって凄いわけではない。記録は破られるもの。
瀬古さんの記録が偉大だからといって破れないわけではない」というような
コメントをしたのを覚えている。当時、瀬古に対してこのようなコメントを
できる選手はいなかったので驚きでもあった。凄い選手が現れたものだと
思ったよ。

538 :アスリート名無しさん:04/02/24 11:38 ID:Y0rFvu3K
85年のワールドカップの日本選手の成績は

たしか 中山2位、宗猛8位、宗茂17位、児玉泰介52位、伊藤国光77位だった。

539 :アスリート名無しさん:04/02/24 12:16 ID:S5BeF61D
質問なんですが、ソウルの選考会で瀬古と代表を
争った工藤一良は一発屋ですか?
あまり聞いたことがないので。。。。

540 :アスリート名無しさん:04/02/24 12:51 ID:iXJ+slso
>>539 マラソンに関しては一発屋かもしれないな。彼は78年の高校駅伝の
1区で谷口浩美と区間賞を争い、区間賞を獲得した。その後名門リッカー
に進んだが、会社の経営悪化に伴い陸上部消滅で日産自動車に移籍。駅伝
では活躍したし、10000も28分20秒くらいで走っていた。そういう基礎がある
ので87年の福岡で日本人3番手にきても番狂わせとは思わなかった。

541 :アスリート名無しさん:04/02/24 12:51 ID:T+2uc7ur
日本人の話じゃなくて申し訳ないが、今日の朝日新聞の天声人語に、ポール・テルガトの話が出ている。
涙無くしては読めませんな。

542 :アスリート名無しさん:04/02/24 16:45 ID:egT6gZfH
>534

あのレースは俺も覚えている。35キロ過ぎの給水地点でサラが給水する
隙に中山がスパートをかけた。一瞬、差が開いたが逃げ切れるほどの
ものではなくすぐ追いつかれた。
サラはその後もそんなスピードにキレがあるランナーではなかったと
思うから、中山のラストのスプリントの無さは致命的だった。

しかし中山のラストのスプリントでびっくりしたのが、86年の
スポニチ陸上10000m。ラスト一周でイカンガーが逃げ切りを
はかり、新宅と中山が追う展開。ラスト200の地点でイカンガー
のセーフティーリードと思った。ラスト100地点から新宅が
脅威的なスプリントでイカンガーを追ったが中山も新宅に
ついていったのに驚いた。新宅がイカンガーをかわして
優勝したが、中山もイカンガーを捕らえたスプリントの
キレは凄かった。あれくらいだな中山のラストスパートを
見たのは。

543 :アスリート名無しさん:04/02/24 16:52 ID:KFUIO4L2
中山はそれだけで1つのスレが作れるぐらい多くの名言を残している

544 :アスリート名無しさん:04/02/25 00:25 ID:kcJilVBF
>>542
イカンガーって1万のベストどれくらいなの?

545 :アスリート名無しさん:04/02/25 00:40 ID:c9vG1WNb
>>543 中山節もマラソン中継の楽しみだった
どこかで解説やらないかな
陸連にとってはもっとも手ごわい相手になることは間違えない 

546 :アスリート名無しさん:04/02/25 00:40 ID:fbIirT+c
4分くらい

547 :アスリート名無しさん:04/02/25 04:47 ID:kM8YJema
中山の全盛期は85年ー87年ではないか?
ストライド走法で着地が爪先から入る独特な走法をしていたから
全盛期は本当に強かったが、力の衰えるのは急激だったように思う。

90年の東京国際マラソンも久しぶりに中山得意の一人旅となったが
89年にボストンで途中棄権してから久しぶりのマラソンという事も
あり、後半のペースダウンは激しかった。
結局、前半の貯金で2時間10分57秒で優勝したが、中山にとっても
現役で最後の優勝になった。
あの頃から、急に昔の野生味ある走りは影を潜めた感じであった。

548 :アスリート名無しさん:04/02/25 11:37 ID:69I6H+En
やっぱり 瀬古、中山、君原、宇佐美、谷口、森下あたりが
最強ランナーにノミネートになりそうだな。

549 :アスリート名無しさん:04/02/25 12:20 ID:nfHMWjNE
>>544
28分20秒前後だと思うよ。ほとんど日本以外ではトラック走ってないんじゃないか。

550 :アスリート名無しさん:04/02/25 12:26 ID:FmwvAefK
瀬古は結果を残してないからダメだ。

551 :アスリート名無しさん:04/02/25 13:20 ID:+RtWvjY4
>>547

中山、ヘロヘロだったな。優勝インタビューもロクに答えられず
優勝トロフィーを持ち上げることがやっとだった。

552 :アスリート名無しさん:04/02/25 13:45 ID:xBY5yjOx
バルセロナ以降で最強ランナーのノミネートはいるか?
藤田、高岡あたりになるのか?
そう考えると、ここ10年、男子は人材難だな。まず怪我が
多すぎで評価以前の選手が多すぎる。

553 :アスリート名無しさん:04/02/25 21:25 ID:EqOpDOp9
初マラソン初優勝は難しい事だが、
森下が91年の別大で初マラソン初優勝。そして初マラソン日本最高を
マークしたのが有名。谷口浩美も初マラソンで優勝している。

85年の別大マラソン。途中までベルギーのバンデルベネットが
集団を抜け出し独走態勢を築いたが、ひたひたと谷口が追走。
パンチの効いた髪型(!)で首を傾けた快調なピッチが印象的。
谷口自身、16分前後で推移したペースを後半、15分前半に
引き上げた。当時、小沢欣二の2時間13分10秒が初マラソン
初優勝だったが40キロを過ぎて少しペースダウンしたのが
響き、ゴールは6秒後れの2時間13分16秒だった。
日本主要レースで初マラソンで初優勝するのはなかなか
できないことだったのでよく覚えている。

今もなかなか初マラソンで優勝できないなぁ。

554 :アスリート名無しさん:04/02/25 22:42 ID:hPUYzkYy
>>548
金栗・孫・田中・浜村・重松・寺沢あたりも
本来は入れるべきだと思うのだが、
古すぎて記憶を持った人がいないんだよな。

555 :名無しさん@お腹ぺこぺこ:04/02/25 22:54 ID:4bz1BUF6
このスレ、いつから男子だけになったん?

556 :アスリート名無しさん:04/02/25 22:56 ID:RVxbFzlt
津田晴一郎、山田兼松のことはだれも知らんようじゃのう。
津田は28年アムステルダム6位、32年ロサンゼルス5位じゃ。
山田は28年アムステルダム4位で五輪レースで日本最高を出した唯一の選手じゃ。
アムステルダムのレースは40k手前まで山田がトップで優勝確実と思われたときに
膝痛の再発で突如失速してしまったのじゃ。
しかし、この大レースで自己記録を10分も縮めたのだから大したものよのう。

557 :アスリート名無しさん:04/02/25 23:11 ID:c9vG1WNb
誰かマラソン年表つくってくれ

558 :アスリート名無しさん:04/02/25 23:26 ID:bzbKE7Mf
南昇龍もいれてやってくれ。といってこれであってたっけベルリン銅メダル。

それからアトムボーイとして有名になったボストン優勝の山田敬蔵とか。
勿論同時代は知らない。

浜村の息子は協和発酵で中堅の中距離選手として頑張っていた。

559 :アスリート名無しさん:04/02/26 00:13 ID:KHw4dwNR
今日(昨日?)の報知の瀬古特集見た?

560 :アスリート名無しさん:04/02/26 00:46 ID:ytJrJCye
  2時間12分00秒0 重松森雄 (福岡大)     65年6月ウィンザー
  2時間11分17秒0 佐々木精一郎 (九州電工)  67年12月福岡
  2時間10分37秒8 宇佐美彰朗(桜門陸友会)  70年12月福岡
  2時間09分05秒6 宗 茂  (旭化成)     78年2月別大
  2時間08分38秒  瀬古利彦 (SB食品)     83年2月東京
  2時間08分15秒  中山竹通 (ダイエー)    85年4月ワールドカップ
  2時間07分35秒  児玉泰介 (旭化成)     86年10月北京
  2時間06分57秒  犬伏孝行 (大塚製薬)    99年9月ベルリン
  2時間06分51秒  藤田敦之 (富士通)     00年12月福岡
  2時間06分16秒  高岡寿成 (鐘紡)      02年10月シカゴ   


561 :アスリート名無しさん:04/02/26 00:46 ID:ytJrJCye
日本記録の変遷
  2時間26分42秒  孫 基禎(養正高普)    35年11月神宮
  2時間26分32秒  広島庫夫(旭化成)     55年5月大阪
  2時間23分51秒  広島庫夫(旭化成)     55年12月平和台
  2時間21分40秒  広島庫夫(旭化成)     57年12月平和台
  2時間20分42秒  中尾隆行(中京大)     60年12月福岡
  2時間18分54秒  中尾隆行(中京大)     61年3月名古屋
  2時間18分52秒  中尾隆行(東 急)     62年10月オーク
  2時間16分18秒4 寺沢 徹(倉 レ)     62年12月福岡
  2時間15分15秒8 寺沢 徹(倉 レ)     63年2月別府  


562 :アスリート名無しさん:04/02/26 00:56 ID:WTKu686S
>>558
アトムボーイ(原爆ボーイ)と呼ばれたのは
1951年に日本人初のボストンマラソン優勝を果たした
田中茂樹の方。

まぁ、私も当時のことは知りませんが。

563 :アスリート名無しさん:04/02/26 01:01 ID:Fw6xF12L
田中茂樹さんは僕の高校の先輩です。比婆西高校、今は庄原格致高校
から日大に進学。今は神奈川県在住。5年くらいにボストンマラソンの
金メダルが盗まれてしまいました。

564 :アスリート名無しさん:04/02/26 08:31 ID:e8rzlzCX
>>555
女子はQで決まりだから盛り上がらないんだよ

565 :アスリート名無しさん:04/02/26 09:40 ID:CZKtU65z
>>553
初マラソン初優勝ではなく初マラソン日本最高の間違えではないかな?
谷口は8分台をだしてないんだよな。7分40秒の北京国際が
疑惑の距離だから、セカンドタイムは2時間9分34秒になるのかな。
やはりタイム的には瀬古や中山に劣ってしまう。
確か89年の東京国際ではなかったか?9分34秒で走ったの。
あの時、昭和天皇が崩御して大会が1ヶ月のびたと思う。
谷口の独走。2位のベルギーのエルビック(だったかな?)に
3分の大差をつけた。気温が高かったのを覚えている。

そう考えると、サブテンを数多く出してるランナーは少ないなぁ。


566 :アスリート名無しさん:04/02/26 10:17 ID:8Ro374o1
>>565 >>553は基本的に正しい。但し小沢は小沢欽一で75年の別府毎日で
優勝したときが初マラソン。初マラソン最高の変遷は服部誠2.13.40(74
別府)=>小沢=>新宅ときて森下になるのだと思う。


567 :アスリート名無しさん:04/02/26 10:44 ID:/tb+HYZv
>>566
新宅のつぎに米重が入るはず


568 :アスリート名無しさん:04/02/26 10:50 ID:xIf/0qs1
30歳以上日本最高の変遷は?
35歳以上日本最高の変遷は?
40歳以上日本最高の変遷は?
19歳以下日本最高の変遷は?

569 :アスリート名無しさん:04/02/26 12:28 ID:Khq0nHrS
記憶が曖昧だが、
重松森雄は君原健二、円谷幸吉と同級生で、特に君原とは
福岡で同県人だった。九州電工時代は、君原よりも将来を
有望され熊日30kmで日本最高で優勝(君原は確か3位)。
九州電工から福岡大学に進学。
マラソンでは東京五輪の代表選考会で惨敗。それをバネに
翌年のボストンマラソンを2時間16分33秒で制覇。
そして2ヶ月足らずでウインザーマラソンに挑戦。
2時間12分00秒の世界最高記録を樹立した。
東京五輪のアベベの記録(2時間12分11秒2)は
不滅の記録といわれていたが、重松の快走はボストンの
勢いのまま達成された感じであった。
67年の国際マラソンでクレイトンに破られるまで
約2年間世界最高記録を保持。しかし重松は国内では
ほとんどマラソンで好成績をあげることができなかった
感じがする。重松のマラソン歴は1965年がピーク
のように思えた。比較的、円谷や森下に似た活躍期間
の短い選手といえるだろう。

570 :アスリート名無しさん:04/02/26 12:43 ID:Khq0nHrS
寺沢徹の全盛期はローマ五輪から東京五輪の間で
ちょうどオリンピックの狭間に位置し、不運といえば
不運であった。
このころの寺沢はほとんど国内レースで連勝。
他の選手が打倒寺沢を合い言葉に挑んだ感じがした。
特に世界最高をだした63年の別府大分マラソンは
新鋭の君原らと前半から好ラップを刻んだ。
幸運な事に行きと帰りの風が両方とも追い風に
なり好選手との競り合いもあり生まれた記録だ。
ローマ五輪でアベベがマークしたタイムを0,4秒
の最新だったがアベベの記録を破ったという
ことで話題になった。しかしこの記録もすぐに
破られたのを覚えている。
東京五輪の頃は少し力が落ちており、成長した
君原よりも評価は下がっていたと思う。


571 :アスリート名無しさん:04/02/26 13:34 ID:J1agAF6N
>>570 でも重松が世界新を出したウィンザーで自己記録(2時間13分41秒
だったと思う)で2位になり意地を見せている。その後、長くクラレの監督を
し、谷村等を育てた。

572 :アスリート名無しさん:04/02/26 14:37 ID:bkbQ3uSr
瀬古利彦 ベスト5
1、2時間8分27秒 優勝 86年 シカゴ
2、2時間8分38秒 優勝 83年 東京国際
3、2時間8分52秒 優勝 83年 福岡国際
4、2時間9分26秒 優勝 81年 ボストン
5、2時間9分45秒 優勝 80年 福岡国際


中山竹通 ベスト5

1、2時間8分15秒 2位 85年 W杯広島
2、2時間8分17秒 優勝 87年 福岡国際
3、2時間8分21秒 優勝 86年 アジア大会ソウル
4、2時間8分43秒 4位 86年 東京国際
5、2時間9分12秒 2位 91年 別大


谷口浩美 ベスト5

1、2時間7分40秒 2位 88年 北京国際
2、2時間9分34秒 優勝 89年 東京国際
3、2時間9分50秒 優勝 87年 ロンドン
4、2時間10分1秒 2位 85年 福岡国際
5、2時間10分6秒 優勝 87年 東京国際

573 :アスリート名無しさん:04/02/26 14:44 ID:bkbQ3uSr
宗茂 ベスト5

1,2時間9分5秒6 優勝 78年 別大
2、2時間9分11秒 3位 83年 福岡国際
3、2時間10分19秒 3位 82年 福岡国際
4、2時間10分23秒 優勝 85年 北京国際
5、2時間10分32秒 優勝 85年 東京国際


宗猛 ベスト5

1、2時間8分55秒 2位 83年 東京国際
2,2時間9分17秒 4位 83年 福岡国際
3、2時間9分49秒 2位 80年 福岡国際
4、2時間10分23秒 2位 85年 北京国際
5、2時間10分40秒 3位 79年 福岡国際
5、2時間10分40秒 2位 88年 北京国際

574 :アスリート名無しさん:04/02/26 14:59 ID:bkbQ3uSr
伊藤国光 ベスト5

1、2時間7分57秒 2位 86年 北京国際
2,2時間9分35秒 6位 83年 福岡国際
3、2時間9分37秒 2位 81年 福岡国際
4、2時間10分5秒 3位 80年 福岡国際
5、2時間11分19秒 3位 85年 福岡国際

575 :アスリート名無しさん:04/02/26 15:01 ID:e8rzlzCX
>>569
寺沢は東京オリンピックでの期待度は君原より下だったし15位と不発だった。
しかし寺沢の凄いところは、五輪での惨敗にめげずに、
1ヶ月半後の朝日国際で2時間14分48秒の日本最高で優勝。
別府毎日でも君原に止められるまで4連覇した。

576 :アスリート名無しさん:04/02/26 23:36 ID:ytJrJCye
亀レスだが
ttp://www.coara.or.jp/~hinoue/Olympic/olympic_tributes.html
は間違いが含まれている。モントリオールのラスト2.195kmが6分13秒はさすがに
あり得ない。大体独走でそんなに早くなる筈がない。実際には6分43秒で当時とし
ては異例に早いラップだが常識の範囲内。しかしモスクワでのゴメスのラップ(20-
25k14分13秒)は本当のようだ。

チェルピンスキーのモスクワは
15.19-15.31-15.10-15.24-15.12-15.32-15.16-15.48-6.43のシリーズ。

577 :アスリート名無しさん:04/02/27 00:29 ID:ro4v0ZkL
>>572-574
宗茂の2時間10分19秒は、81年の福岡(キャステラが世界最高出したレース)でのもの。
宗兄弟は82年の福岡は出ていない。
あと、やはり北京は除いてベスト5出して欲しいが。

578 :アスリート名無しさん:04/02/27 03:07 ID:zKdeqEZR
82年の福岡は伏兵のポール・バリンジャーが優勝したんだな。
その後、バリンジャーは何度か福岡走ったが、良い成績を
挙げられなかった。
82年は瀬古や宗兄弟が怪我や調整不足の時期だった。

579 :アスリート名無しさん:04/02/27 09:32 ID:EXulRXCd
日本選手権王者が一番強い
歴代王者は?  

580 :アスリート名無しさん:04/02/27 12:25 ID:Wc8JtIPL
歴代日本選手権者(1960年以降)
年度
1960 貞永信義        (鐘紡防府)       2゜34‘57”
1961 アベベ・ビキラ     (エチオピア)       2゜29‘27”
1962 寺沢徹          (倉レ)          2゜16‘18”4
1963 ジュリアン       (ニュー−ジーランド)  2゜18‘00”6
1964 君原健二       (八幡製鉄)        2゜17‘11”4
1965 広島日出国       (旭化成)        2゜18‘35”8
1966 御船芳郎        (リッカー)        2゜26‘01”6
1967 デレク・クレイトン   (オーストラリア)    2゜09‘36”4 
1968 宇佐美彰郎       (日大陸遊会)     2゜13‘49” 
1969 ジェローム・ドレイトン  (カナダ)       2゜11‘12”8
1970 ビル・アドコックス    (イギリス)      2゜13‘46”0
1971 フランク・ショーター   (アメリカ)      2゜12‘50”4
1972 フランク・ショーター   (アメリカ)      2゜12‘03”0
1973 フランク・ショーター   (アメリカ)      2゜11‘45”0
1974 宇佐美彰郎       (桜門陸遊会)    2゜13‘24”0


581 :アスリート名無しさん:04/02/27 12:52 ID:Wc8JtIPL
歴代日本選手権者(1975年以降)
1975 ジェローム・ドレイトン (カナダ)        2゜10‘08”4
1976 宇佐美彰郎       (桜門陸遊会)     2゜15‘22”0
1977 ウィリアム・ロジャース (アメリカ)       2゜10‘55”3
1978 宗猛            (旭化成)       2゜15‘15”4
1979 瀬古利彦         (早稲田大学)    2゜10‘35”
1980 弓削裕          (旭化成)       2゜15‘33”
1981 ロバート・キャステラ  (オーストラリア)   2゜08‘18”
1982 水久保三千男      (新日鉄八幡)    2゜15‘23”
1983 瀬古利彦         (エスビー食品)   2゜08‘52”
1984 岩瀬哲治         (リッカー)       2゜14‘24”
1985 新宅雅也         (エスビー食品)   2゜09‘51”
1986 渋谷俊浩         (雪印乳業)      2゜14‘55”
1987 中山竹通         (ダイエー)      2゜08‘18”
1988 瀬古利彦         (エスビー食品)   2゜12‘41”
1989 M・マティアス      (ポルトガル)     2゜12‘54”

582 :アスリート名無しさん:04/02/27 13:23 ID:Wc8JtIPL
歴代日本選手権者(1990年以降)
年度
1990 E・エルブイク   (ベルギー)     2゜13‘03”
1991 S・ムラシャニ  (タンザニア)     2゜11‘34”
1992 M・アレイリー  (アイルランド)    2゜13.‘15”
1993 D・セロン      (メキシコ)     2゜08‘51”
1994 鈴木賢一      (富士通)      2゜11‘05”
1995 大家正喜     (佐川急便)     2゜09‘33”
1996 田幸寛史     (エスビー食品)  2゜12‘24”
1997 早田俊幸     (アラコ)       2゜08‘07”
1998 小島宗幸     (旭化成)      2゜08‘43”
1999 小島宗幸     (旭化成)      2゜09‘09”
2000 藤田敦史     (富士通)      2゜06‘51”
2001 A・ペナ      (スペイン)      2゜07‘34”
2002 E・ワイナイナ   (コニカ)      2゜08‘03”
2003 国近友昭     (エスビー食品)  2゜07‘52”

583 :アスリート名無しさん:04/02/27 14:21 ID:V9EAbo1o
マイク・オレイリーは懐かしいなぁ。
びわ湖で後半の追い上げ急で捲くって優勝してたな。
タイムはそれほど良くなかったが、一応、びわ湖の
大会記録は出したことがあると思う。
この辺の地味な外国招待選手がなかなかいい味をだしてた。

近年で強かったのはマルテン・フィス(スペイン)では
ないだろうか?びわ湖で無類の強さを発揮。瀬古的な
体型を持っていて粘り強いのと後半、スピードの切り替えが
できる名ランナーだった。
たまたま昨年のニューヨークシティーマラソンを観戦したが、
市民ランナーの上位の方でTシャツ姿で力走していたフィスを見つけた
ときには大きな声で応援してしまった。

584 :アスリート名無しさん:04/02/27 16:03 ID:nzI1UYsi
>>580->>582 これ本当?少なくとも間違いは1972年のショーターの記録。
これは糞した1973年の毎日マラソンのときの記録。福岡だとすると2時間
10分30秒。しかし72年は選考会でもあったびわ湖毎日(宇佐美優勝)
のような気がする。本当だとして陸連の一貫性のなさが窺える。

1967 福岡, 68毎日,69福岡、70毎日、71福岡、72 73の毎日、73 福岡
74 毎日、75福岡 76 毎日 77 福岡 78毎日 79 福岡 ...
で偶数年がびわ湖毎日で奇数年が福岡になっている(1988までは確かに
そう, 1999年まではそんな感じ。2000年は何故か福岡。)。冗談みたい
だな。日本人1位にしたりトップでゴールした選手にしたり一貫性はまる
でなし。昔見ていたときは毎日が常に日本選手権と思っていたのだが、
そうではないということで勉強になりました。

585 :580:04/02/27 20:04 ID:VHtkyGAS
昨年の日本選手権(於横浜国際競技場)の、プログラムに掲載
されていたものなので、間違いないと思います。ただ、トラック、
フィールドについては開催場所がでているのですが、競歩も
含めてロードについては、コースについての記載はありませ
んでした。

586 :アスリート名無しさん:04/02/27 22:36 ID:IduwskKd
>>580
女子も書いてほしい。

587 :アスリート名無しさん:04/02/28 01:11 ID:RI5taJ32
>>582

メキシコ勢ではデオニシオ・セロンが懐かしい。
理想的なランニングフォームで走っていたが、夏マラソンには力を発揮でき
無かった気がする。(バルセロナ五輪途中棄権)
92年の別大での黄とのデットヒートが日本での
ベストレースか。
エスピノサ、モンドラゴン、カスティーヨ、ピタヨなどケニアが台頭する
前にメキシコ勢が強い時期があった。
少し前ならロドルフォ・ゴメス。モスクワ五輪6位や第1回の東京国際マラソン
で優勝。一時期、日本のランナーより格上のような評価があった。
83年の東京国際マラソンでの瀬古とのデットヒートが日本でのベストレース
になる。たしかこの時の2時間9分12秒が自己ベスト。ロス五輪は暑さに
勝てず途中棄権だった。

588 :アスリート名無しさん:04/02/28 01:37 ID:SLUa4gXa
>>581 弓削、水久保、岩瀬なんて渋い面々がでている。びわ湖だけどね。 
豪華な福岡国際にくらべてびわ湖のメンバーは通好みだね。
でも90年代前半に日本選手権を外国勢にとられて後半から日本勢1位に
タイトルを与えてるようだね。
五輪の前のシーズンは2度日本選手権があるんだね。
でもマラソンの日本選手権の存在ってあまり知られていないね。         

589 :アスリート名無しさん:04/02/28 03:10 ID:Q4N1xQYC
昨年の福岡の場合、「第57回福岡国際マラソン選手権大会、兼第87回日本陸上競技選手権大会男
子マラソン、兼アテネオリンピック代表選考会」が、陸連的には正式名称です。
しかし、90年代以降は毎年、世陸、アジア大会、オリンピックのいずれかの選考会を兼ねてるわけで、
選考会についてはテレビでも触れますが、日本選手権についてはまれにとってつけたようにいうだけ
ですね。

ちなみに男子マラソンは、1913年の第1回日本陸上競技選手権大会からあります。第1回から3回まで
は金栗四三が3連覇(但し距離は25マイル)、戦前のおもな選手のなかでは1928年の山田兼松、1935年
に孫其禎が優勝しています。




590 :アスリート名無しさん:04/02/28 09:19 ID:s/7/or1E
>>587
セロンはイエテボリの世界陸上で2位に入っているね。
当時のセロンはマラソンに5連勝するなど世界最強といわれ、
イエテボリでも断然の金メダル最有力候補だったが、
結局終盤にスペインのフィスのスパートに敗れ、
それ以降は落ち目になってしまった。

ちなみにフィスは日本の瀬古、谷口にあこがれて長距離を始めたそうだがこれは常識?

591 :アスリート名無しさん:04/02/28 09:42 ID:s2Zl1H68
高岡は伊藤→早田から流れる終盤失速というカネボウの伝統芸wもあってか、優勝とは無縁だけど、
ベスト3(と言っても初マラソン含めて3回だけだけど)の平均タイムが2時間8分切ってて、トラックの
ポテンシャルをマラソンでも一応発揮したと言う意味でも最強に個人的にあげたい気がする。
2時間09分41秒(01年福岡) 2時間06分16秒(02年シカゴ) 2時間07分59秒(03年福岡)

中山が「自分でも8分台を4回だした。今の選手は7分台を4回出せ」みたいなこと言ってたけど、高岡
がシドニーでマラソン目指しとけば可能性は充分あった気がする(シドニーの入賞は立派だったが)


592 :アスリート名無しさん:04/02/28 13:18 ID:KCjqZhSb
近年の世陸では篠原(神戸製鋼)、打越(雪印)がそれぞれ5位(東京、イエテボリ)
で入賞。オリンピックの代表になる(メダルや入賞できなくても)のと、世陸で入賞
するのとではどちらが価値があるのだろうか?まあ皆、五輪代表の方をとるとは
思うのだが、、最強を語る上で世陸の成績&存在はどのような評価なのだろうか。

593 :アスリート名無しさん:04/02/29 00:51 ID:gASdjhtY
良スレですね。モスクワからバルセロナまでどの大会でもメダルを期待できるエース格
がいた(メダルは92の森下の銀だけだけど)黄金時代は話題豊富ですね。 age

594 :アスリート名無しさん:04/02/29 01:14 ID:nrneBows
前にも出ていたけど、中山の2大会連続4位ってのは凄いね

595 :アスリート名無しさん:04/02/29 02:30 ID:AzM7Y64a
87年福岡の中山は中間点ラップが61分55秒。
谷口や新宅、工藤は前半から子供扱いだったな。
瀬古は中山の走りを初めて見たとき、こいつ人間か!と思ったと言ってる。
宗茂が中山の練習を見てこりゃとてもかなわないと思い引退を決意したのも有名。
宗猛は84年ロス五輪4位だが、4位では自慢にもならんと思っていたが、
88年ソウル五輪で中山が4位になったとき、あの中山でも4位か!と思って
自分の4位もなかなかのもんだと思えるようになったらしい。
日本マラソン全盛期の猛者たちが沈黙してしまうぐらいの凄みが全盛期の中山にはあった。


596 :アスリート名無しさん:04/02/29 09:38 ID:MnfOY07U
>>584
中山の五輪の「結果」としてみると凄いものだと思います。
しかし595さんが書いてますが、ソウルの時は中山の全盛期。
さらにソウルのコースを3回も走った経験がある中で、メダル
が獲れなかった4位。
バルセロナの時の4位は当時の力からするとアッパレの4位
だと思うけど、競技場に入ってからフライガングに
抜かれての4位だったので残念な印象の方が強い。

同じ連続入賞の君原(2位、5位)のケースがあるが、
君原の当時のメダル&入賞は大試合で実力以上のもの
をだしたものだったと思う。


(ロス五輪から入賞は6位から8位になったので
東京五輪の君原8位は当時は入賞ではない)



597 :アスリート名無しさん:04/02/29 11:09 ID:RwSwemnN
>>592 五輪=大相撲本場所
    世界陸上=大相撲トーナメント みたいなものと思っているんだけど

>596 中山はソウル五輪のときは大本命
なぜあの時だけ消極的なレースをしたのか解せない

でも最近は中山のようにワクワクさせるランナーがいないな
中山は記録が出やすい都市型レースを批判しているのを週刊誌でよくみるんだけど
その意見には自分も賛成
地力がなくなったな最近の日本は
中山が野に下っている陸上界の体質も問題だな 
宗茂を引退に追い込んだ中山の練習はどんな練習なんだ? 



598 :アスリート名無しさん:04/02/29 12:14 ID:gASdjhtY
>>597
>中山はソウル五輪のときは大本命
>なぜあの時だけ消極的なレースをしたのか解せない

いつだったか、瀬古との対談で「体重が落ちていて、最初から出ると最後まで持たないので仕方なく
ああいうレースになった」とか本人は言ってたけどね。
当時は落ち着きのない、もったいないレースをしたなと感じた。

599 :アスリート名無しさん:04/02/29 13:23 ID:wdtNfR/i
そういえばソウル五輪はロス五輪の時に比べると日本の
フィーバーぶりも落ち着いていた感じがしたな。
瀬古が30キロ過ぎに先頭集団から離れた時はロスの時の
ようなショックはなかった。やはり3月のびわ湖の走りを
見てしまうと「もう先頭集団は限界か?」と思ったものだ。

ボルディン、ワキウリ、サラと先頭集団を形成していた
中山は「さあここから」という場所で離れたの残念だった。
あのようなレースをするなら得意の逃げ切りをして欲しい
と当時は皆、思っていたと思う。
しかしよく考えるとサラも焦りからかスパートのタイミングが
早すぎた。あの切り替えができるのであればラスト1kmから
実行すれば金メダルの可能性があった。

瀬古、イカンガー、キャステラのロス五輪組を含め
ソウルの時の優勝候補はそれぞれほろ苦いレース展開をして
いる。
ボルディン、ワキウリが持ち味の粘り強さを発揮して
金、銀を獲得したのが印象的。

一時期、ボルディンは最速ではないが暑さに強い
ところを発揮していた。

600 :アスリート名無しさん:04/02/29 23:24 ID:FVZ21oFX
イタリアのボルディンも良い選手だったな。
ソウルの中山、あの4人の中ではやっぱり一番へばっていたよ。
開設の宇佐美さんはまだまだ余裕ありすぎるなんていってたけど、
そうは見えなかったなあ。あれが実力だったんじゃないの。
ダグラス・ワキウリの銀も実力。瀬古も実力だけどゴールで
ガッツポーズをしてあれれとおもふた。自分に勝ったという意味らしい。
やっぱり一杯一杯だったんだね、

601 :アスリート名無しさん:04/02/29 23:28 ID:rze2L0Lc
>>598
実際、中山はいつもに比べてウエイトが軽かったように思う。
集団が4人にしぼられた時、全員身長が180cmくらい
の大型ランナーになった。あの時は迫力を感じた。
ロス、ソウルは「目標、金メダル。最低メダル」
のような感覚だったから宗猛4位、中山4位と世界的には
りっぱな成績だったが消化不良を起こす感じだった。

でもここまで日本男子マラソンのレベルが世界から
置いていかれるとは思ってもいなかったので今では
五輪で日本選手が優勝争いを観れただけでも
善しとしなければいけないのか。。
もうすこし頑張れよ。男子マラソン陣。怪我が多すぎる。

602 :アスリート名無しさん:04/02/29 23:41 ID:rze2L0Lc
>>600
瀬古の9位は健闘だった感じがした。30kmで集団から離れた時は
ロス・ロリンピックの時のようにずるずる二桁順位まで後退するかと
思った。
翌日のスポーツ新聞は中山の4位のニュースより瀬古のゴール時での
ガッツポーズの写真を大きく取り上げ「瀬古、お疲れ様」「瀬古引退」
の字が出てたのが印象に残っている。

603 :アスリート名無しさん:04/03/01 17:01 ID:NV9IhTJw
中山は1位じゃなけりゃ2位もビリも同じといって陸連のお偉方にお叱りを
受けた記憶が。ソウル五輪の中山4位は当時のマラソン界における中山の
地位を考えたら大惨敗の印象だったな。あの中山も五輪は重圧だったのかな。    

604 :アスリート名無しさん:04/03/01 18:13 ID:PN0lfwDi
>>594
チェルピンスキーのすごさがより一層分かるだろ(w

605 :アスリート名無しさん:04/03/01 19:02 ID:1GzJ3lBD
>>599

サラがあそこで仕掛けたのは、前年のローマ世界陸上でワキウリに負けてる為。
だから早めに仕掛けたのは、焦りもあったが前轍を踏まない為勝負を掛けたのだろう。
結果失敗だったが。
もし残り1kmでサラがスパートしてても、多分ボルディンかワキウリに負けてたと思う。

でもよくよく考えると、サラは
87年ローマ世界陸上銀メダル
88年ソウル五輪銅メダル
91年東京世界陸上銀メダル
を取っている。
これだけ多くの世界大会でメダルを取ったマラソンランナーはそう居ないだろう。
他にもワールドカップ優勝とか当時世界歴代2位の好記録とかを考慮すると、
サラは間違いなく80年代最強のランナーの1人に挙げられるな。

606 :アスリート名無しさん:04/03/02 00:07 ID:YPLMMHU7
>>605
ハッサン・アーメド・サラは本当にすごい選手でした。
ジブチという紅海の入り口のエチオピアに隣接する小国の選手。
ロッテルダムでベライン・デンシモと死闘を演じ、世界記録を樹立したデンシモに『サラという強い相手と競り合えたおかげだ』と
言わしめた。
サラは独走がなく、勝つにしろ負けるにしろ接戦が多い、見てておもしろい記憶に残る選手でしたね。

607 :アスリート名無しさん:04/03/02 00:29 ID:Fmg4impG
ジブチの怪人・アーメド・サラ 
しかし、ジブチはこの後に続く選手はいなかったな
    

608 :アスリート名無しさん:04/03/02 18:33 ID:csGhNK70
瀬古のガッツポーズについて結構、批判的な記事も多かった。
"瀬古にいたっては自分に勝ったとガッツポーズまでする始末"
中山も陸連に無茶苦茶言われてたな。
今まで中山に批判されてきたので、ここぞとばかりに・・・

609 :アスリート名無しさん:04/03/02 23:09 ID:+6iPB+T+
誰が何と言っても増田明美。
衝撃的だった。

610 :アスリート名無しさん:04/03/03 22:36 ID:AuOM6xVn
ヒマだったので大学の図書館でフラフラしてたら、
君原の「マラソンの青春」って本を見つけたので読んでみた。
ずっと君原はオリンピックだけ活躍した人だと思ってたけど、
ボストン優勝、ウィンザー優勝、アジア大会2連覇、毎日マラソン2連覇、別府毎日4勝、
結構すごい人だったんだな。まあ当時のアジア大会とかどのくらいのレベルだったのか良く知らないが。

611 :アスリート名無しさん:04/03/03 23:00 ID:meNjG0hM
Q本と君原の半自伝本がちがうのは、Qの場合はオリンピックの結果の前から最終稿が完了していることだ
シドニー金!やればできる! その意味ではロルーぺのゲロの理由が知りたい

612 :アスリート名無しさん:04/03/03 23:00 ID:KCBaT3/N
君原は福岡優勝が無かったのか?
あと同じシーズンで12月の福岡に優勝して年明けのボストンでも優勝した選手はこれまでいますか?
それからウィンザーマラソンってどういう大会ですか? 今ではその名前を聞きませんが今もある大会ですか?     

613 :アスリート名無しさん:04/03/03 23:20 ID:AuOM6xVn
>>612
瀬古が80年12月の福岡で勝って翌81年4月のボストンでも勝ってる。
君原は福岡は2度しか走ってないみたいですね。
しかもミュンヘンの前年と直後という競技生活の晩年だったため11位、5位とあまり振るわなかったようです。

614 :アスリート名無しさん:04/03/04 09:28 ID:jizV7tQD
福岡は1966年に国際マラソンと改称してから殆ど外国人が優勝していた。
ライアン-クレイトン-アドコックス-ドレイトン-宇佐美-ショーター(4連覇)
-ドレイトン(連覇)-ロジャース-瀬古(3連覇)-キャステラ
という感じ。世界一を決めるのに相応しいマラソンと思われていたし、
好記録も頻出した。例えば66年の年間世界最高-世界最高-歴代2位-歴代3位
-歴代3位-年間2位-歴代3位-年間3位-年間3位あたり-歴代5位-?-
年間1位-...という感じだった(かなりいいかげん)。日本人も60年代後半
は世界歴代10位以内を頻繁に出していたが優勝には届かず宇佐美でも1回
きりで瀬古の出現までは優勝は簡単にできるものと思われていなかった。

60年代のボストンは日本人が上位独占したりしていたので君原が優勝するの
は当然。アジア大会では(他の陸上種目を含めて)日本は無敵だった。前回
のアジア大会では金が2つだったが中国が参加する前(70バンコクまで)は
20近くの金を陸上だけで取っていた。

ウィンザーマラソンは1908年のロンドンオリンピックで42.195kmと定まった
由緒あるコースで行われるマラソン。バッキンガム?とウィンザー城を結ぶ
コース。もともとは26マイルのコースだったが王女が部屋からゴールを見た
いといったために半端な距離が足された。コシチュ(チェコ)、ボストンと
並び3大マラソンと呼ばれたがいつの間にか消滅した。

615 :アスリート名無しさん:04/03/05 05:05 ID:A7h+D/9U
アジア大会男子マラソン日本人メダリスト
1951ニューデリーA西田勝雄(中央大)
1954マニラ  競技なし
1958東京   B貞永信義(鐘紡)
1962ジャカルタ @長田正幸(八幡製鉄)
1966バンコク @君原健二(八幡製鉄)A重松森雄(倉敷レイヨン)
1970バンコク @君原健二(新日鉄)A御船芳郎(リッカー)
1974テヘラン 競技なし
1978バンコク @坂本峰照(日立造船)
1982ニューデリー A阿部文明(新日本電気)
1986ソウル  @中山竹通(ダイエー)A谷口浩美(旭化成)
1990北京   A清水悟(鐘紡)
1994広島   A早田俊幸(鐘紡)
1998バンコク A真内明(旭化成)
2002プサン  A清水康次(NTT西日本)B武井隆次(エスビー食品)


616 :アスリート名無しさん:04/03/05 20:41 ID:z8MW6o7R
アジア大会の金メダルはそういえば中山以来いないのか
ウィンザーマラソンは無くなってしまったのか
福岡も海の中道コースから市内循環コースになってからなんか威厳というものが
なくなった 海の中道にあった折り返しのポールがなぜか印象的だった 
ルール変更でボストンも記録未公認になるのかな?
最近のマラソンコースは記録優先の感じでなんかパワーを感じなくなったな
あと福岡県出身で八幡製鉄所属の君原が福岡で晩年に2回しか走らなかったのは
なぜかな?  

617 :アスリート名無しさん:04/03/06 00:18 ID:UcjQirR0
1978の坂本の走りを考えると夏マラソンの考え方が整理出来るんじゃないかな???

618 :アスリート名無しさん:04/03/06 08:53 ID:W71D01Gi
>>617 坂本ではなくて阪本。ちょっと意味不明。1978年は12月後半にバンコクで
アジア大会があり、一線級は皆福岡に参加したために福岡に参加しない中では
評価の高かった阪本が参加し、金。当時の持ちタイムは15分台で、アジア大会は
早朝に行われ、凡タイムながら阪本が楽勝したと記憶する。それくらいアジアの
レベルは低かった。翌年の福岡で北朝鮮のチェが11分台、翌々年にコが10分台を
出したときは驚いたが、その位弱かったということ。韓国は記憶にない。

619 :アスリート名無しさん:04/03/06 14:30 ID:UcjQirR0
ベストは大したこと無くても悪環境でもタイムを落とさないというのが肝要なのではと


620 :アスリート名無しさん:04/03/06 14:40 ID:4wH67pSh
>>619
東京の世界選手権で入賞した篠原太もベストは大したこと無かったが、大舞台で結果を残したよな。

621 :アスリート名無しさん:04/03/07 19:43 ID:MzPQTkcs
>>616
>あと福岡県出身で八幡製鉄所属の君原が福岡で晩年に2回しか走らなかったのは
なぜかな? 

福岡はメキシコ五輪の2年前が第1回という若い大会だったから、
国内1(世界1?)大会と認識された頃には、もう競技生活の晩年になってたんだろう。
 


622 :アスリート名無しさん:04/03/07 21:30 ID:DqPX/U5a
君原は77年の福岡にも出てるから、福岡は3回出場ではないかな?
たしか2時間17分台で走っていたはず。
すでに第一線は退いていたわけだが。

623 :アスリート名無しさん:04/03/07 22:28 ID:CrPyDA5M
>>621 福岡は1947年が第1回じゃなかったのか?
当時は国際マラソンはどこでやっていたの?  

624 :アスリート名無しさん:04/03/07 23:10 ID:5g5dKzY8
>>622 78年も出ている。78年は17位で日本人6位だった。79年もね。上のランナー
歴を信用すると多分73年の別府で優勝して引退宣言をしたときまでの記録と思われ
る。その後もいろいろ走って好成績を収めたが本人の気持ちでは単にランニングを
楽しんだだけ。

>>623 福岡マラソンは1947年に朝日国際マラソンと名付けてスタートしたが、
外人選手はそんなに数多く参加していなかった。1966年に今までのスタイルを
改めて一流選手を相当数呼ぶという新機軸を打ち出して、その名も「国際マラ
ソン」と改めた。多分10回やった後の76年から福岡国際マラソンに改称したが
近年まで66年からの回数で第何回と数えていた。ごく最近になって前身の朝日
マラソンを含めて数えるようになった。

君原は朝日マラソンは走っていると思われる。

625 :アスリート名無しさん:04/03/08 22:12 ID:LH6ffG4a
>>623
現福岡国際の第1回金栗賞朝日国際マラソンは金栗四三の故郷熊本で開催。
それ以降は福岡に定着するまでしばらくは前年優勝者の出身地で
開催されてたそうだ。

626 :アスリート名無しさん:04/03/09 10:18 ID:XMIQW/54
強いランナーか、

猪木が走れれば猪木だな。

627 :アスリート名無しさん:04/03/09 21:00 ID:gCRXdNe8
>>625 前年優勝者の出身地で大会を開催するなんて現在では
考えられないシステムだな

628 :アスリート名無しさん:04/03/09 22:20 ID:fFSA8iMH
マラソンって冬だろ?優勝者が北海道の人だったら困るな。

629 :アスリート名無しさん:04/03/10 09:39 ID:hNNMrH5l
マラソンって冬だろ?優勝者がノルウェーの人だったら困るな。


630 :アスリート名無しさん:04/03/10 12:36 ID:xZ+Z1w0q
>>629
国際マラソンだったら危険だな(w

631 :アスリート名無しさん:04/03/10 13:22 ID:///Uo8Uf
朝日国際マラソンの歴代開催地は?
コースの変遷は?

632 :アスリート名無しさん:04/03/10 16:37 ID:dR/dQERr
フズタド最強

633 :アスリート名無しさん:04/03/10 22:34 ID:ywPUpdQw
>>631
昔の朝日新聞に書いてあった漠然とした記憶によると
第1回の熊本以降は広島、高松、鎌倉など。
福岡定着は13回大会以降だったが
東京五輪の前年は五輪のプレ大会として東京で開催されたような。

634 :アスリート名無しさん:04/03/10 23:52 ID:K/rW0SwE
物の本によると確かに朝日国際マラソンは
第1回(1947) 熊本、第2回琴平(香川)、第3回静岡、第4回広島、第5回福岡、
第6回宇部(山口)、第7回名古屋、第8回鎌倉、第9回福岡、第10回名古屋、
第11回福岡、第12回栃木で確かに第17回はプレオリンピック(東京国際スポ
ーツ大会)兼日本選手権となっている。多分金栗賞がついていたのは第10回迄。
前年優勝者の地元で開催されたという話は多分間違い。第1回から優勝者の所属県
は山口、岐阜、福岡、山口、徳島、福岡(多分)、山口、アルゼンチン、フィン
ランドという感じである。因みに毎日マラソンも毎回開催地が変わっていたようだ。

それからだいぶ前の投稿で日本記録の変遷が途中飛んでいたが
1963.2.17 寺沢徹(クラレ)2.15.15.8=世界新、別府
1964.12.6 寺沢徹(クラレ)2.14.48.2 朝日(福岡)
1965.2.7 寺沢徹(クラレ)2.14.38.0 別府
1965.6.12 重松森雄(福岡大)2.12.00.0=世界新、 ウィンザー
  このときの2位の寺沢も2.13.41.0で日本最高を上回る

という具合になっている。

635 :アスリート名無しさん:04/03/11 17:53 ID:9f4eQF27
ここのスレはマラソンの歴史がでていて面白いな
でも鎌倉のマラソンなんて信じられないな 湘南海岸がコースだったのかな?
毎日マラソンが交通渋滞の影響で琵琶湖へ変更になったとかは聞いてはいたが
国際マラソンはずっと福岡でやっていたものだと思っていたので勉強になります 
 

636 :アスリート名無しさん:04/03/13 22:42 ID:Vq6y3g2G
びわ湖マラソンは80年代に海外招待選手を「アジア限定」にしていた
時期があった。招待選手で2時間20分台なんてこともあって
この時期のびわ湖は福岡、東京、別大に大きく水を開けられた。
出場選手も一流とはいかず、マラソンマニアにとって渋い人選
の戦いとして面白かったが、一般的には地味な大会であった。
この頃、アジア招待で頑張っていたのは北朝鮮のリー・ジョン・
ヒョンくらいだろう。日本人以外でアジアでは2カ国目のサブテン
ランナーになった。
その後、90年代になって外人招待枠が世界各国に広がり、
びわ湖の威厳も復活した感じだ。
80年代のそうような背景もあり72年のフランク・ショーター
の大会記録2時間12分3秒が長々残ったように思う。
しかし途中でトイレをしてだしたこの記録、偉大ではある。

637 :アスリート名無しさん:04/03/13 23:02 ID:UiS05G4F
>>636
昔のびわ湖は実業団マラソンの性格が強かったんだろうね

638 :アスリート名無しさん:04/03/14 07:34 ID:v23xTVGB
昔ってオリンピックの前年に「プレ・五輪」が開催されていたけど
今は、世陸がその役割を果たしているのかな?
プレ五輪といえば79年のモスクワプレで宗茂が4−5人で競技場に
帰ってきたマラソンがあったな。
ソビエトのモイセーエフに続いて2位でゴールしたが、なんだかんだ
茂はラストのスプリントがあった。中山より上ではないか。

その後、こんな集団でラスト勝負になった大会はないと思うが。。

639 :アスリート名無しさん:04/03/14 07:54 ID:v23xTVGB
>>402.404
宗茂が粘り強いと思ったのが79年の別大マラソンの時。
前スレでもでていたが、アメリカのデック・ベアーズレーと
宗兄弟が出入りの激しいレースをした。ほとんど強風の
ために出入りが激しくなった感じだ。たしかスタートして
5キロを14分台で入ったが、途中にラップが17分台に
までなっているはず。あの時、途中で茂が集団から後退。
一時期100mくらいまで差がついた。
しかしここで猛とベアーズレーが風を嫌って互いが
先頭に立たせるための手段としてジグザグ走法を繰り返した。
道の端から端まで移動するくらい極端なもので(すこし大袈裟だが)
ラップが急激にダウン。その間の茂が生き返り集団に追いつく。
後半はベアーズレーを引き離し、兄弟でラスト勝負。
この頃は大分市営陸上競技場がゴールではなく、たしか
国際観光港?がゴールだった。茂のスプリントが冴え渡り
別大2度目の優勝。2時間11分30秒だったことを覚えている。

宗兄弟には瀬古と一緒で華があった。別大で宗が走るとなると
大会が盛り上がりをみせていたなぁ。


640 :アスリート名無しさん:04/03/14 10:47 ID:e3zv6mvB
>>639 風よけ別大は81年。茂のスプリントは結構すごかった。中山のスプリント
はからっきし駄目。79年のプレオリンピック(スパルタキアード)は多分5人での
トラック勝負だった。1位から3位まで同タイム。4位が1秒差。5位はトップから
5秒差。茂は位置取りに失敗したような気がするが、最後で2位に上がった。この
ときは伊藤が8位、猛は10位(但しトップと1分41秒差)、喜多は惨敗(48位)。

因みに前に出たボストンマラソンの優勝者は結構いて
田中茂樹(1951)=atomic boy,山田敬蔵(53),浜村秀雄(55),重松森雄(65)=このとき
宍戸が2位、中尾が3位など6位までの5人を日本が独占。君原健二(66)=このとき
4位まで佐々木、寺沢、岡部の順で独占。ウネ谷義秋(69),瀬古利彦(81,87)
となる。60年代は日本人選手が出れば優勝確実だった。



641 :アスリート名無しさん:04/03/14 11:51 ID:c+yEwAVJ
>>640
60年代の強い日本マラソン陣もビキラ・アベベには
なかなか勝てなかった。
もちろんローマ、東京の両五輪の他、毎日マラソンや
韓国国際マラソンでも独走で日本勢を突き放している。
初めて日本勢に黒星を喫したのは晩年のメキシコ五輪では
ないかと思う。

そして60年代の最強日本勢の力が下降気味になった70年代
に台頭してきたのがフランク・ショーター。
福岡を観ていても日本勢はショーターに勝つ気がしなかった。
宇佐美もショーターには全敗に近い対戦成績ではないかと
思う。
これだけ日本勢が勝てなかったのはアベベ、ショーターの
二人ではないかと思う。

逆に80年代は外国勢が勝てなかったのが瀬古ということ
になると思う。

642 :アスリート名無しさん:04/03/14 12:08 ID:YSwV/tf+
80年代 マラソン最強ランナー分布表(例)

1980 瀬古
1981 瀬古、キャステラ
1982 キャステラ
1983 キャステラ
1984 ロペス
1985 ロペス
1986 中山
1987 中山
1988 サラ、ワキウリ
1989 ボルディン


643 :アスリート名無しさん:04/03/14 17:34 ID:e3zv6mvB
>>641 宇佐美はショーターに全敗でいいと思う。

日本勢が強くても(福岡)国際は勝てなかった。福岡が国際マラソンと改称
してからの優勝者はライアン(NZ),クレイトン(豪)、アドコックス(英)、ドレイ
トン(加)。

多分70年1月1日の世界歴代10傑は(落ちているのもあるかもしれないが)

1. 2.08.33.6 D. クレイトン(豪)69.5 アントワープ
2. 2.10.47.8 D. アドコックス(英)68.12 福岡
3. 2.11.12.8 J. ドレイトン(加) 69.12 福岡
4. 2.11.17.0 佐々木精一郎(九州電工)67.12 福岡
5. 2.11.27.8 宇佐美彰朗(桜門陸友会)69.5 アントワープ
6. 2.11.54.4 R. ヒル(英)69.12 福岡
7. 2.12.00.0 重松森雄(福岡大)65.6 ウィンザー
8. 2.12.03.4 谷村隼美(クラレ)69.12 福岡
9. 2.12.11.2 B. アベべ(エチオピア)64.10 東京五輪
10. 2.12.25.8 マッケンジー(NZ) 67.12 福岡

くらいであった。宇佐美が70年の福岡で日本記録を出したときの10傑を覚えている
が谷村はまだ入っていたので、(70年にオレイリーの2.11.12.(ボストン2位)が
加わり、ヒルが記録を更新して2.09.28を出している。ヒルのボストンの記録も宇佐
美の記録より良かった)、こんなものだろう。マッケンジーの前に一人くらい入って
いるかもしれない。ここから高速レースとしての福岡の圧倒的立場がわかる。

今は高岡の記録が辛うじて歴代9位。去年の国近の記録は年度ランキングの18位。隔世
の感がある。

644 :アスリート名無しさん:04/03/14 22:43 ID:QhKqByeC
ロナルド・ヒル(イギリス)も息の長い選手だったな。ミュンヘン五輪で君原の次でゴール
(6位)があるが、東京8年前の東京五輪にも出場している。

>>643 上の表を見ると、当時の福岡国際の猛威がわかりますね。
1965年に朝日国際から「国際マラソン」に名称変更して第1回大会として
から「福岡で勝つ」ことは世界歴代記録でも最上位の方へ入るという事を
約束されたくらいの価値と権威があった。
そしてぱったりと国際マラソンで日本勢が勝てなくなった。ボストンやウインザー
マラソンは独占できても国際は3位までになかなか入れない。それを考えると
間違いなく70年代くらいまでは福岡国際マラソンは世界最高峰の大会だった
と思う。
そんな中、70年の宇佐美と78年の瀬古の優勝は当時、話題になったものだ。

645 :アスリート名無しさん:04/03/14 22:56 ID:e3zv6mvB
>>643 オレイリーの記録は2.11.17.0。70年では宇佐美に負けたムーアが2.11.35.8
で走っている。ということで70年終了の時点では谷村が歴代10位で計算が合う。

因みに10年後の80.1.1現在だと

1. 2.08.33.6 D.クレイトン(豪)
2. 2.09.05.6 宗茂 (旭化成)78.2 別大
3. 2.09.12.2 I. トンプソン(英)74.2 英連邦
4. 2.09.27. W.ロジャース(米)79.4ボストン
5. 2.09.28.0 R. ヒル(英)70.7 英連邦
6. 2.09.55.0 W. チェルピンスキー(東独)76.7 モントリオール五輪
7. 2.10.00. M. スメ(ベルギー)79
8. 2.10.08.4 J. ドレイトン(加)75.12 福岡
9. 2.10.12. 瀬古利彦(早大)79.4 ボストン
10.2.10.20.0 D. チェトル(豪)75.12 福岡

という具合だったと記憶する。スメは全くの無名選手だったが記録を出したという
報告があった。しかしモスクワでも不発。総じて70年代は世界的に見ても低迷の10
年というところだろう。そのことはローマ(60)でアベべが出した世界記録が2.15.16.2
であったこととクレイトンの記録や70年1月時点での10傑を比較すれば分かる。
また福岡の地位低下も顕著。

ショーターは初マラソンは全米選手権?でムーアと同着ということで71年の福岡に
乗り込んできた。結局、初マラソンからモントリオールまでは不敗だったと思う。

646 :アスリート名無しさん:04/03/14 23:38 ID:fNJHJbTM
ショーターはレース中に糞しても勝つんだから最強。
沿道で振られている旗で尻を拭いても勝つんだから最強。


647 :アスリート名無しさん:04/03/15 00:20 ID:fzQTJN8J
>>646
さらにショーターはそのとき糞している現場を写真に撮られてしまった。
そいつを速攻ボコッてフィルムを取り上げたらしい。
その後、素知らぬ顔でコースに戻って100M差をあっという間に逆転。

648 :アスリート名無しさん:04/03/15 00:24 ID:Z0Eefwfz
ベスト100
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~louis/horseracing/a_century_of_champions.htm

649 :アスリート名無しさん:04/03/15 01:05 ID:cQdGf5ZM
>>647
あれ、確か公園のトイレか公衆トイレへはいったんじゃなかったっけ。
旗を三本ほど、引っこ抜いて持ってたのは覚えてるけど。

650 :アスリート名無しさん:04/03/15 06:47 ID:VGlzh67F
>>643
佐々木、重松、谷村は世界歴代10傑以内のタイムをだしたことは評価できるが
(特に重松、佐々木は世界最高のタイムをだしている。佐々木は2位だったが)
あまりにピークの期間が身近すぎる。

やはりタイム、国際大会の実績、活躍期間を考えると60年代、70年代は
寺沢、君原、采谷、宇佐美の4人が最強メンバーになるんじゃないかな。

80年代は瀬古、宗兄弟、中山。 90年代が谷口、森下ではないかな。


651 :アスリート名無しさん:04/03/15 06:50 ID:VGlzh67F
どうしても佐々木精一郎は大塚製薬の犬伏と印象がカブる。

652 :アスリート名無しさん:04/03/15 09:07 ID:YlnW8kvr
1950年代から日本勢が「世界歴代10傑」にかならず一人は入っているはずだ。
誰か資料をお持ちの方は調べてほしいのだが、70年代後半に日本勢が
不振の頃があり、宇佐美に日本最高記録2時間10分37秒8が世界歴代10位
まで落ちて、ついに日本勢が陥落するかと思われたが78年に宗茂が
2時間9分5秒6の当時世界歴代2位をだした経緯がある。その後も日本勢の
歴代10傑からの陥落はないと思うのだが。。
そして今、高岡の日本最高(2時間6分16秒)を最新できないとついに日本勢
が歴代10傑から陥落する。もう時間の問題になってきてしまった。

日本男子マラソンも体操やバレー、レスリングのような世界からとり残される
ことになるのか。

653 :アスリート名無しさん:04/03/15 10:13 ID:sqayDmRD
>>652 資料は家にあるので調べられますが、現在藤田の記録が歴代28-29位
あたりであることを考えると高岡の記録が出る前は歴代10傑から外れていた
と思います。また犬伏の記録が出た前の記録は児玉の記録なので、かなり長
いこと外れていたのは間違いないし、相当下の方までランキングは下がって
いたと思います。

今のランキングを見ると6分台後半は普通に出せるのですが、前半はまだ稀
という感じですね。7分台はもはや何の意味もなく年間30人出せます。そ
の意味でも諏訪に負けた数秒のことより高岡の実績を買ってほしい気がします
(スレ違いです)。

>>651 佐々木は確かにピークは短いですが犬伏とは一緒になりません。当時
13分台で世界歴代の5位くらいになれたのですが67年の別府で君原と競って
2位(で歴代10傑にランクイン)。福岡での世界最高を上回る激走。それ
から翌年での別府での大会新と67-68年にかけてのパフォーマンスは素晴らし
いものがありました。多分ショーターが用を足したレースでも前半は好走し
て佐々木復活かと言われたような気がします。後半はぼろぼろだったと思い
ます。重松は65年はボストンも勝ったのでその一年だけの気がします。
東京のトライアルは4位ですね。

654 :アスリート名無しさん:04/03/15 12:05 ID:O+4PO6N7
デンシモの世界最高、児玉の日本最高は長い間破られなかったのはどうしてかな?
それが破られてからこの5年間ぐらいの間に急に記録が動きだしたのはどうしてか?
かつての記録の歴史でこんなことがあったか?    

655 :アスリート名無しさん:04/03/15 13:27 ID:NcBR6Gy9
>>654 クレイトンの記録は12年も破られませんでした。80年代は割と活発
に記録の更新があったと思います。児玉の記録は疑惑の記録であり、更に
日本が低迷期に入ったから。10000の記録も15年くらい破られませんでした。

そういうことの起こる理由は多分次のようなことでしょう。80年代はプロ化
に伴い高速都市レースの設定や選手のモチベーションの向上。最近の記録は
(素質のある)アフリカ系選手の本格的参入。実際にダ・コスタが記録を
出すまでにアフリカ系選手によるトラックの記録の向上は素晴らしいものが
ありましたが、その層がマラソンに進出しなかったというのはあると思いま
す。

もう一つはペースメークの設定があると思います。デンシモの記録は
ほぼ5km 15分のペースなのでそれを破るには平均14分台で走らないといけ
ません。そこにはかなり心理的抵抗があると思われます。記録を狙う上では
最初からペースを設定しないといけないので実現可能であると信じることが
必要です。

656 :アスリート名無しさん:04/03/15 23:29 ID:3V09hwtR
クレイトンとデンシモの保持期間を足すと22年か。
マラソンはタイムがでなくなる時期に入ると10年近く停滞する。
今後のマラソンもこのような状態になるかもしれない。
女子のクリスチャンセンが2時間21分6秒を出した時も
「すぐに20分を突破」といわれたが、それから高橋尚子が
20分を突破するまで15年近くかかった。

しかし近年の記録を出す為の平均ペースはどうにかならないものか。
どの大会みてもレース展開が一緒でつまらん。
世陸、五輪以外「予想外」の展開がおきにくいのもオールド
ファンとしては寂しい限りだ。

657 :アスリート名無しさん:04/03/16 00:39 ID:dIrZ8OLX
>>646-647,>>649
素人の質問で申し訳ないが、レース中にコースアウトして公園とかのトイレで
糞してもコースアウト失格にならないのか?


658 :アスリート名無しさん:04/03/16 01:30 ID:qDQCoXSa
>>656
ベラエン・デンシモ(エチオピア)も本当に「強い」という感じはあまりしなかったな。
86年の東京国際で鮮烈デビューを飾ったころは「アフリカの底知れぬパワー」を
感じたものだが、ロッテルダムなどの海外マラソンでは強さを発揮していたが、
その後、日本にたびたび来日するが、世界最高記録保持者の貫禄はなく期待外れな
タイムや順位で走っていた印象が強い。
デンシモに比べると日本ではメコネンの方が日本勢の強力なライバルであった。
あの頃のエチオピア勢はバルチャ、ネディ、を含めてたびたび日本でマラソンを
走ってくれたなぁ。

659 :アスリート名無しさん:04/03/16 08:40 ID:uX1QazEU
 瀬古の強いけど世界的な知名度で古いけど金栗四三

660 :アスリート名無しさん:04/03/16 11:21 ID:7AJArXFO
新宅同様、1万mのタイムからすると米重修一(旭化成)のマラソン成績
も物足りない感じがした。
初マラソン日本最高記録(2時間12分)を別大マラソンでマークした
時、順調なマラソンデビューを飾ったと思ったものだがその後、マラソンは
尻つぼみ。ユニバーシアードで活躍、1万mで27分40秒台のタイムから
してやはりマラソンに適正がなかったようだ。

米重とともに箱根駅伝の申し子、大塚正美も将来を期待されたが米重以上に
実績を残せなかった。あの時の箱根の快走をみると瀬古以上の選手に
なると思ったものだが。。

661 :アスリート名無しさん:04/03/16 14:58 ID:qJpRYrwb
大塚は関東の学生のレベルが低かったので目立ったことを考慮しないと
駄目。学年が上の村越(福岡大)や川口(中京大)には勝てなかったし、
4年では箱根こそ勝ったものの1年下の米重の方が上だった。10000の記録
は28'30”台だった上にナイキに入ってから伸びなかった。ユニバーシアード
でも入賞経験なし。箱根の記録も長く残ったが、瀬古のときからコース変更
があったから新記録になっただけのことでそれほど傑出した存在ではなかった。
大塚、米重の後はさらにレベルが低下したのでそれすらなかなか越えられな
かったので誤解されている面もある。

米重は学生時代から大舞台に強くユニバーシアードで金、銅、銅と取っており
ラストのキックも効くタイプだった。旭化成に入ってからも順調に伸び5000で
瀬古の日本記録を破り、3000でも記録を作り、10000でも瀬古と遜色のない歴代
3位の記録(27'43"04=現在も歴代4位)を残した。それらの記録を樹立した
ソウルでは入賞も期待された。トラックランナーとして日本では一流であったが
マラソンランナーとして成功するには転向が遅すぎたかもしれない。もちろん、
適性がないと自覚したから転向しなかったのだろう。

662 :アスリート名無しさん:04/03/16 15:20 ID:NjgHA931
春になると帽子の川口孝志郎を思い出す
  

663 :アスリート名無しさん:04/03/16 17:53 ID:kxu0U1uR
高橋 尚子だろ

664 :アスリート名無しさん:04/03/16 17:57 ID:Avq4hG7g
古いけど大正3年の2時間19分ってとんでもない記録だね。
走路も舗装されておらずシューズもなく足袋のようなもので走っていた。
これで世界記録なんて諸外国の人には信じられなかったらしい。
今では日本は10分をきるかどうかか基準になってしまった。
他に世界記録を出した人はいたのかな。
ボストン優勝者は複数いてタイムも優秀のはずだけど、わかる人は教えて下さい。

665 :アスリート名無しさん:04/03/16 18:06 ID:Avq4hG7g
 去年の陸上雑誌で選ばれていたのは君原と有森だったと思う。
 君原は記録はたいしたものはないが失敗レースがないこと、オリンピックに3度出場してすべて上位に入ったこと、安定感で高い評価。
 有森は勝負強さと長くトップレベルにいたことで高評価だった。

 瀬古は大勝負と夏に弱かったことがマイナスだろう。
 高橋は成績の割に評価が低い。

666 :アスリート名無しさん:04/03/16 20:05 ID:sD5sGKRs
 近年ではショーターが凄いと思う。
 トラックの練習をマラソンに持ち込んで成功した。
 古くはザトペック。
 5000、10000、マラソンと優勝って人間離れしている。

667 :アスリート名無しさん:04/03/16 20:10 ID:sD5sGKRs
 古すぎるけど名前を失念したけど戦前のロスの10000メートル4位の選手。
マラソン転向の予定は戦争のおかげでふいとなった。
大人気だったらしい。

668 :アスリート名無しさん:04/03/16 20:25 ID:3BDLNAvH
>658
 世界記録保持者が日本で実力を見せつけたレースは少ない。
 日本に来るのは金の為で、記録は問題外の人ばかりだよ。
 日本は実力のある人を甘やかして駄目にしてない?
 

669 :アスリート名無しさん:04/03/16 22:00 ID:yjJZcGuA
田中茂樹や山田敬三がボストンマラソンを制した50年代は
ボストンの距離が短く参考記録になってるのが寂しい。
そのため、当時は優勝と世界最高記録を打ち立てた事として
そうとうなフィーバーぶりだったようだ。

>>667
村社講平。当時最強だったフィンランド勢と互角に戦い、終始先頭を
走る快走ぶりだった。
長く1万mの日本記録を保持し、たしか東京五輪の時は寺沢のコーチ
だったように思う。



670 :アスリート名無しさん:04/03/16 22:03 ID:2SiCHEF5
浅利純子のベストランていつ?
女子最強は浅利だったのではないかと思うのだが。
不遇だったね。


671 :アスリート名無しさん :04/03/16 22:05 ID:xUPju1jN
研ナオコだろ

672 :アスリート名無しさん:04/03/16 22:46 ID:NjgHA931
>>666 人間機関車ザトベックは来日の経験はありますか?

673 :アスリート名無しさん:04/03/16 23:48 ID:nn1pPhmX
>>667 村社はベルリンだね。5000も4位になってヒトラーが絶賛したとか。俺の
家には当時のドイツの新聞があるが1面ででかでかと報道されている。リーフェン
スタールかオーエンスか村社というくらいの人気者だったとのこと。映像で見た
ことがあるが、両種目とも最後の1周の鐘が鳴るまではリードしていたけど、鐘と
同時に取り残された感じ。フィンランドの3人とは大人と子供くらいに背の差があ
った。

>>664 金栗翁の記録はそんなによくないよ。また公認されなかった。距離の計測は
いい加減だったろうし。世界記録を作って公認されたのは既にこのスレで出ている
ように寺沢と重松のみ。佐々木は世界記録を上回ったがそのレースで2位。

>>652 2000年1月1日の歴代ランキングで犬伏が99年に出した新記録は既に11位に
なっている。ランキングは

1. 2.05.42 K. ハヌーシ(モロッコ)99.10.24 シカゴ?
2. 2.06.05 R. ダ・コスタ(ブラジル)98.9.20 ベルリン
3. 2.06.16 M. タヌイ(ケニア)99.10.24 シカゴ
4. 2.06.33 G. タイス(南ア)99.2.14 東京
5. 2.06.44 J. キプロノ(ケニア)99.9.26 ベルリン
6. 2.06.47 F. キプロノ(ケニア)99.10.17 NY?
7. 2.06.49 T. ジェファール(エチオピア)99.10.17 NY?
8. 2.06.50 B. デンシモ(エチオピア)88.4.17 ロッテルダム
W. キプラガト(ケニア)99.10.17 NY?
10.2.06.54 O. オソロ(ケニア)99.10.11
11.2.06.57 犬伏孝行(大塚製薬)99.9.26 ベルリン

こうやってみると低迷を脱した98年の翌年の99年に爆発的にレベルが上がった
ことが分かる。

674 :アスリート名無しさん:04/03/17 00:58 ID:+FmqfKe4
>665
>高橋は成績の割に評価が低い。

それは不思議だ。どうして?

675 ::04/03/17 03:18 ID:67m18fgB
女だからだろ。

高橋より速く走れる人間は沢山いるじゃんか。

676 :アスリート名無しさん:04/03/17 03:19 ID:67m18fgB
2時間4分55秒



677 :アスリート名無しさん:04/03/17 05:27 ID:9+rppFAe
中山が今の時代、全盛期だったらペースメーカーの
イーブンペースを蹴散らしてでも独走態勢を築いたのだろうか。
それくらい今では考えられないくらいの独走劇。破壊力。

後にも先のもこの前半の破壊力でレースをぶち壊すのは
中山しかいないだろう。
そういう意味で、中山の85年から87年までの全盛期は
日本マラソン史上「最強」。

678 :アスリート名無しさん:04/03/17 07:01 ID:3ZgnxRiF
>>677
85年ソウル国際
86年アジア大会
87年福岡国際
90年東京国際
が中山の独走レース。他の選手の精神的な部分までズタズタにして
本人らしいレースをさせない中山の脅威の飛び出し。
懐かしい。高岡あたりに一度、実行してもらいたいレース展開だな。


679 :アスリート名無しさん:04/03/17 08:33 ID:596SAmdP
665ですけど評価が低いのはおそらくまだ現役だからだと思います。
名前が挙がっているのはほとんど引退した人でした。
男女10人ずつの中で現役は彼女だけだったように思います。
引退したらもっと評価は上がるように思います。
 意外なのは中山も評価が低いことで安定感に欠けるからかなと思いました。
 山下や浅利もランク外なのは妥当なんでしょうか?


680 :アスリート名無しさん:04/03/17 08:42 ID:596SAmdP
>670
 1993年の世界選手権優勝。
 増田さんだったか専門家が観戦して完璧なレースだったと驚いていた。
当時は松野に注目が集まっていて中継もなかったのじゃないかな。
世界選手権初優勝、日本記録タイ、東京マラソン2度優勝と輝かしい記録の割に評価が低いと思っている。
ひっそりとしりぞいていってマスコミも話題にしなかったのは寂しすぎた。

681 :アスリート名無しさん:04/03/17 09:01 ID:596SAmdP
 667ですが673さん詳しい情報をありがとうございます。
 家に当時のドイツの新聞があるというのは凄いですね。
 何故1面なのでしょうか、優勝したわけでもないのに。
 ベルリンの有名な日本人は水泳の前畑、棒高跳びの大江、3段跳び優勝の人ですか。

 

682 :アスリート名無しさん:04/03/17 09:07 ID:5rnHucC6
>>679 ランクアップ希望。私が選ぶなら。
(女子)1. 高橋、2.有森, 3.浅利、4. 山下,5. 増田, 6. 佐々木、7.鈴木
8. 野口 9.山口、10. 安倍
位かね。次点は宮原。やはり現役は挙げにくいよね。男子は(日本代表の
韓国の選手も入れて)
1. 孫 2.瀬古、3.君原, 4.円谷, 5.谷口、6. 中山 7.南 8. 宗茂 9. 宗猛
10. 宇佐美
くらいかな。世界記録を作った寺沢や重松はオリンピックで結果を出せなかった。


683 :アスリート名無しさん:04/03/17 09:35 ID:KPCxaF0S
>682
 私なら野口を入れるならもっと上位にします.宮原を入れて安部はランク外にします。
増田はマラソンでは好成績が少なくないですか.彼女より好タイムの30後半の今も現役の弘山を入れます。
上位3人は私も同じです。
 男子の孫と南は入れていいのでしょうか。情報を知らないので教えて下さい。


684 :アスリート名無しさん:04/03/17 09:49 ID:5rnHucC6
孫基禎(ttp://www.uinet.or.jp/~miya/berlin_26.jpg)はベルリン五輪の
チャンピオン。韓国出身で戦後にベルリンのスタジアムに刻まれた国を韓国
に変更したことやバルセロナの黄の優勝を喜んだことでも知られる。
ベルリンのレースはゲバラ(アルゼンチン)が中盤大きくリードするも
イーブンペースの孫が終盤逆転。公認の世界記録を上回る記録で優勝。
南昇竜はやはり韓国人でそのときの日本代表かつ銅メダルリスト。

まあ(今は)日本人ではないから入れていいかと言われればわかりません。
やはり記録よりも世界大会(オリンピック)で結果を出した人を上位に
並べたくなります。

685 :アスリート名無しさん:04/03/17 10:02 ID:KPCxaF0S
 私は素人なんで前の話なんですがサラという選手が凄くて世界選手権でメダルを何度もとってこんな人は他にいないだろうという文ですが

オリンピックで2度優勝している アベベ がいるでしょう。
マラソンのイメージを変えました。

この人は 晩年に負けたぐらいでしょう。
 記録はどうだったのかは知りません。
 勝ちまくったのはショーター  タフなのはザトペック
 現役のレースを見たかったです。
 村山さんの投球で想像するしかありません。(苦笑)




686 :アスリート名無しさん:04/03/17 10:12 ID:l/sTfvtg
60年代以降の男子最強ランキング

1位 瀬古利彦 (80モスクワ、84ロス、88ソウル五輪代表)
2位 君原健二 (64東京、68メキシコ、72ミュンヘン五輪代表)
3位 谷口浩美 (91東京世界選手権、92バルセロナ、96アトランタ五輪代表)
4位 中山竹通 (88ソウル、92バルセロナ五輪、91東京世界選手権代表)
5位 宗茂 (76モントリオール、80モスクワ、84ロス五輪代表)
6位 宗猛 (80モスクワ、84ロス五輪代表)
7位 宇佐美彰朗 (68メキシコ、72ミュンヘン、76モントリオール五輪代表)
8位 森下広一 (92バルセロナ五輪代表)
9位 円谷幸吉 (64東京五輪代表)
10位 寺沢徹 (64東京五輪代表)

60年代以前の選手はあまりに資料が少なすぎるのと伝説化が進んでいるので
除外して考えました。
五輪の成績、海外マラソンの活躍の他、活躍年数の長さも考慮。

60年代、70年代、80年代はノミネートできても90年代後半から現在で
ランキングできる選手がなかなかいない。

687 :アスリート名無しさん:04/03/17 11:01 ID:ow5n0ZeY
宗兄弟がそんなに凄いとはどうも思えない

688 :アスリート名無しさん:04/03/17 11:16 ID:2ZJukzao
>>687 日本人は兄弟が好きだからな
若貴兄弟、シャープ兄弟 ブームの影に兄弟あり
特に宗兄弟は双子ということもあり社会的に注目を浴びマラソンブームの
牽引車となった
また世間でも兄は茂を応援し弟は猛を応援するという現象もおきた  

689 :アスリート名無しさん:04/03/17 13:04 ID:7QJb3S7l
>>687
宗兄弟は単体で走っていたらそれほど力を発揮してなかったと思うが、
やはり長年に渡り、世界の強豪と互角の戦いをしていたと思うなぁ。
宗兄弟の全盛期(78年から83年くらいか)に海外で走ってないから
インパクトが弱いと思うが。

長年に日本の第一線で走っていたのは相当評価できると思う。
それくらいマラソンはピークが短期間の選手が多いということかな。

690 :アスリート名無しさん:04/03/17 13:29 ID:7QJb3S7l
>>686
寺沢徹の全盛期をリアルタイムでみている人が少ないから評価が難しいね。
(円谷にも言えると思うがーただ伝記などを見ると東京五輪以外、マラソンは
まともに走れていない印象。)


オレも森下は下位の順位に賛成。中山に3勝しているが、中山は選手生活の晩年。
全盛期の中山(85−87年)と比べると中山の方が上だろう。

谷口はタイムより優勝回数の多さと安定感が君原に似ている感じ。
森下はあまりにピークが短い。

691 :アスリート名無しさん:04/03/17 15:56 ID:fnIJ4GoN
  渡  辺  康  幸  最  強

692 :アスリート名無しさん:04/03/17 18:25 ID:k7A3HQHr
>686
谷口が上位ですが世界選手権優勝、オリンピック8位、連続出場のせいですか。
安定して長く活躍しましたが印象としては中山の方が上です。
宇佐美は記録はいいようですが、大レースはだめだったようですね。
東京で期待されていたのは君原だったようですが、プレッシャーで惨敗。
ノーマークだった円谷がメダルを獲得。
その後は真面目すぎて潰されてしまいました。

693 :686:04/03/17 22:21 ID:sWT4ZQww
>>692
谷口はマラソンで7勝している(海外のロッテルダム、ロンドンを含む)のと、
当時4年に1回だった世界選手権の勝利を評価していました。

タイムでは中山の圧勝ですが、中山はマラソンでの勝利(4勝)と海外マラソンの
勝利がソウルだけなので谷口を上にしたまでです。
これは人によって評価の仕方が違うでしょうね。



694 :クーベルタン男爵:04/03/17 23:02 ID:mq7eyLE2
なんと言っても中山。オリンピック世界選手権での勝利はないが最初から
自分のペースでガンガン飛ばしていくレースはとても魅力的だった。

695 :アスリート名無しさん:04/03/17 23:05 ID:Hy8SotM2
旭化成の高尾憲司でしょうね


696 :アスリート名無しさん:04/03/18 06:09 ID:bQaDDSiM
60年代以降の世界最速ランナーは

アベベ、マモ、ショーター、クレイトン、ロジャース、チェルピンスキー、キャステラ
ロペス、サラ、メコネン、ハヌーシ、アベラ、テルカドあたりがノミネートかな。

他の人によってはリスモン、Sジョーンズ、ワキウリ、ボルディン、デンシモ、セロン、
フィスなんかが入るかな。

この中に日本選手が何人か入ると思う。

やはり60年代以前、例えばザトペックやピータースのころはあまりに資料が
無さ過ぎる。

697 :アスリート名無しさん:04/03/18 08:12 ID:tSBWobta
 男子の現役が出てこないのが寂しいですね。
高岡とかは安定していなくて駄目ですか。
藤田も話題にはなっていたのですがね。
今の世界最強は誰なんでしょうか。

698 :アスリート名無しさん:04/03/18 09:18 ID:QzJLIStv
やはり史上最強のマラソンランナーはアベべだと思う。史上初のオリンピック2連覇を
何れも世界最高でなしとげるのは人間業ではない。ショーター同様メキシコまでの勝率
も100%に近い。(1回くらい棄権があったかもしれない)。東京の記録は従来の記録を
1分半以上短縮している。文句なくナンバー1。60年以降の2位はショーター。記録
こそ歴代3位を記録しただけだが、オリンピック金、銀でその間も全勝。3位は差があって
難しい。記録なら大記録を2回出したクレイトンがダントツだがオリンピックで結果を
出せなかった。チェルピンスキーはオリンピック以外はほぼ全敗だし、、。ロペスはまと
もに走ったレースが少なすぎ。後の選手はいずれも帯に短したすきに長し。

699 :アスリート名無しさん:04/03/18 09:37 ID:sUNMqVY1
記録に残る選手と記憶に残る選手に系統を分けた場合、それぞれの特徴がでるのでは?

700 :アスリート名無しさん:04/03/18 10:28 ID:4C5d+aqX
確かサラザールが81年にNY?で世界最高を出した時
読売新聞だっだと記憶しているが「これでようやく疑惑の世界最高
記録が消える」という感じの記事を載せていた。
クレイトンの記録は距離不足が噂されており、欧州の
記録本では無視されていたらしい。
そして記録がでた大会は翌年からコースを変更したか、
中止になったらしい(このへんはあまり記事の内容を
覚えていない)。
だけどこのサラザールの記録も後に距離不足で取消されたんだよね?

701 :アスリート名無しさん:04/03/18 10:53 ID:LfO5TG7u
>>697
今の現役選手は残念ながら「歴代最強ランナー」ベスト10に入るのは難しいと思う。
まだ現役だから今後、実績を作る可能性があることと、やはり怪我が多すぎると思う。
昔の選手も怪我はあったがせめてブランクは1年くらいだろう。藤田などは森下や渡辺
と同じくこのままいくと現役引退も考えられるかもしれない。
高岡はここで五輪代表をつかめなかったのは痛かったと思う。今後、高岡のマラソン歴
を語る上で最強ランクにはなかなか入れにくいのではないか。(五輪補欠なのでまだ出場
できないとは決まっていないが。。)

>>698
私も1位アベベ、2位ショーターだと思います。アベベの五輪2連覇。それもいずれも
世界最高記録で走ったわけだから今後もこのような選手が出てくるとは考えにくい。

ショーターは私が見ていた中で、日本選手がショーターに勝てる気がしなかった。
タイムが2時間10分30秒だったが潜在能力は当時(71−76年)でもサブテン
を出せる力はあった。
3位を決めるとしたらオーストラリア勢のクレイトンかキャステラだろう。
クレイトンの世界最高記録は2つ足すと66年から81年までの15年間。とてつもない
保持期間だった。キャステラのマラソン経歴は歴代の一流選手の中でも内容が濃い。

5位はキャステラと同じく経歴の濃さでイカンガー。
以下6位アベラ、7位ロペス、8位チェルピンスキー、9位サラ、10位マモ。

私がリアルタイムで見た選手のみで構成してみたけど、順位をつけるのって
難しいですね。

702 :アスリート名無しさん:04/03/18 10:58 ID:LfO5TG7u
>>700
クレイトンの記録は「疑惑」といわれた時期がたしかにあった。
北京国際同様。マラソンは記録だけで「最強」を決めるのは難しい。

703 :アスリート名無しさん:04/03/18 11:38 ID:bd9+4kXC
癒し系の土佐にきまってるじゃん

704 :アスリート名無しさん:04/03/18 12:00 ID:QzJLIStv
なるほどクレイトンの記録は疑惑があったか。それでも67年の人類史上初の
サブ10(それも2分24秒の大幅な更新)は動かしがたい事実。12年
ちょっと経っても(疑惑の記録を抹消しても)歴代5位に位置する大変な
記録であり歴史を作ったことは紛れもない事実。

81年のNYはサラザールとローの男女2人が世界最高を作ったけどその後、
抹消。抹消されたのは多分、もっといい記録(S.ジョーンズ)が出てから
だと記憶するからキャステラが世界最高記録保持者だったというのは
ピンとこない。

705 :アスリート名無しさん:04/03/18 14:30 ID:el1rwz5q
>>1
高橋尚子にきまってるだろ

706 :アスリート名無しさん:04/03/18 14:33 ID:FdLKTPb7
>>704 そうそうサラザールの記録抹消は
84年にステーブ・ジョーンズが2時間8分5秒を出した後だったね。
一応、過去を手繰るとキャステラが世界最高記録保持者(2時間8分18秒)
になっては「はず」だった事になるわけだ。

>>701一時期、イカンガーが2時間8分台を連発してましたね。
キャステラは2時間7分台のタイムを出したけれど、当時のランナー
としてはキャステラとイカンガーがいちばん2時間9分を切って
いるでしょうね。

707 :アスリート名無しさん:04/03/18 14:39 ID:VmUGTNg4
>>702
80年後半の日本歴代記録は1−3位まで北京国際で出した記録だった。
あの頃はタイムを出すなら「北京」のようなイメージがあった。
その後、北京国際マラソンはコースを変更してるのか?

708 :アスリート名無しさん:04/03/18 21:53 ID:nDzKA6Os
瀬古くらいから「年1回」のマラソン出場が増えてきた。
当時、「もっと瀬古はマラソン走らないのかな」と思ったものだが
今、男女を含め1年に1回が当たり前になっている。
そんなに調整が必要なのか?60年代の選手や海外の選手は
年に2−3回は走ってるぞ。

709 :アスリート名無しさん:04/03/19 01:27 ID:zr+XSVd9
昔は世界のトップは福岡〜ボストン〜五輪という流れなのかな?
途中ウィンザーとかいれながら
日本選手も福岡〜びわ湖というのは当然だった
びわ湖が4月開催のころは別大もはさんだ選手もいた
年1回というのはスポンサーによる囲い込みがあるのかな?
イメージ的には瀬古が福岡、宗兄弟が別大、中山が東京という感じなんだけど    

710 :アスリート名無しさん:04/03/19 05:15 ID:0V3PZRwb
>>709
今回の男子マラソンの例で小島忠幸のように福岡を走って、びわ湖を走れるの
だから走ることは可能ではあると思う。

マラソンのピーク(全盛期)はそんなに長くはないのだからその間は
外国選手のように回数を走ったほうが良いと思うのだがなぁ。

中山が海外を走れないで東京国際が優先だったのはしょうがない感じだ。
当時、東京国際のサブタイトルにダイエーカップなんてついてたからな。



711 :アスリート名無しさん:04/03/19 08:26 ID:gWs0Zf/y
最強ランキング

1、アベベ・ビキラ(エチオピア)
2、フランク・ショーター(アメリカ)
3、エミール・ザトペック(チェコスロバキア)
4、デレク・クレイトン(オーストラリア)
5、瀬古利彦(日本)
6、ロバート・ド・キャステラ(オーストラリア)
7、ワルデマル・チェルピンスキー(東ドイツ)
8、アーメド・サラ(ジブチ)
9、ジュマ・イカンガー(タンザニア)
10、カルロス・ロペス(ポルトガル)


712 :アスリート名無しさん:04/03/19 12:52 ID:7+k4roq5
怪我の御三家は森下、渡辺、藤田かな?

バルセロナ後の森下の走り。
順調に調整したマラソンの渡辺。
アテネの前の五輪選考会で走る藤田。

見てみたかったのはオレだけではなかったはず。

713 :アスリート名無しさん:04/03/20 00:38 ID:dLM9/Q3S
逆に伊藤国光と谷口浩美は故障が少なかった

714 :アスリート名無しさん:04/03/20 01:07 ID:0lboALwv
>>708>>709>>710

そういえば昔の選手は、2月の東京→4月の海外マラソンという
ハードスケジュールをごく当たり前に連戦する選手が多かったですね。
その中でも、88年のイカンガーやメコネン、95年のルソー、03年のラマダーニなど、
連続して2時間10分切りの好走する選手も数多く見られた記憶があります。
(正確には、ラマダーニは2月の別大でしたが)
日本人でも、谷口浩美は87年の東京とロンドンで連戦、
東京ではほぼ自己記録、ロンドンでは自己記録更新&自身初の2時間10分切りして
いずれも優勝しています。
要するに、連戦できる体質&調子そして実力があれば、2ヶ月間隔の連戦も十分可能でしょう。
中山の場合、レース間隔を空けるタイプだったので、東京出場の後に4月の海外マラソンを
走るということは1回も無かったのは仕方の無い事でした。
でも中山が全盛期の85〜87年頃に、もし1回でも海外マラソン(ロッテルダムなどの高速コース)
を走ってたら・・・と想像すると、中山には無理しても東京の後に海外マラソンを走って欲しかった。
あと、最近の日本人選手は連戦しないというより、連戦できる実力が無いのではないでしょうか?
確かに最近は2時間10分切りをする日本人選手が昔よりも遥かに増えましたが、
「速さ」ではなく、「強さ」という点において、昔のごく当たり前に連戦していた選手に比べて
遥かに劣っている選手が多いのが残念に思います。

715 :アスリート名無しさん:04/03/20 01:47 ID:Vu/jQSSY
>>714 オレも中山の全盛期での海外マラソンは見てみたかった。

あの頃の、特にロッテルダムかシカゴマラソンだな。
中山って先行逃げ切りタイプだったけど、今のように
ペースメーカーのいるレースだったら間違いなく
2時間6分後半から7分台は出せたのではないかな。
85年のW杯もイーブンペースで結果をだしていたからね。
この頃の海外マラソンは高速コースの他に暗黙の了解で
ペースメーカーが存在していた。
85年のロッテルダムでロペスが世界最高を出した時は
のちに2時間7分ランナーになるルソー(ベルギー)ら
がペースメーカーをしたのは有名な話だしな。
そういった意味でも中山には85年から87年くらいの
間で海外を走ってもらいたかった(海外ではソウルを
走ってはいるが)
瀬古が海外マラソン賞金レースの先駆者になった変わりに
中山がアジア大会などに出場と陸連からの「損な役回り」
をしていた印象がある。


716 :アスリート名無しさん:04/03/20 01:58 ID://SVTMl4
「長距離」って括りで考えたら、間違いなく高岡寿成だと思います。
「短距離」は言うまでも無く末続慎吾。

717 :アスリート名無しさん:04/03/20 02:36 ID:A1jrn4oQ
>>716
このスレタイは、「日本史上もっとも強いランナーは?」
確かに高岡の記録はすごいが、強いランナーには思えない。

718 :アスリート名無しさん:04/03/20 08:55 ID:GtG3iub0
>>711
ロペスの評価が低すぎ。
少なくとも遺憾ガーよりは絶対強い

719 :711:04/03/20 09:43 ID:pCR3VqDI
>>718
ロペスのマラソンは強い時は強いが、途中棄権が多すぎるのと
トラックからの移行が遅かった為、活躍期間が短かった。
イカンガーが上なのは、86−89年前後で2時間8分台を
連発した安定感を評価してみた。
一時期の一瞬の強さはロペスの方が上だとは思うが、、

720 :アスリート名無しさん:04/03/20 13:58 ID:VUUEwKKS
>>672
ザトペックの現役時代の来日は知らないけれど、85年のW杯広島大会の時、たしか
被爆地・広島ということもあって「平和の灯火」聖火リレーがあった。
君原ら往年のランナーが聖火リレーする中にザトペックがいたなぁ。
だいぶ年をとって太ってしまっていたが手を振りながら聖火リレーに参加してた。
その後、亡くなってますよね。

721 :アスリート名無しさん:04/03/20 14:52 ID:WEf84U1/
>>715

ヴァンサン・ルソーは85年のカルロス・ロペスの人類史上初の
2時間7分台の世界記録樹立の時のペースメーカーを務め、
また自身は人類史上初の2時間7分台を2回以上記録したランナーになった。
もし、「史上最強のペースメーカー」というカテゴリーがあったら、
ヴァンサン・ルソーは間違いなくノミネートされるだろう。

722 :アスリート名無しさん:04/03/20 15:32 ID:A2RkJvr9
>>711
アベベは勝負最優先のオリンピックで世界最高を出したのが凄いな。今じゃ考えられない。


723 :アスリート名無しさん:04/03/20 22:24 ID:YQ2xy7n4
>>1
高橋尚子にきまってるだろ

724 :アスリート名無しさん:04/03/20 23:53 ID:ul3+dk/3
今、ケニアが強いといっても
外国の高速マラソンはトラックを走るのと同じような条件に
整ってるからな。そしてケニア勢は安定感がない。もっぱら
ジェンガやワイナイナのような日本育ちのランナーだけが
安定してる感じだ。
今の選手とを比べてもアベベとショーターの強さは抜きん出ている。

725 :アスリート名無しさん:04/03/21 03:57 ID:x4Ne1slF
瀬古、中山、、、懐かしいなぁ。まだ子ども時代。
ロス五輪前後からしか記憶がないので、
瀬古の最盛期は知らない(モスクワの辺り)。
だったので、途中の「おじさんばっか」の発言に、
他人事のように笑っていたが、
よく考えたら今年で30だった・・・

726 :アスリート名無しさん:04/03/21 04:12 ID:Y/FxpaHT
>>725
俺はロス五輪が中学生。
初めて見たマラソンが(というか記憶があるのは)79年の福岡国際。
あの瀬古、宗兄弟のワンツースリーの時だ。
瀬古、宗兄弟、中山、伊藤、喜多、児玉、谷口、、、、などの80年代の
日本最強メンバーの記憶がぎりぎり残っている世代になるんだなぁ。

むかしの男子マラソンは本当に面白かった。いまのマラソン、録画して
保存したいと思わないからな。
83年の東京国際や福岡国際、85年のW杯広島大会あたりは永久保存
したいくらいの内容だった。

727 :アスリート名無しさん:04/03/21 04:44 ID:x4Ne1slF
>>726
いま、1からもう一度読み直してきました。
確かに80年代前半は面白かったっていう記憶があります。
小学校低学年?中学年なので、レース展開とかはウル覚えですが、
とにかく面白かったことは記憶しています
(少しでも見ればいろいろ思い出せると思いますが)。
その後の印象が少ないのは、日本人が弱くなったこともあるかもしれませんが、
なんというか。強さを感じないと言うのか。
見ていても、何となく42.195kmが終わってしまった、と言う感じになる。
ここのスレは詳しい人が多いので、見ていて、「そうだったな!」
って思うこともあるのでとても楽しいです。

728 :アスリート名無しさん:04/03/21 05:10 ID:dNThcgON
「日本マラソン史上もっとも強いランナーは?」から「マラソン史上もっとも強いランナーは?」
みたいな流れも出てきてるね(w

ロスの瀬古や、ソウルの中山は海外からも金かどうかは知らないけどメダル候補に挙げられて
いたのではと想像する(例えばスポイラのメダル予想)。五輪前に世界が認めたメダル候補という
観点から語ったらどうなんでしょう?実際に金をとったQは別にしてちょっと気になる。提供できる
データは皆無なんですけど「通」の人、良かったら教えてくらはい <(_ _)>

729 :アスリート名無しさん:04/03/21 08:07 ID:QmjWNiiB
最近のマラソン中継がツマランのはペースメイカーのせいだ

>>728
ロスの時は瀬古とド・キャステラ、それに地元のサラザールが優勝候補で
ロペスは伏兵扱いだったと思う。
ソウルの時は忘れた。

それにしてもロス五輪以降の男子マラソンの優勝者を全部当てた香具師って
世界中に何人いるのだろう・・・

730 :アスリート名無しさん:04/03/21 10:09 ID:z5bSgFNY
>>728

年 開催地 (一番期待の高い選手名) (メダルの予想(5段階評価))
64年 東京 君原健二 4
68年 メキシコ 佐々木精一郎 3
72年 ミュンヘン 宇佐美彰朗 5
76年 モントリオール 宇佐美彰朗 1
80年 モスクワ 瀬古利彦 5
84年 ロサンゼルス 瀬古利彦 5
88年 ソウル 中山竹通 5
92年 バルセロナ 谷口浩美 5
96年 アトランタ 実井謙二郎 1
00年 シドニー 犬伏孝行 1

海外雑誌などの専門的な評価は分かりませんが、私は東京五輪以降の大会は
リアルタイムで見ています。その時の世間の評判はこんな感じだったと思い
ます。メキシコの時の佐々木は記録的にはメダル候補に入ってもおかしく
なかったのですが、前評判は大記録を樹立したクレイトン、プレ五輪で優勝
したベルギーのローランツ、それと五輪3連覇を目指すアベベの評判が高かった
と記憶しています。
ミュンヘンの宇佐美、モスクワ、ロスの瀬古、ソウルの中山、バルセロナの
谷口が国内外でメダル候補として評価されていたと思います。


731 :アスリート名無しさん:04/03/21 13:27 ID:GrSh8nqU
>>728
メキシコの時のアベベは故障しているという情報もあったが
前評判はやはりメダル候補だったと思う。(実際に故障のため
途中棄権だったが)

ガストン・ローランツは東京五輪の3000障害の優勝者。
この頃はプレ五輪優勝者は前評判が高くなる風潮があった。

君原は東京、メキシコ、ミュンヘンの中では間違いなく
東京五輪の時がいちばん前評判が高かった。
その東京が3回の五輪の中でいちばん活躍できなかった
のも皮肉な結果だ。

しかしこの表の中で結果的に日本人最上位になったのは
ソウルの中山のみなんだなぁ。
それだけ前評判の高い日本人ランナーはプレッシャーを
感じていたんだろう。

732 :アスリート名無しさん:04/03/21 13:30 ID:GrSh8nqU
>>728さんではなく、>>730さんの内容についての間違えでした。

733 :アスリート名無しさん:04/03/21 13:33 ID:GrSh8nqU
>>728さんではなく、>>730さんの内容に対する「私の考え」でした。

734 :アスリート名無しさん:04/03/21 13:41 ID:P4uOT+Zk
>>730
>>731

東京五輪からのファンとは凄い!
私はモントリオールからしかわからないですが、当時、宇佐美、水上、宗茂では
メダルを獲得するのは難しい気はしました。
モントリオールの時期がちょうど新旧交代の過渡期だった感じでした。
ショーターが無名のチェルピンスキーに負けるとは思いもしなかったことを
思い出します。

735 :アスリート名無しさん:04/03/21 17:47 ID:dNThcgON
>>730 ありがとうございます。
宇佐美ってそんなに前評判高かったのですね。水準の高い元日本記録保持者ということは
知ってたのですが、解説者としてしかしらないもので。瀬古や中山と並ぶ期待値だったとは
ちょっと驚きました(瀬古も晩年しかはっきりとは覚えてないんですけど)。

>>731さんの言われるように
>この表の中で結果的に日本人最上位になったのはソウルの中山
”本命”はマスゴミ追い掛け回すしプレッシャーは大きいのでしょうね。
銀の森下も力は劣っていたとは思いませんし期待もされてましたが、前年の世界陸上優勝の谷口
という看板がいたのが好結果につながった面もあるかも。

736 :アスリート名無しさん:04/03/21 19:34 ID:ixhdO0An
>729
 ソウルの時の日本のスポーツ誌で中山が優勝の有力候補のように書いてあった。
中山、瀬古、新宅と勝ちパターンの分析があって日本人では中山本命で瀬古は少し苦しいということだった。
スポイラは中山を本命のようにしていたらしいけど、この雑誌の予想はあまりあてにならない。
シドニーはロルーペ本命だったしね。

737 :アスリート名無しさん:04/03/21 22:46 ID:+3XJDtmr
84年のロス五輪から「商業五輪」になりサマーシーズンの真夏に開催される
事が多くなった。ソウルやシドニーのやや涼しい時期のマラソンもあったが
ロス以降はあきらかにオリンピックマラソンと冬マラソンの違いがはっきり
した。
モスクワ五輪までが冬マラソンの延長として走れた大会なので、そういう
意味でもモスクワ不参加は残念だった。
(瀬古、宗兄弟の頃は夏マラソン対策が万全でなかった)
メキシコ五輪が海抜2300mの高地ということで、大会前に高地対策が
行われた特殊な大会ではあったが。

738 :アスリート名無しさん:04/03/22 10:36 ID:tVfOQhuO
資料を調べるとローマ五輪で日本選手は大惨敗をしているんですね。
やはり近代マラソンにおける日本の活躍は東京五輪前後からのようですね。
しかし東京五輪て40年も前になるのに最初の5kmの入りが15分6秒
なんて驚きです。
途中、アベベは5キロの掲示で14分台もあるようですね。
今でも十分通用する前半のレース展開を40年前にしていたなんて凄すぎる!

後半アベベは独走のようでしたし、ゴール後、余裕の整理体操をするくらい
だから競り合う相手がいれば2時間10分台くらいは出たのではないでしょうか。

739 :アスリート名無しさん:04/03/22 13:42 ID:XQjSnEXi
昔は五輪で1万mを走ってからマラソンまで走るランナーがいたよな。
(ザトペック、クラーク、ビレンなどが当てはまる)
ビレンのマラソンの評価ってどうだったのか?モントリオールで
たしか5位だったと記憶してるんだが。モスクワも走ったような
気がしたんだがな。知ってる方教えて下さい。


740 :アスリート名無しさん:04/03/23 17:06 ID:b4+DpCY8
円谷も東京で1万とマラソンに出てたな、たしか1万は8位くらいだっけ?
ビレンって5千と1万でそれぞれオリンピック2連覇、金メダル4つ獲った人でしょ?
モスクワでマラソン走ったのは知ってるけど、順位は俺も分からない。

741 :アスリート名無しさん:04/03/23 17:53 ID:Ducg3sY4
このスレレベル高杉建設。

742 :アスリート名無しさん:04/03/23 20:33 ID:+c3XBLLh
わからない事、知りたい事があればドンドン質問くれ
  
 

743 :アスリート名無しさん:04/03/23 21:21 ID:qa4/3wwH
>>742
高杉建設とはどのような企業でしょうか?

744 :アスリート名無しさん:04/03/23 22:12 ID:igI1dNUA
>>738
>>739
当時の東京オリンピックの映画を見てみると、マラソンはクラークと共に
アイルランドのベン・ホーガンが集団を引っ張ってますね。このベン・ホーガン
よくみると1万mにも出場しています。ということはクラーク同様、
東京五輪前後からトラックランナーがマラソンに進出してきているようです。
そのメンバーが成せた最初から5km、15分6秒のラップだったのではないでしょうか。
この頃のマラソンは前半を16分台の半ばで入り、ビルドアップに後半に
ラップを上げて走るのが主流だったようなので、今でいえば最初の5kmの
ラップを14分の前半で走るくらいの凄いものがあったと予想できます。

しかし今のトラック出身ランナーと違うのは、オリンピックだからマラソン
を走ったというランナーのようなので、ペース配分がなく、後半に失速して
入賞圏外に去ってます。

745 :アスリート名無しさん:04/03/23 22:19 ID:igI1dNUA
そういえばメキシコ五輪の時はケニア英雄、テムがマラソンを走ってるんですよね。
テムもマラソン初出場だったのかな。
後半、マモと優勝争いまでして健闘したようですが失速して君原に抜かれ途中棄権。
トラックで実績があってもいきなりの高地マラソンは酷ですね。

746 :アスリート名無しさん:04/03/23 23:10 ID:+SRO0LC/
>>739 ビレンは(初マラソンの)モントリオールを除くと殆ど完走できていない。
その後、日本で走ったことはあるがまともに走った記憶がない。78年の福岡も
エントリーしていたが来日せず。モスクワは5000を捨てて走ったが25km付近で
脱落。結局完走できなかったのでは?(20位には入っていない)。ビレンは
ミュンヘンでイフターにラスト勝負で勝っていた。モントリオールの時にイフター
やアフリカ勢がエントリーしていたら面白かったと思う。ロペスでは子供扱い
だった。

>>740 円谷は10000は6位入賞。
>>743 既に世界記録を持っていたクラークはキックのなさで10000は銅、5000は
メダルが取れず急遽マラソンに出場。それで猛烈なペースでレースを引っ張った。
アベベの驚異的な記録の陰の立て役者。
>>744 ご指摘のようにテムは25キロでトップ、30キロまではマモに次いで2位だっ
たが、そのあたりで歩き始めて棄権。

747 :アスリート名無しさん:04/03/24 05:11 ID:/VoIT8zI
>>744 メキシコ五輪優勝のマモ・ウォルデは東京五輪10000m 4位。
ミュンヘンのショーターは同五輪10000m 5位。
ロス五輪のロペスはモントリオール五輪10000m 2位。
近代マラソンではマラソン優勝者が五輪でトラック競技にてメダルや入賞を
していたりする。トラックのスピードがないと勝つのが難しくなっていたが、
>>737さんの指摘の通り、ここ最近の五輪マラソンは高温やコースの難しさ
で「夏マラソンに強い」ランナーが上位に入っている感じもする。

スピードプラス、オールマイティな環境でも成績を残せることがこれからは
より必要だな。


748 :アスリート名無しさん:04/03/24 05:25 ID:/VoIT8zI
>>744
あと東京五輪では10000mで優勝したミルズ(アメリカ)も走っている。
こちらはクラークやホーガンとは違い、異常なハイペースについていけず
君原らと第三集団を形成してました。君原らでも最初の5キロがたしか
15`40前後の通過だと思うからこの集団でも通常の大会では
約1分早いペース。序盤、当時としては考えられないくらいの物凄い
ハイペースの展開になった。クラークとホーガンのほかにチュニジアの
選手が先頭集団を形成して飛び出したように思う。

そうなると10000mの自己記録が28`52で東京の10000決勝6位28`59の円谷
以外太刀打ちできなかった。君原も10000では29`01くらいのタイムを
もっていたが終始堅さがとれず、本調子ではなかった。
五輪でこれだけのハイペースになったのは東京最初で最後ではなかったかと
思う。それ以前はわからないが、メキシコ以降は前半、スローなものばかりだ。

749 :アスリート名無しさん:04/03/24 08:05 ID:kbIOQDmk
東京五輪のコースは甲州街道から飛田給折り返しですよね?
飛田給のところに「マラソン折り返し点」の記念碑がある。
資料でみたが五輪の前年に開催した東京国際スポーツ大会の
時や毎日マラソンの五輪選考会はこのコースを使っているん
ですね。

東京国際でもいいし、記念大会でもいいからもう一度、
当時の東京五輪に近いコース設定でマラソンを走ってほしい。
(コース的には東京国際名物の坂はなくなってくれるのかな)

750 :アスリート名無しさん:04/03/24 08:35 ID:UF8RxOuU
トラックとマラソン両方というとローランツも忘れちゃいけないな。
しかも彼は1万どころか3千障害が主戦場だった。(東京五輪の勝者)
それでメキシコではマラソンにも挑戦しようと練習開始。
初マラソンが五輪1年前に本番と同じコースで行われるプレ・オリンピックだった。
初めてのマラソンが2000mの高地にもかかわらず2時間19分37秒で優勝。
2位の君原に2分、宇佐美には5分の差をつけての快勝だった。
だが結局、五輪本番では20キロをトップで通過したがそこから大きく失速し惨敗。
3千障害でも入賞できなかった。

751 :アスリート名無しさん:04/03/24 08:52 ID:76P5OFXO
 この前テレビで放送していましたが、東京がマラソンの全レースをテレビ放送した始めてのオリンピックではないでしょうか。
ハイペースになっているのはテレビ中継の影響もあるのでは?

752 :アスリート名無しさん:04/03/24 11:50 ID:nqNuYWYX
調布折り返しの東京五輪のコースは真上に首都高ができちゃったからな
マラソン中継を視る楽しみとして景観というものがある
その点日本のコースは海外のコースに比べてちょっと劣る
日本でも自分の好みとしてはびわ湖、長野とか昔の海の中道の福岡といった
自然型のコースの方が都市型より好みだけど
でもマラソン中継を視ているとその国の景観とか環境に対しての意識がわかる           

753 :アスリート名無しさん:04/03/24 14:01 ID:KlySBUzc
>735 ミュンヘン前の頃の宇佐美は本当に強かった。国内の選手では負ける気が
しなかったのではないかな。71年の国際マラソンもまだ売り出し中だった
ショーターに負けたのは信じられないくらいの優勝候補だった。

ミュンヘンの時の宇佐美は気負ってたな。前半集団の先頭に立つシーンも
あって健闘していたが、ずるずる後退。
3回のオリンピックで9位、12位、36位と結果をだせなかった。結局、メキシコ
五輪の最終選考、毎日マラソンで初優勝した勢いで走ったメキシコ五輪が
一番いい順位になってしまった。

当時は毎日マラソン(今のびわ湖毎日)が五輪選考会になっていたが
宇佐美はこの毎日マラソンとの相性が抜群に良く、三回の五輪選考は
いずれも優勝して選ばれている。

754 :アスリート名無しさん:04/03/24 14:01 ID:OnuNItaM
>>735 亀レスだが、ミュンヘンのときは日本のマスコミは皆宇佐美に金を
期待していた。東京が銅でメキシコが銀だから今度は金だろうという訳の
分からない論調が多かった。客観的に見てもクレイトンとヒルで3強の一角
と見られていたと思う。(当時子供だったので海外の正確な評価は手にして
いなかったが)。歴代3位の記録を出した70年の国際マラソンでヒルに完勝
していたので高い評価になったのかもしれない。71年の1位はクレイトン
だったが暫く日本では走っておらず日本のマスコミはあまり評価していな
かった節があった。前年宇佐美が負けたショーターの扱いは、記録的にも見る
ものがなくダークホースの域を出ていなかった。その他、地元の選手で72年
前期の最高記録を出していたフィリップや前回金のマモ、ヨーロッパチャン
ピオンのリスモン、70年に宇佐美についで2位になったムーアもショーター
と同レベルと見なされていた。

755 :アスリート名無しさん:04/03/24 14:29 ID:1T5d3cdE
他レスからこのレスのことを知って覗きにきました。
ものすごいハイレベルなマラソンスレですね。
このレスをまとめるとマラソンの歴史が作れそうですね。

さて昔、子供の頃ですがロス五輪の前に、五輪マラソンで
瀬古についての特集と君原、采谷の過去のランナーに
スポットをあてた番組をやってました。
瀬古のロス五輪における金メダルの可能性について2人
に聞いてましたが、そこで采谷が
「すぐ金メダルとか皆いいますけど、やった人間から
言わせると、瀬古君でも難しいと思いますよ。
入賞できたらすごいことですよ。」
プレッシャーや夏マラソンの難しさなどを話していたと記憶しています。
走った人にしか分からない五輪の大変さがあるんだなあと
子供ながらに思ったものでした。
結果からして本当に難しいものになってしまった。。

采谷義秋はミュンヘンに出てるんですよね。
当然、私は見ていないんですが、メキシコ前に
君原と壮絶な代表争いがあったみたいですね。本人はやはりその
メキシコは出てみたかったと言ってました。
>>754 >>753さんなどに質問ですが、采谷はどんな選手
だったのですか?教えて下さい。

756 :アスリート名無しさん:04/03/24 15:30 ID:OnuNItaM
采谷は体のがっしりした円谷と似た感じの選手だった。メキシコ後の68年に
は第3回国際マラソンでアドコックスと途中まで競り合い当時としては好記
録の2.12.40.6で2位。宇佐美が記録を出したときも途中まで競り合って、
その後はムーアと2位争いをして3位(2.12.12.0)に入った。この記録は多分
当時の世界歴代11位の記録。翌年宇佐美が出ていない(びわ湖)毎日マラ
ソンでは2位が見えない位の圧勝をして、そのレースで13位と自身最悪の順位
に沈んだ君原を凌いでbQの評価を不動にしたかに見えた。しかし、その後、
故障があったようで(小学生だったので詳細は不明)、ミュンヘン前のトライ
アルではゼッケンも大きな数字でダークホースの域を出ない評価だった。その
(びわ湖)では原(小西六)が中盤から大逃げを打ったのを宇佐美が追いかけ
る展開。君原は序盤から大きく遅れ、采谷は更に遅れていた。しかし宇佐美が
原を捉えた頃には2人は徐々に順位を上げ、特に君原は瀬田の唐橋(39km)
あたりで宇佐美を捉え暫く併走する感動的な展開だった。そのレースで宇佐美、
君原、采谷が上位を占めたが、実はものすごくタイムが悪かった(多分20分を
切れなかった)のが本番での気にかかるところだった。それで本番では宇佐美は
自滅。君原は後方待機で期待以上の走りで5位。采谷は最初からいいところなく
36位に沈む。当時、(広島)竹原高校教諭だったと思うが、オリンピック準備に
集中できたのかどうかは疑問。まだミスターアマチュアのブランデージがIOCの
会長だったし。


757 :アスリート名無しさん:04/03/24 17:31 ID:UF8RxOuU
メキシコの最終選考の毎日マラソンは、1位宇佐美、2位采谷、3位君原だった。
宇佐美は文句なし決定。毎日マラソンは不参加だったが、国際マラソンで世界最高を出し、
次の別府でも采谷・君原を抑えて優勝している佐々木も決定。それで残る一枠をめぐり、
采谷と君原どちらを選ぶか議論されたが、最終選考とその前の別府で采谷が君原に勝っていたため、
大方は采谷を推していた。しかし君原のコーチである高橋進が猛反対。
「メキシコは2300mの特殊な環境のため、プレ五輪やメキシコでの合宿を数度経験してる君原が有利。
新人は五輪の特殊な雰囲気に飲まれやすいため、宇佐美、佐々木という新人に
キャリアのある君原を加えた布陣がベスト」とゴリ押し。結局その場で答えは出せず、
采谷、君原ともに代表候補にし、最終的にどちらかに絞ると決めた。その方法として、
高地経験のない采谷はメキシコで試走、君原は6月のウィンザーマラソンでどれだけ走れるか見るとした。
そしてメキシコに行った采谷は高地障害に陥り、レース・練習ともに普段の実力を出せず、
ひきかえ君原は27度の高温下で2時間15分で走り優勝した。そしてようやく宇佐美・佐々木・君原の3人に正式決定した。
7月14日、五輪の3ヶ月前のことだった。

まあいつの時代も自分の選手を五輪に出そうとコーチは必死になるもんですね。
君原本人は醜い争いをしてまで五輪には出たくないと思っていたみたいで、
「ミュンヘンの代表に采谷君が選ばれてホッとした。」と言っていたのを何かで読んだ。


758 :アスリート名無しさん:04/03/24 23:43 ID:tK1CQeNw
>>747 マモのメキシコでの10000は銀。テムとのラストは(他の周回遅れの選手が
遅いせいか)えらく速く感じた。あのガムーディがついていけなかった。

おまけ。10年おきの10傑が掲示されていて90年の正月のランキングがないので
そのときの世界歴代10傑を掲示。

1 2.06.50 B.デンシモ(エチオピア)88.4.17 ロッテルダム
2.2.07.07 A.サラー(ジブチ)88.4.17 ロッテルダム
3.2.07.12 C. ロペス(ポルトガル)85.4.20 ロッテルダム
4.2.07.13 S.ジョーンズ(英)85.10.20 ?
5.2.07.35 児玉泰介(旭化成)86.10.19 北京
A. メコネン(エチオピア)88.10.16 北京
7.2.07.40 谷口浩美(旭化成)88.10.16北京
8.2.07.51 R.ディ.キャステラ(豪)86.4.21 ボストン
9.2.07.57 伊藤国光(鐘紡)86.10.19 北京
10.2.08.01 J.イカンガー(タンザニア)89.11.5?

このように80年代はロッテルダム(と疑惑の)北京が高速レースとして一世を風靡
した。

759 :アスリート名無しさん:04/03/25 00:26 ID:B75preK+
>>758

確か
4.2.07.13 S.ジョーンズ(英)85.10.20 はシカゴ、
10.2.08.01 J.イカンガー(タンザニア)89.11.5 はニューヨークでの記録。

この頃はまだ歴代10傑のメンバーの顔や走りが思い出せるが、
ケニア隆盛の現在の歴代10傑のメンバーは日本に馴染みの無い選手が多いのもあり、
半分以上の選手がよく判らないのが悲しい・・・


760 :アスリート名無しさん:04/03/25 06:26 ID:JL5mW4IE
>>758
この世界歴代10傑の顔ぶれは当分動かなかったよね。
90年代に入って2時間6分台どころか7分台が全然でない
時期があって世界的にマラソンの記録が停滞した。
よってなかなか世界歴代10傑のメンバーに変動がなかったんだ。

今思うと、このランキングまでが「昔からの近代マラソンレース」
という感じで、このあとダコスタが世界最高記録をだして、
一気にケニア勢がマラソン界に旋風を巻き起こす90年代後半からの
マラソンはまた違うタイプのマラソンレースのように思う。
なぜなら
主催者が記録を作らすトラックのようなロード。
ペースメーカーによる変わりばえのしないレース展開。
賞金レースの確立。
そして、日本のマラソンファンが感じるのは

男子日本マラソン界が世界から置いていかれた。
ことだろう。

この世界歴代10傑の表を何回、90年代前半に新聞で
見たことか。懐かしく思うし、今の男子日本マラソンに
寂しさを感じる。



761 :アスリート名無しさん:04/03/25 06:56 ID:1QeYmlqz
100km世界記録保持者の阿部ちゃんは外せねーべ。

762 :アスリート名無しさん:04/03/25 10:44 ID:TLhQEw/T

それをいったら男子の100km世界記録保持者の砂田も
外せませんぜ。

763 :アスリート名無しさん:04/03/25 13:27 ID:BK27sUtN
東亜マラソンが75回目とありましたがそうすると戦前から開催されていたのですか?
開催コースはずっとソウルなのですか?
歴代優勝者を教えてください?

764 :アスリート名無しさん:04/03/25 16:29 ID:u+D2Npqw
>>763
↓歴代優勝者や大会概要
ttp://marathon.donga.com/home/japanese/history_h_1.html

765 :アスリート名無しさん:04/03/26 11:49 ID:WNVk/9Gj
 ここは大変マラソンに詳しいですね.
757さんの文によると、メキシコの選考はむちゃくちゃですね。
陸連のいいかげんさはむかしからだったんですね。
当時から高地練習がはやりだったようですが、いきなりでは体調を崩すのがあたりまえでしょうね。
文を読んで采谷という人がつぶされた様に感じました。
コーチの話は専門家とは思えない無理なごり押しですが、陸連に影響力でもあったのでしょうか。
選手でない人が仕事以外出てくるのは本当に嫌ですね。

766 :アスリート名無しさん:04/03/26 14:54 ID:RtaR0WYr
>>765
1968年の五輪がメキシコでなかったら采谷が五輪代表になっていたと思う。

当時、「海抜2300mの高地でマラソンができるのか」が相当論争になった。
昨今の夏マラソンやコースの複雑さが議論されるレベルではないものだった。

特に高地トレーニングが確立していない時代だけに専門家も参考にするものが
少なく大変苦労したようだ。
采谷は今思えばこの頃がピーク。君原に連勝できたのはこの頃だけだった。
日体大から広島・竹原高校の教員をしながら一人でマラソンの練習。今でこそ
不況などで企業支援のない中で一人で練習する選手が多くなったが、采谷が
そのハシリではなかったかと思う。
高地経験のなさ、また企業という強力な支持のない中、代表に選ばれるのは
難しかった。というより君原が記録よりもこのような悪条件に強いランナー
だったのがまた代表選考が揉めた原因でもある。

当時は日の丸をメインポールに揚げるのが至上命令。今の代表選考で日本代表
を選考するというものより「国のため」という要素が強かった。
だから今の選考と当時のメキシコの選考は時代背景からしても同じように
語れないくらいのものがあったな。
結果的はご存知の通り、もっとも期待のあった佐々木が途中棄権、
最終選考会を勝った宇佐美が9位で君原が銀メダルだったので、
陸連の眼力の確かさが浮き彫りになった。

この年の正月の円谷がプレッシャーから自殺をしている。
この頃のマラソン選考会は「日本の為に選手を選出」するような感じがあった。
今思えば時代背景だったから仕方がなかった感じもする。

当時を知る人間としては今の選考と比較するのは難しいと思う。



767 :アスリート名無しさん:04/03/26 22:50 ID:YFEcRQ0q
特に自衛隊所属の円谷は、余計に「国のために」という意識が強かっただろうね。
「オリンピックでメダルを取ることが自分の任務」と言ってたみたいだし。
死の直前は持病の腰痛の状態が最悪で、1万mで日本人初めての28分台を出しスピードは見る影も無く、
1万で40分切るのが精一杯だったらしいね。

768 :アスリート名無しさん:04/03/27 00:46 ID:MP741BBr
話は少し変わりますが、弘山晴美の旦那、弘山勉はどんなランナーだった
のでしょうか?いつも彼女の練習パートナーとして走ってますが、福岡で2位に
入った事があるようですね。

769 :アスリート名無しさん:04/03/27 08:26 ID:CIl5FyB1
>>768
自分でググってみましょう(w 
http://www.shiseido.co.jp/run/member/html/staff_07.htm  資生堂ランニングクラブHP

770 :アスリート名無しさん:04/03/27 10:26 ID:kzkzHoiP
>>768
弘山の他、86年の福岡で2位に入った大須田祐一郎(日本電気)、
86年の北京で2時間11分台を出して期待された西政幸(旭化成)、
88年ソウルの代表候補、日産の工藤一良
そして福岡で勝った渋谷、森田、日電HEの阿部、須永コンビあたりは
80年代から90年初頭の中堅選手としてがんばっていた。

80年代は2時間10分から12分台を出した選手が該当するのかな。
このあたりのタイムだと別大やびわ湖では相当の上位に顔を出す事が
できた。
弘山に関してはHPの通り、別大と福岡の2つの走りがピークだった。

771 :アスリート名無しさん:04/03/27 10:44 ID:wZ2CAdax
 769など本当に詳しくて感激します。
マニアックということもなく、素人がみてもよくわかります。
一般には弘山って誰?なので。
活躍は高校時代のようですね。
それから谷口がでてきたのはこの前からなのでしょうか。
中山と年が近いようですが、活躍時期はずれていますね。



772 :アスリート名無しさん:04/03/27 14:31 ID:Yyc5oc+A
>>767
円谷選手の話がでています。
もうアベベと並んで伝説のランナーになってますよね。
戦後初のオリンピック陸上競技メダリストです。


http://pe-web.aichi-u.ac.jp/~ueya/sport/tuburaya.htm

773 :アスリート名無しさん:04/03/27 19:57 ID:EC/C1sul
円谷の自殺は有名だけど、アベベも東京後は悲惨だよな。
膝の故障で充分な練習を積めずに臨んだメキシコで途中棄権。
翌年、自動車事故で半身不随の身体になり車椅子生活。
なんとかパラリンピックに出られるまでに回復したのも束の間、
ミュンヘンの翌年に脳出血で死亡。

774 ::04/03/29 01:47 ID:atjsDJuQ
ロス以後しか知らないので、
勉強になります。

775 :アスリート名無しさん:04/03/29 07:17 ID:JsIvFf6V
>>773
アベベはローマ五輪の時、裸足で走って優勝。当時、無名のアフリカ人がマラソンを
裸足で走って勝つなんて信じられない事実で「裸足の英雄」と言われた。
(それも状態の悪い石畳のイタリアの道を世界最高記録で優勝)
いつも裸足で走っていたわけではなくローマ入り後、履いていたランニング
シューズがスリ切れる。いろいろとシューズを探してみたが、自分に合うもの
が見つからず裸足で走ったようだ。いきなり裸足では走れないと思うので、
幼少の頃は裸足で走ったりと裸足で生活する習慣があったのかもしれない。
東京五輪の2連覇は有名だが、この時は白に黒地のプーマのシューズを着用。
本番3週間前に盲腸の手術。このような状態でまたも世界最高記録で優勝。
メキシコ時は36歳。本番3ヶ月前の練習中に転倒。左ヒザを痛め、この時
は16キロ地点で棄権している。
>>766
メキシコの選考は本当に揉めた。
東京のアベベが2時間12分台で優勝。あれから4年経って
記録が飛躍的に伸びた。世界最高が2時間9分台(クレイトン)まで
なっていたが、結果的にメキシコ五輪のマモの優勝タイムは2時間20分台。
マモはアベベを凌ぐトラックのスピードをもっていたし、中盤までは
同五輪10000のチャンピオン、テムと競っていてもこのタイムにしかならなかった。
いかに2300mの高地が苛酷なものかを物語っている。
すれすれで代表当確した君原だが、72年のショーターのように便意が襲ってきて大変な
戦いがあったようだ。23000の高地でメダル争いの真っ只中。そして
終盤はNZランドのライアンが100m以内まで詰め寄った時期もあり、
想像を絶する状態の中で走っていたようだ。
佐々木、宇佐美が結果を出せなかっただけに君原の走りは感動したのを
覚えている。


776 :アスリート名無しさん:04/03/29 08:31 ID:s/Nhaadc
アベベのお兄さんもマラソン選手でオリンピック出たと聞いたけど、詳しく知ってる人いませんか?

777 :アスリート名無しさん:04/03/29 10:26 ID:SHzxvrXM
>>745
ナフタリ・テムは1968年メキシコ五輪10000mで金メダル。
ケニア史上初の金メダルを獲得。この時1500のケイノ、
3000障害でヴィオットも金メダルを獲得。
(水壕に足を入れないことで話題に。)ケニア旋風が巻き起こったと言われた。
マラソンにも出場(たしか初マラソン)既出通り、中間点までトップ争いを
演じたが途中棄権だった。

テムは中距離のケイノと共にケニアの英雄と言われていた。
2003年にケニアにて死去(享年58)。

東京(クラークやミルズ)、メキシコとマラソン未経験の
トラックランナーがマラソンも狙って走った。
結果はマラソンの難しさからか、なかなか好成績を収めるには
至ったいない。

ヘルシンキ優勝、メルボルン6位のザトペックとモントリオール
で5位のビレンが「本格的にマラソンに転向しなかった」トラック
ランナーの五輪マラソン入賞になるようだ。

778 :アスリート名無しさん:04/03/29 13:50 ID:rKyY4wvF
>>766
メキシコ五輪で3位に入ったマイク・ライアン(ニュージーランド)
が第1回の国際マラソン(現福岡国際)の覇者。
(今でこそ開催数を朝日国際マラソンから加算しているが、当時は
1965(昭和40年)から朝日国際マラソンの名称変更で
第1回大会としている。)前年の朝日国際優勝者、広島日出国(現沖電気宮崎総監督)
とライアンが最後まで優勝争いを展開。最後のラスト勝負でライアンが
制した。この時2位の広島日出国のタイム(2時間14分05秒2)が
広島自身の生涯記録。

メキシコ五輪の終盤、
沿道にいたコーチの高橋進に君原が後ろのライアンの差
を確認してもらう為、指で合図をしていたのが印象に残ってるなぁ。

779 :アスリート名無しさん:04/03/29 14:01 ID:rKyY4wvF
>>735
ちなみに宇佐美関連の記事、写真が見れます。
この頃の国際マラソンの映像をまた見てみたいです。
http://www.usami-akio.com/about/about_olympic.html

780 :アスリート名無しさん:04/03/29 22:47 ID:QDlL0UAg
ショーターがトイレに行って優勝したのはどのレースでしたか?この話は尾ひれがついて、
ミュンヘンや国際マラソンでやったという間違った内容をよく聞きますが、国内の
どこかの大会でタイムもまあまあだったと記憶しています。
詳細を知っている方いませんか。

781 :アスリート名無しさん:04/03/29 23:34 ID:87KLQxfN
>>780 既に何回となく触れられているが1973年の(びわ湖)毎日マラソンでのこと。
前年にオリンピック制覇、福岡で歴代3位(2時間10分30秒)の記録を出した全盛期の
ショーターは半年を経ずして再び日本に来た。

レースは例によって14分台の猛烈なペースで始まる。多分アメリカのビダリと復活を
期す佐々木精一郎がショーターについて序盤は3人で集団を形成する。瀬田の唐橋を
渡って浜街道に入ったあたりからショーターが落ち着きのないそぶりを見せる。やにわ
に極端に道の端により、沿道で応援する旗をむんずと掴み、解説者とアナウンサーを
不審がらせ、その直後、いきなりコースアウト。その間に佐々木は遅れ、ビダリの独走
となる。ショーターは30秒程で早糞をしてコースに戻るが、トップは遙か彼方。しかし
少しも慌てず、走り出す。一方、独走のビダリはみるみるペースが落ち、ショーターは
折り返し前には追いつく。後半は独走。例によって後半にペースがやや落ちるものの
そのままゴール。2時間12分03秒の大会新。(従来の記録は多分宇佐美の2時間13分49秒)。
その記録は85年に阿部文明が破るまで12年間保持される。また2位の北山吉信の記録も
大会記録を上回り、日本歴代8位の好記録であった(その年では最高)。しかし記憶が
確かならば、北山は糞をしたときもショーターの前にいっていない。勿論、翌日の新聞で
は体調が良ければ9分台は出たであろうと呆れた論調であった。

以上は記憶から構成したので登場人物などは信用するべからず。

782 :アスリート名無しさん:04/03/30 00:26 ID:k5slpeJD
びわ湖毎日マラソンの開催時期は現在は3月の第一日曜日に固定されていますが
前は第二日曜日だったりしていましたがいつの間にか名古屋国際女子と入れ替わって
いた。びわ湖は昔、4月開催だったり5月開催だったりしていた。
びわ湖の開催時期の変更について、そのいきさつや事情について教えてください  

783 :アスリート名無しさん:04/03/30 14:11 ID:BX2yqIP9
中山でしょ

784 :アスリート名無しさん:04/03/30 14:11 ID:excHvjy7
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/875/1080118545/
もう学歴なんて関係ないぞ!!
勉強した意味ないな



785 :アスリート名無しさん:04/03/31 09:40 ID:1WTD2zuS
>>782 マラソンの日程は誰がどうやって決めているのか?
東京も3月にやっていた記憶がある
今は別大と東京の日程がくっついていたり
欧州でもロンドンとロッテルダムが同日だったりマラソン素人には
不思議なことばかりです 

786 :アスリート名無しさん:04/03/31 12:05 ID:TlVg8oeb
俺も素人よく知らないが、
マラソンの日程を決めるのは主催者の都合だろう。
選手の都合で決まるとは思えない。

787 :アスリート名無しさん:04/03/31 14:33 ID:N5Kn8+w5
東京が3月開催だったのはフジ・サンケイマラソンと銘打っていた1981年の
第1回だけでは?あのときは読売が2月にやった。一年に2回もやると選手
の確保が難しいばかりか、交通規制の問題で警察にも指導され2月に一本化
(隔年主催)した。しかしテレビ局の後先考えない東京開催のせいで福岡の
グレードが落ち、選手が分散して直接対決が避けられ、更に海外志向が強ま
り日本が弱体化したのは間違いない。

788 :アスリート名無しさん:04/04/01 17:04 ID:iZbro4BR
12月の福岡、2月の別大、4月のびわ湖のころはそれぞれに役割を持って
微妙にバランスを保っていた。
それがびわ湖が3月開催になり、そして2月の東京開催が国内大会のバランスを
崩した。
瀬古、宗兄弟、中山、谷口らスター選手は軸足を福岡から東京、シカゴ、北京と
いった海外レースへ移していった。
福岡はかろうじて五輪選考レースになるなどでプライドを保つだけになった。
もう一度国内各マラソンの日程の再調整など必要かもしれない。        

789 :アスリート名無しさん:04/04/01 17:28 ID:ZpvuqPYq
Qちゃん

790 :アスリート名無しさん:04/04/03 11:56 ID:NylgK+bp
これから春マラソンが目白押しですがマラソンには春男はいますか? 

791 :アスリート名無しさん:04/04/03 13:04 ID:nYJy7ZhE
>>771 >>553 にあるように谷口の初マラソンは85年の別大。だから弘山
よりはだいぶ前にデビューしている。実年齢も5,6歳上。

>>770 小指徹が抜けている。91年の東京はナイスランだった。その後、急に
消えたのは故障のせい?

>>790 春男って?(びわ湖)毎日だったら宇佐美が強かった。別府男と異名
を取ったのは寺沢徹と西村義弘。世界記録まで作った寺沢はともかく、他の
マラソンで殆ど実績を残せなかった地元の西村は特異な存在だった。

792 :アスリート名無しさん:04/04/05 09:25 ID:DRbbnJiD
>>776
資料によるとローマ五輪の時にアベベは兄弟で出場。弟のアベベ・ビキラが優勝し、
兄のアベベ・ワミが7位に入っている。

>>780
ショーターは毎日マラソンの途中でトイレへ行ったのは有名な話だが実は前に
一度同じことをしている。毎日マラソンの2年前の71年、南米コロンビアで
開催したパン・アメリカン大会で途中、橋の下で用を足した。橋の上に上がって
みると先頭集団ははるか前方。気を取り直してショーターは猛追。
結局、2位のガスパー(メキシコ)に3分50秒引き離して優勝している。

793 :アスリート名無しさん:04/04/05 09:34 ID:DRbbnJiD
>>744さん
アベベ・ビキラの東京五輪における正式な途中ラップが分かりました。

5Km 15:19
10Km 30:14(14:55)
15Km 45:35(15:21)
20km 1:00:58(15:23)
25km 1:16:40(15:42)
30km 1:32:50(16:10)
35km 1:49:01(16:11)
40km 2:05:10(16:09)
2.195km 7:01
ゴール 2時間12分11秒2 (当時世界最高記録)

当時のラップで15分台で走破するのは相当なハイペースだったようです。
後半ラップが落ち込んでないところをみると競り合う相手がいたらもう少し
タイムが良くなったかもしれませんね。

794 :アスリート名無しさん:04/04/05 09:56 ID:DRbbnJiD
>>758

モスクワ五輪開催の年、1980年度 世界10傑。

1位ネイブール(オランダ)2:9:01
2位サラザール(アメリカ)2:9:41
3位瀬古利彦 (日本)2:9:45
4位宗猛 (日本)2:9:49
5位伊藤国光 (日本)2:10:05
6位ヘンリー (オーストラリア)2:10:09
7位ゴメス (メキシコ) 2:10:14
8位サンドバル(アメリカ)2:10:19
9位ビヨクルンド(アメリカ)2:10:20
10位宗茂 (日本) 2:10:23

日本勢は暮の福岡国際でだしたタイムが年度世界10傑の上位に
きている。このころはアメリカ勢も粒が揃っており、ショーター
の後の勢力としてサラザールの台頭、またロジャースの円熟期で
ありこの10傑の他にペファー、トーマス、バージン、
ベアーズレーといったランナーも活躍していた。

モスクワ五輪では日本勢とアメリカ勢、そこにチェルピンスキー、
ソビエトのモイセーエフ、世界歴代2位を出したゲラルド・ネイブール
との争いになる予想だったのを覚えている。

795 :アスリート名無しさん:04/04/05 11:57 ID:CbOWm6R4
以前このスレに出ていたドキュメンタリーの再放送がある。

「NHKアーカイブス」   4月11日午後11:10〜翌午前0:30
ドキュメンタリー「42.195キロの対話〜マラソンランナー宇佐美彰朗選手〜」

宇佐美彰朗選手が第9回京都マラソンを走った後に書いた手記を基に、
レース中の宇佐美選手の心理状態を番組は再現。

☆お宝映像:初マラソン20才の瀬古利彦が出てます(10位)。優勝は
ビル・ロジャース(米)。結局、宇佐美のラストランになったと思われる。


796 :アスリート名無しさん:04/04/06 00:21 ID:kLgMWcNA
以前は日本人選手がボストンとかの海外マラソンに出場するときのユニホームは
ナショナルチームのランニングだったと思いましたが、いつの間にか所属チームの
ランニングになっていますが、いつから、どうしてそうなったのですか?
昔は海外では所属チームのユニホームで走る事はダメだったの? 

797 :アスリート名無しさん:04/04/06 09:46 ID:8fEaB+6j
1981年度 世界10傑

1位キャステラ(オーストラリア)2:8:18
2位瀬古利彦(日本)2:9:26
3位グラハム(イギリス)2:9:28
4位ベアーズレー(アメリカ)2:9:36
5位伊藤国光(日本)2:9:37
6位宗茂(日本)2:10:19
7位バージン(アメリカ)2:10:26
8位ロジャース(アメリカ)2:10:34
9位ゴメス(メキシコ)2:11:00
10位バルチャ(エチオピア)2:11:10

この年は福岡国際でキャステラがマークした世界歴代2位(後日、サラザールの
距離不足が判明。世界最高記録と登録)。とボストンで瀬古が優勝を飾ったタイム
が1,2位にランキング。いずれの2位伊藤国光が5位、クレグ・バージンが
7位にランクされた。アメリカと日本勢が多くのランキング独占が続く。

798 :アスリート名無しさん:04/04/06 09:56 ID:8fEaB+6j
1982年度 世界10傑

1位サラザール(アメリカ)2:8:51
2位ベアーズレー(アメリカ)2:8:53
3位キャステラ(オーストラリア)2:9:18
4位Hジョーンズ(イギリス)2:9:24
5位イカンガー(タンザニア)2:9:30
6位ゴメス(メキシコ)2:9:33
7位バリンジャー(ニュージーランド)2:10:15
8位シドロフ(ソビエト)2:10:33
9位マイヤー(アメリカ)2:10:59
10位ロジャース(アメリカ)2:11:08

80年代で唯一、日本勢が年度10傑にランキングできなかった年で
ある。(11位喜多秀喜2:11:09)
瀬古、宗兄弟の故障や福岡国際での記録の低迷があげられる。
ボストンでの1,2位がそのままランキング1,2位。また
英連邦でキャステラに次ぐ2位でゴールしたイカンガーが初のランキング入り。

799 :アスリート名無しさん:04/04/06 10:09 ID:8fEaB+6j
1983年 世界10傑

1位キャステラ(オーストラリア)2:8:37
2位瀬古利彦(日本)2:8:38
3位ロペス(ポルトガル)2:8:39
4位宗猛(日本)2:8:55
4位イカンガー(タンザニア)2:8:55
6位ディクソン(ニュージーランド)2:8:59
7位マイヤー(アメリカ)2:9:00
8位スミス(イギリス)2:9:08
9位宗茂(日本)2:9:11
10位ゴメス(メキシコ)2:9:12

ロス五輪の前年、東京国際や福岡国際で盛り上がった年のランキング。
ロッテルダムのキャステラ、ロペスの1,2位が上位にランクイン。
この頃はキャステラの全盛期。
80年代で2回のランキング1位を獲得したのは
キャステラのみである。ちなみに瀬古は1度も年度別世界10傑に1位
になれなかった。しかしこの年、2度2時間8分台を出したのは瀬古のみ。
ランキング的には東京国際での距離が長かったのが悔やまれる結果になった。

800 :アスリート名無しさん:04/04/06 17:44 ID:8fEaB+6j
>>793
アベベのラップがでたので私は昔の新聞から東京五輪の円谷のラップの資料が
あったので記載します。

5km 15.31
10km 31.07(15.36)
15km 46.51(15.44)
20km 1.01.46(14.55)
25km 1.18.44(16.58)
30km 1.34.59(16.15)
35km 1.51.44(16.45)
40km 2.08.02(16.18)
ゴール2.16.22.8(2.195km 8.20.8)

当時の資料ですがこの円谷のラップは疑いたくなるくらい、
5km毎のラップに波がある。
当時のことはリアルタイムで知らないが15−20kmを
14分台で走った後の20−25kmを焼く17分もかかる
とは信じられない感じがする。(レース展開を全部見ていない
のでなんともいえない。)

2位に入ったヒートレーと円谷の40kmの通過差が1分15秒。
(40km通過時はヒートレーが3位、円谷が2位)
ラストの2.195kmを円谷が8分20秒かかったのに対して
ヒートレーはアベベと肉薄するラップ(7分2秒2)でカバー
し、競技場内で円谷を追い抜き逆転。
当時、2時間16分台で世界歴代10傑に入れるレベルの中、
アベベの2時間12分11秒は脅威の記録であったようだ。




801 :アスリート名無しさん:04/04/08 23:04 ID:l6jfgJsB
瀬古は国内で福岡、東京、びわ湖、海外でボストン、シカゴ、ロンドンと
6大会で優勝していますが、この記録の上をいく7大会優勝、8大会優勝という
ランナーはいますか? 

802 :アスリート名無しさん:04/04/08 23:45 ID:n4oJY0qw
君原は毎日(びわ湖)64, 別府(67,71,73), アテネ(69),ボストン(66),ウィンザー(68),
アジア大会(66,70)かな。同じ6大会優勝はしている。まだあるかもしれない。宇佐美は
(びわ湖)毎日(68,72,74-76),(福岡)国際(70),ミュンヘン国際(プレオリンピック)
(71),ソウル国際(69)くらいしか思いつかない。


803 :アスリート名無しさん:04/04/09 00:20 ID:pmjlptAf
>>802
君原はタイムスマラソン(札幌)と玉造マラソンでも優勝してる。
アテネ国際古典は2度とも2位で優勝はしていない。だから7大会優勝。
さらに毎日マラソンはびわ湖だけでなく東京開催時にも勝ってるから、それをどうカウントするか?
宇佐美は他にもマクソール、アテネ、ウィンザーでも勝ってるから同じく7大会優勝。

804 :アスリート名無しさん:04/04/09 00:43 ID:GeoVGVgG
>>801
女子で24勝もしているカトリン・ドーレあたりが
最多大会優勝ランナーのイメージがあるのですが、
大阪で4勝、東京で3勝もしているので、以外に
優勝大会数は少ないかも・・・。
誰か詳しい情報を教えて下さい。

805 :アスリート名無しさん:04/04/09 07:51 ID:Q3I4G6a1
そうか69年のアテネはアドコックスが勝ったのか。

806 :アスリート名無しさん:04/04/09 22:09 ID:PNH8J+FG
記録史を見ると、2時間20分台の時代のチャンピオン
だった広島庫夫が何か「悲運のランナー」ぽく見えます。

目前まで迫りながらついに20分突破は成らず、オリン
ピックも連続出場を果たしながら下位の成績。(31位
と33位)でも当時日本最強だったんでしょうか。

1996年に亡くなったときは死亡記事が出てました。
広島日出国さんの叔父に当たるんでしたっけ?

807 :アスリート名無しさん:04/04/10 18:30 ID:2rI3XL2s
明日の夜に、NHKアーカイブで宇佐美の事をやるよ。
ttp://www.nhk.or.jp/archives/fr_yotei.htm

808 :アスリート名無しさん:04/04/11 01:10 ID:AfXbzP69
首振ると早いの?


809 :アスリート名無しさん:04/04/11 22:04 ID:Wg+bo+Ki

実況スレ

NHKアーカイブス ◆ 清原と桑田 宇佐美彰朗
http://live10.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1081672877/

810 :アスリート名無しさん:04/04/12 03:47 ID:4iGtgU9C
瀬古の83年の福岡国際のラスト 100メートルですが
これは13秒4とか7です
NHKでそこだけクローズアップした番組がありました
しばらくしたら上岡竜太郎が早速しったか引用していたのを覚えています
これでも400換算で55秒切っているのだからかなり速い

瀬古の400フラットのベストは中村監督によると49秒9だそうです。

811 :アスリート名無しさん:04/04/12 10:34 ID:tXJoMLM1
>>810 瀬古の400フラットのベストは中村監督によると49秒9だそうです。

それもうそ臭くねえか? 中村監督によると"瀬古は神の子"らしいから。

ラスト100mは自分もテレビで見てたけど、速さ自体は、
いいとこ14秒フラットくらいだと思う。特別な速さじゃなかった。
もともと、100mに入る前に加速つけてるから、
ビデオで検証すると、810のようになるかもしれんね。


812 :アスリート名無しさん:04/04/12 12:44 ID:IsJ/f1iO
1984年 世界10傑

1位 Sジョーンズ(イギリス)2:8:05
2位ロペス(ポルトガル)2:9:06
3位キャステラ(オーストラリア)2:9:09
4位ペーター(東ドイツ)2:9:14
5位ハイルマン(東ドイツ)2:9:30
6位トレーシー(アイルランド)2:9:56
7位スペディング(イギリス)2:9:58
8位中山竹通(日本)2:10:00
9位カマウ(ケニア)2:10:05
10位スミス(イギリス)2:10:08

ロス五輪の年で有力どころが五輪に集中したため記録が低迷した年。
その中で暮れのシカゴマラソンでロス五輪1万m8位のSジョーンズが
世界最高記録で優勝。マラソンでは無名なランナーが記録したこと
に衝撃を受けた。2位、3位争いのロペス、キャステラも印象的。
ラストでキャステラがロペスをかわして2位に浮上したが、最後の
最後でロペスに捕まった。キャステラの足がラストで動かなかった
のを覚えている。

813 :アスリート名無しさん:04/04/12 12:56 ID:IsJ/f1iO
1985年 世界10傑

1位ロペス(ポルトガル)2:7:12
2位Sジョーンズ(イギリス)2:7:13
3位ロブレ・ジャマ(ジブチ)2:8:08
4位サラ(ジブチ)2:8:09
5位中山竹通(日本)2:8:15
6位スペディング(イギリス)2:8:33
7位キャステラ(オーストラリア)2:8:48
8位プラーティエス(南アフリカ)2:8:58
9位ハイルマン(東ドイツ)2:9:03
10位メコネン(エチオピア)2:9:05

記録が飛躍的に伸びた85年。人類史上初の7分台に突入。
5月のロッテルダムでロペスが記録し、10月のシカゴで
昨年世界最高を記録したsジョーンズが1秒差まで迫った。
また4月のW杯マラソンの記録で4名がランクイン。
中山が瀬古の日本最高記録を塗り替えて沸いた年になった。
ジャマが2時間8分30秒以内を年2回記録したのは
特出もの。

814 :アスリート名無しさん:04/04/12 13:16 ID:IsJ/f1iO
1986年 世界10傑

1位児玉泰介(日本)2:7:35
2位キャステラ(オーストラリア)2:7:51
3位伊藤国光(日本)2:7:57
4位シンク(南アフリカ)2:8:04
5位イカンガー(タンザニア)2:8:10
6位ムトロ(南アフリカ)2:8:15
7位中山竹通(日本)2:8:21
8位瀬古利彦(日本)2:8:27
9位デンシモ(エチオピア)2:8:29
10位メコネン(エチオピア)2:8:39

この年もレベルの高い記録が続出した。
児玉が78年の宗茂以来の世界ランク1位を獲得。
4月にボストンで記録したキャステラの記録を上回る。
瀬古は最後のランキングイン。
南アフリカの2人(シンク、ムトロ)はたしかケープタウン
でだした記録。下り坂が多いマラソンで今では公認されない
コースである。(前年のプラーティエスと共に国によっては記録
を公認しないケースがある)
北京も疑惑があるのでなかなか納得しにくい順位かもしれない。


815 :アスリート名無しさん:04/04/12 15:36 ID:rkFZtCru
797-799
812-814
このランキング見てると81年から86年までキャステラはかならずランキングに
入ってな。思ってたよりキャステラのサブテンが多いい。

816 :アスリート名無しさん:04/04/12 20:31 ID:0Oqx9jcY
昨晩の宇佐美のドキュメンタリーを久しぶりに観て、京都マラソンのコースに
興味を覚えました。折り返しは今の高校駅伝と同じ国際会議場で、その前には
(比叡山をバックにして)宝ヶ池通りを走っていましたが、ずっと川沿い(高野
川?)に走っていたのでおやっと思いました。当時の高校駅伝は折り返しの後、
跨線橋を渡って修学院で西に曲がり、松ヶ崎街道を西進していたと思います。
もっとも衣笠教会も写っていたので、実は川沿いに走っているというのは演出
されていただけかもしれません。どういうコースを走っていたのかご存知の方
はいらっしゃいませんか。

817 :アスリート名無しさん:04/04/12 20:43 ID:4iGtgU9C
>>801
ローカルマラソンばかり狙っていた武富がかなり優勝していそうな悪寒


818 :アスリート名無しさん:04/04/13 01:37 ID:Eem3YP5n
1987年 世界10傑

1位中山竹通(日本)2:8:18
2位谷口浩美(日本)2:9:50
3位ベッティオル(イタリア)2:10:01
4位ブラスラフスキー(ソビエト)2:10:04
5位ムスタファ(モロッコ)2:10:09
6位Hジョーンズ(イギリス)2:10:11
7位ポリ(イタリア)2:10:15
8位クベルンモ(ノルウェー)2:10:17
9位タバク(ソビエト)2:10:19
10位テルジ(トルコ)2:10:25

80年代で記録的にはいちばん低迷した年。
サブテンが2回(2名)しかでなかったがその2名が
福岡で脅威の走りを見せた中山と4月のロンドンを
制覇した谷口。そのロンドンの上位選手の記録が
ランキングインした。
日本選手が2年連続世界ランク1位を獲得。

819 :アスリート名無しさん:04/04/13 01:46 ID:Eem3YP5n
1988年 世界10傑

1位デンシモ(エチオピア)2:6:50
2位サラ(ジブチ)2:7:07
3位メコネン(エチオピア)2:7:35
4位谷口浩美(日本)2:7:40
5位Sジョーンズ(イギリス)2:8:20
6位イカンガー(タンザニア)2:8:42
7位フセイン(ケニア)2:8:43
8位ブルチ(エチオピア)2:8:44
9位ペーター(東ドイツ)2:8:47
10位キャステラ(オーストラリア)2:8:49

ソウル五輪開催年。
4月のロッテルダムでデンシモがサラとの競り合いの
末、2時間6分台の世界最高記録を樹立。その後、
10年も記録が最新されないとは。。
アフリカ勢が台頭。ケニアのフセインが国内記録を
8分台に上げてきた。ケニア勢の活躍はまだ先になる。
記録的にはイカンガーが8分台を何回となく記録し、
ここ1−2年はもっとも安定した記録をマークしている。

820 :アスリート名無しさん:04/04/13 03:18 ID:FuD7ygm4
1989年 世界10傑

1位イカンガー(タンザニア)2:8:01
2位デンシモ(エチオピア)2:8:39
3位ワキウリ(ケニア)2:9:03
4位メコネン(エチオピア)2:9:06
5位モネゲッティ(オーストラリア)2:9:06
6位サラ(ジブチ)2:9:09
7位クルス(メキシコ)2:9:25
8位谷口浩美(日本)2:9:34
9位マーティン(アメリカ)2:9:41
10位ボルディン(イタリア)2:9:40

ニューヨークシティーマラソンで記録したイカンガーの
記録がランキング1位。このタイムはイカンガーの
生涯記録になった。上位をアフリカ勢が占める結果に。
天皇陛下崩御に伴い開催が3月にずれ込んだ東京国際で
優勝した谷口のタイムが唯一の日本勢のランクイン。

821 :アスリート名無しさん:04/04/13 09:36 ID:ye+o8gbb
>>818 1987年の記録の停滞って、4月のボストンの影響も
あると思う。
瀬古、キャステラ、イカンガー、Sジョーンズ、トレーシー、スミス
が出場したが、終始牽制したレース展開で
優勝した瀬古利彦が2時間11分50秒という平凡なタイムに終った。
このレースに今のようなペースメーカーがいれば展開が変わって
いた感じがしたなぁ。

822 :アスリート名無しさん:04/04/13 10:41 ID:3BIeuLzH
昔の資料を整理していたら69年にアントワープで
マークした2時間8分33秒4のクレイトンのラップ表が見つかりました。
約12年間世界最高記録を破られなかった記録は

5KM 15.00
10KM 30.06(15.06)
15KM45.17(15.11)
20KM1.00.30(15.13)
25KM1.15.41(15.11)
30KM1.30.59(15.18)
35KM1.46.14(15.15)
40KM2.01.55(15.41)
2,195KM (6.38.4)
ゴール 2時間8分33秒4

823 :アスリート名無しさん:04/04/13 11:58 ID:VnKvo/QU
>>822
アントワープのクレイトンのラップって
85年のW杯広島大会のレース展開に似てるな。
平均ペースで35キロの通過が1.46.19で
ほとんど15分10から20の間で推移してるのも
同じよう。

90年以降の世界10傑も希望。

824 :アスリート名無しさん:04/04/13 17:57 ID:2xvQOvlI
>>424
喜多秀喜のマラソン歴で81年のボストンマラソンが622位、2時間36分59秒。
優勝回数は78年ミルトンケーネス、79年別大、81年東京国際、84年北京国際の
計4回。
ちなみにベスト5は
1、2時間10分30秒 (83年福岡国際7位)
2,2時間11分05秒 (78年福岡国際2位)
3、2時間11分09秒 (82年福岡国際2位)
4,2時間11分51秒 (88年福岡国際5位)
5,2時間12分04秒 (81年東京国際1位)

825 :アスリート名無しさん:04/04/13 18:07 ID:2xvQOvlI
>>508
児玉泰介の優勝回数は意外と少ない。30キロすぎからペースアップしてラストの2.195kmを
6分33秒でカバーした86年の別大。同じく86年の北京国際の2回。86年は児玉のベストシーズンと
言えるだろう。
ベスト5は
1、2時間7分35秒 (86年北京国際1位)
2、2時間10分34秒(86年別府大分1位)
3、2時間10分36秒(84年福岡国際2位)
4、2時間11分23秒(87年W杯ソウル)
5、2時間11分38秒(88年福岡国際4位)

826 :アスリート名無しさん:04/04/13 23:36 ID:YK4v1UjC
>>825

児玉のセカンドとサードの記録が10分台だから
疑惑といわれている北京を置いといて実力的には9−10分のランナーかな。
北京は小雨でマラソンとしては走りやすかったらしいから
9分前後の走りなのかもしれない。

827 :アスリート名無しさん:04/04/14 04:12 ID:dskQnjZF
デンシモはロッテルダムだけ強かった印象がある。
日本に来た時はからっきし弱かった。

828 :アスリート名無しさん:04/04/14 13:54 ID:mHcqkHP5
賞金レースに日本の大会は乗り遅れた感がある
90年代以降なんか外国勢は手を抜いているような印象がある
そんな外国勢に負ける日本勢・・・

福岡とか東京とかでは賞金とかでるのかな?
世界のマラソンの賞金事情はどうなのかな?
ゴルフとかには賞金ランキングとかあるけど
マラソン選手の賞金王は誰ですか? プロ化しているランナーとしては
賞金もひとつの強さの指標となると思います    

829 :アスリート名無しさん:04/04/14 20:23 ID:9CsZQke+
>>
外人招待選手にしてみれば、日本のレースは観衆の声援、大会の運営、マラソンの人気度を考えると
走り易い環境ではあると思うけれど。。
ただ賞金を含む、記録を作る為のコース設定やペースメーカーの配慮等は世界的に
遅れをとった感じがする。
60年代後半から80年代前半までの福岡国際は間違いなく「世界選手権」と
同等の価値がある大会だった。



830 :アスリート名無しさん:04/04/15 06:24 ID:MKGHon9R
>>791 そういえば小指いたよなぁ。
89年のびわ湖で初優勝をして、暮れの福岡で日本人最高順位の3位だったかな。
90年も安定した走りをみせ、極めつけが91年の東京国際。メコネンとトラック勝負になり同タイム2.10.26
をマークして東京世界選手権の代表になった。しかし直前に故障のため、補欠の篠原と交代。その後、パッタリと名を聞かなくなった。
90年代くらいから故障のため、いきなり引退まで追い込まれる選手が増えてきたなぁ。

831 :アスリート名無しさん:04/04/15 11:32 ID:tzVYR9j7
>>830
小指徹(ダイエー)

1、85年東京国際 (20位)2時間21分31秒
2、88年別大毎日 (5位) 2時間12分42秒
3、89年びわ湖毎日 (優勝)2時間14分31秒
4、89年福岡国際 (3位) 2時間13分12秒
5、90年東京国際 (4位) 2時間12分16秒
6、90年北海道 (3位) 2時間16分15秒
7、91年東京国際 (2位) 2時間10分26秒


俺もその後のマラソンは分からん。。

832 :クーベルタン男爵さん:04/04/15 12:29 ID:BZHrjBq4
やたら通が集まっているこのスレ、
これまで出ていないデータは
オリンピック歴代メダリストと世界記録の変遷くらいか。

833 :アスリート名無しさん:04/04/15 17:16 ID:T+sDm5S6
あともう一歩列伝として五輪マラソンの歴代4位選手は?

834 :桑田:04/04/15 17:32 ID:1tsBVer/
日本陸上史上トラック種目実力最強は、以下の通り
100m朝原、200m末続、400m高野、800m森本、1500m石井、5000、1000、マラソン瀬古、110H内藤か岩崎、400H為末、3000SCは、小山か新宅。文句あるかー。

835 :アスリート名無しさん:04/04/15 17:41 ID:PHIBE6Tl
>>834
100mは朝原より伊東浩司の方がインパクトがあるような気がするが。
それと5000m&10000mは、中山竹通&高岡寿成も捨てがたい。

836 :桑田:04/04/15 18:53 ID:1tsBVer/
>>835
伊東の10秒フラットがインパクトが強いのでは?朝原の方が、五輪、世陸、グランプリ共100mでは、断然実績が上。

837 :桑田:04/04/15 18:57 ID:1tsBVer/
>>835
瀬古に関しては、当時今程、黒人ランナーの層は、厚くは、なかったが、今で言うヨーロッパのグランプリでかなりの勝利を収め、ラスト勝負で幾度なく勝った事がある。もしモスクワ五輪に出ていれば、1万Mでもメダル候補であった。高岡、中山とは、レベルが違う。

838 :アスリート名無しさん:04/04/15 19:00 ID:VrS7rpJo
>>832 知ったかをして書こうと思ったが面倒なので
ttp://www.yomiuri.co.jp/nenkan/2002_01n.htm
ttp://www.coara.or.jp/~hinoue/Olympic/olympic_champ_list.html
を挙げておくよ。

839 :五輪メダリスト:04/04/15 20:45 ID:BZHrjBq4
2000 シドニー @ゲサハン・アベラ(ETH)Aエリック・ワイナイナ(KEN)Bトーラ(ETH)
1996 アトランタ@ジョサイア・チュグワネ(南ア)Aイ・ボンジュ(DPRK)Bワイナイナ
1992 バルセロナ@ホワン・ヤンチョ(DPRK)A森下広一(日)Bシュテファン・フライガング(独)
1988 ソウル@ジェリンド・ボルディン(伊)Aダグラス・ワキウリ(KEN)Bアーメド・サラ(DJI)
1984 LA@カーロス・ロペス(葡)Aジョン・トレーシー(IRE)Bスペティング(英)
1980 モスクワ@チェルピンスキー(東独)Aネイブール(蘭)B?
1876 モントリオール@チェルピンスキー(東独)A?Bモスリン(BEL)
1972 ミュンヘン@フランク・ショーター(米)AモスリンBマモ・オルデ(EHI)
1968 メキシコ@マモ・オルデA君原健二(日)Bマイク・ライアン(NZ)
1964 東京@アベベ・ビキラ(ETH)Aヒートリー(英)B円谷幸吉(日)
1960 ローマ@アベベA?(MAR)B?
1956 メルボルン@ミムン(仏)A?B?
1952 ヘルシンキ@エミール・ザトペック(TCH)A?B?
1948 ロンドン@カブレラ(ARG)A?B?
1936 ベルリン@孫(日)Aハーパー(英)B南昇竜(日)
1932 LA@ザバラ(ARG)A?B?
1928 アムステルダム@エルウワーウィ(仏)A?B?
1924 パリ@ステンルス(FIN)A?B?
1920 アントワープ@コルマイネン(FIN)A?B?
1912 ストックホルム@マッカーサー(南ア)A?B?
1908 ロンドン@ハイネス(米)A?B?
1904 セント・ルイス@ヒックス(米)A?B?
1900 パリ@テアト(仏)A?B?
1896 アテネ@ルイス(ギリシャの羊飼い)A?B?



840 :アスリート名無しさん:04/04/15 23:06 ID:Zd4y4R7O
>>834
100だと吉岡・飯島を抜かすわけにはいかないと思うが……。

841 :アスリート名無しさん:04/04/15 23:14 ID:kQ3KJalg
>>834 5000,10000は村社に決まっている。

842 :アスリート名無しさん:04/04/15 23:55 ID:kQ3KJalg
>>839 よくみるとだいぶ抜けているので簡単に補足できるところをしておこう。

1980 銅はズマナザロフ(ソ連)
1976 銀はフランク・ショーター(米)銅はモスリンではなくリスモン
1972 銀はモスリンではなくリスモン
1960 銀はラジ(モロッコ)、銅はマギー(NZ)
1956 銀はミハリック(ユーゴ)、銅はカルボーネン(フィンランド)

後はちょっと調べないと分からないので他の識者に任せる。


843 :アスリート名無しさん:04/04/16 00:04 ID:d2MgLAPJ
そうそうこのスレッドの住人には常識だろうが42.195kmになったのは1908年の
ロンドンオリンピックから。そのとき圧倒的な差をつけてゴール前に独走で現れ
たのがイタリアのドランド。しかしそれまで頑張りすぎたのかゴール前でばたり、
立ち上がってはまたばたり、そうしているうちに2位の選手が見えてきたので会場
係の役員が手を貸して、ようやくゴール。しかし手を借りたということで失格に
なった。

ここまでは常識の類だと思う。しかし(1)その手を貸した役員の一人がホームズ
の生みの親であるサー・アーサー・コナン・ドイルである、(2)またドイルかあ
るいは他の役員の証言で、ドランドは明らかに興奮剤を使用して(今風に言えば)
ドーピングをしていた、というのはそれほど知られていないのではなかろうか。

844 :アスリート名無しさん:04/04/16 04:27 ID:j2sLaFnF
第1回 ヘルシンキ世界選手権(1983年)

1、キャステラ(オーストラリア)2時間10分3秒
2、バルチャ(エチオピア)2時間10分27秒
3、チェルピンスキー(東ドイツ)2時間10分37秒
4、スタール(スウェーデン)2時間10分38秒
5、マソング(タンザニア)2時間10分42秒
6、パルマンチェ(ベルギー)2時間10分57秒
7、ポリ(イタリア)2時間11分05秒
8、Hジョーンズ(イギリス)2時間11分15秒

この頃、世界最強を誇っていたキャステラが貫禄勝ち。
大試合にキッチリ調整するチェルピンスキーが銅メダルを獲得。
これでモントリオール金、モスクワ金に続いて世界大会3目の
メダルを獲得した。
そして9位のベルギーのリスモンが入る。
既出だがミュンヘン2位、モントリオール3位、モスクワ9位の
リスモンがここでもシングル順位を獲得し、君原の世界大会シングル
順位3回の記録を破る4回目を達成。

845 :アスリート名無しさん:04/04/16 04:37 ID:j2sLaFnF
第2回ローマ世界選手権

1、ワキウリ(ケニア)2時間11分48秒
2、サラ(ジブチ) 2時間12分30秒
3、ボルディン(イタリア)2時間12分40秒
4、モネゲッティ(オーストラリア)2時間12分54秒
5、Hジョーンズ(イギリス)2時間12分54秒
6、イカンガー(タンザニア)2時間13分43秒
7、ピッツオラート(イタリア)2時間14分03秒
8、カスオパロワ(ソビエト)2時間14分41秒

世界的に無名だったワキウリがケニア史上初めて世界大会のマラソン
でメダルを獲得。
ワキウリ、サラ、ボルディンと順位こそ変わるが翌年のソウル五輪
でも同じメンバーがメダルを獲得する。前年の世陸のメンバーが
翌年の五輪でメダルを独占するのは、今に至ってもここだけの例である。


846 :アスリート名無しさん:04/04/16 04:45 ID:j2sLaFnF
第3回東京世界選手権

1、谷口浩美(日本)2時間14分57秒
2、サラ(ジブチ)2時間15分26秒
3、スペンス(アメリカ)2時間15分36秒
4、フルク(ポーランド)2時間15分47秒
5、篠原太(日本)2時間15分52秒
6、ベッティオル(イタリア)2時間15分58秒
7、カスティーヨ(メキシコ)2時間16分15秒
8、ボルディン(イタリア)2時間17分03秒

メキシコ五輪以来の悪条件が揃った大会。
谷口浩美が36年のベルリン五輪,孫以来(孫はのちに韓国籍扱い)
の世界大会金メダルを獲得。また以前の強国アメリカは
モントリオールのショーター以来、スペンスがメダルを獲得した。
中山竹通は途中棄権。

847 :桑田:04/04/16 08:46 ID:1OKov6gh
吉岡の時代は、競技人口が少なすぎ。飯島を外したのは、こちらのミス。すんません。
飯島と朝原と互角。

848 :桑田:04/04/16 08:50 ID:1OKov6gh
村社も戦前で競技人口が少ないし、当時は、黒人ランナーは、一人も走っていなかった。村社を入れるなら、金井、円谷、高岡を入れた方がまし。

849 :アスリート名無しさん:04/04/16 10:37 ID:uoP4S1o7
>>823

1990年 世界10傑

1位モネゲッティ(オーストラリア)2:8:16
2位ボルディン(イタリア)2:8:19
3位シャハンガ(タンザニア)2:8:32
4位ペーター(ドイツ)2:9:23
5位ピタヨ(メキシコ)2:9:41
5位ニムチャック(ポーランド)2:9:41
7位フライガング(ドイツ)2:9:45
8位イカンガー(タンザニア)2:9:52
9位ハットン(イギリス)2:10:10
10位フルク(ポーランド)2:10:16

90年代の始まりは日本勢がランキング外。
この年の日本ランキング1位はロッテルダムで優勝した
谷口の2:10:56で例年になく低調になっている。
ベルリンでマークしたモネゲッティのタイムが世界ランク1位。
ボストン優勝のボルディンが続く。
この頃からベルリンマラソンが高速レースとして認知されはじめた。
イカンガーは6度目のランキングイン。

850 :アスリート名無しさん:04/04/16 10:48 ID:uoP4S1o7
1991年 世界10傑

1位森下広一(日本)2:8:53
2位中山竹通(日本)2:9:12
3位トルスティコフ(ソビエト)2:9:17
4位三村徹(日本)2:9:23
5位ガルシア(メキシコ)2:9:28
6位キャステラ(オーストラリア)2:9:42
7位シルバ(ブラジル)2:9:55
8位エスピノサ(メキシコ)2:10:00
9位セロン(メキシコ)2:10:02
10位ウルバーノ(イタリア)2:10:03

森下が別大で初マラソン日本最高記録で優勝。そのタイムが
91年度の世界ランク1位を獲得。そして現在まで日本人が
年度世界ランク1位を獲得した最後の選手になっている。
2位中山、3位三村も上位にランクイン。
中山にとって最後の世界ランクインである。
世界選手権優勝の谷口と共に日本勢の活躍が目立った。
W杯ロンドン大会を制したトルスティコフが日本勢の
中に割って入った。
キャステラも最後のランクイン。


>>844
私は世界選手権の資料は持っていなかったのでとても参考になります。

851 :アスリート名無しさん:04/04/16 11:18 ID:4MX0YMJV
全ての競技の全てのメダリストは
ttp://www.olympic.org/uk/athletes/results/search_r_uk.asp
で調べられます。陸上は(マラソンを含めるため)Athleticsを選択。events
のところでmarathonを選択すればOKです。例えばヘルシンキの銀は
ゴルノ(アルゼンチン)、銅はヤンソン(スウェーデン)ということは簡単に
調べられます。

852 :831:04/04/16 11:19 ID:U6GVYXZK
忘れられない選手としてエスビーの谷口伴之がいたな。
80年代のエリート集団、エスビーの中で唯一の雑草タイプ
でコツコツと努力してた印象がある。
マラソンで自己記録を少しずつ最新していてアジア大会の
代表が決まっていた矢先に金井と共に北海道で事故により
亡くなったしまった。とても残念だった。(90年8月)

谷口伴之(エスビー食品)マラソン全成績

1、83年2月 千葉 (?位)2時間25分03秒
2、87年4月 ボストン(5位)2時間13分40秒
3、87年12月 福岡国際(10位)2時間13分34秒
4、88年4月 ボストン(10位)2時間14分18秒
5、89年12月 福岡国際(4位)2時間13分42秒
6、90年4月 ロンドン(9位)2時間12分22秒



853 :アスリート名無しさん:04/04/16 12:57 ID:crp1vkqA
>>595

87年福岡国際マラソン 中山竹通ラップタイム

5km 14.35
10km 29.05(14.30)
15km 43.40(14.35)
20km 58.37(14.57)
25km 1.13.48(15.11)
30km 1.29.02(15.14)
35km 1.44.25(15.23)
40km 2.00.45(16.20)
(7.34)
2時間08分18秒

854 :アスリート名無しさん:04/04/16 12:57 ID:4MX0YMJV
>>847 吉岡は別格だろう。世界記録だぞ。10"3というとすごくないように
聞こえるがそれこそ80年正月の時点でも出した選手は飯島の他、神野、
岩本(風計測に疑問。セカンドは10"4)、石沢(同)、山崎、原田康弘
しかいない。トラックは土で、スターティングブロックがないからスコップ
で掘っていた時代だぞ。その10"3を複数回記録しているので、ロス五輪や
ベルリン五輪で惨敗して評価を下げたことを差し引いてもすごいと思う。
少なくとも飯島より凄い。

855 :アスリート名無しさん:04/04/16 13:05 ID:HFcp6yBT
1ヶ月ぶりに覗いてみたがより詳しいマラソンのスレッドになってるなー。
昔のマラソンを思い出せて懐かしいですよ。

でも100mの話の展開はスレッド違いでないかい?

856 :アスリート名無しさん:04/04/16 13:10 ID:HufL936A
>>853 このペースで完走したこと自体すごいな
これなら視聴者は喰い付いてくるな  

857 :桑田:04/04/16 16:29 ID:1OKov6gh
吉岡の凄いのは、認めるが当時の手動や風速は、かなり疑問が残る。当時黒人選手は、アメリカしか出ていない。競技人口が少ない。それで決勝最下位は、最強には、ふさわしくない。やはり飯島・朝原が上。私は、決勝まであと一人にせまった朝原を押す。

858 :アスリート名無しさん:04/04/16 17:03 ID:BWGWbS/n
>>853
中山はリアルタイムで知らないんですが、知人に87年の福岡国際の
ビデオを持ってるのがいて初めて見ました。
中山の前半の走りは脅威ですね。五輪選考会とは思えない飛ばしよう。
当日はあまりの寒さとハイペースの展開で第二集団の谷口が足に痙攣が起き、腿を叩きながら
走っていた。
後続が終盤ガタガタにペースを落としたのに中山は最小限にペースダウンを維持。
35キロから雨というか、みぞれが降っていて最悪の状態での5キロ16分台の
ラップのよう。35キロまでは2時間5−6分台が期待できるレースだったんですね。
これが17年前のレースとは思えないものだった。

>>854 857
100の論争は違うとこでやって下さい。

859 :桑田:04/04/16 17:34 ID:1OKov6gh
そうや、ようするに日本史上実力最強ランナーは、瀬古。以上でこのスレ終わり。

860 :アスリート名無しさん:04/04/16 17:54 ID:GU0hMB4b
>>838
のリンクから見れる世界記録の変遷には
ttp://www.yomiuri.co.jp/nenkan/2002_01n.htm
>>13-14
に書いてある金栗四三の世界記録は含まれていないようだが、
未公認なのかな?

861 :アスリート名無しさん:04/04/16 18:06 ID:UXLOLk1I
>>860 この表を見ると1952年のイギリス、ピータースと1969年のオーストラリア、クレイトンの
記録が前記録を大幅に破る脅威の記録樹立のように思える。
ピータースが人類初の10分台、クレイトンが人類初のサブテンという共通点も
あるな。

862 :アスリート名無しさん:04/04/16 19:13 ID:5LP512kN
>>598
>いつだったか、瀬古との対談で「体重が落ちていて、最初から出ると最後まで持たないので仕方なく
>ああいうレースになった」とか本人は言ってたけどね。

の関連になりますが、年始の「Sports Year!」No.084での中山の談話をうpしました。
言いたいこと言ってるな(笑)という面もありますが、参考までに皆様どぞ。

【オリンピックにかけた人生・中山竹通】
「Sports Year!」No.084(1/9>>1/22)

日本は選考レースといっても目安です。代表選考でなく代表参考レース(笑)。高橋尚子さんの問題
にしても次に出たら本番で勝てないという議論があると聞いています。でも予選を勝たねば決勝はない。
「決勝で100%を出したいから予選はパスします」なんて理論は通らないですよね。先がわからない
のはスポーツの醍醐味なのです。

選考会では10秒遅れた選手が本番では逆転するかもしれない。勝負と言うのは、その時、その時
なんですよ。選考は選考で区切りをつけなければいけない。誰のためのオリンピックですか。特定の
人のものでもなく組織のものでもない。みんなに夢があって挑戦する場所がある。それがオリンピック
です。万人が納得のいく選考レースはないでしょう。レースによって条件は全部違うので単純にタイム
のいい選手を上から3人選ぶという選考方法でもいいかと思います。

ソウル五輪の選考レースだった87年の福岡で私は瀬古さんに「這ってでも出てこい!」と発言しました。
一本化するという当時の選考ルールが崩れてしまうと思いましたから。「今日はたまたま調子が悪か
っただけ」なんて言い訳が通じるならスポーツをやる価値がありません。瀬古さんが救済措置のように
して88年3月のびわこに出ましたよね。考えていたスポーツマンシップの精神からはかけ離れるだけ
でした。びわこで瀬古さんは勝ちましたが(2時間12分41秒)、このレベルでオリンピックに行って大丈夫?
と思いました。高橋尚子さんもそう。ピタッと足が止まりましたね。あれが弱さなんです。私は瀬古さん
を尊敬していました。嫌いじゃないのです。だから、尊敬している人が情けないレースをすると夢が崩れ
るんです。

863 :アスリート名無しさん:04/04/16 19:15 ID:5LP512kN
>>862 続き
私は高校、大学、実業団と名門をエスカレーター式で上がっていく従来のタイプではありませんでした。
富士通では練習時間も手当てもない。合宿も全部自分持ちです。ダイエーに移籍してそれが改善され、
1円でも、もらえばプロなんだという考え方を持ちました。勝利ボーナスもありました。マラソンの表彰台
に立ってもらうボーナスと富士通の一年の総支給額が同じでした(笑)。僕らは競技生活を終えてからの
30年。そこをどう生きるのか。60歳を定年とする人の数倍を競技時代に稼がねばならない。オリンピック
でメダルを取れば、引退後の人生も開けるが、駄目なら後はない。そういうことを常に考えていました。

ソウル五輪には28歳でしたから次は考えられない。金メダルを取って終わりにするつもりでした。でも、
ソウルまでの調整に失敗。オリンピックを意識しすぎたのです。今より凄い練習をしなければならないと
錯覚していたんです。これがオーバーワークにつながっていく。体重を絞りすぎた。55`を切り、戻らな
かった。パワーが出なかった。今回の高橋さんの失敗と同じことをやったのです。スタート地点に立った
時には、「先行逃げ切りをやるともたない、無駄な動きをしないようについていこう」という作戦に切り替
えていました。日本人3人の中で3位になりたくない。体調は悪いが上位を目指したい、最低ラインだけ
はキープしよう、とそれだけでした。勝っているから陸上ができた。負けたら陸上ができない。守ってくれ
る人がいないんです。そこが瀬古さんとの違い。必死でした。20`過ぎで先頭集団を数えました。後に
批判を受けましたが、最初から出たくとも力がなかった。体調さえよければ、5キロから1人で行っていた
かもしれません。

864 :アスリート名無しさん:04/04/16 19:17 ID:5LP512kN
>>863 続き
ゴールした瞬間、夢が終わり、自分がずっと描いてきたものがすべて崩れて白紙になりました。強いも
のはエスカレーター式でなくともメダルに届くんだというものを見せたかったのですが・・・。瀬古さんと握手
をしました。瀬古さんが入賞だと思ったらなんかうれしかったのです。でも、結果は9位で間違いだった
んだけど(笑)。「金でなければ2位、3位も一緒」と発言したことも問題にされました。2位を狙って練習
する人がいますか?2、3位がいけないというわけじゃないのです。1位しか描いていないんです。レース
直後の負け惜しみだったのかもしれませんが(笑)。

帰国すると成田でエンジンが止まり、クーラも止まった暑い飛行機の中で待機させられるわけです。降り
ると雛壇で記念撮影しているメダル獲得者を見ながら歩かねばならない。オリンピックでメダルを取れば
凄くがんばって、取れなければがんばっていない。参加することに意義はないのです。

結果的にバルセロナを目指すのですが、それまでの4年と意識は違いましたね。瀬古さんも引退。なに
も目指すものがなくなり通過点がなくなったのです。選考も一番でなくていい。何色でもいいからメダル
が取れたらいいと考えていました。なにがなんでも金という自分なりの美学は崩れていましたね。2度の
オリンピックでは他人の目をうかがいながら走っただけですね。

865 :アスリート名無しさん:04/04/16 19:17 ID:5LP512kN
>>864 続き
91年の別大マラソンでは、レース終盤に森下広一に「行け」と声をかけて仕掛けを促しました。挑戦者が
守ってどうする。チャンレンジしなくてはオリンピックでは勝てないんだということを伝えたかった。僕は力
を温存して最後にビュッと勝ちにいくようなレースは好きじゃない。そういうのは瀬古さんだけでいいんで
す。41.195`に何を表現するのか。邪道かもしれないけど、それがマラソンだと思っています。

今の自分にもし昔の体があったら、もう一度オリンピックを目指しますね。終わってからようやく理論や技
術、練習方法、いろんなものがわかったのです。2時間5分なんか簡単にでます。アテネ五輪は、こんな
言い方は失礼ですが、どうでもいいですね。今、日本の男子マラソンは低迷しています。格好をつける前
に、過去の選手のタイムくらい破れよと言いたいですよ。私でも8分台を4回も出しているんだから7分台
を4回出してみろよ、と。今は、私にとっての瀬古さん的存在がいないことが大きいのかもしれません。
個性がないのです。高校、大学の指導も画一化しているし個性を出せない空気がある。勝つのもマラソン
だし、負けるのもマラソン。それを忘れているんじゃないでしょうか。

866 :アスリート名無しさん:04/04/17 02:54 ID:NiYhkRVm
中山竹通 マラソン成績

1、83年福岡国際 (14位) 2時間14分15秒
2、84年ソウル国際 ( 3位) 2時間15分44秒
3、84年福岡国際 (優勝) 2時間10分00秒
4、85年W杯広島大会 (2位) 2時間8分15秒(当時日本最高)
5、85年ソウル国際 (優勝) 2時間10分09秒
6、86年東京国際 (4位)2時間8分43秒
7、86年ソウルアジア大会 (優勝) 2時間8分21秒
8、87年東京国際 (2位) 2時間10分33秒
9、87年福岡国際 (優勝) 2時間8分18秒
10、88年ソウル五輪 (4位) 2時間11分05秒
11、89年ボストン (棄権)
12、90年東京国際 (優勝) 2時間10分57秒
13、91年別府大分 (2位) 2時間9分12秒
14、91年東京世界陸上 (棄権)
15、92年東京国際 (2位) 2時間10分25秒
16、92年バルセロナ五輪 (4位) 2時間14分02秒


867 :アスリート名無しさん:04/04/17 03:11 ID:B+AhLpN1
瀬古利彦(早稲田大ーSB食品) マラソン全成績

1、京都 1977.2月 (10位) 2.26.00
2、福岡国際 1977.12月 (5位) 2.15.00.1
3、福岡国際 1978.12月 (優勝) 2.10.21
4、ボストン 1979.4月 (2位) 2.10.12
5、福岡国際 1979.12月 (優勝) 2.10.35
6.福岡国際 1980.12月 (優勝) 2.09.45
7、ボストン 1981.4月 (優勝) 2.09.26
8、東京国際 1983.2月 (優勝) 2.08.38
9、福岡国際 1983.12月 (優勝) 2.08.52
10、ロス五輪 1984.8月 (14位) 2.14.13
11、ロンドン 1986.4月 (優勝) 2.10.02
12、シカゴ 1986.10月 (優勝) 2.08.27
13、ボストン 1987.4月 (優勝) 2.11.50
14、びわ湖 1988.3月 (優勝) 2.12.41
15、ソウル五輪 1988.10月 (9位) 2.13.41

868 :アスリート名無しさん:04/04/17 03:25 ID:B+AhLpN1
ソウル五輪(1988年) 中山竹通 ラップタイム

5km 15.29
10km 30.32(15.03)
15km 45.57(15.25)
20km 1.01.21(15.24)
25km 1.16.57(15.36)
30km 1.32.49(15.52)
35km 1.48.25(15.36)
40km 2.04.02(15.37)
(7.03)
2時間11分05秒(4位入賞)

869 :844:04/04/17 09:09 ID:D3TFLiCO
第1回ワールドカップ広島大会(1985年)

1、サラ(ジブチ)2時間08分09秒
2、中山竹通(日本)2時間08分15秒(日本最高)
3、ジャマ(ジブチ)2時間08分26秒
4、ハイルマン(東ドイツ)2時間09分03秒
5、メコネン(エチオピア)2時間09分05秒
6、ピッツオラート(イタリア)2時間10分23秒
7、アブディラヒ(ジブチ)2時間10分33秒
8、宗猛(日本)2時間11分01秒

記念する第1回は広島で開催。終始安定したペースでレースは進み、
30キロを過ぎて中山とサラーの一騎打ちになった。
前年暮れの福岡で初優勝を飾った中山が積極的に前にでて主導権を
握るも広島県営陸上競技場に入る手前でサラがスパート。そのまま逃げ切った。
サラのタイムは当時世界歴代2位。2位の中山は瀬古の日本最高記録を破り
世界歴代3位に入った。
ロス五輪20位で当時無名のサラとロス五輪8位で3位に入ったジャマの
活躍もありジブチが団体戦で優勝を飾る。日本は2位。

870 :844:04/04/17 09:19 ID:D3TFLiCO
第2回ワールドカップ ソウル大会

1、サラ(ジブチ)2時間10分55秒
2、児玉泰介(日本)2時間11分23秒
3、ベッティオル(イタリア)2時間11分28秒
4、ニコシア(イタリア)2時間12分13秒
5、ファスティニ(イタリア)2時間12分57秒
6、アリサクリ(アルジェリア)2時間13分29秒
7、工藤一良(日本)2時間13分34秒
8、エルナンデス(スペイン)2時間13分40秒

前年の10月に北京国際で世界歴代3位(2時間07分35秒)を記録した
児玉と前回の覇者サラが優勝候補。
ソウル五輪のオリンピックコースで開催された。25キロ過ぎに果敢に
児玉が抜け出しサラのみが追随。決してサラは前にでることなく児玉を
ピッタリマーク。疲れの見え始めた児玉を終盤で引き離し2連覇を達成。
イタリア勢が3,4,5位に続いてゴール。団体戦の優勝を飾った。

871 :844:04/04/17 09:30 ID:D3TFLiCO
第3回ワールドカップ ミラノ大会

1、ゼケレ(エチオピア)2時間10分28秒
2、ネディ(エチオピア)2時間10分36秒
3、ポリ(イタリア)2時間10分49秒
4、カシャポフ(ソビエト)2時間11分07秒
5、シャベイラ(フランス)2時間11分24秒
6、イトエーラ(フランス)2時間11分40秒
7、ベッティオル(イタリア)2時間12分41秒
8、宗猛(日本)2時間12分53秒

地元出身のポリに対する声援が凄かったのを覚えている。
40キロ過ぎにゼケレのネディのエチオピア勢が抜け出した。
ベテラン、ネディのがんばりはここまでで、最後はゼケレが
逃げ切った。
エチオピアはメキシコ五輪のマモ以来の世界大会優勝。


872 :844:04/04/17 09:37 ID:D3TFLiCO
第4回 ワールドカップ ロンドン大会

1、トルスティコフ(ソビエト)2時間09分17秒
2、マティアス(ポルトガル)2時間10分21秒
3、フルク(ポーランド)2時間10分21秒
4、ロング(イギリス)2時間10分30秒
5、ピネイロ(ポルトガル)2時間10分38秒
6、シャハンガ(タンザニア)2時間11分20秒

25キロ過ぎにトルスティコフが集団から抜け出す。周りの集団は
トルスティコフを追う気配がないまま、差が開いていった。
終盤は独走。ワールドカップ初優勝を飾った。
日本勢は連続出場のベテラン宗猛の27位(2時間13分15秒)
が最高順位と大惨敗。

873 :アスリート名無しさん:04/04/17 13:53 ID:a5qXK7RW
最強ランナーで論じる選手ではないだろうけど

弓削裕(旭化成)、引間金夫(新日鉄八幡)、
浦川哲夫(九州電工)、渡辺康徳(九州電工)、井手健二(九州電工)
池田重政(ヤクルト)、千葉照夫(東北日本電気)、末吉富夫(カネボウ)
金子尚志(日本電気HE)、西本一也(九州産交)、近藤孝志(ヤクルト)
などを知ってるでしょうか?

このあたりの名前を聞くと、80年代の地味な頃のびわ湖マラソン
を思い出すんだよな。

874 :アスリート名無しさん:04/04/17 14:50 ID:FtUUECkN
梨岡は良かった。

875 :アスリート名無しさん:04/04/17 16:17 ID:ZI5n/1xs
>>873 びわ湖毎日の大会記録をしばらく保持していた阿部文明、
白い野球帽がトレードマークの川口孝志郎、さらに水久保美千男、岩瀬哲治、
須永宏、西正幸、西村義弘あたりも加えてくれ
  


876 :アスリート名無しさん:04/04/17 16:29 ID:ZI5n/1xs
渋い大会といえば長野マラソンの前進の信毎マラソンがあったんだけど
歴代の優勝者とか教えてください 30キロロードがあったころは大物の
参加があったようなんだけど、どんな大会でしたか?   

877 :アスリート名無しさん:04/04/17 17:28 ID:enUUDb13
>>844
チェルピンスキーは日本に何度となく来日してマラソンを走ってますが、
五輪金2つ、世陸銅1つの面影も無い走りに終始していた。
(世界大会は東ドイツのドーピングの噂も当然あったのだが、、)

そんな中で、モントリオール、モスクワ両五輪後のその年に福岡国際を
走っているのが興味深い。

(76年福岡国際 3位 2時間14分56秒)
この時はジェローム・ドレイトン、イアン・トンプソンに負けたが、
日本人最上位の宗茂(4位)には秒差で辛勝。

(80年福岡国際 6位 2時間10分24秒)
実はこの時のチェルピンスキーのタイムは自己2番目に良いものである。
(自己ベストはモントリオール五輪の時の2時間9分55秒)
しかし瀬古にまったくついていけずに完敗。
当時、ほとんど自己ベストタイムに近いチェルピンスキーに快勝した
瀬古は「モスクワに出てれば。。」という無念さがメディアにも
取り上げられていたのを覚えている。

チェルピンスキーにとってまともに日本で走れていたのはこれくらい。
83年の福岡の時は雁ノ巣折り返しでひょっこり先頭で折り返した
のを覚えてるのと、84年の東京国際で何とか川口孝志郎をかわして
8位に入ったのが記憶に残っているくらい。
世界大会は抜群の成績だが、世界最強ランナーにはノミネートしにくい選手ではある。


878 :アスリート名無しさん:04/04/17 19:21 ID:52MSc+G0
特集・渡辺康幸選手 引退 http://www.ccsnet.ne.jp/~rsin/ywatanabe.htm より
10000m 平均日本歴代4位(HPを見る限り自己ベスト10の平均のよう)
28分02秒334
1・高岡 2・瀬古 3・花田 4・渡辺

ここの皆さんのように通でもなんでもないんですけど↑はわりとそんなもんかな、って感じが
しました(ベスト3平均だとまた違うかも)。中山は突然ポンと日本記録を出した印象があるん
ですが、どうなんでしょうね。記録狙ってトラックをそれほど走っていないだけかもしれません
が。あくまでも素人の印象です、すみません。

1万歴代記録 http://homepage2.nifty.com/mlb/R10000.htm
1 27.35.09 高岡寿成 
2 27.35.33 中山竹通
3 27.42.17 瀬古利彦
4 27.43.04 米重修一
5 27.44.5 新宅雅也
6 27.45.13 花田勝彦
7 27.46.16 阿久津浩三
8 27.46.39 渡辺康幸

879 :アスリート名無しさん:04/04/17 21:12 ID:tdavPA67
>>878
中山の10000mでの記録は87年のストックホルムでのもの。
平均ペースで推移して出した記録。
この時は優勝はしていない。(確か2位か3位だったような)
(当時、関東圏ではテレ東で陸上サーキットの特集の一環で
録画放送だったと思うが。。)
そして中山自身、27分台はこの記録しか出していない。
それまでは兵庫リレーかなにかで出した28分07秒台がベスト記録。
瀬古とは86年の日本選手権と85年のスポニチで直接対決があったが
中山は完敗。(瀬古も日本選手権は新宅、スポニチは金井の後塵を拝して
2位に敗れているが)
10000mに関しては瀬古の方が経験、スピードで圧倒的に勝っていた。
中山が日本記録を出した87年は暮れの福岡国際でわかるように
中山自身、いちばんスピード持久に優れた全盛期だったといえた。
当時、中山の日本記録にはビックリしたが、(10000であまり結果を
だしていなかったので。。)それ以上にこの記録が高岡が破るまで
長寿記録になるとは思ってもいなかった。


880 :アスリート名無しさん:04/04/17 23:36 ID:X4UFn7nO
>>873 大体分かる。弓削は80年のびわ湖で優勝。瀬古と同世代で高校駅伝(小林)で
鳴らして、その頃マラソンでも活躍したので将来を期待されたが失速。引間は地味
すぎで特筆すべきことがない。渡辺は81年のびわ湖優勝。左手の指3本と左足の指一本
を事故で失いながら優勝した根性のランナー。浦川はひらめみたいな顔をしていた以外
に記憶がない。確か伊万里学園あたりの出身。井手も九州の高校を出て当時史上最速で
13分台、28分台を出し将来を期待された。モスクワに行かなかったから余った資金で
海外の選手を招いた80年の国際競技会の10000で根性で優勝したが後が続かなかった。
ちょっとフォームが硬くてスプリントに欠けた。池田は大東大出。2人とばして金子は
中之条出身だな。西本は熊工出身で高校駅伝の1区区間賞かつ30キロの前日本記録保持者。
去年松宮が破るまで長く保持したがマラソンでまともに走った記憶がない。近藤は
渋かった記憶しかない。箱根で走っていたよね。>>875の選手の方がわかりやすい。
水久保はコーチの君原に負けて駄目印をつけられてから本当に駄目になった。

881 :アスリート名無しさん:04/04/17 23:39 ID:X4UFn7nO
あ、嘘を書いた。指の怪我をしていて優勝したのは松尾政雄で、そのときの2位?
が渡辺か。駅伝では活躍していた。

882 :アスリート名無しさん:04/04/18 00:49 ID:+Fx8ozc9
自分はダイエーの仙内勇がよく印象に残ってる。
中山と同時代によく東京走ってました

883 :アスリート名無しさん:04/04/18 01:20 ID:TcII7RTS
井手も伊万里学園出身だね。80年別大ハーフ優勝。最速という意味は最も若くという
意味。高卒2年目で13分台、28分台突入は当時の記録だったと思う。

70年正月の日本歴代10傑

1. 2.11.17 佐々木精一郎(九州電工)67.12 福岡
2. 2.11.27.8 宇佐美彰朗(桜門陸友会)69.5 アントワープ
3. 2.12.00.0 重松森雄(福岡大)65.6 ウィンザー
4. 2.12.03.4 谷村隼美(クラレ)69.12 福岡
5. 2.12.40.6 ウネ谷義秋(竹原高教)68.12 福岡
6. 2.13.06.4 佐々木敏治(電々中国)69.12 福岡
7. 2.13.21.0 吉田昭雄(黒崎窯業)69.12 福岡
8. 2.13.25.8 君原健二(八幡製鉄)69.5 アテネ
9. 2.13.37.6 上岡忠明(東洋工業)68.12 福岡
10.2.13.41.0 寺沢徹 (クラレ)65.6 ウィンザー

884 :アスリート名無しさん:04/04/18 01:25 ID:TcII7RTS
80年正月の日本歴代10傑

1. 2.09.05.6 宗茂(旭化成)78.2 別大
2. 2.10.12. 瀬古利彦(早大)79.4 ボストン
3. 2.10.37.8 宇佐美彰朗(桜門陸友会)70.12 福岡
4. 2.10.40. 宗猛(旭化成)79.12 福岡
5. 2.11.05. 喜多秀樹(神戸製鋼)78.12 福岡
6. 2.11.17. 佐々木精一郎
7. 2.12.00. 重松森雄
8. 2.12.03.4 谷村隼美
9. 2.12.08. 伊藤国光(鐘紡)79.12 福岡
10.2.12.12. ウネ谷義秋(竹原高教)70.12 福岡

885 :アスリート名無しさん:04/04/18 01:36 ID:TcII7RTS
90年正月の歴代10傑

1. 2.07.35 児玉泰介(旭化成)86.10 北京
2. 2.07.40 谷口浩美(旭化成)88.10北京
3. 2.07.57 伊藤国光(鐘紡)86.10 北京
4. 2.08.15 中山竹通(ダイエー) 85.4広島W杯
5. 2.08.27 瀬古利彦(ヱスビー食品)86.10 シカゴ
6. 2.08.55 宗猛(旭化成)83.2東京
7. 2.09.05.6宗茂
8. 2.09.51 新宅雅也(ヱスビー食品)85.12福岡
9. 2.10.30 喜多秀樹(神戸製鋼)83.12福岡
10.2.10.37.8宇佐美彰朗  

886 :アスリート名無しさん:04/04/18 01:54 ID:TcII7RTS
2000年正月のランキングは皆知っているだろう。記録略で犬伏、児玉、谷口、伊藤、
三木、早田、中山、瀬古、小島宗、佐保の順。

887 :アスリート名無しさん:04/04/18 08:53 ID:+6Rq67C/
>>878のリストを見ると、監督瀬古としては、10000の持ちタイム、マラソン練習
での30km走とかも自分と遜色ない(推測)花田や渡辺(まあ故障だが)がマラソ
ンで結果出せないのは頭の痛いことだったろうな。
 ただ中距離でならしたラストスパートが脚光を浴びがちだったが、選手瀬古は
マラソンの練習がマラソンに必要なスタミナに結びつく極めてマラソン向きの選
手だったのでしょうね。
>>879
>それ以上にこの記録が高岡が破るまで長寿記録になるとは思ってもいなかった。
トラックでは闘えないと、マラソンに挑戦する選手が多くて10000の記録が伸びな
いのか?シドニーの入賞は快挙だが、高岡いなかったら中山の記録は帰化選手でも
出ない限り不滅の記録になっていたかもって感じですねえ。高岡超えをできそう
な選手っているのかな?27分20秒ぐらいは行ってほしいのだが。

888 :アスリート名無しさん:04/04/18 10:20 ID:+bkpM3Bw
>>887
瀬古、中山、伊藤、喜多、宗猛はマラソンに転向してから10000mで27分台を
出している。(新宅、鎌田は27分台を出してからマラソンを走っているので
このケースは高岡に近い状況かもしれない)
70年代後半から80年代前半の27分台といえば、今だと27分前半の価値があるだろう。
マラソンに挑戦しても10000の記録を狙えたのが今の選手との違いかもしれない。

トラックからの転向組で期待をしたのが、ロス五輪7位入賞した金井豊だった。
ロス五輪で期待以上の結果をだして(当時の予想は10000で予選を通れば合格の
ような評価だった)その後自信をつけ、84年から85年にかけて間違いなく日本でいちばん強い
10000mのランナーだったと思うが、マラソンに適正がなかった。(その後、トラック
でも不調になるが。)
米重修一、阿久津浩三、浦田春生、本田竹春、早田俊幸、花田勝彦、平塚潤、大崎栄、
佐保希、渡辺康幸 他が10000mで27分台ー28分の前半をだしてマラソンに転向したが
一発屋だったり長続きできなかったり大成しないケースが続いた。
その中で森下広一が80年代の選手のような流れを汲んでマラソンに成功しただけに
その後は残念だった。その点、まだ高岡はトラックからうまくマラソンに移行して
きているとは思う。
それくらい80年代後半から90年代は日本マラソン界がトラックと上手く機能できなかった時代で
あった。70年代から80年代のマラソン選手のトラックにおける活躍は今の選手と
比べてはいけないくらいレベルの高いものだった。(なにせ冬にマラソンを走って
夏はヨーロッパのトラックでそこそこ世界と戦えていたのだから。。。)


889 :アスリート名無しさん:04/04/18 16:11 ID:LoRRAxK+
谷口浩美マラソン成績

1、別大(85.2.3)2時間13分16秒 1位
2、福岡国際(85.12.1)2時間10分01秒 2位
3、東京国際(86.2.9)2時間11分42秒 7位
4、アジア大会(86.10.5)2時間10分08秒 2位
5、東京国際(87.2.8)2時間10分06秒 1位
6、ロンドン(87.5.10)2時間09分50秒 1位
7、福岡国際(87.12.6)2時間12分14秒 6位
8、東京国際(88.2.14)2時間13分16秒 9位
9、北京国際(88.10.16)2時間07分40秒 2位
10、東京国際(89.3.19)2時間09分34秒 1位
11、北海道(89.8.27)2時間13分16秒 1位
12、ロッテルダム(90.4.22)2時間10分56秒 1位
13、東京国際(91.2.10)2時間11分55秒 9位
14、世界選手権(91.9.1)2時間14分57秒 1位
15、バルセロナ五輪(92.8.9)2時間14分42秒 8位
16、ボストン(93.4.19)2時間2時間11分02秒 4位
17、ロッテルダム(94.4.17)2時間10分46秒 5位
18、びわ湖毎日(95.3.19)2時間11分51秒 4位
19、アトランタ五輪(96.8.4)2時間17分26秒 19位
20、東京国際(97.2.9)2時間11分26秒 4位

890 :アスリート名無しさん:04/04/18 16:47 ID:LoRRAxK+
宇佐美彰朗マラソン成績 その1

1、中日(64.3.20)2時間28分17秒 11位
2、関東学生(64.4.25)2時間30分17秒 7位
3、中日(65.3.21)2時間22分02秒 3位
4、関東学生(65.6.6)2時間36分51秒 2位
5、別府毎日(66.2.13)2時間16分35秒 11位
6、毎日(66.6.5)2時間30分59秒 3位
7、玉造(66.9.15)2時間24分00秒 5位
8、福岡国際(66.11.27)2時間17分16秒 10位
9、別府毎日(67.2.5)2時間14分50秒 3位
10、メキシコ・プレ五輪(67.10.22)2時間24分30秒 3位
11、福岡国際(67.12.3)2時間18分16秒 13位
12、別府毎日(68.2.4)2時間16分48秒 5位
13、毎日(68.4.14)2時間13分49秒 1位
14、メキシコ五輪(68.10.20)2時間28分06秒 9位
15、福岡国際(68.12.8)2時間13分51秒 5位
16、別府毎日(69.2.2)2時間19分02秒 5位
17、アンベルス国際(69.5.30)2時間11分27秒 2位
18、ソウル国際(69.9.28)2時間20分18秒 1位
19、福岡国際(69.12.7)2時間18分33秒 14位
20、毎日(70.4.12)2時間19分17秒 5位


891 :アスリート名無しさん:04/04/18 16:48 ID:LoRRAxK+
宇佐美彰朗マラソン成績 その2

21、マクソール(70.8.23)2時間13分45秒 1位
22、福岡国際(70.12.6)2時間10分37秒 1位
23、アテネ国際(71.4.6)2時間19分25秒 1位
24、ミュンヘン・プレ五輪(71.9.12)2時間15分52秒 1位
25、福岡国際(71.12.5)2時間13分22秒 2位
26、毎日(72.3.19)2時間20分24秒 1位
27、ミュンヘン五輪(72.9.10)2時間18分58秒 12位
28、福岡国際(73.12.2)2時間24分20秒 22位
29、毎日(74.4.21)2時間13分24秒 1位
30、ウィンザー(74.6.15)2時間15分16秒 1位
31、福岡国際(74.12.8)2時間14分10秒 6位
32、毎日(75.4.20)2時間12分40秒 1位
33、モントリオール・プレ五輪(75.8.2)2時間27分04秒 4位
34、福岡国際(75.12.7)2時間18分54秒 25位
35、毎日(76.4.18)2時間15分22秒 1位
36、モントリオール五輪(76.7.31)2時間22分29秒 32位
37、ニューヨークシティ(76.10.24)2時間20分30秒 11位
38、福岡国際(76.12.5)2時間20分47秒 11位
39、京都(77.2.13)2時間19分54秒 4位

892 :アスリート名無しさん:04/04/18 17:11 ID:gyEmI16t
高橋Qちゃん

893 :アスリート名無しさん:04/04/18 21:45 ID:LoRRAxK+
君原健二マラソン成績 その1

1、朝日国際(62.12.2)2時間18分01秒 3位
2、別府毎日(63.2.172時間16分19秒 4位
3、毎日(63.5.12)2時間20分24秒 1位
4、朝日国際(63.10.15)2時間20分25秒 2位
5、毎日(64.4.12)2時間17分11秒 1位
6、タイムス(64.8.23)2時間17分12秒 1位
7、東京五輪(64.10.21)2時間19分49秒 8位
8、別府毎日(66.2.12)2時間15分28秒 3位
9、ボストン(66.4.19)2時間17分11秒 1位
10、毎日(66.6.5)2時間37分57秒 7位
11、玉造(66.9.15)2時間20分27秒 1位
12、ソウル国際(66.10.30)2時間19分57秒 3位
13、アジア大会(66.12.15)2時間33分22秒 1位
14、別府毎日(67.2.5)2時間13分33秒 1位
15、タイムス(67.8.27)2時間20分16秒 1位
16、メキシコ・プレ五輪(67.10.22)2時間21分57秒 2位
17、別府毎日(68.2.4)2時間16分32秒 3位
18、毎日(68.4.14)2時間14分46秒 3位
19、ウィンザー(68.6.15)2時間15分15秒 1位
20、メキシコ五輪(68.10.20)2時間23分31秒 2位



894 :アスリート名無しさん:04/04/18 21:57 ID:LoRRAxK+
君原健二マラソン成績 その2

21、アテネ国際(69.4.6)2時間13分25秒 2位
22、マクソール(69.7.20)2時間23分25秒 7位
23、別府毎日(70.2.8)2時間17分12秒 1位
24、毎日(70.4.12)2時間22分14秒 7位
25、コシチェ国際平和(70.10.3)2時間18分06秒 2位
26、アジア大会(70.12.15)2時間21分03秒 1位
27、別府毎日(71.2.7)2時間16分52秒 1位
28、毎日(71.3.21)2時間28分26秒 13位
29、ミュンヘン・プレ五輪(71.9.11)2時間17分00秒 2位
30、福岡国際(71.12.5)2時間21分52秒 11位
31、毎日(72.3.19)2時間21分06秒 2位
32、ミュンヘン五輪(72.10.10)2時間16分27秒 5位
33、福岡国際(72.12.3)2時間15分52秒 5位
34、別府毎日(73.2.4)2時間14分55秒 1位
35、アテネ国際(73.4.6)2時間19分09秒 2位

895 :アスリート名無しさん:04/04/18 23:17 ID:54EckwjB
このスレ本当に凄いよ。ショーターの時代から毎年欠かさず福岡とか見てる漏れでも勉強になる。

896 :アスリート名無しさん:04/04/18 23:50 ID:TcII7RTS
>>894さん。引退宣言後の君原の成績を載せて下さい。78年の福岡では鎌田よりも
いい順位でゴールしています。79年の福岡が41回目ということなので結構走って
いますね。76年の別大では中国人のリード役に徹していました。新聞報道では73年
の別府が引退レースとなっていましたが、アテネを最後と本人はしているのでしょう
か。別府で勝った日に京都マラソンで40歳のJ.フォスター*も優勝して大きく報道され
ていたのを小学生ながらよく覚えています。因みにJ.フォスターはトンプソンが歴代
2位の好走をした74年の英連邦大会(クライストチャーチ)で当時世界歴代10傑にぎり
ぎり入らない2時間11分18秒6(くらい)の自己ベストを出して2位になっています。

*70年の福岡4位、71年の福岡3位。

897 :アスリート名無しさん:04/04/19 00:03 ID:UIvDvU8K
優勝回数0の名ランナー、伊藤国光のマラソン成績も載せて下さい。  

898 :894:04/04/19 00:52 ID:4pH7EmqA
>>896
君原健二著の「マラソンの青春」をよみながら書いたので、
引退宣言後のレースについては、
76年の別大毎日で2時間25分33秒(28位)
76年の福岡国際で2時間22分07秒(15位)
77年の福岡国際で2時間21分00秒(17位)
78年のシャンペン・ハブリックで2時間32分21秒(10位)
それと82年のホノルルマラソンを2時間28分で走り優勝していることくらいしか分かりません。

やはり君原本人は、マラソンの起源となった死の伝令フェディピデスが走った
由緒あるコースのアテネを現役最後のレースとしているようです。
アテネを走った後はコーチに就任したものの、
思うような指導が出来ず僅か3年でコーチを辞め、
ひとりの市民ランナーとしてまたレースに出るようになったようです。
現在ではフルマラソン歴が60回を越えているとか。

899 :アスリート名無しさん:04/04/19 07:45 ID:t1wDenBQ
>>897 80年代の世界10傑を書いたものですが、伊藤の他、今後は宗兄弟、喜多、児玉あたりのの
記録も記載していきます。
伊藤国光 マラソン全成績
1、(46位)2:31:05 76年4月 毎日
2、(12位)2:21:05 76年12月 福岡国際
3、(3位) 2:18:57 77年4月 毎日
4、(3位) 2:13:25 78年2月 別府大分
5、(3位) 2:20:47 78年 ミルトンケーネス
6、 (11位)2:14:13 78年 福岡国際
7、(5位) 2:15:08 79年 毎日
8、 (8位) 2:13:53 79年 プレ五輪
9、(8位) 2:12:08 79年 福岡国際
10、(3位) 2:10:05 80年 福岡国際
11、(2位) 2:09:37 81年 福岡国際
12、(9位) 2:16:06 82年 シチズン
13、(4位) 2:11:45 82年 福岡国際
14、(6位) 2:09:35 83年 福岡国際
15、(2位) 2:12:20 84年 北京国際
16、(5位) 2:12:04 84年 福岡国際
17、(77位)2:19:14 85年 W杯広島
18、(3位) 2:11:19 85年 福岡国際
19、(10位)2:17:02 86年 ボストン
20、(2位) 2:07:57 86年 北京国際
21、(17位)2:14:52 87年 福岡国際
22、(途中棄権) 88年 ロッテルダム
23、(20位)2:16:47 88年 福岡国際
24、(8位) 2:16:19 89年 ボストン
(現役引退)





900 :アスリート名無しさん:04/04/19 08:54 ID:SA5Jk0Lz
閑話休題。1980年のボストンマラソンでRosie Ruiz(女子)が一番でゴールしたけど
失格になったのを覚えている人はどのくらいいるだろう。ゴールした後、競技関係者
も出場選手も走っているのを見たことがないことが問題になり、その後、レースを開
始して程なく走るのをやめて地下鉄でゴール近くに移動し、ゴール直前のラスト0.5
マイルを走っただけであることが判明。地下鉄で彼女を見たという証言もあった。どう
やら彼女は常習犯でボストンの出場資格を得るためにニューヨークも走っているが、
そのときもショートカットをしていたとのこと。

記憶が定かではないがミュンヘンオリンピック?でもショーターの前にゴールした人が
いたと思う。もちろんそのときは出場選手が少ないのですぐばれたと記憶する。



901 :アスリート名無しさん:04/04/19 09:12 ID:r46AovsT
>>878
>>879
中山が1万mのトラックを走っていた時期は短い。>>879さんが記載しているが
85年の頃の1万は金井豊が強かった。その85年のスポニチ陸上。4月に
W杯でマラソン日本最高記録を樹立した中山が参戦するので話題になった。
それまで中山は1万のベストが29分一桁台。潜在能力は瀬古他スピードランナー
に太刀打ちできるのではないかという前評判だった。
それよりもこの85年のスポニチは瀬古、中山、宗兄弟、伊藤、喜多、新宅、金井
が出場するとあってものすごい評判になっていた。実際、観にいったがその中で
金井が9000前後でググーンとギアを切り替えたロングスパートに瀬古はまったく
つく事ができなかった。金井が28分12秒で優勝。瀬古が28分27秒で2位。
中山は中盤で先頭集団から遅れ6位28分51秒だったが自己記録を最新した。
まだまだエスビー軍団にはトラックでは相手にしてもらえない感じであった。
スピードと共にその頃の金井の走りに驚いた。



902 :アスリート名無しさん:04/04/19 09:29 ID:r46AovsT
その85年のヨーロッパ遠征は金井が1万で日本記録を最新するのではないかと
云われていた。しかし結果は瀬古が海外勢に力を示す。
初戦のDNガランでビックフォード、ネノウ、そして世界記録保持者の
マメーデと互角に戦い4位。27分42秒17の日本記録。ロス五輪の
覇者イタリアのコバに勝った。その時、金井は27分55秒05の自己
記録最新のみで新宅にも負けた。その後のローザンヌで瀬古はロス五輪
5000m2位のリーフェル(スイス)にラストのキレで快勝。(このとき
キャステラが3位)27分45秒台。(ロンドンの5000mはアメリカの
パディラに負けたが2位)金井はこのヨーロッパ遠征の後くらいから
調子を落とした。
86年のスポニチは前スレで既出。
86年の日本選手権はソウルアジア大会の代表権がかかっていたので
瀬古が援護射撃をして米重、中山以下を2位以内に先着させない為、
7000過ぎにロングスパート。新宅のみ瀬古につき1位新宅、2位瀬古
の順だった。(アジア大会での瀬古の戦いは概出。)
中山はこの年、春季サーキットに参加。翌年にヨーロッパ遠征で
1万の日本記録につなげている。しかしトラックでのスピードは
(瞬発力)なかったのを覚えている。

903 :アスリート名無しさん:04/04/19 10:07 ID:SA5Jk0Lz
金井が強かったのは84年から85年前半まで。ロスでは新宅に期待が集まる中、
決勝で失速した新宅を尻目に8位入賞。2位で入ったバイニオのドーピング
失格で繰り上がって7位。その年の秋に行われた日本選手権では新宅等を寄
せつけず27分台の大会記録で快勝してオリンピックでの好走がまぐれでな
いことを印象づけると共に将来に期待を持たせた。85年の活躍は既出の通り
だがヨーロッパ遠征以降調子を落とし二度と輝きが戻ることはなかった。

思えば金井は早稲田で瀬古の在学中に、瀬古同様に浪人して入学し、早稲田
あるいは学生陸上界のエースになりきれず、瀬古コンプレックスがあったの
ではないか。気が弱い(ように見受ける)金井はちょっとしたきっかけで潜
在能力を発揮できたが、その自信が失われると弱くなるのも早かった。

ところで昨日の朝日の朝刊に女子初の国内マラソン(78年4月)の写真が出て
いましたね。ゼッケン1番はどうみてもゴーマン美智子だったのですが、私
はこのマラソンの記憶がありません。


904 :868:04/04/19 10:16 ID:SZM307zX
このスレットでいちばん多く話題に出た3レースのラップを記載します。
1983年 東京国際マラソン (優勝 瀬古利彦のラップ)
5km 15.58
10km 30.42(14.44)
15km 45.28(14.46)
20km 1.00.15(14.47)
25km 1.14.59(14.44)
30km 1.29.56(14.57)
35km 1.45.39(15.43)
40km 2.01.57(16.18)
2.195km (6.41)2時間8分38秒 (日本最高 世界歴代4位)

1983年 福岡国際マラソン (優勝 瀬古利彦のラップ)
5km 15.18
10km 30.37(15.19)
15km 45.53(15.16)
20km 1.01.30(15.37)
25km 1.16.40(15.10)
30km 1.31.55(15.15)
35km 1.47.12(15.17)
40km 2.02.30(15.18)
2.195km(6.22)2時間8分52秒



905 :868:04/04/19 10:17 ID:SZM307zX
85年広島ワールドカップマラソン (2位 中山竹通のラップ)
5km 15.11
10km 30.14(15.03)
15km 45.26(15.12)
20km 1.00.43(15.17)
25km 1.15.52(15.09)
30km 1.31.08(15.16)
35km 1.46.19(15.11)
40km 2.01.24(15.05)
2.195km(6.51)2時間8分15秒 (日本最高 世界歴代3位)

906 :アスリート名無しさん:04/04/19 13:18 ID:joL5AJZQ

日大の土橋啓太だ〜〜〜〜!

907 :アスリート名無しさん:04/04/19 13:51 ID:pcqGVy2J
北京マラソン 優勝者(81−91年)

1回 1981年
1、スタール(スウェーデン)2.15.20
2、シモンセン(デンマーク)2.15.51
3、李宗金玄 (北朝鮮) 2.15.52
6、菅谷久二(電電東京)2.17.30
8、大久保初男(グリーンメイト)2.18.29

2回 1982年
1、李京亨(北朝鮮)2.14.44
2、ラステロ(イタリア)2.15.51
3、徐昌植(北朝鮮)2.16.56
8、引間金夫(新日鉄八幡)2.17.43

3回 1983年
1、タブ(アメリカ)2.18.51
2、スタール(スウェーデン)2.20.34
3、スタンレー(オーストラリア)2.21.23
4、須永宏(日本電気HE)2.22.14
6、片角健一(日本鋼管)2.23.54
9、弓削裕(旭化成)2.27.02

4回 1984年
1、喜多秀喜(神戸製鋼)2.12.16
2、伊藤国光(カネボウ)2.12.16
3、曽朝学 (中国) 2.15.11
4、引間金夫(新日鉄八幡)2.15.57
6、末吉富夫(カネボウ)2.16.54



908 :アスリート名無しさん:04/04/19 14:03 ID:pcqGVy2J
5回 1985年
1、宗茂(旭化成)2.10.23
2、宗猛(旭化成)2.10.23
3、Hジョーンズ(イギリス)2.10.36
4、クリステンセン(デンマーク)2.11.51
5、姫野重行(旭化成)2.14.45
6、曽朝学(中国)2.15.25
9、峰岡高之(マツダ)2.16.31

6回 1986年
1、児玉泰介(旭化成)2.7.35
2、伊藤国光(カネボウ)2.7.57
3、イカンガー(タンザニア)2.8.39
4、シャハンガ(タンザニア)2.9.39
5、スミス(イギリス)2.10.39
6、西政幸(旭化成)2.11.10
10、坪正之(日本電気)2.13.27

7回 1987年
1、イカンガー(タンザニア)2.12.19
2、デュベ(エチオピア)2.12.49
3、キャンプ(オーストラリア)2.12.52
4、野田浩(旭化成)2.12.53
5、喜多秀喜(神戸製鋼)2.13.09
6、グルゴ(タンザニア)2.13.27
7、森田義三(安川電機)2.13.54
9、今村智浩(ダイエー)2.14.30
10、江内谷良一(旭化成)2.15.13

909 :アスリート名無しさん:04/04/19 14:10 ID:pcqGVy2J
8回 1988年
1、メコネン(エチオピア)2.7.35
2、谷口浩美(旭化成)2.7.40
3、宗猛(旭化成)2.10.40
4、ショブリエ(フランス)2.12.06
5、パストラナ(スペイン)2.12.50

9回 1989年
1、ダル(デンマーク)2.12.46
2、デュベ(エチオピア)2.13.10
3、チョイ・イルソプ(北朝鮮)2.14.38

10回 1990
1、ダル(デンマーク)2.14.55
5、岡浩明(京セラ)2.19.43

11回 1991年
1、デュベ(エチオピア)2.12.55
2、児玉泰介(旭化成)2.13.07
3、蔡尚岩(中国) 2.13.49
6、仲川栄治(ダイエー)2.16.04
9、安里秀光(旭化成)2.17.35

910 :アスリート名無しさん:04/04/19 23:06 ID:nndM4e3u
>>903 記録によると84年の日本選手権は1位新宅27'59"79 2位金井28'09"4
3位 瀬古 28'32"49。

911 :アスリート名無しさん:04/04/19 23:11 ID:8NyGK2IM
>>900
ルイーズのキセルは覚えてます。
セントルイス五輪のローツ以来の「キセル優勝者」
と話題になりました。
ローツの場合はいったん棄権したあと収容車の
中で回復したのをいいことに走り出しただけまだ
微笑ましいですが、彼女の場合は計画犯だったので、
悪質です。

本当に優勝したのはガローだったかな?

912 :アスリート名無しさん:04/04/19 23:17 ID:nndM4e3u
日本ランキング1位の変遷

1960 2時間20分42秒  中尾隆行(中京大)  12月福岡
1961 2時間18分54秒  中尾隆行(中京大)  3月名古屋
1962 2時間16分18秒4 寺沢 徹(倉 レ)  12月福岡
1963 2時間15分15秒8 寺沢 徹(倉 レ)  2月別府
1964 2時間14分48秒2 寺沢 徹(倉 レ)  12月福岡  
1965 2時間12分00秒0 重松森雄(福岡大)  6月ウィンザー
1966 2時間14分05秒2 広島日出国(旭化成) 12月福岡
1967 2時間11分17秒0 佐々木精一郎(九州電工)12月福岡
1968 2時間12分40秒6 采谷義秋(竹原高教)  12月福岡
1969 2時間11分27秒8 宇佐美彰朗(桜門陸友会)5月アントワープ  


913 :アスリート名無しさん:04/04/19 23:31 ID:nndM4e3u
ランキング1位の変遷(2)

1970 2時間10分37秒8 宇佐美彰朗(桜門陸友会)12月福岡
1971 2時間13分22秒8 宇佐美彰朗(桜門陸友会)12月福岡
1972 2時間14分00秒6 大槻憲治 (東洋工業) 12月福岡
1973 2時間13分24秒0 北山吉信 (旭化成)  3月琵琶湖(毎日)
1974 2時間13分04秒2 浜田安則 (鹿児島中央高教)2月別府
1975 2時間12分40秒0 宇佐美彰朗(東海大教) 3月琵琶湖
1976 2時間14分22秒2 重竹幸夫 (九州電工) 2月別大
1977 2時間13分57秒0 浜田安則 (鹿児島中央高教)2月別大
1978 2時間09分05秒6 宗茂   (旭化成)  2月別大
1979 2時間10分12秒  瀬古利彦 (早大)   4月ボストン
    

914 :アスリート名無しさん:04/04/19 23:52 ID:nndM4e3u
ランキング1位の変遷(3)

1980 2時間09分45秒 瀬古利彦(SB食品)12月福岡
1981 2時間09分37秒 伊藤国光(鐘紡)12月福岡
1982 2時間11分09秒 喜多秀樹(神戸製鋼)12月福岡
1983 2時間08分38秒 瀬古利彦(SB食品)2月東京
1984 2時間10分00秒 中山竹通(ダイエー)12月福岡
1985 2時間08分15秒 中山竹通(ダイエー)4月広島(W杯)
1986 2時間07分35秒 児玉泰介(旭化成)10月北京
1987 2時間08分18秒 中山竹通(ダイエー)12月福岡
1988 2時間07分40秒 谷口浩美(旭化成)10月北京
1989 2時間09分34秒 谷口浩美(旭化成)3月東京   

915 :アスリート名無しさん:04/04/20 01:02 ID:njKqxEFz
>>901
>>902
>>903
ロス五輪前までは瀬古、新宅、中村の先輩の後に隠れながら金井豊は地味な存在だったですね。
179cmの長身でインターハイの800mで優勝するスプリントを持ちあわせ
ロス五輪の後、本当に期待された。しかし全盛期の活躍期間が短かすぎた。
金井はマラソンに移行したのが良くなかったのかもしれないですね。
85年の東京国際で新宅以上に期待され途中棄権でミソをつけ、マラソンは
中途半端な結果しかだせず、本業のトラックでも精彩を欠いてしまった。
90年の初頭はマラソンをあきらめてトラックに専念し、86年に続いて
アジア大会代表に少し回復傾向にあっただけに谷口同様、北海道の事故は残念でならなかった。

金井豊(早大ーSB食品)マラソン全成績
1、(24位)2時間18分38秒 81年東京国際
2、(39位)2時間25分54秒 82年東京国際
3、(途中棄権) 85年東京国際
4、(13位)2時間14分46秒 85年福岡国際
5、(6位) 2時間13分42秒 86年ロンドン
6、(35位)2時間27分15秒 88年東京国際
7、(9位) 2時間12分51秒 88年福岡国際
8、(途中棄権) 89年東京国際
9、(9位) 2時間14分52秒 89年福岡国際
10、(58位) 2時間20分09秒 90年ロンドン

(90年8月死去)

916 :アスリート名無しさん:04/04/20 07:56 ID:tg0qEM/V
>>890
>>891
>>893
>>894
君原って宇佐美に比べると記録は平凡だが、安定度がすさまじいな。
10位以降に終わったレースは11位と13位の2レースだけか。
30レース以上走ってるのに凄いな。

917 :アスリート名無しさん:04/04/20 08:29 ID:vzBdYvp8
宗茂 マラソン全成績
1、(優勝)2時間17分28秒6 73年延岡西日本
2、(18位)2時間23分24秒 73年福岡国際
3、(16位)2時間18分32秒 74年福岡国際
4、(16位)2時間15分50秒 75年福岡国際
5、(3位)2時間18分05秒 76年毎日(モントリオール五輪代表権獲得)
6、(20位)2時間18分26秒 76年モントリオール五輪
7、(4位)2時間14分59秒 76年福岡国際
8、(52位)2時間37分45秒 77年福岡国際
9、(優勝)2時間09分05秒6 78年別府大分(日本最高、世界歴代2位)
10、(3位)2時間17分13秒4 78年毎日
11、(4位)2時間22分27秒 78年ミルトンケーネス
12、(3位)2時間11分41秒2 78年福岡国際
13、(優勝)2時間13分26秒 79年毎日
14、(2位)2時間13分26秒 79年プレ五輪
15、(2位)2時間10分37秒 79年福岡国際(モスクワ五輪代表権獲得)
16、(5位)2時間10分23秒 80年福岡国際
17、(優勝)2時間11分30秒 81年別府大分
18、(3位)2時間10分19秒 81年福岡国際
19、(10位)2時間13分18秒 83年東京国際
20、(3位)2時間09分11秒 83年福岡国際(ロス五輪代表権獲得)
21、(17位)2時間14分38秒 84年ロス五輪
22、(優勝)2時間10分32秒 85年東京国際
23、(17位)2時間12分27秒 85年広島W杯
24、(優勝)2時間10分23秒 85年北京国際
25、(17位)2時間14分53秒 87年ロンドン
(87年5月現役引退)

918 :アスリート名無しさん:04/04/20 08:49 ID:vzBdYvp8
宗猛 マラソン成績(1993年まで)
1、(2位)2時間17分46秒6 73年延岡西日本
2、(7位)2時間19分08秒 73年福岡国際
3、(11位)2時間16分38秒 74年福岡国際
4、(20位)2時間23分38秒 75年毎日
5、(6位)2時間32分38秒 75年プレ五輪
6、(6位)2時間12分52秒 75年福岡国際
7、(38位)2時間29分32秒 76年毎日
8、(優勝)2時間18分42秒 76年コシチェ
9、(19位)2時間24分15秒 76年福岡国際
10、(9位)2時間17分35秒 77年福岡国際
11、(2位)2時間12分48秒 78年別府大分
12、(優勝)2時間15分15秒 78年毎日
13、(優勝)2時間20分10秒 78年ミルトンケーネス(喜多と優勝分け合う)
14、(15位)2時間16分08秒 78年福岡国際
15、(4位)2時間14分30秒 79年毎日
16、(10位)2時間15分01秒 79年プレ五輪
17、(3位)2時間10分40秒 79年福岡国際(モスクワ五輪代表権獲得)
18、(2位)2時間09分49秒 80年福岡国際
19、(2位)2時間11分32秒 81年別府大分
20、(5位)2時間11分29秒 81年福岡国際
21、(2位)2時間08分55秒 83年東京国際
22、(4位)2時間09分17秒 83年福岡国際(ロス五輪代表権獲得)
23、(4位)2時間10分55秒 84年ロス五輪
24、(8位)2時間11分01秒 85年広島W杯
25、(2位)2時間10分23秒 85年北京国際
26、(途中棄権) 87年福岡国際
27、(3位)2時間10分40秒 88年北京国際


919 :アスリート名無しさん:04/04/20 08:59 ID:vzBdYvp8
宗猛 その2
28、(8位)2時間12分53秒 89年ミラノW杯
29、(優勝)2時間18分14秒 89年メルボルン
30、(2位)2時間13分58秒 90年びわ湖毎日
31、(6位)2時間16分10秒 90年ロッテルダム
32、(3位)2時間15分21秒 90年モスクワ国際
33、(11位)2時間12分37秒 91年東京国際
34、(27位)2時間13分15秒 91年ロンドンW杯
35、(9位)2時間17分51秒 92年バルセロナ
36、(7位)2時間15分 93年別府毎日

森下広一 マラソン全成績
1、(優勝)2時間08分53秒 91年別府大分(初マラソン日本最高)
2、(優勝)2時間10分19秒 92年東京国際(バルセロナ五輪代表権獲得)
3、(2位)2時間13分45秒 92年バルセロナ五輪 (銀メダル獲得)
(引退)


920 :アスリート名無しさん:04/04/20 09:28 ID:pH9hUWor
1970年(福岡)国際マラソン終了時のパフォーマンス上位ランキング

Derek Clayton 2:08:33.6 1st Antwerp 30 May 1969
Ron Hill 2:09:28 1st Edinburgh 23 July 1970
D Clayton 2:09:36.4 1st Fukuoka 3 Dec 1967
R Hill 2:10:30 1st Boston 20 Apr 1970
Akio Usami 2:10:37.8 1st Fukuoka 6 Dec 1970
Bill Adcocks 2:10:47.8 1st Fukuoka 8 Dec 1968
B Adcocks 2:11:07.2 1st Athens 6 Apr 1969
Eamon O’Reilly 2:11:12 2nd Boston 20 Apr 1970
Jerome Drayton 2:11.12.8 1st Fukuoka 7 Dec 1969
Sei-ichiro Sasaki 2:11:17.0 2nd Fukuoka 3 Dec 1967
Akio Usami 2:11:27.8 2nd Antwerp 30 May 1969
Kenny Moore 2:11:35.8 2nd Fukuoka 6 Dec 1970
R Hill 2:11:54.4 2nd Fukuoka 7 Dec 1969
Morio Shigematsu 2:12:00 1st Chiswick 12 Jun 1965
J Drayton 2:12:00 1st Detroit 19 Oct 1969
Hayami Tanimura 2:12:03.4 3rd Fukuoka 7 Dec 1969
Jim Alder 2:12:04 2nd Edinburgh 23 July 1970
Abebe Bikila 2:12:11.2 1st Tokyo 21 Oct 1964
Yoshiaki Unetani 2:12:12 3rd Fukuoka 6 Dec 1970
B Adcocks 2:12:16.8 1st Karl Marx Stadt 19 May 1968
Jack Foster 2:12:17.8 4th Fukuoka 6 Dec 1970
Don Faircloth 2:12:19 3rd Edinburgh 23 July 1970
David McKenzie 2:12:25.8 3rd Fukuoka 3 Dec 1967
Y Unetani 2:12:40.6 2nd Fukuoka 8 Dec 1968
Pablo Garrido 2:12:52.8 4th Fukuoka 7 Dec 1969
John Farrington 2:12:58.4 5th Fukuoka 6 Dec 1970
Toshiharu Sasaki 2:13:06.4 5th Fukuoka 7 Dec 1969
Akio Yoshida 2:13:21.0 6th Fukuoka 7 Dec 1969


921 :アスリート名無しさん:04/04/20 09:31 ID:pH9hUWor
1968年(福岡)国際マラソン終了時のパフォーマンス上位

Derek Clayton 2:09:36.4 1st Fukuoka 3 Dec 1967 当時世界新
Bill Adcocks 2:10:47.8 1st Fukuoka 8 Dec 1968 年間トップ
Sei-ichiro Sasaki 2:11:17.0 2nd Fukuoka 3 Dec 1967
Morio Shigematsu 2:12:00 1st Chiswick 12 Jun 1965 当時世界新
Abebe Bikila 2:12:11.2 1st Tokyo 21 Oct 1964 当時世界新
B Adcocks 2:12:16.8 1st Karl Marx Stadt 19 May 1968
David McKenzie 2:12:25.8 3rd Fukuoka 3 Dec 1967
Yoshiaki Unetani 2:12:40.6 2nd Fukuoka 8 Dec 1968
S Sasaki 2:13:23.8 1st Beppu 4 Feb 1968
Nicolae Mustata 2:13:26.2 2nd Karl Marx Stadt 19 May 1968
Kenji Kimihara 2:13:33.4 1st Beppu 5 Feb 1967
Tadaaki Ueoka 2:13:37.6 3rd Fukuoka 8 Dec 1968
S Sasaki 2:13:38.6 2nd Beppu 5 Feb 1967
Toru Terasawa 2:13:41 2nd Chiswick 12 Jun 1965
Ismail Akcay 2:13:43.6 4th Fukuoka 8 Dec 1968
Alastair Wood 2:13:45 1st Inverness-Forres 9 Jul 1966 年間トップ
Jurgen Busch 2:13:45.2 3rd Karl Marx Stadt 19 May 1968
Akio Usami 2:13:49.0 1st Otsu 14 Apr 1968
A Usami 2:13:51.8 5th Fukuoka 8 Dec 1968
Basil Heatley 2:13:55 1st Chiswick 13 Jun 1964 当時世界新
Mike Ryan 2:14:04.6 1st Fukuoka 27 Nov 1966
Hidekuni Hiroshima 2:14:05.2 2nd Fukuoka 27 Nov 1966

922 :アスリート名無しさん:04/04/20 09:37 ID:pH9hUWor
Landmarks
First under 2:40: 2:38:17 Harry Green GBR 1913
First under 2:30: 2:29:02 Albert Michelsen USA 1925
First under 2:20: 2:18:41 Jim Peters GBR 1953
First under 2:10: 2:09:37 Derek Clayton AUS 1967
First under 2:09: 2:08:34 Derek Clayton 1969
First under 2:08: 2:07:12 Carlos Lopes POR 1985
First under 2:07: 2:06:50 Belayneh Dinsamo ETH 1988
Subsequent record progression:
2:06:05 Ronaldo da Costa BRA 1998
2:05:42 Khalid Khannouchi MAR 1999
2:05:38 Khalid Khannouchi MAR 2002
Official World Record from 1 Jan 2004 -
2:04.55 Paul Tergat KEN 2003

Most durable world best: 2:08:34 Derek Clayton 1969 (12 years)
Most times under 2:10: Abebe Mekonnen ETH 10

Superlatives
Most Olympic titles:
2 Abebe Bikila ETH 1960/1964
2 Waldemar Cierpinski GDR 1976/1980
Most World titles: 2 Abel Anton ESP 1997/1999
Youngest Olympic/World champion: Juan Zabala ARG 1932 (20) Oldest: Carlos Lopes POR 1984 (37)

923 :アスリート名無しさん:04/04/20 09:37 ID:pH9hUWor
Three all time greats
Jim Peters (GBR): Revolutionised marathon performances: the world best was 2:25:39
until he successively ran 2:20:43, 2:18:41, 2:18:35 & 2:17:40 between 1952 & 1954.
Abebe Bikila (ETH): As a complete unknown he won (barefoot) the 1960 Olympic title
in world best 2:15:17; four years later (in shoes) he retained the title in another
world mark of 2:12:12.
Carlos Lopes (POR): An inspiration to more mature runners, he won the 1984 Olympic
marathon at the age of 37 and the following year set a world best of 2:07:12.

以上4つの投稿はIAAFのサイト
ttp://www.iaaf.org/theSport/whatisathletics/TrackandField/disc=mar/index,newsId=9448.html
より。

924 :アスリート名無しさん:04/04/20 11:43 ID:pH9hUWor
IAAFのサイトに載っている福岡マラソンの歴史は面白いです。このスレッドの住人
必読かも。そもそもIAAFがマラソンの世界選手権として位置づけていたのですね。
67年にクレイトンが記録を出す前のベストが18分台とかライアンが意図してハイ
ペースで引っ張ったとか生き生きとした記録になっています。

925 :アスリート名無しさん:04/04/20 11:55 ID:JLGXcity
ボストンマラソン1953年優勝の山田敬蔵、76歳、
今日異常気象で28℃の猛暑のボストンマラソンを
3:56:34で完走。 彼は1995年から毎年ボストンを
走っているそうです。 ゼッケンは彼専用の「1953」。

926 :アスリート名無しさん:04/04/20 12:13 ID:/59qHlqp
>>924
デレク・クレイトン (1967年福岡国際マラソン ラップ表)

5km 15.06
10km 29.57(14.51)
15km 44.57(15.00)
20km 59.59(15.02)
25km 1.15.11(15.12)
30km 1.30.32(15.21)
35km 1.46.11(15.39)
40km 2.02.16(16.05)
2.195km(7.20.4)

(優勝 2時間09分36秒4 世界最高記録 )

人類史上初の2時間10分突破として当時、陸上界では衝撃的出来事であった。
アベベの東京五輪優勝&世界最高は当分、最新ができないだろうと云われて
から高々3年。
次の五輪を待たずしての怪記録。今ならば2時間2分台がでるくらいの当時の衝撃度。

927 :アスリート名無しさん:04/04/20 15:14 ID:t6R+qour
東京国際での中山の5キロごとのラップも教えてください
中山の東京国際での走りは勝負というよりショーアップに徹した走りで
面白いレースではあった
中山が東京国際を真面目?に走ったのはバルセロナ五輪の懸かった92年の
大会ぐらいか?  

928 :アスリート名無しさん:04/04/20 15:52 ID:/bmuSVQt
>>927
中山は東京国際を4回(86年、87年、90年、92年)と走っているが、
どのレースがご希望かわかりませんが、90年の東京国際での初優勝のラップを
記載します。

1990年 東京国際マラソン 優勝 中山竹通のラップタイム
5km 14.44
10km 29.27(14.43)
15km 44.21(14.53)
20km 59.19(14.58)
25km 1.14.22(15.03)
30km 1.29.41(15.19)
35km 1.45.30(15.49)
40km 2.02.28(16.58)
2.195km(8.29) 2時間10分57秒

ボストンマラソン途中棄権(89年)から復活をかけたレース。大会前は中山自身、様子を
見ながら慎重なレースをすると語っていたが、レースはお得意の前半独り旅。
35Kmまでは何とか最小限の落ち込みでラップをキープしていたが、35キロ過ぎに
JOGのようなペースへダウン。競技場まで見に行ったが、もう歩くくらいのペースで
落ちていた。2位のトレーシーに途中、2分以上の差をつけていたがゴール差は26秒差。
ゴール後は疲労困ぱいでインタビューにもろくに答えられず、表彰式でトロフィーを
持ち上げることもできないくらいであった。翌日は辛コメントもあったが、大筋「中山復活」
と出ていた。

929 :アスリート名無しさん:04/04/20 16:02 ID:GEI84k8F
君原を見たか?

930 :アスリート名無しさん:04/04/20 16:04 ID:/bmuSVQt
>>907
北京国際マラソンで大記録を樹立した児玉、谷口のラップも記載します。

1986年 優勝 児玉泰介のラップタイム
5km 14.52
10km 29.37(14.45)
15km 44.22(14.45)
20km 58.53(14.31)
25km 1.13.51(14.58)
30km 1.29.24(15.33)
35km 1.44.58(15.34)
40km 2.01.09(16.11)
2.195km(6.24) 2時間7分35秒 (当時日本最高、世界歴代3位)

1988年 2位 谷口浩美 ラップタイム
5km 15.07
10km 30.59(15.52)
15km 46.19(15.20)
20km 1.01.08(14.49)
25km 1.16.14(15.06)
30km 1.31.01(14.47)
35km 1.45.56(14.55)
40km 2.01.22(15.26)
2.195km(6.18) 2時間7分40秒 (当時日本歴代2位、世界歴代7位)


931 :930続き:04/04/20 16:16 ID:/bmuSVQt
86年と88年の北京は正反対のレース展開。イカンガー、シャハンガが前半飛ばして
高速レースになった86年と谷口、メコネンの一騎打ちになって飛躍的にペースが
中盤から跳ね上がった88年。その中でラストの2.195kmが児玉(6.24)そして
谷口が(6.18)という高速の上がりになっている。
84年の喜多がこの区間(6.30)、85年の宗茂が(6.24)で皆、軒並み
ラストでタイムが良くなっている。特に88年。この時は工人体育場の手前でメコネンが
スパート。谷口と差がついたが、競技場に入ってのホームストレートでメコネンは
口から遺物を戻した。その隙に谷口が差をつめる。結局メコネンが5秒差で逃げ切り優勝
しているが、遺物を戻したメコネンのラップがなんと(6.13)。
ここが北京の距離疑惑の上がるところであろう。後日。宗兄弟も「北京の40キロの標識は
正確な位置にないように思う」と語っているのでどちらかではないかと思われる。

932 :アスリート名無しさん:04/04/20 16:18 ID:pH9hUWor
IAAFのサイトにある通り、世界選手権の代替として開設された(福岡)国際マラソンの
権威は高く、1966-1969年のTrack & Field Newsでの年間ランキングの1位、2位はその
まま福岡の1位、2位であったことは驚くべきである。実際メキシコ五輪のあった1968年
のランキングの1位と2位もアドコックス(オリンピック5位)と采谷であり、マモ・
ウォルデと君原はそれぞれ3位、4位と評価されていた。宇佐美が優勝した第5回に至っ
て初めて年間ランキング1位の座をロン・ヒルに譲った。この年のヒルは英連邦で歴代2
位、ボストンの大会新でも宇佐美の記録を凌いだのだから仕方がないのであるが、歴代3位
の日本新をもってしてもヒルを凌げなかったことが福岡の特別な地位を徐々に低下させる
原因となったのは残念である。

宇佐美のラップは

5Km 15:24
10Km 30:55 (15:31)
15Km 46:32 (15:37)
20Km 1:02:15 (15:43)
Half Marathon 1:05:39
25Km 1:17:27 (15:12)
30Km 1:32:26 (14:59)
35Km 1:47:32 (15:06)
40Km 2:03:27 (15:55)
42.195Km 2:10:37.8 (7:10.8)

で35キロからの失速が惜しまれる。

933 :アスリート名無しさん:04/04/20 16:40 ID:pH9hUWor
因みにTrack & Fields Newのランキングは
ttp://65.110.36.121/archive/rankings/
で閲覧可能。そこからMen's World Rankingを選びmarathonを選択すると過去
の上位ランカーが全て分かる。国別、アスリート別もあるので日本の昔日の
栄光を偲ぶには最適かも。

934 :アスリート名無しさん:04/04/20 19:04 ID:t6R+qour
>>928 中山の90年の東京国際のラップ、アリガトサンクス
このどこが様子を見ながら慎重なレースやら とても病み上がりの走りとは思えん
最近、このような大会や選手は日本には皆無になった  
あと北京のラップで20キロ手前の5キロが児玉、谷口ともに跳ね上がっているけど
この辺の疑惑はありませんでしたか?
あと他の東京国際の中山のラップもお願いします     

935 :アスリート名無しさん:04/04/20 19:15 ID:pH9hUWor
Track & Fields Newsのランキング表を1位10点、2位9点,,,10位1点
として点数化すると以下の歴代ランキングになった。

1.瀬古 55 (79,83が2位、3位3回)
2.君原 39 (63の3位が最高だが7回ランクイン) 
3.宇佐美36 (70,71が連続2位) 
4.広島庫夫32(57に2位、59に3位。本当に強いのかという疑問がだされて
    いたが評価されていたようだ)
5.中山  31(87に1位)
6.寺沢  27(61,65に2位)
7.中尾  26(62,65に3位)
8.宗猛  25(6回ランクイン)
9.谷口浩美19(91に1位、87に2位のみ)
10.貞永信義、宗茂18

見落としもあるだろうし、各年のランキング自体も変に思うこともあるが
全部を足すと(昔の選手に甘い気もするが)大体妥当な結果ではなかろうか。  

936 :アスリート名無しさん:04/04/20 19:51 ID:lEMOXzHG
>>935
お疲れ様です<(_ _)>
昔の選手はよくわからないけど(君原、宇佐美は妥当でしょうね)
瀬古・宗兄弟以降をみると
瀬古 55 (79,83が2位、3位3回)
中山 31(87に1位)
宗猛 25(6回ランクイン)
谷口浩美19(91に1位、87に2位のみ)
宗茂18

優勝回数、レース数など妥当なポイントの気がします。

937 :アスリート名無しさん:04/04/20 23:32 ID:9nmiMX9j
>>935 同様に1947-2002の非日本人のランキングを極めていい加減に作ると

1. カルボーネン(フィンランド)61
2. イカンガー(タンザニア)51
3. ショーター(米)
  ド・キャステラ(豪) 48
5. アベベ(エチオピア)40
6. ロジャース(米)39
7. ヒル(英)37
8. クレイトン(豪)
  ドレイトン(カナダ)
  サラ(ジブチ)
  ハヌーシ(モロッコ->米) 34

といったところである。惜しいところではポポフ(ソ連)33,
ピータース(英)は32,エル=ムーアジス(モロッコ)も32となっている。

メルボルンオリンピック銅のカルボーネンが1番ポイントを稼いでいるのは意外で
あったが後は順当な顔ぶれが並んだ。日本人も混ぜると

瀬古が2位、君原が7位、宇佐美がクレイトン等をしのいで10位に入る。瀬古は惜し
かったが、世界マラソンの歴史上稀に見る偉大な選手の一人であることはこのラン
キングからも裏付けられたことになる。

938 :アスリート名無しさん:04/04/21 05:18 ID:5azXKQit
瀬古利彦 1981年 ボストンマラソン 優勝時のラップタイム

5km 15.01
10km 30.21(15.20)
15km 46・02(15.41)
20km 1.01.25(15.23)
25km 1.16.24(14.59)
30km 1.31.38(15.14)
35km 1.46.54(15.14)
40km 2.02.06(15.12)
2.195km(7.22) 2時間9分26秒 (大会新記録 日本歴代2位 世界歴代5位)

瀬古の全盛期は78年から83年までの6年間だと思うが、そのシーズンで7戦6勝。
徹底的に相手をマークして終盤にかわす走法ばかりがクローズアップされるが、
この81年のボストンでのラスト2.195kmは全盛期の中でいちばん悪いタイム
(7.22)でゴールしている。すでに81年のボストンの模様は前スレで既出だが
心臓破りの丘の手前で優勝候補の1人、ビル・ロジャースが後退(結局3位)。
アメリカの新鋭クレッグ・バージンとの競り合いになったが瀬古は心臓破りの丘を
過ぎると珍しくロングスパートでバージンを振り切った。その代償でか、ボイルストン
ストリートからボストン図書館前のゴールに向かう直線で相当苦しい表情に変化
していたのを覚えている。はじめてへばっている瀬古をこの時見たが、何とか持ち
こたえ、2位のバージンに約1分の差をつけゴール。79年に負けたロジャースの
大会記録、2時間9分27秒を1秒破るコースレコードだった。

939 :アスリート名無しさん:04/04/21 05:33 ID:5azXKQit
1986年 シカゴマラソン優勝 瀬古利彦 ラップタイム

5km 15.00
10km 30.07(15.07)
15km 45.16(15.09)
20km 1.00.21(15.05)
25km 1.15.43(15.22)
30km 1.30.44(15.01)
35km 1.46.06(15.22)
40km 2.01.16(15.10)
2.195km(7.11) 2時間8分27秒 (日本歴代2位 世界歴代10位)

瀬古の生涯記録で優勝を飾った86年のシカゴマラソン。
めぼしい選手がジブチのアーメド・サラくらいしかいなく、またサラは
前に出て引っ張るタイプでない為、記録最新を目指す瀬古としては
厳しい条件だったようだ。案の上、20kmまでは理想的なペースで進んだが、
25kmでラップが15分22秒に落ち込むと、たまらず瀬古がペースを上げる。
それについてきたのはサラのみだった。瀬古が前にでるとタイムが上がり、
サラに先頭を譲るとペースが落ちるの繰り返し。サラは本調子でないようだった。
瀬古は35kmがまた15分22秒に落ちたのをきっかけにサラを振り切る。
後半ペースが落ちたものの独走。2位のサラ(2時間9分57秒)に大差をつける
自己新記録でテープを切った。結局、瀬古の最後のサブテンになってしまった。
優勝賞金65000ドル(当時のレートで1040万円)を獲得した。

940 :アスリート名無しさん:04/04/21 05:48 ID:5azXKQit
>>935
>>936
>>937
そろそろこのスレッドも終了に近づくにつれ「日本最強ランナー」の
分析が出きてきましたね。
とても興味のある結果ですね。。

941 :925:04/04/21 05:55 ID:kHOfJaLq
>>925
山田さんのように年とってからもレースで走り続けている
往年の名ランナーって他にいますか? 

942 :アスリート名無しさん:04/04/21 11:03 ID:j+4GOVzq

日大を留年した蔭谷だ〜〜〜〜〜!

943 :1:04/04/21 11:42 ID:f0O3o8C8
どうもこのスレ立てた者です。
ハイレベルな内容でとても勉強になりました。
これからも濃〜いの期待してます。

944 :アスリート名無しさん:04/04/21 12:56 ID:WwPbrgzC
喜多秀喜 マラソン成績(1991年まで)

1、(59位)2時間30分21秒 74年別府大分
2、(49位)2時間29分59秒 74年福岡国際
3、(5位)2時間15分01秒8 78年別府大分
4、(優勝)2時間20分10秒 78年 ミルトンケーネス(宗猛と優勝分け合う)
5、(2位)2時間11分05秒 78年福岡国際
6、(優勝)2時間13分29秒1 79年別府大分
7、(48位)2時間22分19秒0 79年プレ五輪
8、(41位)2時間22分25秒 79年福岡国際
9、(15位)2時間14分37秒 80年福岡国際
10、(優勝)2時間12分04秒 81年東京国際
11、(622位)2時間36分59秒 81年ボストン
12、(14位)2時間14分32秒 81年福岡国際
13、(8位)2時間13分24秒 82年東京国際
14、(2位)2時間11分09秒 82年福岡国際
15、(42位)2時間22分37秒 83年ヘルシンキ世界陸上
16、(7位)2時間10分30秒 83年福岡国際
17、(優勝)2時間12分16秒 84年北京国際
18、(55位)2時間23分31秒 84年福岡国際


945 :アスリート名無しさん:04/04/21 13:04 ID:WwPbrgzC
喜多秀喜その2

19、(途中棄権) 85年福岡国際
20、(29位)2時間17分26秒 86年福岡国際
21、(17位)2時間29分19秒 87年台北
22、(9位)2時間15分23秒 87年ボストン
23、(5位)2時間13分09秒 87年北京国際
24、(12位)2時間14分40秒 88年ボストン
25、(5位)2時間11分51秒 88年福岡国際
26、(13位)2時間15分41秒 89年ロッテルダム
27、(14位)2時間17分28秒 89年福岡国際
28、(5位)2時間15分39秒 90年ロッテルダム
29、(8位)2時間18分16秒 90年モスクワ国際
30、(8位)2時間15分36秒 90年福岡国際
31、(5位)2時間16分27秒 91年防府

946 :アスリート名無しさん:04/04/21 13:21 ID:WwPbrgzC
児玉泰介 マラソン成績(1992年まで)

1、(4位)2時間20分56秒 82年延岡西日本
2、(16位)2時間16分20秒 82年福岡国際
3、(7位)2時間18分48秒 83年別府大分
4、(10位)2時間12分51秒 83年福岡国際
5、(2位)2時間10分36秒 84年福岡国際
6、(52位)2時間16分51秒 85年広島W杯
7、(28位)2時間19分14秒 85年福岡国際
8、(優勝)2時間10分34秒 86年別府大分
9、(優勝)2時間07分35秒 86年北京国際(日本最高記録)
10、(2位)2時間11分23秒 87年ソウルW杯
11、(31位)2時間16分49秒 87年福岡国際
12、(2位)2時間20分55秒 88年北海道
13、(4位)2時間11分36秒 88年福岡国際
14、(6位)2時間17分14秒 89年ロサンゼルス
15、(7位)2時間17分36秒 90年モスクワ国際
16、(5位)2時間12分09秒 91年別府大分
17、(2位)2時間13分07秒 91年北京国際
18、(2位)2時間13分58秒 91年防府
19、(9位)2時間13分 92年ロッテルダム

947 :アスリート名無しさん:04/04/21 13:27 ID:WwPbrgzC
新宅雅也(永灯至) マラソン全成績

1、(3位)2時間12分23秒 85年東京国際 (初マラソン日本最高)
2、(優勝)2時間09分51秒 85年福岡国際
3、(途中棄権) 86年福岡国際
4、(2位)2時間10分34秒 87年福岡国際 (ソウル五輪代表権獲得)
5、(17位)2時間15分42秒 88年ソウル五輪
6、(4位)2時間15分17秒 90年ロッテルダム
7、(8位)2時間12分49秒 90年ベルリン
8、(21位)2時間20分34秒 92年東京国際

948 :アスリート名無しさん:04/04/21 14:10 ID:rrufbOsQ
これまで、ここに登場してきたランナーをみんな集めて大会を開いた場合、
どんな結果になるのであろうか? 

949 :アスリート名無しさん:04/04/21 14:29 ID:Gtq6FQwf
そろそろ1000に達してしまうが、
是非次のスレッドには「男子マラソン」をスレタイに入れたものを立ててほしい!

最近盛り下がり気味の競技だが、これだけファンがいたとは。
やはり五輪最後の競技には特別なものを感じてしまう人は多いわけで。

950 :アスリート名無しさん:04/04/21 15:13 ID:Yp9ryT9R

http://uproader2.hp.infoseek.co.jp/2004-04-20%20012.JPG
下重が日本学生ハーフで優勝

951 :アスリート名無しさん:04/04/21 20:55 ID:eayu0ZbJ
史上最強論争については概ね決着を見たようなので
次スレからは昔の男子マラソン全般についてマターリ語るスレにしてはどうでしょう。
例えば
【君原・宇佐美】昔の男子マラソンを語ろうpart2【瀬古・中山】

952 :アスリート名無しさん:04/04/22 00:02 ID:q8JsUbjO
Track & Fields Newsでは必ずしも評価の高くないクレイトンであるが、やはり
歴史を作った選手として忘れる訳にはいかない。私個人としてはクレイトンの
レースをまともに見たことがない。67年は幼すぎたし、ミュンヘンはいつの間に
か先頭集団から落ちていた。またオリンピックの再選と期待された72年の福岡でも
早々と脱落しテレビに映ることは殆どなかったためである。そういう意味では彼は
私にとっても失われたヒーローなのかもしれないが、一番熱心に見ていた時期に
ずっと不滅の世界記録を保持していただけでも偉大な伝説上の選手であると言わ
ざるを得ない。

彼の評価の低さは大試合での弱さの現れによる。大記録を出した直後かつ直前の
メキシコでは7位に終わり、ミュンヘンでも13位に終わっている。また英連邦大会
(70,74)は何れも途中棄権ということでワールドクラスの大会では67年の
福岡を除くと結果を出していない。その一方で記録だけを見ると67、69に驚異的な
世界記録を連発しただけでなくて71、73の何れも11分台前半の記録でランキング
トップになっている。(しかしTrack & Fields Newsのランキングでは69年に3位、
71,73年は4位にすぎない。69年の1位、2位を福岡の1位、2位にしたのはドレイトン
がデトロイトで好記録を出し、ヒルが欧州選手権に勝ったとしてもおかしい気が
する。因みにアテネで好記録を出したアドコックスも何故か7位にしかなっていない)。


953 :アスリート名無しさん:04/04/22 00:02 ID:q8JsUbjO
彼の写真を見れば分かる通り、末端肥大気味と思わせる程大きな顔をもっている。また
身長もマラソン選手としては珍しい程の長身(188)であり、迫力のある走りだったと伝え
聞く。彼は2回の歴史的な走りを成し遂げ、世界に衝撃をもたらしているが、特に1回目の
福岡については多くの記録が残っている。67年のレースの前のベストは2時間18分28秒に
すぎず、初めての海外マラソンであったために誰も期待をしていなかったというのが正直
なところであろう。そのレースの優勝候補は前年のチャンピオン(前年の世界実力ランク
1位かつ翌年のメキシコ銅)のライアンであり、前年の英連邦大会のチャンピオンのアルダー
であった。また日本側のエースは別府で君原と死闘を演じ破れたものの世界歴代4位
の好記録を出していた佐々木であった。

レースはライアンのペースメークによって5キロは15’06、10キロは29’57、15キロは44’57
という史上最も早いペースで推移した。このハイペースが功を奏したのかアルダーを始め
残りの選手は5キロもいかないうちに振り切られ2人の勝負になったかに見えた。また15キロを
すぎてライアンが遅れ始めて20キロでは始めて1時間を切ったクレイトンにライアンは23”遅れ
勝負あったかに見えた。しかしそれはドラマの序章にすぎなかった。

いうまでもなくもう一人の主役であった佐々木の追い上げが15キロ過ぎから始まったのである。
15キロから14'59",14'56"で追い上げ、ついに29キロ付近では追いつき30キロを2人並んで
1時間30分32秒で通過した。163cmの伝統的マラソンランナーの体型をしていて実績も勝った
佐々木が追いついたということでこのまま逆転すると多くの人が信じたが、クレイトンも一向に
譲らず併走は34キロまで続く。しかしそこで異変が起きたのは佐々木の方であり、腹痛で顔をゆが
め、見る見るうちに差がつき35キロでは12秒もの差がつき勝負は決した。しかし両者はその後、
大崩れすることもなくいずれも世界最高を上回るタイムでゴール。3位のマッケンジーまで歴代5位
のおまけつきであった。

以上が福岡の歴史的レースの概略である。次に歴史的レースがあるとすればやはり2時間の壁を
破るときであろうか。




954 :アスリート名無しさん:04/04/22 00:54 ID:1yWrtvRi
このスレは2ちゃんねる史上まれにみるレベルの高さだな
まさに永久保存版だよ
このスレに登場したランナーは100選手を越しているよ
マラソン史を戦前編、戦後〜東京五輪前編、戦後〜東京五輪後編、
瀬古・宗兄弟〜中山・谷口時代編、低迷現代編に分けてもっと細かく分析しても
面白そうだ
あと海外編、女子編なんかもあってもいいな
他にはローカル大会編なんかもやってほしいな    

955 :アスリート名無しさん:04/04/22 01:39 ID:izb0jMpI
84年 福岡国際マラソン 優勝 中山竹通のラップタイム

5km 15.36
10km 31.07(15.31)
15km 46.34(15.27)
20km 1.02.15(15.41)
25km 1.17.33(15.18)
30km 1.32.29(14.56)
35km 1.47.33(15.04)
40km 1.03.02(15.29)
2.195km (6.58) 2時間10分00秒 (マラソン初優勝 、84年度日本ランク1位)

ロス五輪で日本勢が思うような活躍ができず、全体的に沈静化したムードの中、開催された第19回(当時)
福岡国際マラソン。優勝候補は前年の最終選考会で欲しくも五輪代表権を逃したが、自己ベストの
2時間9分35秒をマークした伊藤国光、2ヶ月前の北京で優勝している喜多、そして
前年2位、ロス五輪6位のイカンガーが優勝候補筆頭。
前半、アメリカのゲーリー・ビヨクルンドが集団を引っ張る。しかし15kmも経たないうちに、集団の
後方で伊藤国光の顔が苦しくなり、いつもの首振りが始まっていた。喜多も早々に集団から脱落。やはり
2ヶ月の間でマラソンを走るのは難しいようだった。
25km過ぎに長身の中山が抜け出す。前年、途中まで、長身の若手が先頭集団にいて注目してが、その
中山だった。この時参加選手中、2番目にタイムのいいハイルマン(東ドイツ)のみ中山につく。
この間の5kmを14分台にペースアップ。2人の先頭争いは続いたが33キロあたりでハイルマンの
顔が歪みだす。足の運びがおかしくなりみるみる後退。中山は特別にスパートを仕掛けたわけではないが
単独で先頭に踊り出た。後続では児玉がひたひたと中山を追随。40キロすぎには
ハイルマンを捕らえた。
中山が初優勝。児玉が2位と二人とも自己記録を大幅最新。3位のハイルマンは
2時間10分59秒で3位。中山のスパートで遅れたイカンガーは日本で初めての
大惨敗(23位)に終った。

956 :アスリート名無しさん:04/04/22 01:57 ID:izb0jMpI
1986年 ソウルアジア大会 優勝 中山竹通のラップタイム

5km 14.49
10km 29.35(14.46)
15km 44.34(14.59)
20km 59.42(15.08)
25km 1.15.01(15.19)
30km 1.30.17(15.16)
35km 1.45.46(15.29)
40km 2.01.27(15.41)
2.195km (6.54) 2時間8分21秒 (大会記録)

日本代表は中山と谷口浩美。スタートして競技場内から2人での飛び出しとなった。
85年のソウル国際マラソン以来の前半からの飛び出し。しかしこの頃は
85年の福岡で2時間10分01秒の記録を出した谷口であっても中山との実力差は歴然。
最初の5キロまでは抵抗をみせたが、中山の独走が始まった。今思うと、この時の
中山の飛び出しがいちばんの理想的なラップを刻んでいる。
2時間7分台が狙えるペースで推移していたが、40キロのラップでやや失速。
競技場内に入ってきて自己記録(2時間8分15秒)が破れるのかが焦点になった。
NHKアナの「2時間8分12,13,14,15、、うーん中山自己記録は難しく
なった。。」というラストの直線での秒を読みながらの実況が印象的。

957 :アスリート名無しさん:04/04/22 05:23 ID:8rJEBm/L
中山竹通
2時間10分00秒(15:29)(6:58) '84福岡 >>955
2時間08分15秒(15:05)(6:51) '85広島 >>905
2時間08分21秒(15:41)(6:54) '85ソウル >>956
2時間08分18秒(16:20)(7:34) '87福岡 >>853
2時間11分05秒(15:37)(7:03) '88ソウル >>868
2時間10分57秒(16:58)(8:29) '90東京 >>928

瀬古利彦
2時間09分26秒(15:12)(7:22) '81ボストン >>938
2時間08分38秒(16:18)(6:41) '83東京 >>904
2時間08分52秒(15:18)(6:22) '83福岡 >>904
2時間08分27秒(15:10)(7:11) '86シカゴ >>939

ラップを書いていただいたレスから瀬古と中山の上がりの分をまとめてみました。
前半からガンガン行くタイプの中山のは意味ないかもしれませんが(w
当該レスの中にもありましたが、ロジャースを破って世界に躍り出た'81ボストン、
自己ベストの'86シカゴでも独走のせいもあるのでしょうが、ラストが効いてない
のがちょっと意外でした。

958 :アスリート名無しさん:04/04/22 07:42 ID:v7gIPk+J
1980年 福岡国際マラソン 優勝 瀬古利彦のラップタイム

5km 15.27
10km 31.05(15.38)
15km 46.48(15.43)
20km 1.02.41(15.53)
25km 1.17.55(15.14)
30km 1.33.03(15.08)
35km 1.47.48(14.45)
40km 2.03.08(15.20)
2.195km(6.37) 2時間9分45秒 (日本歴代2位)(世界歴代7位)

モスクワ五輪の開催年。その優勝者、チェルピンスキーと日本のエース瀬古との
対決が実現した。瀬古はエスビー食品に所属後、初のマラソンレース。
前半、牽制のきらいがありスローな展開。集団にはモスクワ
五輪で10位に入り、若手として売り出し中のキャステラや、宗兄弟、伊藤、
武富、喜多らの顔が見えた。
中盤からペースが徐々に14分台にあがるビルドアップ的なレース展開になった。
瀬古、宗猛、伊藤の日本勢にオーストラリアのヘンリーが割って入る。
ラストは瀬古、宗猛の一騎打ち。勝負は競技場までもつれ込み、前年の大会同様、
ラスト勝負になった。
前年(79年)は本調子とはいかなかった瀬古だが、今回は体調が万全のようで、
宗猛を一気に引き離し、福岡国際3連覇。
今までの瀬古のレースでいちばん余裕を感じるものであった。
瀬古、宗猛と初めてサブテンを達成した。また3位の伊藤国光、9位武富豊も自己記録。
チェルピンスキーは6位、キャステラは8位だった。


959 :アスリート名無しさん:04/04/22 08:02 ID:v7gIPk+J
1987年 ボストンマラソン 優勝 瀬古利彦のラップタイム

5km 15.09
10km 30.49(15.40)
15km 46.58(16.09)
20km 1.02.54(15.56)
25km 1.18.56(16.02)
30km 1.34.42(15.46)
35km 1.49.40(14.58)
40km 2.04.48(15.08)
2.195km(7.02) 2時間11分50秒 (ボストン2度目の優勝)

既出事だが、このレース途中に中継トラブルで放送が中断。
自分の目で確かめることができなかったが、10キロから30キロまでの
レース展開は、20キロ過ぎまでは牽制のし過ぎで誰もが余裕の表情。
25キロ過ぎにイカンガーと中心に17.8人に絞られてきたが、まだまだ
レースが動く気配がない。キャステラが集団の後方。スタート時、転倒の
アクシデントの為、どこか負傷している感じで本来の走りではない。
青梅マラソンからの招待、谷口伴之と喜多秀喜が集団の中で健闘。日大の
武田が遅れる。
レースが動いたのは33キロ。瀬古が満を持してスパート。集団が
Sジョーンズ、ジェフ・スミス、ジョン・トレーシー、他7人になった。
イカンガー、フセイン、キャステラが後退。その後、瀬古はスパートを
緩めず、ついにSジョーンズも観念。当時、海外での新聞評に「世界一の
スピード」と絶賛された瀬古の勝負どころでのキレが遺憾無く発揮された。
後半は独走。2位争いは最後にスミスをかわしてジョーンズが入る。
日本勢が10位以内に3人(瀬古、谷口5位、喜多9位)が入った。

960 :アスリート名無しさん:04/04/22 10:09 ID:XWiBrdT/
70年代後半に3回世界実力ランク1位だったビル・ロジャースはショーター程では
ないにせよ日本にも馴染みの深い選手であった。瀬古同様世界大会では結果を出せ
ず、本当に強かったのかどうかは判断に苦しむ面もあるがアメリカでの人気は絶大
でシティマラソン隆盛のきっかけを作ったのは彼の功績大であろう。

彼はボストン男と異名を取るだけに実に17回もボストンを走っており、最初の13年
は連続出場である。平凡な選手であった彼が一躍注目を集めるようになったのは1975年
のボストンであり、そこで史上4人目のサブ10(2.09.55=歴代4位)を実現している。
もちろん当時はダウンヒルコースのボストンでの記録として実力を疑問視する声も多かった
が、Track & Fields Newsではランキング1位を取り、以降福岡より自国で伝統のあるボス
トンを評価するきっかけを作ったレースでもあった。それまでヒルが70年に好記録(当時
歴代2位)の記録を作ったとはいえ、レベルの低い大会と見なされがちで、事実、日本勢
は自国の福岡では勝てなかった60年代には出ると優勝していたし、上位独占も珍しくは
なかった。

ロジャースは76年のオリンピックトライアルはショーターに7秒遅れの2位になり、
モントリオールでもショーターを脅かす2番手グループの一人と目されていたが、
本番では体調不良から40位に終わっている。しかしトライアル3位のカードングが
リスモンに僅差の4位になったことから考えてもロジャースはメダルを取ってもおか
しくない実力を備えていた。

961 :アスリート名無しさん:04/04/22 10:10 ID:XWiBrdT/
そのロジャースが本領を発揮するのはモントリオール以降である。特にオリンピック
直後のニューヨークでは大方の予想を裏切り2.10.10の好タイムで圧勝。77は京都マラ
ソンで楽勝したあと、(ボストンは途中棄権したものの)福岡で2.10.55で圧勝。記録
も実力もランキング1位と評価された。78にもボストン, NYをそれぞれ2.10.13と
2.11.28で制して絶対の優勝候補として福岡に乗り込んだものの日本勢の上位独占を許し
惨敗。その実力に翳りが見えたように思われた。しかし翌年のボストンでは福岡の覇者
瀬古に大勝して2.09.27の好記録をマークし、歴代4位に返り咲くことになった。79年は
NYも11分台で制しているが鬼門のモントリオールでの国際マラソンではエチオピアの
新鋭バルチャが11分台で快勝した中、13位に沈み不安定要因も見せた。しかしながら
79年の実力Rankingは3回目のトップであり、翌年のモスクワに期待を抱かせた。

しかし80年のオリンピックはボイコット。その年のボストンは制したものの、
NYではサラザールが登場し、翌年のボストンは瀬古、バージンに遅れを取り、ロジャースの
時代は終わった。


962 :アスリート名無しさん:04/04/22 10:12 ID:XWiBrdT/
資料1。ボストンでのロジャースの記録

Year Time Place
1973 DNF
1974 2:19:34 14
1975 2:09:55 1 Course Record, American Record
1976 Ran the Olympic Trials instead
1977 DNF
1978 2:10:13 1
1979 2:09:27 1 Course Record, American Record
1980 2:12:11 1
1981 2:10:34 3
1982 2:12:38 4
1983 2:11:58 10
1986 2:13:36 4
1987 2:18:18 15
1988 2:18:17 28
1990 2:20:46 31
1996 2:53:23 1207
1999 DNF

資料2.NYC marahonの勝利者(77-83):但し距離不足

1976 Bill Rodgers, USA 2:10:10 (2:10:09という説もある)
1977 Bill Rodgers, USA 2:11:28
1978 Bill Rodgers, USA 2:12:12
1979 Bill Rodgers, USA 2:11:42
1980 Alberto Salazar, USA 2:09:41
1981 Alberto Salazar, USA 2:08:13
1982 Alberto Salazar, USA 2:09:29
1983 Rod Dixon, NZ 2:08:59

963 :アスリート名無しさん:04/04/22 13:57 ID:YnJJbWEb
>>957
瀬古はどうしても国内でのレース(特に福岡国際)の印象が強い為、
マークした選手にピッタリとついていき、最後の最後で武器のスプリント
で勝っているように思われがち。(卑怯だとかセコいとかいわれることも
あるが、、)
しかし海外で勝利したもの(ボストン2回、シカゴ、ロンドン)は
終盤でスパートをかけ逃げ切ったものばかりである。
その為、この4回のレース、上がりの2.195kmは全部7分以上かかっている。
けして楽なレース運びにはなっていない。
逆に国内で優勝したレースは88年のびわ湖マラソンの2.195km(7.56)
というものを除けば7分以内でのゴールとなっている。
ここが、瀬古のレースの印象として固定してしまったのかもしれない。
前半からの独り旅以外は瀬古もいろいろなレース展開を実行しているわけだ。

964 :アスリート名無しさん:04/04/22 15:57 ID:UG8wry+p
>>961,>>960 幾つか注釈。

まず1976年のNYCではショーターがエントリーしていたので絶対の優勝候補だったが
5分近く遅れて2位。

ロジャースのTFNのランキングは75年から1-6-1-2-1-*-7のシリーズ。80年は
ランキング外。

バージンは1981年のボストンで瀬古に続いて2位になったことで記憶されている
場合が多いが、史上2人目の27'30"を切った選手として記憶されるべきである。
実際79-80の2年に渡って10000ではTFNランキング2位をキープしている。

78年のランキングトップは帽子を目深にかぶったモイセーエフ。欧州選手権の勝利
と福岡でロジャースに先着したことが評価された。瀬古は3位、喜多が4位、
大記録を作った宗茂は別大が全く評価されず5位。

バルチャは1983の東京で瀬古の快走を演出したことで記憶されている。79年は
モントリオールの快走で5位、83年は6位。

965 :アスリート名無しさん:04/04/22 21:19 ID:5erR0tlp
>>963

1988年 びわ湖毎日マラソン 瀬古選手のラップ

5km 15:07
10km 30:18(15:11)
15km 45:15(14:57)
20km 1:00:25(15:10)
25km 1:15:57(15:32)
30km 1:31:44(15:47)
35km 1:47:44(16:00)
40km 2.04・55(17:01)
2.195km (7:56)
2時間12分41秒 (ソウルオリンピック代表権獲得)

966 :アスリート名無しさん:04/04/22 21:51 ID:q8JsUbjO
福岡が国際マラソンと銘打ってから最初の4回は旧大英帝国に属した国々によって
構成される英連邦の選手が優勝して、そのレベルの高さを示していた。第4回大会
で惜しくも2位に終わったが、翌70年には歴代2位を2回出して歴代パフォーマンス
の2位、4位を占めて第5回大会に参加した選手がロン・ヒル(英)であった。
ロン・ヒルのTFNランキングの推移は69年から2-1-5-7-8-*-6という履歴を辿って
いるが1938年生まれであることを考えると最後にランクインした75年は37歳あたり
であり、長く活躍した選手と言える。単にデビューが遅かった選手ではなく
東京オリンピックでも何れも20位台の不本意な成績に終わったとは言え、マラソン
と10000に出場しており、メキシコでの10000の7位を経てミュンヘンのマラソンでよう
やく6位に入っている。またヒルは6マイルや15000m等の特殊種目の世界記録を持って
いたことのあるユニークな選手でもあった。GoogleでRon Hillを検索するとその名前
をブランドにしたスポーツ用品メーカーを経営していることも分かる。また今も走って
おり27ヶ国のマラソンに参加した世界記録保持者でもある。

967 :アスリート名無しさん:04/04/22 21:52 ID:q8JsUbjO
ヒルの持ちタイムからするとオリンピックの成績は物足りないが、クレイトンとは異な
り大試合で全く駄目だった訳ではない。1969年の欧州選手権で優勝し、71年には3位に
入っていることはヨーロッパの選手にとっての勲章である。また何より彼の名前を不朽
なものにしているのが史上2人目のサブ10であった1970のエディンバラにおける英連邦
大会での快走である。上述のように世界選手権の位置づけをもった福岡で4人連続して
英連邦の選手が優勝しているだけにクレイトンを初め誰が一番強いのかを決める本当の
意味での世界大会であった。結果はトラック走法そのままに最初の10キロを29'42"と
いう当時では考えられないハイペースで飛ばしたヒルがそのままペースを落とさず、
同じ年のボストンで記録した2時間10分30秒の記録を更に更新して2時間09分28秒の記録
で圧勝した。その結果、ミュンヘンではクレイトンと並んで優勝候補の筆頭と目された
が結果として6位に終わっている。

イギリスの選手はピータース、ヒートレー、ヒル、トンプソン、S. ジョーンズと世界
一の実力を持つと見なされた選手を輩出しながらわずかにヒートレーが東京で銀を取った
のみ。オリンピックではなかなか結果を出せない。特にトンプソンやS.ジョーンズは
出場すらできていない。さて女子のラドクリフも先輩の撤を踏むのであろうか。


968 :アスリート名無しさん:04/04/22 23:40 ID:q8JsUbjO
福岡を3回勝ったドレイトンもTFN累計ランキングベスト10に入るに相応しい名選手
だった。ドレイトンは1968年には走り始め、その年に早くもナショナルレコードを
破り急遽カナダのオリンピック代表に選ばれている(本番は棄権)。翌年10月に
デトロイトで歴代5位タイの2時間12分ちょうどで走り、2月後の福岡に参加している。
ドレイトンはこの記録をもってしても招待されなかったことで期するものがあったが
実際には記録を出すのが遅すぎたのであろう。

1969年の福岡の主な招待選手はマモ・ウォルデ、ヒル、ボストンを大会新で勝ったウネ谷
等であった。しのつく雨の中、有力選手が牽制をしていたが、委細構わずドレイトンは
先頭に出て、5キロで4秒、10キロで21秒のリードを後続集団につけた。そのまま独走を
続け差をどんどん広げる。30キロでは谷村が集団を抜け出し35キロでは集団より15秒前に
来たがドレイトンとの差は50秒。35キロからヒルが集団を抜け出してスパートしたが
既に時は遅く40キロで59秒差。ゴールでは42秒差に詰めるのが精一杯であった。しかし
既に述べた通り世界記録を作ったクレイトンをさしおいてドレイトンとヒルがTFNランキング
の1位と2位を占めた。


969 :アスリート名無しさん:04/04/22 23:59 ID:q8JsUbjO
ドレイトンのスプリットは5Km 15:11、10Km 30:42 (15:31)、 15Km 46:12 (15:30)、
20Km 1:01:45 (15:33)、 Half 1:05:08、 25Km 1:17:00 (15:15)、30Km 1:32:29 (15:29)、
35Km 1:48:03 (15:31)、 40Km 2:04:02 (15:59)、 42.195Km 2:11:12.8 (7:10.8)
=当時歴代3位。

であった。しかし翌年から故障に苦しみヒルが歴代2位を連発して勝ったボストンと
英連邦を棄権し、ミュンヘン五輪には代表からも漏れた。その後も苦しみ続けた
彼が復活したのは75年の福岡であった。今度は独走した69年とは異なり終盤に新鋭
チェトルの独走を許し、これまでかと思われた中での逆転劇を歴代5位の好記録で飾った。
しかし前回同様雨模様であり「雨のドレイトン」の異名を取った。

地元のオリンピックでは下馬評ではロジャース同様、ショーターに続くメダル候補と
期待されており、テレビ局も彼を大きく映していた。チェルピンスキーが独走になっても
ショーターではなく先に遅れた彼を大きく映していたのが印象深い。オリンピックは
結局6位に終わって不完全燃焼だったが年の暮れの福岡ではオリンピックに参加できな
かった歴代2位の記録を持ったトンプソンやオリンピックチャンピオンのチェルピンスキー
を一蹴し、溜飲を下げた。また翌年のボストンにも勝ち、高い評価を受けた。

970 :アスリート名無しさん:04/04/23 07:49 ID:aj9QWegC
ドレイトン、ヒル、アドコックス、ロジャースかぁ。懐かしい選手だな。
この辺の選手は当時の日本選手は福岡でなかなか勝てなかったを覚えてるなぁ。

他に、当時の福岡国際を見ていて懐かしく思う外国人招待選手は
ファーリントン(オーストラリア)
ニッカリ(フィンランド)
フォスター(ニュージーランド)
ムーア(アメリカ)
レッセ(東ドイツ)
あたりが70年代の福岡で好走していた印象がある。70年代中盤は日本勢も
不振で何とか思い出せるのが

大槻憲一(東洋工業)
浜田安則(鹿児島 高校教員)
世利重樹(九州電工)
服部誠(東農大教員)
水上則安(新日鉄)

などが下位の方で何とか入賞していたと思う。今、思い出しても渋い面々で
あるが、宇佐美と瀬古の間の過渡期(モントリオール五輪前後かな)
だったように思う。今の低迷とタイプが違う様に思う。今はそこそこの
スター選手がいるけど、大成しない感じ。この頃はメンバー的に力量が弱かった
と思ったのだが。。強かった日本勢の期間のなかでもこういう時期はあった、


971 :アスリート名無しさん:04/04/23 09:21 ID:qo5EEtsP
2ちゃんねる史上最強のスレ(!)が終了してしまいますね。
これが過去ログに入ったしまうのがもったいない。

ここで記入している方、相当なマラソン観戦歴と記憶、専門知識が
ある方達ですね。感心するのと勉強になります。
なぜかは今の時代、男子マラソンで年度世界ランキング10傑に
はいるのは希なわけで、その中に毎年のようにランクしていた時代、
(60年代から80年代)の歴史が知れただけでも、リアルタイムで
知らん世代としてはありがたい。

寺沢ー君原ー宇佐美ー瀬古、宗兄弟ー中山、谷口という感じで日本の
第一人者が交替しているように感じました。

972 :アスリート名無しさん:04/04/23 13:53 ID:t8GCq2xU
福岡国際マラソンで当時、1966年を1回大会としたのはすでに何回か
記載済みになっているが、その第1回から現在までで日本選手が10位以内に入った
回数を調べてみた。

福岡国際10位入賞回数(5回以上)

1、宗猛 7回 (73年(7位)、75年(6位)、77年(9位)、79年(3位)、80年(2位)、81年(5位)、83年(4位)
1、伊藤国光 7回 (79年(8位)、80年(3位)、81年(2位)、82年(4位)、83年(6位)、84年(5位)、85年(3位)
3、宗茂 6回 (76年(4位)、78年(3位)、79年(2位)、80年(5位)、81年(3位)、83年(3位)
4、上岡忠明 5回 (66年(9位)、68年(3位)、70年(7位)、73年(8位)、74年(7位)
4、宇佐美彰朗 5回 (66年(10位)、68年(5位)、70年(1位)、71年(2位)、74年(6位)
4、瀬古利彦 5回 (77年(5位)、78年(1位)、79年(1位)、80年(1位)、83年(1位)
4、喜多秀喜 5回 (78年(2位)、82年(2位)、83年(7位)、88年(5位)、90年(8位)

中山、児玉、谷口が3回。新宅が2回。君原は国際マラソンになってからは相性が良くなく
72年の5位の1回しか記録していない。
上の表のメンバーは今まで名が多く挙がっている名ランナーばかり。
特に宗兄弟は長きに渡って福岡国際を走っていた印象がある。
そんな中で、上岡忠明(東洋工業ー神戸製鋼)の活躍が目に留まる。
中堅選手として大崩れしない堅実な走りを福岡で披露。
ベストレースは68年の国際マラソン、アドコックス、采谷と中盤まで
先頭集団を形成した走りで2時間13分37秒6。

このような選手が統計で歴代選手の中に入ってくると、懐かしくかつ
嬉しいような気がする。

973 :訂正:973:04/04/23 14:06 ID:t8GCq2xU
中山は3回出場の計2回(84年(1位)、87年(1位)でした。

974 :アスリート名無しさん:04/04/23 14:17 ID:odDAnADN
>>972 上岡はそんなに入賞していますか。まだノーリツの監督をやっているね。娘は
ノーリツの選手で、息子がこの間の実業団駅伝で活躍した日産の上岡宏次。あまり活躍
せず峠を越した娘より息子の方が期待できる。

ところで知っているかもしれないけど、別スレでこんなのを見つけた。バイニオを失格
になった時点でフィンランドチームは絶対クロだと思っていたけど裏づけ?があって
何となく安心。チェルピンスキーには最初からショーターが文句を言っていた。国家
ぐるみだったからね。

>名前:クーベルタン男爵さん :04/03/28 14:59
>チェルピンスキーとかビレンがやっていた冷凍血液補給する当時の血液ドーピングは
>しょっちゅうやれるもんじゃないから一流選手になるのはオリンピックだけ。
>
>フィンランドはバイニオもマーニンカもやったの告白してるのにビレンは
>まだ認めてないみたいだね
>チェルピンスキーは証拠文書は出たらしいけど

975 :アスリート名無しさん:04/04/23 18:02 ID:odDAnADN
キャステラとイカンガーが80年代を代表する選手で瀬古と幾多の名勝負を
演じてきた息の長い選手であったことは皆よく知っている。瀬古が取れな
かったTrack & Fields Newsのランキング1位をキャステラは1983年に、
イカンガーは86年と89年に取っており、直接対決では瀬古に分があったもの
の、彼らが世界的な名ランナーであったことに口を挟むものはいないだろう。

キャステラはローカルランナーから世界的なランナーに飛躍するきっかけは
1980年の福岡であったと思う。翌年の福岡では後に世界記録変遷史に残る
クレイトンの記録を破る大記録を出して一躍一流選手と目されるようになった。
一方、イカンガーの世界デビューは日本の東京で瀬古の引き立て役になった時
ではなく、前年(1982)の英連邦大会であった。この大会でキャステラが2時間
9分18秒、イカンガーが2時間9分30秒で走っており、当時一流の称号で
あったサブ10をイカンガーは初めて実現している。

スタート時(1982.10.6: 6:00AM)ブリスベーンの湿度は94%であった。
号砲一発飛び出したのは前回のチャンピオンであるシャハンガ(タンザニア)
、イカンガーとケニアの選手であった。5キロを14'45で3人は通過し、集団
で待機するキャステラに100m以上の差をつけた。程なく先頭は2人になり、
10キロでは先頭と集団の差は5"に縮まり吸収されるのも時間の問題と見られた。

976 :アスリート名無しさん:04/04/23 18:14 ID:odDAnADN
しかしそこで先頭の2人はペースアップをして中間点を63'40"で過ぎる頃に
はキャステラは1分もの差をつけられていた。後続の集団はこの大差に諦める
者が続出したがキャステラはじっと2人が落ちてくるのを待っていたのである。
キャステラは30kmあたりで集団を抜け出しぐんぐん差を詰め、37キロで
遂にシャハンガを捉え、80m先にイカンガーを見据えていた。程なくキャス
テラは追いついたもののイカンガーも粘り1キロに渡って併走した。この併走
の様子はNHKニュースで流れていたと思う。最終的にはキャステラのスパートに
疲れていたイカンガーはつくことができず12秒の差でゴール。

キャステラは
前年の福岡の走りが本物であることを強くアピールし、王者サラザールとどちら
が強いのかということに世間の関心は嫌が上にも高まった。一方、イカンガーも
この走りで世界の注目をひき、世界ランクの5位に登場することになった(
キャステラは2位)。

977 :アスリート名無しさん:04/04/23 21:32 ID:Uz8Ltozj
日本人でランキング1位になったのは重松(65),中山(87),谷口(91)のみ。重松は
65年を除いてはベスト10にすら入っていない。

1位を3回取ったのがカルボーネン(51,54,55),アベベ(60,61,64),ショーター(71-73),
ロジャース(75,77,79)。2回取ったのは意外に少なくサラザール(81,82),イカンガー
(86,89),アベラ(00,01)だけだと思う。

ベスト3以内の回数ではカルボーネンの6回、瀬古とショーターの5回、ピータース、
アベベ、ロジャース、キャステラの4回が続く。

ベスト10への登場回数は君原、カルボーネン、キャステラ、イカンガーが7回で
トップのようだ。




978 :アスリート名無しさん:04/04/23 21:58 ID:XMflxI5y
>>977
Track&Field News では日本勢の1位は3回ですか。
65年の重松、87年の中山、91年の谷口の年は世界的に記録が低調した年。
65年は東京五輪の後で、別大で寺沢が2時間14分38秒の記録をだしたのが
目立つくらい。 (アベベは毎日で2時間22分55秒8で優勝)
87年も既出だが世界的にサブテンが2回しかない。
91年は記録の世界ランク1位、森下が初マラソンで世界的にはローカル大会で
マークしている。
記録の1位がそのまま世界ランクに反映されたのが65年と87年ということか。
これを考えると、91年の世界選手権で優勝した谷口が
いちばんランキングとして価値がありそうな気がする。

80年代では81年、83年、85年、86年、あたりで世界ランク1位を獲得できたら
本当に強い評価になるのではないかな。


979 :アスリート名無しさん:04/04/23 23:26 ID:Uz8Ltozj
>>935 瀬古は45ですね。足し算が間違っています。

>>970 日本勢は71年から77年にかけて大不振。ここに名前の挙がっていない選手で
は北山吉信がいる。北山は73年に毎日とマクソールで2.13.24,2.13.29を連発して
ショーターとレッセについで2位になり年末の福岡で期待されたが大不振で、その後
活躍することなく消えた。大槻にしても72年の福岡3位以外での好走は記憶にない
(実業団駅伝の区間新は抜き)。71-77の歴代10傑は

1. 2.12.40. 宇佐美彰朗(東海大教) 75びわ湖1位
2. 2.12.52. 宗猛   (旭化成)75福岡6位
3. 2.13.04.2 浜田安則(鹿児島中央高教)74別府1位
4. 2.13.10.4 小沢欽一 (神戸製鋼)75別府1位
5. 2.13.13. 服部誠  (東農大教)75福岡8位
2.13.22.8 宇佐美        71福岡2位
6. 2.13.24. 北山吉信 (旭化成)73 びわ湖2位
  2.13.24. 宇佐美       74 びわ湖1位
2.13.29. 北山        73 マクソール2位
7. 2.13.40. 服部        74 別府2位
8. 2.13.45.2 谷村隼美(クラレ) 71 京都1位 
2.13.47.8 浜田        75 福岡10位
  2.13.57. 浜田        77 別大1位
9. 2.14.00.6 大槻憲一(東洋工業)72福岡3位
10. 2.14.15. 三原市郎(?高教)74 別府3位
11.2.14.22.2 重竹幸夫(九州電工)76 別大1位

くらいであったと記憶する。何も見ていないので落ちているのもあるかもしれないが
まあこんなものだろう。例えば75年の福岡は比較的タイムがよかったのだが勝負に
なっていない。それだけ弱かったということである。           

980 :アスリート名無しさん:04/04/23 23:45 ID:Uz8Ltozj
ファーリントンは70年の福岡で12分台で6位になった後、ミュンヘンで8位くらい
になって福岡でショーターについで2位になっている。その当時は福岡の威光がもの
すごくそれで世界ランク2位になっている。翌年2時間11分13秒くらいを記録して
歴代10位に入ったと記憶するが定かでない。しかしショーターの対抗馬と期待された
福岡では全然駄目でそのため世界ランキングも下位に低迷した。翌年の英連邦では
結果を出せずにその後、消えていったと思う。

ニッカリは背が高く渋い走りをしていたがタイム的にはたいしたことがなかった。
14分台だったと思う。ムーアとフォスターは既出なので省略。レッセは73,74で
いい走りをしていた。後のハイルマンと印象的には似ている。ショーターには歯が
立たなかった。

オリンピック代表の水上(そういえば彼は2時間14分21秒で走っているのでリスト
に追加してください。74年の別府です)はともかく世利重樹は渋すぎ。

981 :アスリート名無しさん:04/04/24 00:16 ID:deSlGKDm
やっぱり瀬古は55.

78 3位
79 2位
80 3位
81 3位
83 2位
86 4位
87 5位

7回ランクインで最多タイ。やっぱり瀬古はすごい。

982 :972:04/04/24 04:00 ID:tRHB1H/M
>>980
世利重樹(九州電工)の福岡での成績を見てみると、
73年(10位)、74年(8位)、76年(5位)、77年(8位)となんと4回、10位以内に
入賞している。
福岡国際、初期で他にめぼしい入賞回数は
采谷義秋(竹原高校教員) 3回 (67年6位、68年2位、70年3位)
蓬原正嗣(旭化成) 3回 (66年4位、67年4位、68年8位)

あとは寺沢、大槻、谷村、広島日、あたりが2回。

上岡同様、世利の渋い好走が福岡で見る事ができた。

983 :アスリート名無しさん:04/04/24 06:28 ID:JwUDUp5k
>>879
1975年 福岡国際マラソン 6位 宗猛のラップタイム

5km 16.03
10km 30.43(14.40)
15km 45.58(15.15)
20km 1.01.05(15.07)
25km 1.16.28(15.23)
30km 1.31.54(15.26)
35km 1.47.36(15.42)
40km 2.04.51(17.15)
2.195km (8.01) 2時間12分52秒 (当時 自己記録)

984 :アスリート名無しさん:04/04/24 10:08 ID:ilcHXgH3
>>982 世利で一番印象に残っているのは別府が別大と名称を変えた76年の
大会。多分2位で2時間14分50秒だった。多分76年が彼の全盛だったの
だろう。しかし15分をやっと切る選手だから福岡で下位入賞を重ねていた
とはちょっと驚き。

服部は最近箱根のごぼう抜きの記録が更新された(と言っても参加人数が増
えたのだから実質的にはまだ記録と思っている)ので陸上関係の催しにも出て
くるようになった。今は北海道で農場を経営しているね。すっかりはげ上がっ
ておっさんになっている。大学時代から熊日30キロ、中日スピード30キロ
で圧勝し、後者に至ってはちょっと足がつったから屈伸までしても勝ち、初
マラソン最高記録を大学3年で出し卒業後1年目で福岡で自己ベストを更新し
て期待されたのだが、卒業後2年目のびわ湖(モントリオール最終選考会)で
惨敗した後、あっさりとやめてしまった。あまりあっさりしていたので驚く。
びわ湖のレースは前30キロ日本記録保持者でニュージーランドの合宿でいい
走りをした伊藤国光の初マラソンで、合宿の最終日のマラソンで13分台で
並んでゴールした宗兄弟、彼らに続いた(15分台)、何故か陸連の評価は
高くなかった服部に期待が集まったが、結果は宇佐美、水上、宗茂の順だった。
途中、浜田が頑張っていたが4位に終わった。本番では日本選手はテレビに
映らなかった。


985 :アスリート名無しさん:04/04/24 11:42 ID:EyQeY7BA
わざわざこんな糞スレにPART2作るなよ。

986 :アスリート名無しさん:04/04/24 12:30 ID:qknjtq1D
>>985
いくら男子マラソンの本スレが寂れてるからってそんな事言わないでくださいよ(w
あっちは現在、こっちは過去のスレで共存で行きましょ。
と、いうかあっちはスレタイに「渡辺康幸」を入れてしまったのがレスが伸びない一因かと。
渡辺の個人スレだと思ってる人がいるから。

987 :アスリート名無しさん:04/04/24 13:23 ID:Kq604YoB
1989年 東京国際マラソン 優勝 谷口浩美のラップタイム

5km 15.08
10km 29.59(14.51)
15km 45.15(15.16)
20km 1.00.31(15.16)
25km 1.15.56(15.25)
30km 1.31.03(15.07)
35km 1.46.33(15.30)
40km 2.02.22(15.47)
2.195km (7.14) 2時間09分34秒

天皇陛下が1月に崩御した為、開催自体危ぶまれた89年の東京国際だが、約1ヶ月
伸ばすことで開催されることとなった。大会前から谷口が記録狙いを宣言。
なにせ国内でまだ2時間10分を破った事がなかった。
3月開催の影響で高温のレースになった。序盤から積極的に前にでる谷口が独走態勢を
築く。初めて経験する一人旅となった。後続からベルギーのヘルビックが追いかけたが、
その差は3分以上。
谷口としては10度を切るような低温でのレースであまり良い結果がだせていない
だけあって高温でのレースはお手のものとなった。
国内初のサブテンを達成。堅実な走りでヘルビックが2位に入り、3位以下は2時間16分
以上かかる高温の影響をもろに受ける結果となった。

988 :アスリート名無しさん:04/04/24 13:46 ID:4H2JzXvO
>>979
71年から77年までが日本の不振としたら、現在は92年のバルセロナの後から
今までになるんでしょうかね。藤田、高岡の走りはあったにせよ、単発だし、、、
考えてみれば、主要海外マラソンで90年の谷口浩美選手以来、勝利がないんですよね。

989 :アスリート名無しさん:04/04/24 15:55 ID:YymAQEac
4月はパリ、ロンドン、ロッテルダム、ボストン と地上波で生中継だったのに
今年はCS中継だったり、録画でダイジェストだったり
ファンとしては寂しいかぎり・・・
おかげで海外のマラソン事情にうとくなってしまった感じだ。
春の海外レースで日本選手が活躍してTV中継でもファンを楽しませてほしいよ。       

990 :アスリート名無しさん:04/04/24 16:08 ID:HQ1Tisb2
>>989
そういえば、当時、瀬古を海外マラソンに招待するのに主催者側でいろいろな
駆け引きがあったようだ。テレビの放映権もあるだろうが、世界でいちばん
参加させるのが難しい選手No1だったそう。
(まあ瀬古が日本のレースを優先していたわけで)
80年代だけで、81年ボストン瀬古、86年ロンドン瀬古、86年シカゴ瀬古、87年ロンドン谷口
87年ボストン瀬古、そして90年ロッテルダム谷口と主要海外マラソンで
優勝者が出ているわけだもんな。60年代のウインザー、アテネ、ボストン、
コシチェ、などをいれると当時は本当に海外で日本勢が優勝してたな。

991 :アスリート名無しさん:04/04/24 18:35 ID:rOuwHBTo
このスレッドも終わりに近いので

ttp://www.algonet.se/~pela2/athletics/mmaraok.htm
ttp://w1.196.telia.com/~u19603668/atb-m24.htm

を紹介しておく。前者はかなり新しいデータでパフォーマンス951位(2時間10分29秒)まで
載っている。後者はちょっと前に更新が終わっているけど歴代1213位(2時間13分36秒)まで
載っている。

年度別の記録ランキングを載せているページが見つからない(5000,10000は
みつけたのだけど)。実は年ごとのトップの推移も正確に分からないのは
ちょっと悔しい。

992 :987他:04/04/25 02:26 ID:fKQYP4U3
私が考える、日本最強ランナーは。。。

1、瀬古利彦 2時間8分27秒 (86年シゴ)
2、君原健二 2時間13分25秒8 (68年アテネ)
3、中山竹通 2時間8分15秒 (85年ワールドカップ)
4、谷口浩美 2時間7分40秒 (88年北京)
5、宇佐美彰朗 2時間10分37秒8 (70年福岡)
6、宗猛 2時間8分55秒 (83年東京)
7、宗茂 2時間9分5秒6 (78年別大)
8、寺沢徹 2時間13分41秒 (65年ウインザー)
9、森下広一 2時間8分53秒 (91年別大)
10、伊藤国光 2時間7分57秒 (86年北京)

日本国内、海外レース、年度世界ランクを参考に選手寿命の長さも加味してみると
こんな感じか。
他に広島庫夫、高岡寿成、佐々木精一郎、重松森雄、采谷義秋、喜多秀喜、円谷幸吉あたりが
10位以下にランキングされるのではないか。
そんな中、いちばん強かった頃の日本勢でもまったく歯が立たなかった
フランク・ショーター、アベベ・ビキラは偉大である。

993 :アスリート名無しさん:04/04/25 04:49 ID:7B/LlOnF
>>1000


994 :アスリート名無しさん:04/04/25 11:47 ID:LBnzG3pP
生の清水智也を見てしまった。礼儀正しくて、物静かでどこにあんなに早く走る
パワーがあるのか不思議だった。大ファンになってしまった。

995 :アスリート名無しさん:04/04/25 17:27 ID:pHknulOm
最後に国近、油谷、諏訪(アテネ五輪マラソン代表)

のちに「日本最強ランナー」に語られるくらいの成績を期待したいものだ。
君原や円谷などは前評判なく、メダルを獲得してこともあるのだから。。。

996 :アスリート名無しさん:04/04/25 18:01 ID:qonJ3rNZ
瀬古や中山のようにオリジナルなスタイルをもったランナーが
出現することを望む!  

997 :アスリート名無しさん:04/04/25 18:07 ID:qonJ3rNZ
次スレを誰か立ててくれ  

998 :アスリート名無しさん:04/04/25 18:08 ID:qonJ3rNZ
最後の直線スパート!

999 :アスリート名無しさん:04/04/25 18:10 ID:qonJ3rNZ
ゴールまであと少し!逃げ切れるか!

1000 :アスリート名無しさん:04/04/25 18:12 ID:qonJ3rNZ
1000ゴール!優勝!!金メダル!!!おめでとう!!!!

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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